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水環の査察官  作者: 桐谷瑞香
第三章 真実を求める二人の旅路
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3‐20 廃坑の奥にある光と闇(2)

 テウスとしてはさっさと自分の相手を片づけて、レナリアに加勢したかった。だが目の前にいる狼は通常相手をする狼よりも遙かに殺気だっており、攻めあぐねていた。

 できる限り引き寄せるが、寸前で跳躍されてテウスの間合いから消えてしまう。どこか焦っているのか、体が変に反応してしまい剣が振り切れなかった。

 なぜ彼女のことを考えると、こんなにも剣を握る手が強くなるのか。アーシェルの時も同じ状況だったはずであるが。

 ふと冷たい空気がテウスの頬を撫でた。目を丸くし、風が吹く方に目を向ける。そこではレナリアが地面に腹を付けた狼を突き刺している時だった。彼女は肩で息をして、狼を見下ろしている。歯を噛みしめている姿を見て、息の根を確実に止めたのだとテウスは悟った。

 視線を元に戻し、テウスは迫ってくる狼に対し、自ら間合いを詰めてすれ違いざまに切った。狼の首もとから血が吹き出す。数歩進んだ狼は横に倒れた。

 狼の血がテウスの頬についている。それを軽く手の甲で拭った。



 狼を突き刺したレナリアは、奥歯を噛みしめながらブロードソードを上に抜いた。肉を切る感触が生々しく残っている。生き物を殺すのは何度経験しても慣れなかった。

 一歩下がって、汗でべったりの手をズボンで拭う。手には若干だが水の粒子が集まっているように感じられた。

 極力魔の力は使わないつもりだった。だがとっさに使ってしまった。狼に不意をつかれて詰め寄られたとき、天井から水滴が落ちているのに気づき、それに対し念じてしまったのだ。

 水滴よ、氷柱となれ――と。

 滴った水は落下する間に見る見るうちに氷の針となり狼を刺した。動きが鈍ったところで好機を逃さずに、レナリアは狼を地面に叩き落とし、躊躇いながらも刺し込んだのだ。

「二人ともったんだな。俺の手は必要なかったか」

 ウェルズに声をかけられて、レナリアはおもむろに顔を上げる。彼は涼しい顔をしていた。

「ここで三匹もいたんだ、奥に何匹いるかわからないぞ。俺たちに立ち止まっている暇はない」

「ウェルズは慣れているな。案内人も受けているし、ここを何度か出入りしたことがあるのか?」

 テウスが尋ねると、ウェルズは地面に向いている槍の先をちらりと見た。

「お前らみたいにごく稀に力を抑えたい魔術師が来るからな。そのときに頼まれれば案内しているだけだ」

 そして彼は動かない狼の横を通って、歩き出した。レナリアたちもものを言わぬ姿になった狼を横目で見ながら彼に続く。

 廃坑の奥からは低く不気味な風の音が聞こえてくる。あと何度剣を振れば目的地に辿り着くのだろうか。そんなことを思いながら、その音が聞こえる方角に進んでいった。



 その後も野犬から野生の狼、さらには狼を元にした合成獣や熊に似たものまで、次々とレナリアたちの目の前に出てきた。それらの攻撃を適当にかわしながら沈めていく。

 ウェルズが知っている限り、自分たちが通っている道が距離としては一番短いが、他に二本ほど中心通りに続く道があるという。そこから生き物たちは侵入してきているのではないかと言っていた。だから襲いくる生き物たちは途切れることがないようだ。

 大きな広場にて三人で十匹の合成獣を戦闘不能にしたあとで、レナリアたちは持ってきた水袋で水を飲んでいた。さすがに連続しての戦闘は、体力的に厳しくなっていた。

 この場では三つに分かれていたトロッコの線路が一カ所に集結するところだった。奥には闇が深そうな洞窟が続いている。

「あそこを歩いて少しすれば、鉱物を採取していた場に着く。そこで魔の力を抑えられる石が手に入るはずだ」

「あと少しね……」

 ほっとしたのも束の間、地響きがレナリアたちを襲った。一歩、一歩、何かが足を地面に降ろす度に地面が揺れていく。その音の出どころはこれからレナリアたちが向かうところだ。

 ウェルズは槍を持ち直して、先端にポケットから出した糊状のものを塗り始める。

「長年廃坑に住み着いている合成獣だろう。俺も何度か見たことがある四足歩行の獣だ。苦戦する相手だが殺す必要はない。この場で毒を食らわして、その隙に石を奪えばいい」

 塗り終わった彼の槍の先端は黒くにじんでいる。痺れ薬でも塗ったのかもしれない。

「レナリアとテウス、基本的には俺が引きつけるから、その隙に中に入れ」

 ウェルズの発言を聞いたレナリアたちは目を剥いた。彼はそれに対して軽く首を横に振った。

「囮とかそういう馬鹿なことは考えてない。この槍の先端にうっかり触れて帰りに荷物になるのが嫌なだけだ。――魔術師が見れば石の在処はわかるはずだ。さっさと行ってこい」

 振り返りもせず、きっぱり言い放つ。彼の背中をじっと見ていたレナリアは軽く頭を下げた。

 足音が確実に近づいてくる。そこに耳を澄ませていたが、ふとまた違う音が聞こえてくるのに気づいた。何かが地面を這ってくる音、そしてゆっくり足を忍ばせている音だ。

 レナリアは視線を右に向けようとした矢先、左足が何かに掴まれる。そして引っ張られ、バランスを崩して地面に倒れた。

「レナリア!」

 テウスがレナリアの方に振り返るが、彼の顔には三匹のコウモリが襲ってきていた。それを手で必死に払う。

 その間にレナリアは両足を掴まれ、見る見るうちに壁際まで引っ張られていった。手で地面を掴んで抵抗しようとするが、それよりも引っ張る力の方が上だった。

 せめてブロードソードを離すまいと握りしめていたが、脇から白い触手が現れて、あっという間に取っていってしまった。

「触手……?」

 レナリアはよじりながらも、どうにか引っ張られる方に顔を向けた。視線の先にあるものを見て、顔をひきつらせる。

 白い大きな固まりからいくつもの触手が伸びていた。それは自由自在に長さを変えて、レナリアを襲ってくる。

合成獣キメラの一種……? こんなの初めて見た……」

 恐れを通り越して、もはや笑うしかなかった。白い大きな固まりには口があるのか、ゆっくり開かれる。黒い部分はまるですべてを飲み込むような黒さだった。

 レナリアは我に戻り、腰に刺していた短剣を取り出して地面に突き刺す。両手で握りしめ、引っ張られるのを懸命にこらえた。しかし触手の力は強く、まもなくして短剣が地面から抜ける。触手はその短剣さえも奪おうとしていた。

「させない……!」

 周囲に氷の粒が生まれてくる。それらをかき集め、粒を一気に触手の本体に飛ばした。

 触手らが器用に本体の盾となる。レナリアは僅かに足にかかる負荷が少なくなったのを察し、短剣を突き刺して、今度は前に体を這い出た。

 目の前には駆け寄ってきていたテウスがいる。彼の手を握りかえし、強い手で引っ張られると触手から解放された。

 彼に抱えられながらレナリアは触手からさらに離れた。

「いったいなんだよ、これは……」

「私が知りたい……」

 レナリアは彼の体から離れて、異様な姿の白い触手らを睨みつけた。背後では動く度に地響きがする足音がすぐそこから聞こえてくる。振り返ろうとする前にテウスに制された。

「予定通りウェルズが相手をしている。俺たちはこれと……あれを片づける」

 テウスが軽く首を動かすと、別の入り口から双頭の黒犬が現れていた。尾は蛇で、ひょろひょろと動いている。視線はレナリアたちの方に向けられていた。

「合成獣がもう一匹!? しかもあの格好、まるで神話に出てくる獣ね」

「神話だと?」

「いくつかある神話の一つよ。オルトロスという、蛇の尾を持つ双頭の黒犬がいるの。――昔、師匠に聞いたことがある。合成獣を作る上である程度はイメージが必要だって。一番作りやすいのはイメージができあがっている神話に出てくるモンスターだとも言っていた。あの合成獣、三種類以上の生き物が合成されている。あれが自然にできたとは考えにくい。きっとあの作成には確実に人間が関わっている」

 断言してからレナリアはテウスの背に自分の背中を合わせた。お互い動きながら、触手の生き物とオルトロスを交互に見る。

「さて、どっちを相手にする? テウスだとあの触手と対抗するのは難しいよね?」

「……正直言ってそうだな。まあ相手をするのは不可能ではない。本体を潰せばいい話だからな」

「私なら魔術を使えば、触手とも対等に渡り合える」

 気配からテウスが嫌そうにしているのに気づいた。魔の力のせいで苦しんでいるのに、それを利用するのか、と言いそうである。

 レナリアも力を使うのに不安でないとは言い切れない。しかし魔の力の扱いに慣れることも必要ともいっていた。今が絶好の機会なのだ。

 ウェストポーチの中に入っている銃を取り出す。そして触手で溢れる合成獣に向けた。銃を見て覚悟が固まったと察したのか、テウスは反論せずに背中を離した。

「連れて帰るのが面倒だから、せいぜい気をつけろよ」

「わかっているって。じゃあ、行きましょうか。――発動、水の華」

 レナリアの銃声を皮切りに、テウスはその場から飛び出す。銃弾は触手によって遮られ本体に届くことはなかったが、そこを始点として凍りだした。触手の二割程度が固まったところで、レナリアは銃をベルトにさし、短剣を右手に持って走っていった。

 ブロードソードは手前にある触手が握っている。あれを取り返すことを念頭に置きつつ、迫ってくる触手を短剣で切り、さばいていった。

 触手は単体で攻めるのは効率が悪いと悟ったのか、十本以上が一気にレナリアに向かって襲ってきた。

 その場で立ち止まり、軽く銃に触れる。瞬間、レナリアの周囲に薄い水の膜が張られた。レナリアを刺そうとしていた触手は膜によって阻まれる。思った通りに魔の力が発動したのを実感できて、レナリアは仄かに笑みを浮かべた。

(これなら無理せず力を利用できる!)

 本来レナリアは魔の力を利用するときは、銃という媒体を用いている。それがなければ力を引き出せないからだ。一方でこの媒体は力を引き出す以外にも、抑える力もあると言われていた。今回は適切な力を引き出すために、銃の力を軽く利用したのだ。

 触手が離れたところで、レナリアは本体を討つべく、さらに接近していった。



 テウスは一瞬レナリアの背中を見たが、それ以降振り返ることはしなかった。彼女は師匠の元できちんと育てられた、剣を握る人間だ。体調を崩しがちだから、そして女性であるからという理由で区別して、護るだけの人間と見なしては失礼な話だった。

 仮に殺されかけたとしたら、魔の力が勝手に暴走するとも踏んでいた。

 アーシェルに魔の力の流れについて少しだけ聞いたことがあった。魔の力は生きており、能力のある術者の身に危険が起きれば、勝手に動くというものだ。

 レナリアの身にはまさにその通りのことが起きていた。ロイスタン戦の時だ。彼女の話を合わせれば、おそらく勝手に魔の力が暴走したか、極端に力が出てしまったのではないだろうか。

 だから今は彼女を一人にしても大丈夫と思ったのだ。しかし心配な点はあるため、テウスはこれから対峙する合成獣をさっさと葬ろうと決めていた。

 一定の距離を保ち、犬の双頭と蛇の尾を持つオルトロスとにらみ合う。向こうも様子を伺っているのか、こちらの出方をじっと見ていた。

 どちらの頭が対処しやすいか両方を見比べて、テウスは剣先を向けた。

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