3‐19 廃坑の奥にある光と闇(1)
* * *
藍色の髪の少女は、ウェストポーチに青みがかった黒い銃をしまい、ナイフ、目潰しの粉、火をつける道具などを詰め込んでいった。さらに腰に巻いているベルトに横にした短剣を装着し、左腰にブロードソードを下げる。これで準備はできた。
鏡の前に立っている少女は、いつになく緊張した面持ちだった。
「レナリア、俺の方の準備は終わった」
事務作業の一つのように淡々と言った青年が中に入ってくる。小さな布袋を肩から下げ、ロングソードを左手で持っていた。彼は腕を組ながら口を開く。
「俺はお前の護衛として行く。基本的にはお前の意見に沿って進む。案内人のウェルズもそうだろう。だからお前が先に進むのが厳しいと思ったら、すぐに言え。体調が万全でない状態で突っ込んで、取り返しの付かないことになったら困るからな」
レナリアは胸のあたりに軽く拳を乗せた。今は特に違和感はないが、いつ何が起きるかわからない。テウスの言うことは、もっともだった。
「……わかった、テウス。無理はしないようにする。さあ、行こう、宝石を取りに」
レナリアがドアを開けると、テウスがすぐ後ろに付いてきた。彼に護衛をされていると実感しながら、前を見据えて廊下を歩き出した。
二人は案内人であるウェルズと合流すると、廃坑に一番近い出入り口へ向かった。そこで話をしていた初老の男が現れ、目の前でお香を焚いてくれた。焚いたお香はレナリアたちを包み込んでいく。ややツンとした匂いの香だった。
「動物除けの香だ。これでおおかたは近寄ってくることはないだろう。予備も渡しておく」
「ありがとうございます」
火がついていないお香とマッチが入った袋を受け取る。はっきりした匂いのため、そう簡単に匂いは体から落ちないと思うが、往復の時間を考えると予備があるのは有り難かった。
「廃坑はこのまま真っ直ぐ進めば着く。そこまでは問題なく行けると思うが、中はウェルズでさえも把握できていない部分は多い。迂闊に一人で行動はするな」
「わかりました。ご忠告ありがとうございます」
レナリアは袋をウェストポーチの脇にぶら下げる。そして三人は初老の男たちに見送られながら、村から出て行った。
男の言うとおり比較的整えられた道が一本続いていた。かつて村と炭坑を行きやすくするために道を整備した。だが今では廃坑に行く人間もいないため草は伸び放題で、道は険しくなっていた。
草が長いところは、ウェルズが黙々とナイフで切って進んでいった。その後ろをレナリアが、最後尾にテウスが続いていく。
レナリアは廃坑を見上げた。濃い灰色の雲を背景にして、三人を待ち構えているかのように佇んでいる。空は全体的に厚い雲で覆われ、廃坑の方からは雷が轟いている音が聞こえた。
「雨が降りそう。廃坑に入る前に降らなければいいんだけど……」
「世の中そう上手く事が運ぶと思うな」
彼の言うとおり、歩いていると少しずつ雨が降り出した。ナイフを動かすウェルズの手の動きが早くなる。それに比例するかのように、雨の降り具合は強くなっていった。
やがて本降りになってくるが、ちょうど開けた道に飛び出ることができた。廃坑の入り口がぼやけているが、かすかに見える。
近寄るために走り出そうとすると、目の前に黒い影が現れた。三人は即座に足を止める。黒い影が動くと、二つの黄色い目がゆっくり向けられた。
「あれは合成獣……ね」
レナリアは確認するかのように呟いて、ブロードソードの柄に右手を添えた。
黒い影は通常の狼よりも一回り大きな生き物だった。耳はぴんっと尖っており、鋭い鉤爪や歯は狼そのものだ。しかし明らかに狼ではない部分があった。それは背中から鷲のような大きな羽根が生えているのだ。
「狼と鷲の合成獣かしら。なかなか面白いのを掛け合わせた人がいるのね」
生み出した者の発想としては褒めざるを得ない。陸上で強い生き物がさらに空まで飛べる可能性がある生物になったのだ。空からあの鉤爪を向けられたら、なかなか避けきれないだろう。
これからの攻防で、脅威となる合成獣になるのは間違いないだろう。しかしレナリアは別の意味でも顔を曇らせていた。
合成獣についてあまり多くは知られていないが、その中で聞いたことがある話では、より凶悪な獣同士の掛け合わせだと、合成する成功する確率は低くなるというものだ。そしてその確率を高くするためには、他の生き物の血を利用するといいらしい。その血は知能があれば、なおいいと聞いていた。つまりもっとも良い血は人間の血と言われていた。
人間の血でなければいいというわけではない。そもそも合成獣を作り出すにあたって、無闇に殺生はしてはいけない。
もしあの合成獣を作り出す際に人間の血が流れているとしたら――製造者を余計に許すわけにはいかなかった。
ウェルズが短槍をすっと前に突き出す。
「俺が先に様子を見る。他にも来るかもしれないから、お前たちは様子を見ながら動いてくれ」
そう声をかけたウェルズはレナリアたちが聞き返す前にその場から飛び出した。道を塞ぐかのように立っていた狼と鷲の合成獣は、迫ってきたウェルズを見て駆け寄ってきた。
向かってきた合成獣の突進を流れるようにして横に逸れてかわす。そしてすれ違いざまに横腹を切った。傷は浅いが傷を付けられることは確認できた。
合成獣が反転する前に、ウェルズはさらに尻の辺りにも切り傷を入れ、動きが鈍ったところで前に槍を突きだした。
だが合成獣はそれを受ける前に大きな羽根を羽ばたかせる。風が周囲に発生するなり、ふわりと合成獣は浮かび上がった。槍は空を切る。ウェルズの目元がぴくりと動いた。
浮かんだ合成獣はウェルズではなく、レナリアたちの方に向かってきた。レナリアは一瞬目を丸くしたが、すぐさまブロードソードを引き抜いて、空から襲ってくる獣を牽制した。獣は一端下がるが、再度向かってくる。何度も何度も剣を振るが、獣は着実に寄っていた。
「下がっていろ!」
テウスの大きな声と共に、彼の背中がレナリアの前に出てきた。彼はぎりぎりまで合成獣を引きつけ懐に入り込むなり、一気に首元を横に凪いだ。合成獣は悲鳴に似た声をあげながら下がっていく。濡れている地面に向かって、血が滴り落ちていった。
もう少しで合成獣の牙がテウスに届くかというところでの一線は、思うように傷を与えられない状況下では大きな一歩だった。
合成獣はしばらく宙を浮いていたが、やがて羽ばたきが弱くなっていく。ウェルズはそれに対し側面から素早く槍で突いた。
刺された合成獣は一気に落ちていく。やがて地面に着くと、止めと言わんばかりにウェルズは槍で貫通させた。真っ赤な血が地面に広がっていく。
レナリアはテウスの傍から離れないようにして、合成獣を見下ろした。
「これ、明らかに私のことを狙ったよね?」
「……ああ。お前のことを認識すると、すぐに飛びついた」
「つまり野生ではなく、人の手によって動かされたのかもしれないわね」
レナリアは躊躇いもせずに言い切る。テウスは渋い顔をし、ウェルズは眉を潜ませていた。
「お前ら、どうして狙われているんだ?」
合成獣の息の根を確実に止めたウェルズが聞いてくる。レナリアは上着のフードをかぶった。
「どうしてでしょうかね。私のにじみ出る力のせいかもしれない」
それ以外に思い当たることがもう一つあった。移動途中で出会った色素の薄い銀髪の男だ。あの男は明らかにレナリアに対して敵意を向けていた。彼の存在が気にかかる。
ウェルズは血の付いた槍を振り払う。
「なら、なおさら早く行って、お前の力を抑えるぞ。廃坑の内部の方が凶悪なのが住み着いている。ここで余計な力を使う前に、さっさと行くぞ」
ウェルズは小瓶を取り出し、中に入っている液体を合成獣にかけた。触れるなり青々とした炎があがる。雨が降っているにも関わらず、煌々と炎は獣を燃やしていった。
「雨の中でもどんな状況下でも燃えるよう液体を調合したものだ。俺たちの村には魔術道具を作るのに、ずば抜けた才能を持つ人間がいるからな」
「すごいですね……」
「合成獣の数をこれ以上増やさないためだ」
青い炎はやがて獣を炭へと変えていった。ウェルズが歩き出したので、レナリアたちも武器を持ち直す。燃えている合成獣に向けて、軽く目を閉じてから、その場から立ち去った。
廃坑の入り口はそこから間もなくのところだった。入り口には使い捨てられたランプが置かれている。使えそうなランプがあったため、それと持参したものに火を灯してから、一人一つランプを持って、中へと踏み込んだ。
入り口から中はトロッコが走っていたのか、くたびれた状態の線路が続いている。曲がっている部分もあるため、使うことは難しそうだった。
どこからか雨が漏れているのか、水たまりに水が落ちる音がした。右を向くと小さな水たまりに向かって水滴が落ちている。静寂の中では、その音はひときわ響いた。
ウェルズは槍の先端を正面に出し、鋭い視線を向けながら進んでいく。息を潜めて一同は歩いていた。
ふと他の足音やうなり声が聞こえてきた。レナリアは武器を握りしめる手に力が入った。
道の曲がり角で立ち止まり、ウェルズだけが顔を道に出す。顔を戻すと、指を三本差し出した。三匹いるようだ。うなり声からして、狼の群でもいるのかもしれない。
レナリアは息をゆっくり吐き出した。そしてきりっとした表情でウェルズに顔を向ける。彼と視線を合わせると、首を縦に振られた。
ウェルズは五本広げた指を見せてくる。それがゆっくりと指が一本一本減っていった。
五、四、三――
息を潜めて、飛び出るタイミングを伺う。
二、一――
そしてウェルズが飛び出したのを皮切りに、レナリアとテウスも飛び出した。
青年が示したとおり、三匹の狼がいた。合成された獣ではない、普通の狼だ。だが敵意は明らかに向けられていた。縄張りに踏み入れられて苛立っているのか。それともこの先に進めたくない理由でもあるのか。
ウェルズが一匹の狼の牙を槍で受け止めている間に、レナリアは彼を横から襲おうとしていた狼に対してブロードソードを振って、間合いを作った。
それから間髪おかずに剣を振り上げる。レナリアを敵と見なした狼は即座に飛び上がり、噛もうとしてきた。その牙を的確に受け止め、勢いをつけて、押しながら剣を振って口を切る。
口の脇を切られた狼だが、怯んだのは僅かな時間であり、すぐさま怒りの形相で噛みつこうとしてきた。それを剣を横にして受け止める。あまりの押しの強さに、足までも動かされる。歯を食いしばって、後退を防ぐ。
(押し切られたら、首に牙を向けるはず。何としても攻めの姿勢は崩さないようにしないと)
狼の顔をじっと見ながら、レナリアは突破策を思案し始めた。