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水環の査察官  作者: 桐谷瑞香
第三章 真実を求める二人の旅路
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3‐17 閉ざされた記憶の先へ(3)

 妨害されたラレットは先代とトラスをぎろりと睨みつけた。トラスは体を強ばらせていたが、先代はむしろさらに鋭く睨み返している。視線を前に向けたまま、口を開く。

「トラス、アーシェルちゃんを任せた。お前は決して魔術は使うなよ」

「わかっている。使ったら逆に迷惑をかけるからな。俺はこれがあれば十分だ」

 トラスは腰から下げている長剣の柄に手を添える。先代は一人で立つと、視線を上に向けた。雨が先代の顔を静かに叩いていく。

「せっかくの余生、もう少しゆっくりしたかったんだがな……」

 息を吐き出してから、先代は敵対しているラレットではなく、ファーラデに視線を向けた。

「さっきの推論はどうやったら確信に変わる? あそこまで堂々と言えるんだ、そこまでは調べているだろう?」

 ファーラデは先代の耳にもはっきり聞こえるように、声をしっかり開いた。

「とある城の中に祭壇があると聞いています。そこにある鏡の前に立てば、正しい魔法使いであるかどうか、わかるらしいです」

 その言葉にまず反応したのはラレットだった。

「城だと? 王政の時代なんて、百年近くも前の話だろう! 王政が終わり民主制に移行したときに、城はすべて壊された。いったいいつの話をしているつもりだ?」

 嘲りにも似た声で言い放つ。ファーラデは唇を噛みしめつつ、その言葉を受けていた。どうやら言い返せるほどの情報はないらしい。

 アーシェルは自分の記憶の中を掘り返したが、城があるという話は聞いたことがなかった。ラレットの言う通り、すべて壊されて、跡地になっているはずである。

 ファーラデの発言に眉をひそめている中で、先代だけは顔を固まらせた後、ふっと笑みをこぼしていた。

「一般人がそこまで知っているとは恐れいった。……君が話題に挙げている本当の魔法使いは、君にとって大切な人だね」

 一瞬だけ雨の降りが弱くなった。数瞬の間をおいて、ファーラデは微笑みながら頷く。ほのかに空気が緩んだ気がした。

「……さっきから私を無視して、話を進めないでくれるかな」

 アーシェルははっとして、隠しもせずに殺気を出した男に目を向けた。彼の周囲には次々と氷の粒が現れ始めている。

「隙間だとか本当だとか、そんなのどうでもいい。今、もっともこの国の水環境に影響を与えているのは、この子どもだろう? それが知れれば私は十分だ。他の奴らはさっさと消えろ」

 数え切れないほどの氷の粒が浮かび上がっている。ラレットはファーラデ、トラス、そして先代の位置を確認すると、ぽつりと呟いた。

「――行け」

 その言葉を合図に、氷の粒は三人に向かって飛び散る。

 先代は自分の全身を包むかのように水の膜を作り、氷の粒を跳ね返していた。

 トラスは持っていた剣で勢いに任せて振り払う。振り払われた氷の粒は弾かれたり、その衝撃で粉々になっていった。

 二人の力を知っているアーシェルは、それぞれが実力を出しているのを見て、内心ほっとしていた。しかし一般人であるファーラデのことを思いだすと、すぐさま視線を向けた。そこで目を大きく見開く。

 ファーラデの周りには氷の粒が接触する直前で止まっていたのだ。目を丸くしている彼を見ると、彼の仕業ではないとわかる。誰の力かと思っていると、小さな体が地面に膝を付けたのに気づいた。幼きアーシェルが胸をぎゅっと握りしめている。

 異変に気付いた先代は声を大にした。

「アーシェルちゃん、自分の力を抑えなさい! このままだと死んでしまう!」

 肩を激しく上下しながら、少女は首を横に振っていた。ラレットが第二陣を放つ前に、先代はラレットに引けをとらないくらいの氷の粒を生み出し、放った。

 ラレットの意識は自分に迫ってくる粒に向けられる。それゆえ意識が逸れたため、ファーラデを突き刺そうとしていた氷の粒は地面に落ちていった。

 命を救われた蒼白な顔の青年は、苦しんでいるアーシェルに近寄ろうとした。同じ頃、トラスもアーシェルに駆け寄っていた。やがて二人の男はアーシェルを挟むようにして、向かい合った。

 トラスは鋭い目でファーラデを見る。

「確認だが、お前はアーシェルちゃんの命を奪いたいのではなく、アーシェルちゃんの魔の力をなくして、正しい魔法使いに継承したいということだな?」

「その通りです。確かに魔の力をなくさせるのに一番手っ取り早いのは、命を落としてもらうことです。ですが……僕のことを身を挺してまで護ってくれる人間を殺したくはありません」

 力強い言葉で言いきる青年。トラスはそれに応えるかのように、しっかり頷いた。

「なら、今はとにかくこの場を離脱するぞ。これからの話はその後だ」

「わかりました。貴方のような人が一緒なら心強いです」

 二人の意見がまとまったところで、トラスは幼きアーシェルを抱え上げようとした。その時、何かが刺さる鈍い音が響いた。その音にいち早く気付いたアーシェルは、視線を先代に移す。

 彼の背中からは、細長い氷の剣が飛び出ていた。突き刺さった部分から、血が流れ落ちていく。

「まったく手間をかけさせて……。老体が若者に接近戦を挑むなんて、無理な話ですよ」

 氷の剣が消えると、ラレットは体を横に移動した。先代の体がゆっくりと前に倒れ込む。そして重い音を立てて、濡れた土の上に横たわった。即死かどうかはわからないが、あの血の量は既に致命傷ということを無言のうちに物語っていた。

 父の終わりを眺めていたトラスは呆然と突っ立っていた。ファーラデと大人のアーシェルも、驚愕の光景を目の当たりにして動けない。

 大人たちが固まっている中、最初に声を上げたのは幼き少女だった。

「う、嘘……。そんなの嘘。あたしを連れて行ってくれるって、言ったじゃない!」

 少女が叫ぶと同時に周囲の温度が一気に下がった。アーシェルは顔をひきつらせながら、かつての自分に顔を向ける。

 膝を付けた少女の周囲には霜が発生していた。彼女の目からは涙が止めどなく流れている。同時に鋭い目つきでラレットを睨んでいた。

 幼きアーシェルが発生させた霜に触れそうになったトラスは慌てて下がる。だがファーラデは直接触れてしまったらしく、触れた足から煙がくすぶっていた。彼は顔をしかめながら、数歩氷から離れる。

「お前、もっと離れろ! 魔の力に殺されるぞ!」

「どういうことですか?」

「強力な魔の力を含んでいる氷だ。何も耐性のないお前が触れれば、魔の力はお前の命までむしばむぞ!」

 霜が徐々に広がっていくのを見て、二人は幼きアーシェルから距離を置いた。少女は手を握りしめて、地面を叩いている。

「……これから色々なところに連れて行って、たくさん教えてくれるって言ったのに……!」

 尋ねかける先代は、ぴくりとも動かない。彼から離れたラレットは、氷の剣を生み出しながら、アーシェルに歩み寄っていった。

「それなら私が連れていってあげよう。君が望むところならどこにでも」

 アーシェルは顔を上げると、ラレットを真っ直ぐ見据えた。瞬間、ラレットに向かって鋭い氷のナイフが飛んでいった。彼は目を丸くしながらも、それをかわしていく。

「敵意を見せられては、こちらも迂闊には動けない。だがすぐにその力も――」

 鈍い音と共にラレットの表情が歪んだ。彼は赤く染まった腹に手を当てながら、ひざを突く。細い針のようなものが彼の腹から背中にかけて飛び出ていた。

 彼の周囲は薄い水の膜で覆われており、軽微な魔の力であれば跳ね返せるようになっていた。しかしそれを意図も簡単に貫通してしまったのだ。

「これから……連れて行って……」

 少女から漏れ出る殺気を感じたアーシェルは、顔をひきつらせながら無駄だとわかっていても、駆け寄りながら叫んでいた。

「お願い、皆逃げて! 私も落ち着いて、心を鎮めて!」

 封印されていた記憶が鮮明に蘇ってくる。これから起きることもほぼ思い出していた。

 トラスがアーシェルを止めるために近寄ろうとしたが、彼女の力を前にして勢いよく飛ばされてしまった。そして背中を木に激しく打ち付けられる。衝撃によって意識を失ったトラスは木の根本で動かなくなった。

「アーシェルさん、落ち着くんだ!」

 魔の力も何もないファーラデは、膝が凍ろうとも体に霜が付こうとも、怯まずにアーシェルに近づこうとしていた。彼女がゆっくり振り返ると、霜の付き方はますます酷くなった。しかし彼は引き下がらなかった。

「自分の力を抑えなければ、君は本当にただの魔の力が強い人間だけで終わってしまう! それは同時に君自身を殺すことになるぞ!?」

 アーシェルの眉がぴくりと動いた。一瞬力が収まり、ファーラデを凍り付かせていた部分が引いていく。

 話の機会と見たファーラデは言葉を続けた。

「魔の力を使いすぎれば、遅かれ早かれ、そして魔法使いであれ魔術師であれ、死に近づく。先代はそれを望んでいないから、君のことを大切に育てようと思ったんじゃないか?」

 幼きアーシェルはファーラデのことをじっと見ている。だがそれでも力を完全に抑制できていないのか、彼女の周りの温度は極端に低かった。

「君がこのまま暴走してしまったら、きっと次の魔法使いに影響がでてしまう。それだけは避けたい……」

 ファーラデは手をぎゅっと握りしめ、やがて彼女を見てふっと表情を緩めた。その穏やかな顔を見て、二人のアーシェルは目を大きく見開く。

「……力のない者でも魔の力を抑える方法を僕は知っている。君が暴走しているときの記憶を失ってもらえば、魔の力が収まるらしい。それを一か八かやってみよう」

 ファーラデが先ほどアーシェルに触らせた宝珠を前に出す。彼女はそれを見て、びくっと肩を震わせた。

「これをじっと見て。さあ――」

「い、いや……」

 そう言いつつも、幼き少女は目を逸らせずにいた。彼女の目が少しずつ閉じられていく。

「幼き少女よ、これまでの出来事を忘れよ――」

 幼きアーシェルの目がまさに閉じようとした瞬間、彼女は抗うかのように首を激しく横に振った。瞬間、ファーラデがふわりと浮かんだ。彼の目は大きく見開きつつも、口元には笑みが浮かんでいた。

 空中に浮かび上がったファーラデは上流まで移動した。少女は目を閉じ、その場に静かに倒れ込む。

 その後青年は落下して、川の縁に叩きつけられた。衝撃で意識を失った彼は川の縁から転がって、川の中に入ってしまう。雨によって川が増水しているからか、あっという間に彼は川に飲み込まれ、流されてしまった。そしてアーシェルたちがいる地点を横切り、あっという間に見えなくなってしまった。

 増水した川の近くに寄ったアーシェルは、下流の方に目を向ける。

「これが真実……」

 下流の方角から少女が誰かを呼びかける声が聞こえた。俯きがちだったアーシェルはその声を聞くと、はっと顔を上げた。

「レナリアさん……?」

 少女の悲痛な声が雨の中でも鮮明に聞こえてきた。その声を聞く度に、アーシェルは胸をえぐられた気分になる。その場にしゃがみ込み、涙を我慢しながら声を漏らした。

「ごめんなさい……」

 ラレットの存在も大きかったし、不可抗力と言われてもおかしくはない。だが直接手をかけたのがアーシェルだったのは事実だった。魔の力を制御できていれば、彼がこんな風に死ぬことはなかった――。

「――記憶は蘇ったようですね、魔法使いアーシェル・タレス。いえ、偽りの魔法使い」

 振り返るとこの世界に来たときに出会った黒髪の女性が立っていた。彼女は優雅に微笑んでいる。

「思い出した気分はどうでしょう?」

「決して良いものではありません。ですが皆が知っていて、私だけが知らないことを思い出せて、この世界に来て成果はあったと思います」

「そうですか。しかし成果があったとしても、現実世界では何も変わりません」

 女性は一呼吸置いて、アーシェルを見据えた。

「――今の循環を正すには、魔法使いになる予定の人間に貴女の力を譲渡する必要があります。通常であれば何もしなくても力が受け渡されるでしょう。しかし貴女はあまりに変則的な立場の人間であるため、それが不可能になってしまいました。つまり貴女自身から意図的に譲渡しなければ、循環はいつか途切れ――」

「――国が滅びるでしょう」

 女性の声の上からアーシェルは重ねて言った。女性はふっと口元を緩める。

「わかっているのならば話は早いです。つまり既に覚悟しているということですね。それならば私からはもう何も言うことはありません」

 踵を返して、女性はアーシェルに背を向ける。そして森の中へと歩み出した。アーシェルは彼女の背中を眺めながら、ゆっくり立ち上がる。

「……貴女はもしかしてかつての魔法使いですか?」

 女性は一瞬歩みを止めたが、振り返ることなく再び歩き出し、その場から去っていった。

 雨が激しく地面や川を叩きつけていく。その中で聞き慣れた男性の声がしてくる。現代の青輪会をとりまとめている人間であり、このとき初めてアーシェルと会ったデーリックだ。先代が亡くなっているのを見て、呆然と足を止めていたが、幼きアーシェルに視線を移すとすぐに駆け寄っていった。

「この子が今の魔法使い……」

 アーシェルを見下ろしながら、ぽつりと呟く。そして彼女を雨から守るようにして、上着をそっとかけた。


 この事件により、ファーラデが掴んだ真実を知る者はほぼいなくなる。

 そして誤った事実と共に、再び時は流れていった――。



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