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水環の査察官  作者: 桐谷瑞香
第三章 真実を求める二人の旅路
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3‐15 閉ざされた記憶の先へ(1)

 * * *



「美味しいお菓子を出す店を知っているから、一緒に行こう」

 意識がうっすら戻ってきたとき、まずその台詞が聞こえた。その言葉を聞いたアーシェルは再度頭の中で復唱すると、一気に意識は覚醒した。

 雑踏が行き交う中、銀髪の少女が男性によって手を引かれて歩いていく。その光景を見て、とっさに「待って!」と声を発したが、誰も気にすることなく声は流れていった。

 人混みの合間をぬいながら、アーシェルは少女たちに近寄る。そして二人の進行方向に立って、両腕を広げた。

「ここから先は行かせ――」

 しかし二人はアーシェルの体をすり抜けて、歩いていってしまった。すり抜けられたアーシェルは振り返って、呆然と立ち尽くす。

「ど、どうして……」

「――ここは記憶の再生の場。貴女がどうこうしても決して過去は変わりません」

 眉をひそめて淡々と声を発された方に向く。壁際にいる腰にまで届く長さの黒髪の女性が微笑を浮かべていた。黒色の長袖のロングスカートを着た女性は、絵本の中に出てくる魔女のような印象を受けた。

「……貴女は誰ですか」

 聞いても無駄と思いながらも、アーシェルは尋ねてみた。女性は笑みを浮かべたまま、雑踏の中に顔を向ける。

「いいのですか、あの子を追いかけなくても。過去は変わらないですが、貴女自身の記憶が蘇ることになるかもしれませんよ」

 そう忠告した女性は微笑んだまま、雑踏の中に自ら紛れていった。あっという間に彼女の姿は見えなくなってしまう。

 アーシェルは眉をひそめたまま、銀髪の少女と男性の二人組を見つめた。

「……たしかにそうね。所詮これは私の過去の記憶。ぽっかり消えてしまった記憶。これはその消えた部分を思い出すだけよ」

 成人の女性並の背になった銀髪の少女もゆっくり歩き出した。



 銀髪の少女は道の半ばで男性にお菓子を買ってもらいながら、それを片手に持って歩いていた。男性は少女を逃がすまいと、決して片方の手は離さなかった。

 端から見てとても優しそうな男性だった。優しく接している姿を見ると、彼が何か悪意を抱いているように思えない。だが人は見た目とは違うものだと、様々な人と接していて痛感していた。これから何が起きるのか、アーシェルは少しずつ速くなる鼓動を聞きながら見守っていた。

 町の外れまで移動すると、背後に人の気配を感じた。

「もしかして、そこにいるのはアーシェルちゃん?」

 聞き覚えのある声を耳にしたアーシェルは、目を丸くして振り返る。アーシェルの一つ前の魔法使いだった老人が首を傾げていた。彼が近寄ると、男性はさりげなくアーシェルの手を引いて下がらせた。にこやかだった先代が目を細める。

「君はどこの誰だ」

「彼女のお父さんのご友人です」

「そうかい。では質問を変えよう。彼女は今日、私の元に来る予定の子だ。こんなところで待ち合わせをした覚えはないが?」

「少し時間を潰すよう言われたので、ここまで来てしまいました。もう待ち合わせの時間でしたか?」

 男性が飄々と言うと、先代は深々と息を吐き出した。

「……嘘はやめろ、耳障りだ。お前が魔術師だってことは漏れ出ている気配から分かっている。どうせ彼女の力を借りて、何かをしたいと考えているんだろう」

「バレているのなら話は早いですね。先がない老いぼれに用はありません。彼女だけ頂きます」

 先代が宝石を持って一歩踏み出すと、男性は少女の手首をきつく握りしめて、背後に追いやった。先代と男性がほぼ同時に口を開く。

「凍れ!」

「凍りなさい」

 二人の足下がみるみるうちに凍り付き始める。あっという間に氷の範囲は上へと移動していき、男性の足は膝下まで、先代は腰上まで凍ってしまった。先代の目が大きく見開かれる。

「何だと……!?」

 男性は不敵な笑みを浮かべる。

「貴方もその程度ですか。歴代の魔法使いといっても、たいしたことはありませんね」

 そしてナイフを握り、膝下にある氷に突き刺した。刺された部分にひびが入るなり、見る見るうちに広がっていく。ヒビが氷の全体に行き渡ると、音を立てて砕け散った。男性は驚きを露わにしている先代に開いた手を向ける。

「さて、ここで退場してもらいましょう。私より能力は劣るとはいえ、何が起きるかがわからないのが魔の力ですから」

 口元ににやりと笑みを浮かべる。アーシェルは無駄だとわかりながらも、男たちの前に立ちはだかった。

「やめて! 先代に手をかけなくても、貴方は私を連れていけるでしょう!」

「なるべく事件性にはしたくないんですよね。あなたは高齢のようだし……、心臓発作あたりがお似合いでしょう」

 先代の動きを止めていた氷の範囲が徐々に広がり、胸元あたりまで達する。先代は反撃しようとしたが、手を先に凍らされてしまった。

「……やめて」

 その言葉と共に空気が一瞬で変わった。周囲の温度は一気に下がり、寒々しいという言葉がぴったりの空気になる。

 アーシェルは視線を男から、後ろに追いやられた銀髪の小さな女の子に向けた。少女の銀髪がうっすらと青みを帯びている。

 異変に気づいた男も後ろを振り返り、彼女を見るなりびくっと肩を震わせた。

「お願いだから、やめて!」

 悲鳴に近い声と共に、先代を覆おうとしていた氷は一瞬にして砕け散った。凍りかけていた先代は、その場にしゃがみ込み、肩を使って激しく呼吸をする。

 男の魔法を一瞬にして消し去った少女は、ふらっと前によろめいた。男は少女を片手で受け止める。少女は頬を赤くし、目も虚ろになっていた。

「さすが本物の魔法使いは違う。私の魔の力など、一瞬で消してしまった。だが――まだ子供だな」

 少女は抵抗することなく、軽々と肩に担ぎ上げられる。そしてその場でぐったりとしてしまった。どうやら力を使いすぎて、意識を失ってしまったらしい。

「力の加減もできないようなら、怖くない」

 有無を言わない少女に向かって、ぼそりと呟く。その言葉は未来のアーシェルに対しても言っているように思われた。

 男は先代に背を向けて、歩いていく。先代は何とか魔の力を出そうとしたが、それを出す前に、男は去っていった。

「アーシェルちゃん……!」

「先代……」

 悔しがっている先代をアーシェルは手を握りしめて見つめる。優しくも責任感が強い先代は、己の不甲斐なさに怒りを抱いているのだろう。そんなことはないと声を大にして言いたいが、決して届くことはなかった。

「……行かなければ。あの子が本当のことを知る前に」

「本当?」

 アーシェルが眉をひそめる。

 先代がよろめきながらも立ち上がろうとしたところを、後ろからやってきたトラスに止められた。

「親父、無理するな!」

 立ち上がりかけて崩れ落ちた先代をトラスはしっかり受け止める。

「トラス……、アーシェルちゃんが連れて行かれた」

「誰にだ?」

「わからない。だがおそらくあの魔の雰囲気からして、国境近くの魔術師ではないかと思う。痛々しいくらいの鋭い気配はかなり独特だからな」

「国境近くって、もしかして国の政策で追われた人たちの集まりの村か……?」

 先代はトラスの肩を借りながら立ち上がる。前に進もうとすると、トラスも歩調を合わせて踏み出した。

「こればかりは雰囲気だけでは断定できない。今はとにかくアーシェルちゃんを取り返そう」

「どこに行ったかわかるのか?」

 先代は目を細めて、北を見据えた。

「ソウルス村の先にある、はじまりの魔法使いが残した石があると言われる祠だ」



 アーシェルは先代の体調が気になりつつも、幼き自分の後を追った。走り出すとまるで時が飛んだかのように、あっという間に追いついた。男性は銀髪の少女を担いだまま、北に向かっている。途中で男性の仲間と思われる人間から馬を受け取り、それに乗って速さを増して進んでいった。

 曇天模様だった空からは、やがてぽつりぽつりと雨が降り始めた。男性は思わず笑みをこぼす。

「雨……か。この魔法使いのお嬢ちゃんには吉とでるか、凶とでるか。……まあ、おそらく悪い方向に転がるだろうな」

 その意見には納得できなかった。雨はアーシェルにとっては武器ともなり得るものだ。それがあれば状況は好転するはずである。

「化けの皮がはがれたとき、どういう顔をするか楽しみだ」

 ソウルス村の近くを流れる川の傍に来ると男性は馬から降り、銀髪の少女を馬の背に干すようにして乗せ、馬を引きながら歩き出した。周囲は暗くなり始め、ランプがないと心細い状況である。それに気づいたのか、男は途中で馬にぶら下がっているランプに明かりを灯した。雨が降り注ぐが、男は特段嫌そうな様子は見えなかった。

 川の傍を歩いていると、背に乗せられていた少女が動いた。男は止まり、少女の顔をのぞき込む。

「やっと意識を取り戻したか」

「……誰」

 体調はまだ万全でなく、辛うじて声を出せる程度だった。

「私は君の本当の姿を見せる人間だ。……知っているかい、なぜ魔法使いは一人しか存在しないのか」

 アーシェルは眉をひそめて、男たちを見つめる。

「二人以上いたら争いが生じ、循環が乱れるから――そう、私は教えられた。だが調べてみると、もっと明確な理由があったんだ」

 耳を澄ましていると、足音が聞こえてくる。アーシェルは対岸から歩いてくる人物に目を向けた。

 亜麻色の柔らかな髪の青年が歩いてくる。彼の目には決意のようなものが溢れていた。川を挟んで、彼は男を見据える。

「来ると思いましたよ、ラレット氏」

「そういう君はファーラデ・チャロフか。首都では随分とこそこそ動いていたようじゃないか。私の周囲を嗅ぎ回って、何か面白いことでもわかったか?」

 ファーラデと呼ばれた青年は歯をぎりっと噛みしめたが、それも束の間、ふっと口元を緩めた。

「貴方の素性はおおかたわかりました。とてもお強い魔術師ということ」

「それは見ればわかるだろう」

「……そして行政に荷担していたことがある人、いや、荷担させられた魔術師。席は水環省に置かれていましたが、本当は防衛省」

 男をまとっていた空気がぴんっと張りつめた。ラレットは自由の利いた左手から隠しナイフを出し、それをファーラデに向かって投げつける。刺さる直前に薄い氷が出現し、それによって跳ね返された。

「魔術道具でも持っていたか」

「さすがにただの人間が貴方のような人物を相手に対等に話せるわけがないと思いまして」

「何が目的だ。私がやったことでも世間に公表するつもりか? そんなことをしたら、行政の信用は一気に地に落ちる」

 ファーラデは首を横に振った。

「そんなことをしても、どうせ圧力をかけられるだけです。僕が望んでいるのは一つだけです」

 青年の視線が顔を上げたアーシェルとあう。そして彼は笑みを浮かべて、言ってのけた。

「彼女にいなくなってもらうことです」

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