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水環の査察官  作者: 桐谷瑞香
第三章 真実を求める二人の旅路
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3‐14 過去の因縁の地(4)

 突然の水蛇の襲撃に対し、最初に動いたのはトラスだった。彼は顔色を変えることなく剣を振り抜いて、水鉄砲を正面から切り裂く。左右に分かれたが、完全に消去することはできず、トラスの横を通過していった。

 その間、アーシェルは一人一人の人間を取り囲むような膜を想像すると、瞬く間に膜は出現した。

 キストンは水鉄砲を前にして、腕で顔を覆うような仕草をする。だが水鉄砲は膜と接触すると、見る見るうちに水の膜に吸収されていった。接触したが無傷だったキストンは目を瞬かせている。

 アーシェルは魔法が無事に発動できたことを確認して、トラスに視線を戻した。

「トラスさん、守りは私に任せてください。必要があれば魔力を操作します」

「それは助かる。アーシェルちゃんにそちらは任せるよ。あと、すまないが、あの頭上に向かっていく土台をいくつか作ってくれるかい?」

「わかりました。援護します」

 トラスは大きく踏み込むと、真正面に跳躍した。アーシェルはトラスが進む方向に氷の板を作り出す。彼がそれに踏み込むと、小さなひびが入った。だが完全に割れることはなく、その前に彼は次の一歩を踏み出していた。

 水蛇がトラスに向かって口から水鉄砲を放つ。彼はそれを切ってかわしつつ、躊躇いなく前に進んだ。

 ルカはいつでも加勢できるよう鋭い目で戦況を睨んでいる。キストンはレナリアの母親と共にアーシェルの後ろに移動していた。

 水鉄砲で他の者に危害が加えられないよう、膜の方にも力を入れながらアーシェルはトラスの様子を逐一追った。

 彼は時にかわしつつ、剣を振っている。水蛇の傍まで来ると前進をやめ、後ろに回り込むようにして右に移動した。トラスの目線や動きなどから判断して、アーシェルは彼の進む方向に氷の板を作っていった。

 しかしある板に踏み込んだ際、はっきりと板にひびが入った。アーシェルは息を呑む。力が安定していない影響がここででてしまった。

 トラスの視線が若干揺れる。板は無情にも割れていくが、完全に割れる直前でヒビ割れは止まった。むしろ氷の板は大きくなっている。

 目を丸くしている間に、トラスは水蛇からの尾の攻撃をかわすようにして、左に動いた。アーシェルは慌ててその先に板を作った。

 トラスの周囲にはうっすらと水蒸気がでている。どうやら彼の抑制しきれていない魔の力に助けられたようだ。だがそれは同時に、彼の体に負担がかかり始めたということも暗に示していた。

 水蛇の攻撃は単調だ。水に浸かっている巨大な蛇は口から水鉄砲を吐きつつ、近づいてきた者に対しては尾を動かしたり、頭突きを試みたりして、たたき落とそうとしている。

 それをトラスは上下左右に軽やかにかわしていた。そして逃げ回りつつも果敢に攻めている。

 剣を振ると、その線上にあった水蛇の体に切り傷が入った。決して大きくはないがそれを幾度もなく繰り返すと、水蛇の体の表面は傷だらけになっていた。時に深い傷も入ったのか、少しずつ動きが鈍くなっていく。

 優勢かと思われたが、トラスの顔にも疲労が見え始めていた。意図的に止めていた魔の力が漏れているからだ。人は慣れないことをすると、すぐに体に影響が出てきてしまう。

 トラスがちらりとアーシェルに視線を向けてきた。軽く頷き返して、さらに彼の動きを注視した。

 引き続き、攻撃をかわしつつも動いていく。だが彼はその間いっさい攻撃をしなかった。その代わりに手持ちの剣の刃の部分がうっすら青くなっていく。

 アーシェルは右手を軽くその剣に掲げる。するとさらに青みの色は増していった。

 やがて真っ青になったとき、水蛇は血相を変えて一目散にトラスに向かって頭突きをしてきた。トラスは慌てず、むしろにやりと笑みを浮かべた。

「――遅い」

 剣を握り直して、トラスは氷の板から足を外す。そして勢いをつけた状態で、水蛇の頭に剣をおろし、一気に落下していった。剣は頭から体の中心部を通って二つに割れていく。鱗もあったが、トラスが握っている強固な剣の前では意味をなさなかった。

 川に触れる前に、水蛇から離れて地面に降り立つ。トラスの前では、蛇が左右に分かれていった。そして音を立てて、地面に倒れ伏した。切られた部分から血が流れ出ていく。

 トラスが額の汗を軽く拭う。アーシェルは胸に手を置いて、ほっと一息を吐いた。

「決着はついたんですか?」

 キストンが首を伸ばして蛇の様子を眺めてくる。アーシェルは二つになった水蛇を交互に見た。

「一応つきましたよ。あとは事後処理だけですね。合成獣キメラの疑いがある生物に対しては、きちんと対処しないと」

「それって燃やすってことですよね?」

 頷いてから、アーシェルはトラスのすぐ後ろについた。そして彼の背中に右手を乗せて、目を閉じる。

「……すみません、自分で言っておきながら、魔力の操作がうまくできず……」

 肩で呼吸をしているトラスは首を横に振っていた。

「いや、もともと押さえられる力を拾得しなかった自分が悪い。アーシェルちゃんがいるからと、調子に乗ってしまったよ」

「……とりあえず、また抑えこみますね」

 背中を三度叩き、そして少し間を置いてから強く一回叩いた。それをきっかけとして、広がっていたトラスの魔の力が集まってくる。やがてすべて彼の体に入ったのを感じ取ると、手を離した。

 目を開けたアーシェルは、トラスの横に並んで水蛇の様子を眺めた。

 川に浸かっている尾の部分までは切られていないが、体を持ち上げていた部分は綺麗に分かれている。見事な切れ味だった。

 水蛇の体内からでている血液が緩やかな流れの川によって押し流されていく。下流部分は赤く染め上げられていった。

「これは浄化もしないといけないわね……」

 アーシェルが今までであった合成獣キメラは陸上生物だけだった。初めての案件であるが、このまま川を汚したままにするのは、水を操る魔法使いとしては受け入れがたかった。

 冷たくなった水蛇の前に立ち、マッチを手に持った。そして火をつける。

「水に含まれている気体の一部よ、分裂し、水蛇の周りに集まりたまえ――」

 マッチを水蛇に向かって投げ上げた。体に当たるなり、即座に火が体全体に行き渡る。気が付けば合成獣はあっという間に炎に包まれていた。

「燃えている……、しかも水に浸かっている部分まで……!?」

 キストンが驚きの声を上げている。アーシェルは川に向かって歩きながら、淡々と言葉を発した。

「水蛇に触れている水を体から避けさせて、燃えるのに必要な気体で包ませたんですよ。それでそのまま燃えているわけです」

「そんな芸当までできるんですか?」

「液体に関するものであれば、私はたいていできますよ」

 胸にずきりと痛みが走ったが、平静な顔を装って川に手をつけた。意識はここよりも下流にある、既に血が流れてしまっている部分。そこを想像すると、川が仄かに煌めきを帯びた。

「異物よ、排除せよ――」

 静かに呟くと、アーシェルが触れた部分から川の下流に向かって光が移動していった。水が流れるように光の線は岸壁に対して垂直に移動していく。その線は通るとすぐに消え、あっという間に光の線は見えなくなった。

 川から手を離し、軽く胸の部分を握りしめる。燃えていた水蛇は炭となり、既に跡形もなくなかった。ほっとしつつも、アーシェル自身に抱く違和感は拭えなかった。

(前はもう少し楽にできたはずなんだけど……)

 やれやれと肩をすくめながら、アーシェルは振り返った。キストンは未だに驚きを表情に出している。ルカとトラスは周囲を見渡しながら、状況を確認していた。

 そしてレナリアの母親はじっとアーシェルのことを見つめている。

「……すごいですね。タレスさんは魔術師ではなく、魔法使いなのですか?」

 もはや隠し通せることでもないと思い、頷き返した。

「その年齢で魔法使いなんて、すごいですね。制御はできているのですか?」

「今はできているはずです」

「そうですか。……ですが残念ながらできていないようよ。合成獣が現れたもの」

 レナリアの母親は首からかけているペンダントを外し、それをアーシェルの首にかけた。何かが引き締まるような感覚がした。

「また襲われたら困るので、私のを貸します。意図的に力を抑えるのは苦手なので道具に頼っているけど、できなくないから」

 ペンダントを手のひらに乗せながら、アーシェルは顔を上げて再度尋ねた。

「ヴァッサーさんは何者なのですか?」

「かつては使えていたけど、今はほとんど使えない魔術師よ。最近は魔の力が膨れすぎてしまうときがあるけれど」

「膨れすぎてしまう?」

「もともと魔の力の絶対値は多くなかったけど、循環が狂っているからか膨れ上がってしまう時があるの。潜在的に強い魔の力があったからかもしれない……」

 話の意図が見えず眉をひそめていると、レナリアの母親はあっと声を漏らした。

「言い忘れていたわね。私の先祖にははじまりの魔法使いがいるの。だから秘めているものは多いかもしれない。――レナリアももちろんその血をひいているわ。きっかけがあって魔術師になっただけで、それまでは兆候がなかったんだけど……。ねえ、あの子、最近おかしなことになっていない? うまく抑え切れている?」

 さらっと言ったレナリアの母親の顔を、アーシェルは目を大きくして見返していた。



 川の脇を歩きながら、ひたすらに源流に向かった。やがて小さな洞窟にたどり着いた。心なしかアーシェルの体に寒気が走る。

「ここの中にはじまりの魔法使いが残した石が入っている。アーシェルさん、顔色が悪いけど大丈夫?」

 そう言われると、アーシェルは自身が震えているのに気づいた。体が拒絶しているのはわかっていたが、それを押し込めるようにして唇を噛みしめ、洞窟に向かって踏み出した。

「大丈夫です、行きましょう」

 レナリアの母親はランタンに火を灯して、中に入ってく。ほどなくして行き止まりまでいくと、彼女はランタンで部屋の中を照らした。部屋の端に薄青い色の石が視界に入る。

「あれが例の石ですか」

 アーシェルが近づこうとすると、レナリアの母親はやんわりと前を遮った。

「触れるつもり? もしかしたらそのまま意識を失ったままになるかもしれない」

「どういう意味ですか」

「この石に触れると、人によっては悪影響が起きるの。これをきっかけとして魔の力が生み出される人もいる一方、逆に魔の力を失ってしまう者もでてくる。まるで生きている石なのよ。どちらにしても体に過度な負担がかかる」

『生きている石』という単語を聞いて、アーシェルの頭が軽く痛みが走った。

『――触れれば、きっとさらなる力を持てるだろう。さあ――』

「アーシェルさん?」

 固まっているとキストンが声をかけてきた。我に戻って首を横に振り、息を吐きだす。

 どうやら過去にここに来たことがあるのは間違いないようだ。そしてここでファーラデと出会った――。

「ルカ、トラスさん、何かあった場合はよろしくお願いします」

 背を向けた状態で伝えると、トラスに肩を握られた。

「アーシェルちゃんに代わる人間はいないんだ。ちゃんと戻ってきてくれ。親父みたく行ったら逝きっぱなしということにはならないでくれよ」

 肩にかかっていた力が緩む。

「……キストンさん、何かあったらあの人にすべて話してください」

「あの人って……」

 キストンはそのまま押し黙ってしまった。アーシェルが今、一番考えている人間は彼女以外にいなかった。そしてここにいる人たちの中で、彼女のことを理解している人は彼だけだった。

 そして最後にレナリアの母親に顔を向けた。

「色々とありがとうございました。やっぱりレナリアさんのお母様は素敵なお方ですね」

「……戻ってきてくださいね。お聞きしたいことはたくさんありますから」

 ペンダントを外されると、とどまっていた魔の力が動き出し始めるのを感じた。それが完全に漏れ出す前に、アーシェルは石に手を触れた。

 体に電撃が走り、意識が薄れてゆく。これを使って魔の力を得た人はすごいと思いながら、意識が飛んでいった。

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