3‐12 過去の因縁の地(2)
アーシェルたちが自警団の詰め所に入ろうとすると、男たちが血相を変えて飛び出てくるときだった。剣や槍を握りしめた二人の男たちが、小柄な男性を先頭にして走り去っていく。
詰め所の前では彼らを見送った女性が腕を組んで立っていた。アーシェルは彼女にすかさず近づいた。
「すみません、お話を伺ってもいいですか?」
彼女はアーシェルたちを見ると、目を大きく見開かせた後に、まくしたてるように言い放った。
「あなたたち、どうしてこんな時間に外にでているんですか! すぐに家に戻ってください!」
「合成獣でも出たんですか?」
アーシェルは間髪置かずに言う。すると女性の表情が一瞬固まった。それが解けると、眉をひそめてくる。
彼女の様子を見て、アーシェルは少しだけ逡巡したのちに、自分の胸に手をそっと置いた。
「初めまして。私は旅の魔術師の一人です。お力になりたいので合成獣が現れた場所を教えてくれませんか?」
キストンが「えっ」と声を漏らしたのが聞こえた。しかしそれを聞き流して、女性をじっと見つめた。彼女は少し間を置いてから、男たちが駆けていった方向に、指を真っ直ぐ伸ばした。
「ここを真っ直ぐ行くと、川とぶつかります。それから上流に行ったところに、合成獣の目撃情報がありました」
「わかりました、ありがとうございます」
頭を下げたアーシェルは、踵を返して走り出した。ルカ、キストン、トラスの順に続いていく。
雨が少し強くなってきた。フードをかぶりながら、前へと進む。
黙々と進むと、程なくして川が見えてきた。雨は降り出したばかりのため、まだ濁流ではなく、増水もしていなかった。
川の手前で止まると、アーシェルは上流を睨んだ。途端、唐突に既視感がした。雨が降りゆく中、川を見据える光景が――。
「ルシェちゃん、どうしたんだい?」
トラスの声を聞いて、我に戻った。ほんの僅かとはいえ、違和感がして声をかけてくれたようだ。アーシェルは首を横に振る。
「何でもありません。行きましょう」
足を横に向けて再び走り出す。
記憶にはないが、いつまでも既視感は消えなかった。
やがて雨の臭いの中に、微かに血の臭いが混じったのを嗅ぎ取った。それを同じように察したルカとトラスがアーシェルの前にでる。ルカは短剣をいつでも抜いていいよう、柄に左手を添えていた。
前方に顔をひきつらせた男たちがいる。一人は尻餅をついており、その男は赤く染まった腕を押さえていた。
彼らの前にいたのは、人よりも一回り大きい、一本の角を生やした狼だった。うなり声をあげながら、男たちを見下ろしている。
「大きい……」
ぽつりと呟くと、黄色い瞳の合成獣はアーシェルたちの方に視線を向けた。隣にいたキストンがごくりと唾を飲み込んでいる。
アーシェルが腕を伸ばそうとすると、合成獣は前方に重心を置いた。そして勢いをつけながら男たちを飛び越えて、アーシェルたちの前に降り立った。
ルカが短剣を抜くが、それよりも先にトラスが長剣を抜きながら飛び出していた。彼が剣を抜くなり、合成獣の足に切り傷が入る。トラスの剣の周りにはうっすらと靄がかかっていた。
「ルシェ様、お下がりください」
短剣の先端を合成獣に向けながら、ルカがアーシェルを背中の方に移動させようとする。だがアーシェルはそれに従わず、じっと合成獣を見つめていた。獣もこちらに目を向けている。明らかにアーシェルのみを敵と見なしているようだった。
トラスは合成獣の体に向かって、再度剣を振った。全身に氷の棘が突き刺さっていく。それが怯んでいる間に一歩踏みだし、直接剣で切り裂いた。合成獣はうめき声をあげて、地面に倒れ込む。トラスは剣先を首もとに向けた。
「皆さん、止めをさしていいですか?」
怪我を負った人間を取り囲んでいた男たちは、トラスの鮮やかな剣さばきに圧倒されながらも首を縦に振っていた。ルカもキストンも軽く頷いている。
アーシェルも頷き返すと、トラスの剣の先端に濃い靄が集まり出す。それが具現化するよりも先に、合成獣の角が光を帯び始めた。それを見て、背筋に悪寒が走ったアーシェルは、反射的に叫んでいた。
「トラスさん、下がって!」
言葉に従って、彼はすぐに一歩下がった。アーシェルはルカの前に出て、両手をつきだす。
合成獣の光が角から徐々に広がってくる。その光とトラスの間に、素早く氷の障壁を作り出した。
瞬間、光が爆発的に広がった。障壁に強い力が加わり、ヒビが入っていく。目映い光があたりを包み込み、多くの人が目をつぶっていた。
アーシェルは目を細めながらも、障壁からは視線を逸らさなかった。逸らせば魔法で作ったそれの強度は格段に落ちる。歯を食いしばりながら、障壁に力を送り続けた。
やがて光が収まっていく。皆が合成獣に目を向けようとしたとき、アーシェルは次なる行動に出ていた。
雨が降りゆく空に右腕を上げて、大きく振り下げた。合成獣の体に巨大な氷柱が貫通する。獣は抵抗することもなく、地面に音を立てて横たわった。
トラスが剣を握りなおしながら近づいていく。ぐるっと一周をし、合成獣の体に軽く手を当ててから、頷いた。
「死んだようだ」
その言葉を聞き、アーシェルはどっと疲れが出てきた。思わず後ろに倒れそうになるところを、キストンに支えられる。
「大丈夫ですか?」
「ごめんなさい。ちょっと一気に力を使いすぎただけです」
詠唱もなし、そして力がうまく出せるかわからなかったため、できる限りの強い力を出してしまった。その反動がこれだった。
額に軽く手を当てながら、心の中で嘆息を吐く。
(この程度の合成獣相手に、これだけ体力を消耗するとなると、これから先が思いやられる……)
トラスが剣をしまいながら、男たちに寄っていく。
「ソウルス村の自警団の方たちですよね。この合成獣、どうしますか?」
男たちは目を合わせると、一番年上らしい四十代の男性が口を開いた。
「邪魔にならない場所に移動して、燃やしています。ただし晴れた日に行っています。この雨では燃やすことは厳しいですから」
「では、この天気ではひとまず放置ですね」
男は頷き返す。試しにマッチを擦ってみるが、合成獣に炎を移す前に消えてしまった。
アーシェルにとっては恵みの雨だが、この状態ではあまり嬉しくない雨だった。
合成獣の急所を何カ所か刺して、確実に息絶えたことをトラスも含めて男たちで確認していく。アーシェルはその様子を木の下から眺めていた。
「先ほどはありがとうございました。魔術師とお見受けしましたが、旅の方ですか?」
一人の男性がトラスに話しかけてくる。トラスは軽く頷いた。
「そうです。ソウルス村に少し調べ物を」
「魔術の扱いに慣れていますね。どこかで扱い方を学んだのですか?」
「そんなところです。……魔術に対して、抵抗はないんですね」
不可思議なことを起こしているのが不気味に思われ、忌み嫌われる場合が多い。だが男たちはトラスもアーシェルも魔の力を使ったにも関わらず、驚きもしなかった。
「ソウルス村にも魔術を使える人間は何人かいます。私もその一人です。威力はあなたたちとは比べものにならないほど小さいですが」
「ほう……」
トラスは剣を握っている男を眺めた。一人だけ雰囲気が違うと思ったら、そういうことだったのかとアーシェルは納得した。
魔術を行使できる者は、たいてい外に気配が漏れ出ないようにしているため、気づかないことが多い。だが時々アーシェルは何となく察することがあった。レナリアに関しては彼女の師匠に教え込まれたようで、平時では気づかなかったが。
合成獣の死の確認を終えると、一同はアーシェルたちのもとに歩いてきた。そして男たちは近づくなり頭を下げてきた。
「先ほどはありがとうございました。あのような大きさの合成獣が現れたのは初めてで、私たちだけではどうにもなりませんでした。お礼は後ほどたっぷりさせていただきます」
トラスは困ったような表情で、アーシェルに顔を向けてきた。アーシェルは自力できちんと立って、微笑んだ。
「あの、お金などはいりませんので、よろしければ自警団の詰め所に戻ってからで構いませんので、今まで合成獣が出た場所など教えてくれませんか? あと――この村から輩出した魔法使いのことを」
魔法使いのことを話題にすると、男は瞬きした。
「魔法使いのことなら、シオ爺に聞くのが一番です。爺もかつては魔術師だったため、きっと話をしてくれますよ。明日以降になりますが、話を通しておくので、それでいいですか?」
アーシェルはしっかり頷いた。老年の魔術師と会えるとは、願ってもいないことである。もしかしたら六年前のことも何か知っているかもしれない――。
不安と期待を抱きながら、アーシェルは唾をごくりと飲み込んだ。
ソウルス村の自警団は優秀で、今日以外に五体の合成獣が目撃され、そのうち三体は退治したと言っていた。どれも既に燃やされ、灰となっている。
合成獣が目撃され始めたのは、道中に話を聞いたとおり、約一ヶ月前から。アーシェルの予想通り、雨が降っている夜、霧などが発生している早朝などに目撃されている。
目撃されると自警団に通報がいき、それから現場に急行するような仕組みとなっていた。一体目が出たときはかなり騒ぎ、村の中は混乱した。だがその後、村長やシオ爺が適切な説明をしたため、ほどなくして収まったらしい。話を聞く限り、シオ爺はかなりの影響力を持っている人間だとわかった。
その後は夕方から早朝までは、家の外に出ないようにというお触れを出し、村の周りに魔術を含ませた石を散りばめたことで、中までは侵入することはほとんどなくなったようだ。それでも予断は許さないため、引き続き警戒に当たっている。
「なぜ合成獣が村に来るかはわからない。出現場所や頻度、ここにくる理由があれば、動き方も変わってくるんだが」
ソウルス村の自警団の団長が肩をすくめていた。後手での対策となっているため、気が休まるときがないらしい。
「近隣の村では出現したという話はないのですか?」
「隣の村で一回だけ出現したという話は聞いた。見かけた程度で、すぐに姿をくらましたらしい。それからすぐにこちらに現れたから、移動したんだろう」
アーシェルは壁に貼られているソウルス村と近隣の様子が描かれた地図を眺めた。村は森で覆われている。どこかで巣でも作ってもおかしくない環境だ。
話を聞き進めていくと、合成獣に関わらず人を襲う動物は何度か現れているらしい。そういう時は自警団か魔術師が対処しているようだ。
「ソウルス村の近くにある川を求めて、動物たちがくるとも聞いた。源流の水を好んで飲みたいようだ。水なんてどこで飲んでも、たいして変わらないと思うが……」
「より新鮮で綺麗な水を飲みたければ、源流近くに行く動物もいると思いますよ」
そういいつつも、首を傾げがちだった。動物は人を避ける傾向があるにも関わらず、わざわざソウルス村を通る理由がわからない。もしかしたら――
「……ルシェちゃん」
腕を組んで黙っていたトラスが声をかけてくる。そして顔を近づけて、耳打ち際にささやいてきた。
「この村には何か引き付けるものがあるかもしれない。動物や合成獣などを」
「そうかもしれないです。偶然にしてはできすぎていますから」
そして一ヶ月前から合成獣が突然現れるようになったのは、他の理由もあるかもしれない。