3‐11 過去の因縁の地(1)
* * *
「この町があの村の最寄り駅だったなんで、知らなかった」
銀色の長い髪を二つに分け、緩く編んだ少女は、ぼんやりと駅舎を見上げていた。六年前の記憶はおぼろげだが、この駅は見覚えがあった。
昔は体が小さかったため、雑踏に紛れ込みそうになった。しかし六年もたてばアーシェルの背の高さは成人の女性に近い。人々は道の真ん中で立っているアーシェルを押し流すのではなく、避けて歩いていった。
「ルシェ様、どうかされましたか?」
灰茶色の短髪の女性が眉をひそめて覗き込んでくる。愛称で呼ばれたアーシェルは首を横に振った。
「何でもないわ、ルカ。ちょっと昔を思い出していたの」
「この町はたしか――」
「ルシェさん!」
ルカの声を遮るかのように、焦げ茶色の髪の眼鏡をかけた少年が駆け寄ってくる。アーシェルが手を振ると、彼の表情はいっそう明るくなった。そして紙を一枚握りしめて、立ち止まった。その紙には走り書きの数字がいくつか書かれている。
「お待たせしました」
「わざわざ走ってこなくてもいいんですよ?」
「いえ、急ぐ必要がありまして。――次にソウルス村に向かう馬車の便ですが、調べたところによると今日の昼過ぎだそうです。時間にして時計の長針が二周りする前に出発します。今日はその便で最後みたいです」
アーシェルはルカと目を合わせた。意外と時間がない。つまり次の便を逃せば、ちょっとした寄り道に対してかなり時間を割くことになる。ソウルス村に寄るのはあくまでもついでだ。
三人は首都ハーベルクから汽車に乗り、先ほどこの町に降り立ったばかりである。本当の目的地は、さらに汽車で南に移動した先にある村。そこでは魔法使いの力を必要とし、以前から来てほしいと打診されていた村でもあった。
事前に日程の調整をしていたため、その村に行く日は決まっていた。しかしアーシェルは気になることがあったため、少し早めに出て、ソウルス村に立ち寄りたいと申し出たのである。
言った直後、予想通りデーリックが渋い顔をしていた。ついこの前まで人に狙われ、捕まった身なのだ。一段落したとはいえ、ロイスタン以外にもアーシェルを欲している人間は大勢いる。なぜなら希少な魔法使いだからだ。
しかしアーシェルとしても引くに引けなかった。今の異変の原因を探る上で、ソウルス村に行かなければならないと思ったからだ。
レナリアが体調を崩しがちな理由と、アーシェルが魔法を思うように使えなくなっている原因は、一見して関係ないようにみえた。
そんな中、アーシェルとレナリアには、共通の人間が人生に関わっていることを知った。二人が抱いている魔の力とも関係がある人物だ。彼がなぜ魔法使いに興味を持ち、アーシェルと接触しようとしたのかわかれば、ごちゃごちゃになっていた結び目が少しでもほどけるのではないかと思ったのである。
だから彼とレナリアの出身地である、アーシェルが過去に何かあったかもしれないソウルス村に立ち寄ろうと決めたのだ。
説得力としては、心許ない内容だ。それでも丁寧に話すと、デーリックがやや和らいだ態度を見せた。彼としてもアーシェルの六年前の事件は気になるところらしい。
行く理由はなんとか説得させたが、次に人選が問題になった。テウスという護衛はいない。彼は既に行った後である。今更呼び戻すことはできなかった。
見かねたルカが同行を申し出て、そして青輪会に出入りしていたキストンが案内人を買って出てくれた。キストンの発想や機転は、時として旅路では重宝した。一般人である彼ならではの視点があるのも頼りがいのあることだった。
だがそれでも不足があると見て、首を縦に振ってくれなかった。そこでアーシェルは一人の人物を護衛についてもらうよう提案すると、すんなり承諾してくれたのだ。
「ルシェ様、時間もないのに、あの人とはどうやって合流するつもりですか。手紙は送りましたが、今日のこの時間に着くとは言い切っていませんよね?」
汽車の発着は正確ではない。道中なにが起きるかわからないため、だいたいこの日に到着するということしか言えなかった。
「その通りね。でもあの人なら、私とも一回会ったことがあるから、魔の力加減でわかる――いた!」
アーシェルは表情を崩して、大きく手を振った。視線の先には栗色の髪の四十代の男性が歩いていた。優しそうな顔をした大柄な男性で、角度をつけて見上げなければならない背の高さだった。
「お久しぶり、アー……ではなく、ルシェちゃん。よく無事にここまで来てくれたね」
「お久しぶりです、トラスさん。すみません、無理を言ったお願いをしてしまい」
「いやいや、俺でよければ一緒に行くよ。親父からもルシェちゃんのことはしっかり支えろって言われたし。でもいいのかい? 俺なんかで」
アーシェルは苦笑しながら、首をしっかり縦に振った。
「トラスさん、謙遜しすぎです。戦闘系の魔術の使い手だからこそ、頼んでいるんですよ」
「でも、うまく抑制が……」
「万が一そういう状況になった場合には、適当に処理しますからご安心ください」
にっこりと微笑んで言うと、トラスは目を丸くしていた。
トラスと合流後、町で昼食を簡単に済ませ、ソウルス村へ向かう馬車に乗り込んだ。馬車で三時間程度かかる。人も多くなかったため、ゆとりを持って座れていた。
アーシェルがぼんやりと外を眺めていると、キストンと隣にいた老人の話し声が聞こえてきた。
「君はソウルス村にどうして行くんだい? あんな辺鄙で何もないところに」
「探し物がありまして……。僕は技術屋で各地を転々としているんです」
あらかじめ決めていた、キストンが考えた嘘をさらりと述べる。新たな物質を求めて旅をする技術屋は決して少なくない。旅の理由としては充分なはずだ。
だが老人はまだ眉をひそめたままだ。
「転々としているなら、今、ソウルス村にわざわざ行かなくてもいいんじゃないか?」
「どういうことですか?」
老人は周囲をきょろきょろと見渡してから、キストンに顔を近づけた。
「合成獣が出るっていう噂がある。時々らしいから真偽は定かじゃないが」
アーシェル、ルカ、そしてトラスは耳をさらに澄ませた。キストンは目を大きく見開いた後に、声を潜めて聞き返した。
「本当ですか? 先ほど町にいたときは、そんな話聞きませんでしたよ?」
「あくまでも噂だ。俺も見たことがないし、遭遇したことがある人間から話を聞いたこともない。村民の一部が見たらしいという噂が漂っているだけだ。……どちらにしても気持ち悪いのには変わりない。だからか、町から行く商人たちの数はかなり減ってしまったよ」
「なら、貴方はどうして行くんですか?」
キストンがゆっくりした口調で聞くと、老人はにかっと歯を出して笑った。
「いるかわからない合成獣にびくついても、しょうがないだろう」
そう言ってから、老人は自分がソウルス村に行く理由をぺらぺらと喋り始めた。それをキストンが適当に相づちを打ちながら聞き返していた。
二人の会話に気にとめつつも、アーシェルは再び視線を外に向けた。
ソウルス村は特段と目立った特色のない村だ。高い建物があるわけでも、工業や農業が優れて発展しているわけではない、こじんまりとした村だ。せいぜい大きな川の源流が近くにあるくらいである。
ふと、以前訪れた町の川の近くで合成獣が現れた事例があったのを思い出した。
アーシェルはルーベック町での出来事を思い出しながら、さらに考え込んだ。
道中穏やかに進み、予定通りの時間帯にソウルス村に到着した。空は薄暗い雲で覆われ始めている。四人は先に宿をとってから、散策することにした。
「活気がない……」
キストンがぽつりと呟く。彼の言葉にはアーシェルも同意するところだった。いくら雨が降り始める前とはいえ、人通りが少ない。そして外を歩いている人たちが全体的に足早なのも気になった。声をかけるにも躊躇われる状況だ。
明かりが灯っている食堂を見つけて入ると、中は閑散としていた。アーシェルたち以外には人がおらず、食堂の亭主に目を丸くされたほどだ。
四人掛けの適当な席に腰をおろすと、給仕の女性がメニューと水を持ってきた。
「いらっしゃいませ。もしかして他の町から来た方たちですか?」
キストンは屈託のない笑顔で頷いた。
「はい、その通りです。初めてきたのですが、この村はいつもこのような感じなのでしょうか。夕方の買い物時ですが、人があまりいません」
隠しもせず、彼は真っ直ぐ聞いてくる。女性は少し躊躇った後に口を開いた。
「買い物は太陽が高く上がっている時間帯にしか基本的にはしません。この時間帯はたいてい家の中にこもっているでしょう」
「合成獣が出るからですか?」
女性と亭主は目を大きく見開いた。二人で視線を合わせる。
キストンがちらりとアーシェルに視線を向けてきた。意見を仰いでいるようにも見える。
今回の旅の決定権はアーシェルにある。会話のしやすさなどから、キストンに話を任せていたが、そろそろアーシェルが口を開くべきだろう。姿勢を正して、二人に顔を向けた。
「私たち以前、合成獣と対峙して、捕まえたこともあります。もしよろしければソウルス村に出現する合成獣についてお話を伺えませんか? 力になれるかもしれません」
二人の男女はさらに驚きの顔を露わにしていた。この少女が、という顔つきをしていたが、アーシェルの気配に圧倒されて、口を噤んだ。沈黙が続いたが、やがて亭主がそれを破った。
「……おい、お前、とりあえず注文を受けろ。客の腹を空かせるな」
「そ、そうね。料理はこちらからお選びください」
差し出されたメニューを見ながら、四人は注文をてきぱきと答えていった。
温かな食事をとり、お腹が満たされたところで、亭主が外にある入り口の立て札を『閉店』とした。あたりは夕暮れ色に染まり始めている。
「もう少し長い時間、営業しているのではないのですか?」
キストンが亭主の行動に疑問を抱いたが、彼は首を横に振りながら机に近づいていた。
「日が暮れたら誰も外に出ない。いや、外に出るなとお達しがでている。せいぜい自警団が見回りをするくらいだ。これ以上営業しても無駄さ」
四人が座っている脇に男性は椅子を移動させて、腰を下ろした。女性が温かい飲み物をカップに注いで、皆の前に置いていく。
「さて、どこから話せばいいんだろうか」
「話しにくいのであれば、こちらから質問します。いつから合成獣は出現したのですか?」
亭主は腕を組みながら、視線を天井に向ける。
「俺が初めて客から話を聞いたのは、一ヶ月近く前だったと思う。国全体に雨が降った後からだ」
アーシェルが魔法を行使して、恵みの雨を降らせた日よりも後だという。あの雨は浄化の意図も若干だが含まれている。その後からむしろ合成獣が現れたというのは、やや認めたくない事実だった。
「実際に目撃されたのですか?」
「いや、俺は見ていない。家内もだ。客で店に来た人間が数人目撃したのを掻い摘んで聞いた程度だ」
「場所はどこかわかりますか?」
亭主の家内である女性がソウルス村の地図を持ってきた。そこに亭主は指をさしていく。どれも川の近くだった。
「被害に遭われた方はいますか?」
「人的被害はまだ聞いていない。せいぜい田畑を荒らされたくらいだ。ただ、時々村の中まで歩いている場合があるらしい。人に危害が加わるのも遅くないと言っている人間もいる」
「――村まで入り込んでくる時は、霧が発生したときか、雨が降ったときではありませんか?」
淀みなく尋ねる。キストンは正面にいるアーシェルに顔を向けていた。彼の表情も固い。同じことを考えているようだ。
「そうだな……、お嬢さんの言うとおり、雨が降っていた日だったかもしれないが、俺の口からは断言できない。もっと詳細なことを聞きたければ、自警団に聞くのが一番だ」
「そうですね、わかりました。ちなみに合成獣がどういう姿をしていたかは、わかりますか?」
亭主は頭をかきながら、考え込む。
「獅子と言っていた人間もいるし、狼だっていう人間もいる。話を聞いた限り、複数の種類がいるはずだ……」
数を聞いたキストンがやや及び腰になっていた。ルーベック町にて一匹相手でも相当苦労した。その記憶が蘇ったのだろう。
だがあの時はアーシェルが魔法使いという事実を伏せていたから、苦戦したのだ。立場が明らかになった以上、隠しもせず魔法を行使することはできる。デーリックからは承諾を得ているし、ルカもトラスも理解している。アーシェル自身も合成獣相手ならば、使ってもいいと判断していた。被害が出る前に、魔法でくい止める。それが本来の魔法使いの姿なのだ。
それからいくつか二人に話を聞いてから、アーシェルたちは食堂を後にした。暗くなった外に出ると鼻先に雨の雫がぽつりと落ちた。ぽつりぽつりと降り始めてくる。四人は駆け足になりながら、自警団が拠点としている家へと向かった。