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水環の査察官  作者: 桐谷瑞香
第三章 真実を求める二人の旅路
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3‐10 先人が遺したもの(5)

 ウェルズと打ち合わせをし、翌日廃坑に行くことになった。様々な事件に遭遇しながらの旅路だったため、レナリアの体力は落ち気味だった。だが今晩はベッドを提供してもらえるということで、どうにか体力は回復するだろうと思い、首を縦に振ったのだ。

 今日の宿として男に案内された場所は、小さな食堂だった。ゴスラル村に宿はなく、他から来た者がいた場合、空いた部屋を提供しているのが普通らしい。

 そういう事情のため部屋が一つしかないのは予想していた。しかし提供された部屋の中を見て、レナリアは顔をひきつらせた。

「ベッドが一つ……!?」

 食堂を営んでいる女性は口元に軽く手をあてた。

「大きなベッドですから、二人で寝るには支障ないと思いますよ。こんな村に人が来ることなんて滅多にありませんから、二人分のベッドが揃っている部屋はほぼないでしょう」

「は、はあ……」

「夕飯は下で声をかけていただければ、残り物になりますが作ります。体を水で流すのなら、一階にあるお風呂をご利用ください。では私はこれで」

 女性が下がり、ドアを閉めると、部屋の中に微妙な沈黙が漂った。

 大きなベッドが一つだけ。布団は一枚。他に部屋の中には机と椅子のみ。あまりに簡素な部屋だった。

 その場で立ち尽くしていると、先にテウスが奥に進んだ。彼はベッドの端に腰をかけ、荷物をベッドの上に出し始める。呆然としていると、彼はうろんげな目で見てきた。

「明日の準備をしたら、飯食うなり、風呂に入るなりして、さっさと寝るぞ」

「わ、わかっている……」

「わかっているなら、突っ立っているな。今までだって同じ部屋で寝泊まりしていただろう」

「そうだけど……」

「安心しろ、胸が小さい女には興味がない」

 レナリアは歯を噛みしめて、女性から受け取ったタオルをテウスに向かって投げつけた。固まりになったそれは見事に彼の頭にあたる。あたった青年は舌打ちをしながら、振り返った。

「てめぇ……!」

 その言葉を無視して、テウスとは背を向けてベッドに腰掛ける。そしてレナリアはむすっとした表情で荷物を整理し始めた。

 テウスがほんの少し表情を緩めて、レナリアの背中を見ているとは知らずに。



 久々に温かな食事をとって、湯を浴びると、レナリアは生き返ったような心地になった。長い髪をタオルで拭きながら部屋に戻る。

「お風呂あいたよ」

「あ、ああ……わかった」

 テウスがレナリアの顔を見て、一瞬びくっとした。首を傾げている間に、彼は乱雑に着替えを持って、廊下に出ていった。

「どうしたのかな……。とりあえず明日の持ち物の最終確認をしよう」

 ベッドの上に乗り、武器を確認し始めた。五発の銃弾が装填された銃、予備の銃弾、そしてブロードソードと短剣、ナイフが数本だ。それらが刃こぼれなどないかを、目を細めて入念に確かめていく。

 戦闘となった場合、基本は体術、次に剣、そして銃を取り出す展開になるだろう。

 何となく扱えるようになった魔術に関しては、奥の手と思った方がいい。昨晩は氷の橋を作っても、体調を崩すことはなかった。だがこれで慣れたと思うのは時期早々過ぎるだろう。あまりにも使用した状況が不可思議過ぎるからだ。あの橋を作るにあたり、レナリアは何も媒介する物を使用していないのだ。

 胸がずきりと痛む。それに抗うかのように、首から下げている二つのペンダントを取り出した。水環の査察官の証明章、そしてファーラデから贈られた瑠璃色の石。どちらも生きるために必要な物だった。それらをぎゅっと握りしめる。

 その時、不意に瑠璃色の石が熱を帯びた気がした。手を広げると自ら光を発し始めている。

「何よ、これ……」

 光は大きくなり、レナリアの体までも包み込んでいく。その中に入ると、まるで水に溺れたような感覚になった。

 苦しい。呼吸ができない。

 胸が引き締められる。口の辺りを左手で塞いだ。

「……ア」

 誰かの声が聞こえる。しかし振り返ることはおろか、口すら開けなかった。

 呼吸を止めているのも苦しくなり、口を開きかける。その時、後ろから力強い腕で抱きしめられた。瞬間、レナリアを覆っていた光が消え去った。

 レナリアは空気を求める魚のように、その場で激しくせき込んだ。背中にあった温もりは離れている。

「おい、大丈夫か!?」

「テウス……?」

 喉元に手をあてながら、背後にいる青年の方に振り返る。彼もまた肩で激しく呼吸していた。

「何があった。何をした!?」

 レナリアは首から瑠璃色の石のペンダントを外した。

「これを握りしめたら、光が発して……」

 震える手で彼の手に落とす。それに触れたテウスは「あちっ」と言ってから、すぐにベッドの上に投げた。

「おい、それ魔力が詰まっているぞ。俺は魔の力にあまり耐性がないから、強い物は持てない」

「嘘でしょう。ただの一般人からの贈り物よ!?」

「……もしかして、アーシェル様と何かあった男か?」

 なぜか後ろめたさを抱きながら頷いた。テウスは腕を組んで、息を吐き出す。

「そのペンダント、アーシェル様が魔の力を出したり、抑えたりするときに使っていた物に似ている。凝縮された魔の力を持っていると、そういう風に扱えると聞いた。だからお前が握ったら、今回は内部の力が暴走しかけた」

「そんな、今までだって何度も握っていたけど、何も起きなかった。どうして今になって?」

「何らかの影響で、内に閉じていた魔の力が開きかけているから。……その男、将来レナリアの身に何か起きると予想していたんじゃないか?」

 レナリアは一瞬テウスの言葉が脳内にすんなり入ってこなかった。だが思考を止めていたのは一瞬だけ。すぐに我に戻って、口を開いた。

「五年以上前のことよ。予測できるわけないでしょ!?」

「俺は予言とか信じない人間だが、予言で今後を占う人間はたまにいる。それで予測した可能性はある」

「そうだとしたら、どうして私に直接言わないの? こんな大切な物を! 何も言わなければこのペンダントを捨ててしまっている場合もある!」

「だが――現にお前は持っている」

 レナリアは目を見開いた。そしてベッドの中で沈んでいる、光が収まったペンダントに目を向ける。今は輝きがなくなり、ただの石となっていた。

 テウスは先ほどまで座っていたベッドの端に腰をかけた。薄手の服を着ているからか、彼の筋肉がくっきりと服に映っている。

「お前がその男にどこまで心を許していたかはわからない。けどな、男の方は余程強い思いを抱いていたようだな。死してなお、お前を護るほどに――」

 その言葉を聞いて、レナリアの目頭が急に熱くなった。必死に拭って、ペンダントに目を落とす。

 テウスは視線を逸らし、無言のまま自分の頭をタオルで拭きだした。

 魔の力を抑える石だという推察は、今までしたことがなかった。仮に死んでも護る呪いに似た効力をペンダントに残しているのなら、生きて護ってほしかった――そう思わざるを得ない。

 震えながらペンダントに手を伸ばす。だが寸前で止めて引っ込めた。

「とらないのか」

「……また暴走したら困る。感情が収まったら付けることにする」

「どこかに行きそうになったら、俺がまた引き留めてやる」

「……ありがとう」

 さっき彼が抱きしめてくれなければ、レナリアは幻影の水に溺れていたかもしれない。

 両頬を両手であてて、気合いを入れ直す。そして広げていた武器などをしまい始めた。その様子をテウスは横目で眺めていた。

「レナリア、一つだけ聞いてもいいか。別に答えなくてもいい」

「何?」

「その男はお前にとって、どういう存在だったんだ?」

 銃に触れようとしていた手を止めた。天井を見上げて考える。

「……私の人生の道しるべみたいな人かな。そして尊敬する人間。今の私を形成する上で、なくてはならない人とも言える」

「俺にとってのアーシェル様みたいな存在か」

 レナリアは首を横に振った。

「似ているけど、違うよ。もう一つ抱いている感情があったから」

 ――あなたはアーシェルに尊敬の念を抱いていても、恋慕まではないでしょう?

 テウスが眉をひそめている。そして質問してきたが、適当にはぐらかした。

 本当にファーラデの呪いかもしれない。彼の謎の死が今のレナリアを突き動かしている。この世を去って六年が経過しても、一度たりとも忘れることはなかった。

 垂れ下がった髪を後ろに追いやる。

「呪いとはうまい言い回しよね」

「は?」

「師匠の残り香すら未だに漂っている。どうして死んだ人は多くのものを遺していくのかしら」


「……生きている人間に笑顔でいてほしいと思うからだろう」


 髪をいじるのをやめて、テウスの方に振り返る。男にしては長い髪を必死になってタオルで拭いていた。その背中につられるかのように、ベッドの上を這っていく。そしてすぐ後ろにまで来た。眉間にしわを寄せた青年が顔を向けてくる。

「なんだ」

「いや、テウスって時々驚くくらい的をついた言葉を発するなと思って」

「……アーシェル様の受け売りだ。荒れた地に行けば、アーシェル様が助ける前に死んでしまった人間がたくさんいる。そんな残された人を前にして、あの人はそう言ったのさ」

「じゃあ、笑顔でいないといけないよね……」

 そう言いつつ、レナリアの目からは溢れんばかりの涙が出ていた。必死に耐えようとしたが、堰を切ったかのように流れていく。本当に呪いなのかもしれないが、ファーラデの気持ちが僅かでも知れて、嬉しかった。

 目を丸くしていたテウスは、やがて綺麗なタオルを押しつけてきた。そして立ち上がり、剣を持って、廊下の方に歩いていった。

「夜風に当たってくる。泣き疲れたら、さっさと寝ろ」

 そして静かな音でドアを閉じた。

 ぶっきらぼうすぎる彼の優しさに甘えながら、レナリアはその場でタオルに顔を埋めて、泣き続けた。



 数刻過ぎたところで、テウスは部屋に戻ってきた。部屋の中は明るいまま。先ほど座っていた位置で、藍色の髪の少女はタオルを握りながら横になっていた。近づいても目が覚めることなく、小さな寝息をたてている。

「布団くらいかぶれよ……」

 悪態を吐きながら、レナリアが寝る側の布団をあける。そして彼女を起こさないよう抱き上げて、そこに移動させた。だいぶ疲れが溜まっていたのか、彼女が起きる気配はなかった。やがて彼女に布団をかけると、自分が最初に腰をかけていた位置に戻った。

「呪い……か。許せねぇな」

 死者は蘇らない。にもかかわらず、死者が生きている人間の気持ちをいつまでも縛り付けているのは耐えられなかった。

 ペンダントを贈った男は、レナリアと直接心を通わせていないが、おそらく相思相愛だったと察せられた。未だにレナリアが男の死の真相を追求したがっていることからもわかる。

 だがいくら追求して真実を知ったとしても、結局は何も変わらないと、この女はわかっているのだろうか――?

 今は己の身を護るためにこの村に来ている。それは彼女自身の意志だ。だが再び男の幻影を追い始めたとき、彼女は正しい道を歩けるのか。

 体術も剣術も光るものはある。戦闘に関する勘も優れている。もっと経験を積めば優れた査察官になるだろう。

 このまま今はいない男を追いかけるだけでは、もったいなかった。

「理由のある呪いなら、まだ話はわかるが……」

 荷物をしまい終えたテウスは明かりを落として、布団の中に入った。同じベッドの上で、泣き疲れた少女がいる。強く見えて、実はとても弱い少女が。

 おもむろに寝返りをうち、手を伸ばしたところでテウスは我に戻り、すぐに手を引っ込めた。そして体を動かして、彼女に背を向ける。

(おい、俺は今、何をしようとした……?)

 胸のあたりがざわついてくる。それを押し切るかのように、テウスは目を固く閉じた。

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