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水環の査察官  作者: 桐谷瑞香
第一章 流れゆく首都への旅
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1‐4 雨の日の旅立ち(4)

「レナリアさん、どういうつもりですか!?」

 店の男に頼んで村の裏口から出させてもらった二人は、薄暗くなり始めた道の上を足早に移動していた。アーシェルが声を発すると、レナリアは口元に指をあてて、静かにするよう仕草で示す。彼女はむっとしつつも、口を閉じた。

 裏通りから村の表通りに出ようとするところで、レナリアは一度足を止めた。黒い服を着た男が二人、道の脇で話し込んでいる。それを終えると、レナリアたちがいる道とは逆方向に去っていった。

「いいから今はついてきて。できることなら見つからずに、逃げ切りたいんでしょ?」

 視線を合わせずに淡々と聞く。少女は返事をしなかったが、その無言が逆に肯定の意を示していると察していた。

 レナリアは裏道を飛び出し、表通りを少し走ってから、再び小さな道へ入る。黙っているアーシェルも懸命に追ってきた。

 足の遅い彼女のペースにあわせるようにして、レナリアは町を突っ切っていく。視線は時折沈みゆく太陽も見ていた。目的地の方向を確認しつつ進む。

 裏道を出たり入ったりを繰り返し、ようやく村の端に辿り着いた。視線の先にはキストンの家が見える。明かりがついており、中には人影が二人いるようだ。

「アーシェル、置いてきた荷物、回収したい?」

「……可能ならばしたいです」

 おずおずと言うと、レナリアは彼女の頭に軽く手を乗せた。

「お世話になった挨拶もしたいし、行こう。挨拶をしたら適当な宿を借りて一晩過ごし、朝一の馬車で村をでるよ」

「……なぜ私を連れていくのですか? 狙われているのは私です。私なんか放っておけば、何事もなく首都に行けるんですよ!?」

 アーシェルが鋭い視線でレナリアを見上げてくる。それに怯まず頭を撫でた。

「私はアーシェルに助けてもらった借りを返したいだけ」

「汽車での話ですか? あれはレナリアさんが私を助けたから、手を握っただけで……」

「落下している最中のことよ」

 アーシェルの顔が僅かに強ばった。それを見て確信する。あの不思議な出来事は偶然ではなく、彼女が起こした必然だった。

「……アーシェルが何者かなんて興味はない。でもきっとここで別れたら、テウスと再会した時に殴られる。だから一緒に行こう」

「テウスが生きていると思っているんですか?」

 目が揺らいでいる少女の肩に手をおろした。

「生きているって言い切ったのは、アーシェルでしょう?」

 そしてレナリアはキストンの家に向かって歩き出した。アーシェルはその場に突っ立っていたが、我に戻るとレナリアの後ろについて行った。



 世話になった家のドアを控えめにノックすると、キストンがドアを少し開き、レナリアたちの顔を確認してから大きく開いた。素早く中に入り、彼の姿を見ると、二人で目を丸くした。

 動きやすそうな格好をし、少し厚手の上着を羽織っている。明らかに家でのんびりくつろいでいた様相ではない。

「二人ともこれから出るんでしょう?」

 驚いた表情のまま軽く頷くと、キストンはにかっと歯を出した。

「ちょうどよかった。僕もこれから発つことにした。だから一緒に首都まで行こう」

「これから夜なのに、今出発するの?」

「その台詞、そのまま返すよ」

 後ろからキストンの母親が現れる。手に持っているのはレナリアたちが着ていた服と、置いてあった数少ない荷物だ。

 それを受け取り、肩掛けの布バックに服を詰め込んだ。

 キストンは軽く髪をかきあげる。

「夜に出る馬車を知っている。顔見知りの御者で、今晩も馬を出すって聞いた。それに乗って少し離れた村まで移動するつもり。二人とも一緒に乗っていかないかい?」

 僥倖(ぎょうこう)ともいえる申し出だが、あまりにも話ができすぎている。

「……どうして夜に出発する馬車を知っているの。それにどうしてその御者は夜に出すの? 夜盗にあう確率が高くなるじゃない。避けるのが普通でしょう」

「夜盗に関しては、護衛を雇っているから、心配ない。夜にでる馬車を知っているのは……、僕の師匠が無茶ぶりをよく言うから、夜に出ざるを得ないんだよ」

「ガリオット氏……か。不眠不休で戻ってこいとか言いそうね」

「そういうこと。だから夜に出ることも多々あるんだ」

 キストンは振り返り、母親から丸々としたリュックを受け取った。

「母さん、いつもありがとう。ごめんね、今回も突然で」

「いいのよ。ガリオットさんによろしく伝えておいて。今回はお嬢さん方も一緒なのね。しっかりするのよ」

 キストンの母親には、既に話をされているようだ。拒否するにもできない状況になってしまった。

 アーシェルを狙っている男たちがどの程度の数の集団かはわからないが、できる限り守る人は減らしたい。

 キストンは川に流されていた少女たちを助けた時点で、こちらの身に何かが起こっていると察することができるはずだ。さらには少女を狙う男性の影を見ている。

 それにも関わらず、危険を承知してまで共に行動しようという。

 いったい彼は何を考えているのだろうか。

 彼との距離を詰められずにいると、表情を緩めているキストンが二人のことを交互に見てきた。

「二人とも、さっきから狐につままれたような顔をしているね」

「キストンさん、どうして私と一緒に行くと言うのですか?」

「旅は道連れ、世は情けっていうだろう。そういう風に捉えてもらえればいい」

「よくわかりませんが……」

 困ったような顔をしているアーシェルににっこり微笑むと、キストンは二人の背中を押し始めた。

「そろそろ行かないと出発してしまう。予約はとってあるけど、時間には厳しい人だからね、置いてかれるよ」

「予約まで……!?」

 目を丸くしているアーシェルは、もはや驚きを隠そうとはしなかった。

 レナリアは押されるのをあっさりかわすと、キストンの母親に向かって深々と頭を下げた。

「素性も知らない私たちを介抱してくださり、ありがとうございました」

「いいんですよ。夫もよく無茶をして、人様のご迷惑をかけていましたから」

 家の中でキストンの父親と思われる写真と、その傍に花が置かれているのは確認している。

 そこからだいたいが推察できるが、どうしても聞きたかった。

「……大変不躾な質問となりますが、旦那様はもしかして査察官だったのですか?」

 川に流れ着いていた見ず知らずの人を連れてきても、動じず、助けてくれる。そして息子が突然の旅立ちを決めても、不満一つ言わない。

 まるで今まで不測の事態が多数起こったために、それに慣れているかのような対処の仕方だった。

 さらに気になる点と言えば、家の暮らしだ。夫がいない中、母と子で住むには広すぎる家であり、質素とは言えない暮らしぶりだった。お金を大量に得ない限り、この状態を維持するのは厳しいと思われる。

 そこで思いつくのが、国の査察官が任務中に命を落とした場合である。そうなった際、家族はその後の暮らしに支障がないよう援助をしてもらう制度があるのだ。

 キストンの母は微笑んだまま答えない。素性を知らぬ者に、突っ込んだ話をしてくれるわけがない。

 再び一礼をして、背を向けると、彼女のささやかな声が聞こえてきた。

「……どんな査察官でも、危険な任務なのには変わりないわ。ごめんなさい、貴女のことは服を変えた時点でわかっていたの。だから放っておけなかったのよ。これからも危ない橋を渡ることになるでしょうが、くれぐれも気を付けて行動してくださいね」

「ご助言、ありがとうございます」

 再度お礼を言ってから、レナリアはキストンとアーシェルを追って外に出た。

 太陽は沈みかけており、少しずつだが月も見え始めた時間帯となっていた。これから夜の帳が落ちる。できるならその前に、馬車が待つ小屋に向かいたい。

 キストンがアーシェルを促しながら、駆け足気味に移動していく。レナリアは腰にある剣の柄に手を添えつつ走った。

 村の中心部にある教会から逸れるように移動し、なるべく人目につかないところをキストンは選んでいく。村の地図を頭に思い浮かべながら、レナリアは少年に向かって後ろから声をかけた。

「キストン!」

 彼は目を瞬かせて振り向いた。

「私は寄るところがある。先にアーシェルを連れて、行ってくれないか?」

 彼は軽く目を見開いた。そして目を細めて、レナリアのことを見据えてくる。

「……今まで若干距離を置かれていたのに、どういう風の吹き回しだい?」

「まだ君を信じ切ったわけではない。でも、たとえ君が私たちと対立する側であったとしても、この子のことは大切に接してくれるでしょう?」

 虚をつかれたような表情をした少年。途端、声に出して笑い始めた。

 隣にいたアーシェルは目を丸くして、豹変した少年を眺めた。

「まさかそういう風に返してくるとは思わなかったよ!」

「他にも理由はあるけど、今の言葉が一番キストンの心を掴めるでしょ」

 レナリアは不敵な笑みを浮かべる。キストンは笑うのをやめて、自分の胸を右手で軽く叩いた。

「わかった。村の地理は僕がよく知っている。もし追っ手が来ても、見事にまくよ」

「期待しているよ、整備士さん」

 レナリアは真顔でアーシェルを見た。

「さっきの店で荷物を受け取ってくる。もし――あの男たちだけでなく、私や彼も信用できないというなら、まいてもらっても構わない。一人で首都に行けばいい」

 キストンが眉をひそめる。気にせずレナリアは続けた。

「でも多少は信用できると思っているのなら、一緒に行くことをお勧めする。一人では乗り越えられないことも、皆でなら乗り越えられるかもしれないから」

 毅然とした態度をとっているアーシェルを見ながら、レナリアは言い切る。そして左手で柄を握りながら、踵を返して走り出した。



 さっき発した言葉は、アーシェルに与えた選択だ。

 彼女が進む道は、彼女が決めなければならない。こちらが強制的に連れて行ったら、あの男たちと一緒である。キストンならアーシェルが断れば、渋々ながらも身を引くだろう。

 一方、あの聡明な彼女なら、自分たちについてくるだろうと思っていた。利用価値はあるし、決して不利益にはならないはずだからだ。

 だが、すべては可能性の話である。

 考える時間は与えた。考えさせる意見も述べた。

 あとは彼女が事を起こすだろう――。



 レナリアは剣を購入した店の裏口のノブを回すと、一瞬妙な空気を察した。ノブは普通に回る。だがドアを通じて漏れてくる気配が、冷たく、張りつめていたのだ。

 ただの杞憂であればいいと思いながら、中に入り込む。先ほど出てきたよりも、埃っぽい気がした。壁に手を添えて、警戒しながら進んだ。

 廊下から店内に入る前に、部屋を覗きこむ。そこでレナリアの目は大きく見開かれた。

 決して綺麗とは言えない店内だったが、物はきちんと並べられていた。だが今目の前に広がるのは、立て掛けてあった物は倒され、並べられていた物は床に落ちているという、荒らされた光景だった。

 警戒の糸を解いてはいけないと思いつつも、呆然とその現場を眺めていた。視線を右から左に移動すると、物陰に動くものが目に入った。

 レナリアは脱兎のごとくその場から飛び出し、動いたところに滑り込む。そして片膝をつきながら、床で意識を失っている男を揺り起こした。

「大丈夫ですか!?」

 男は呻き声をあげながら、目を開ける。彼は軽く後頭部に触れた。

「いててっ……。さっきの嬢ちゃんじゃないか」

「誰かに襲われたんですよね」

「ああ。荷物詰めを終えた頃に人が入ってきて、こう尋ねてきたんだ。この店に――」

「『長い銀髪で、深い青色の瞳の少女は来なかった?』っと」

 床にいる男ではなく、もう少し高めで中性的な男の声が聞こえてきた。すぐ目の前にいる。今の今まで気配が感じられなかった。

 レナリアは右手を握りしめて、視線を店の男から正面に向ける。

 薄金色のさらさらした髪の青年が立っていた。腰には鞘に入った剣が下がっており、血を連想させるような色の瞳で、レナリアを射抜いていた。歳はレナリアより上だろう、精悍ともいえる顔立ちのいい青年である。

 彼はレナリアを見て、口元に笑みを浮かべた。

「お前、さっきこの店に銀髪の少女と一緒に入ったな。今、少女はどこにいる?」

 鼓動が激しく動いている。それを悟られまいと、レナリアは怯まず青年を見返した。

「黙っていないで答えたらどうだ。こいつみたく、いたぶられたいのか?」

 薄金髪の青年の足が、容赦なく店の男の腹を蹴る。男は声をあげながら、背中を丸めた。

 レナリアは一歩横に移動して、慎重に立ち上がる。

「答える気になったか? アーシェル・タレスの居場所はどこだ」

「……貴方はなぜ彼女を狙うのですか」

「逆に質問を返すとはいい度胸だ」

 青年が動いたかと思うと、レナリアは反射的に両腕で顔をガードする態勢をとった。青年の拳は勢いよくレナリアの腕下に当たり、その衝撃で飛ばされ、棚に背中を打ちつけられた。上にのっていた物が、音を立てて落ちていく。

「とっさに顔を防御するとは。ただの女じゃないな。何者だ?」

 態勢を崩していたレナリアは、棚に手を添えながら、血が滲み出た口元を左手で拭った。

「名乗るほどの者ではない。ただしこれだけは言える。アーシェルのことを狙っているのなら、貴方と私は敵よ」

 鋭い視線を突き付け、宣戦布告のように断言する。青年は笑みを浮かべたまま、一気に間合いを詰めてきた。

 勢いよく放たれた拳を、壁に沿うように体を回転してかわす。そして床に落ちていた大量の本たちを男に投げつけると、一目散に正面玄関に向かい、そこから外に出た。

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