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水環の査察官  作者: 桐谷瑞香
第三章 真実を求める二人の旅路
58/94

3‐8 先人が遺したもの(3)

 * * *



 目を開けると、薄汚れた天井が見えた。窓の隙間から光が射し込んでいるのか、部屋の中はやや明るかった。

(また意識を失ったのか……。テウスに迷惑かけてばかりね)

 溜息を吐きながら、レナリアは頭と胸に軽く触れた。特に痛みはない。

 ゆっくり起きあがると、椅子の背もたれに背中を付けて、腕を組んで目を瞑っている青年がいた。長い黒髪は結われたままだ。

 ベッドから足を下ろそうとすると、青年が身をよじったのに気づいた。程なくして彼は目を開ける。レナリアの顔を見るなり、目を見開いた。

「もう大丈夫なのか」

「ええ。ごめんね、また迷惑かけたみたいで」

「もう慣れたさ。体の方が大丈夫なら、支度をして行くぞ」

「どこに?」

 きょとんとした顔で返す。テウスは窓の近くまで歩き、カーテンを一気に開いた。溢れんばかりの光が射し込んでくる。雨は止み、晴天が広がっていた。

「あの後、雨足が弱くなって、明け方には止んでいた。線路はしばらく使えないが、街道は使える。馬を乗って北を目指そうと思う」

「……そうね。いつ修復されるかわからないのに、待っていてもしょうがないものね」

 現時点で晴れたのは幸いだが、また道中雨が降らないことを願うばかりだった。



 二人は荷物を最小限にし、馬を二頭借り、それに飛び乗って軽やかに走り始めた。もともと終着駅で馬を借りて先に進む予定だったため、それが前倒しになったと思えば苦でもなかった。

 整えられた街道を通って、町から町へと転々と移動する。夜は町村で休憩できたため、野宿は避けることができた。事前にテウスが地図から距離を目算して、無理のない工程を組み立てているおかげだった。レナリアだけだったら焦りすぎて途中で止まることもせず、そのまま野宿をせざるを得ない状況になっただろう。

 馬を乗り始めてから五日で、汽車の終着駅がある村に辿りついた。ここから先はさらに村の数が少なくなるため、さすがに野宿も要求される状況になるだろう。

 テウスは村をでる前に狩猟場所を斡旋している組合に顔を出していた。その組合では森の中に小屋をいくつか設置しているそうで、それを利用できないかという申し出をするそうだ。

 交渉はテウスに任せて、レナリアは必要な食料を買い足しにいった。乾燥パンや携行できるものを選んで買っていく。小さくても腹持ちがいいものを特に重点的に購入した。

 買い物を終え、茶色い袋を抱えながらテウスとの合流場所に向かっていると、三人の少女たちが木の箱に腰かけて、歌を唄っているのが目に入った。

 彼女たちの口からは柔らかな言葉が紡がれている。


 雨よ 雨よ 降り注げ

 土地を豊かにするために

 人々の心を癒すために


 力が足りなければ

 わたしの力を貸しましょう

 水を操る私の力を


 その歌を聞き、レナリアは足を止めた。少女たちは変わらず歌い続けている。

 軽く聞いていれば綺麗な旋律の歌だと思う。しかし中身をじっくり聴けば、魔法使いに関するものだとすぐにわかった。

 魔法使いの存在は、今や多くの人々の記憶からは薄れつつある。それなのに彼女らはどこでそれを教えられ、この場で歌っているのだろうか。

 少女たちに問いただすために一歩前に出ると、突然目の前に背の高い男性が横切った。彼はレナリアの正面に立ちはだかり、そっと身を屈めて囁いてきた。

「何か思い当たるところがありそうだな」

 途端不快な物でお腹をつつかれる。目だけを下に向けると、レナリアは顔を固まらせた。男の手には袖下に隠し持っていたナイフが握られ、レナリアの服を突いていたのだ。

「不愉快な雰囲気をまとっている。少し話を聞かせてもらおうか」

 三十過ぎの男は淡々と聞いてくる。脅しを仕掛けている時点で拒否権はない。ロイスタンも恐ろしかったが、この男は感情を出さないという面でそれ以上に何をしでかすかわからなかった。

 男の真意がまったく読めなかったため、レナリアは頷くしかできなかった。

 色素の薄い銀髪の男は、するするっと動き、レナリアの左脇についた。隠しナイフの先端が服を突いている。妙なことをすればすぐにでも刺すという意味だろう。

 息を吐き出して歩きだそうとすると、聞き慣れた声が聞こえてきた。

「おい、レナリア!」

 運がいいのか悪いのか、用事を済ませたテウスが駆け寄ってきていた。レナリアの名を聞いた男の握りしめる手が強くなった。近寄ってきたテウスは眉間にしわを寄せて、男を見据えた。

「誰だ、てめぇ」

「……君はこの娘の連れか?」

 男の低い声を聞いて、鳥肌がたった。今まで何人もの人間を手にかけたような雰囲気だった。

 テウスはそれに怯むことなく、レナリアを軽く一瞥した後に言い切った。

「そうだ。それがどうした」

「彼女は何者だ。まとう雰囲気が異質すぎる。この女は危険だ」

 頭の中に疑問符が次々と浮かんでくる。魔術を扱い体術や剣術も駆使できるため、並の男たちから距離を置かれたことはあるが、雰囲気までは言及されたことはない。

「どういう意味だ」

 テウスは鋭い目つきで端的に聞いてくる。

「言ったとおりだ。この女は世界の異分子だ。魔の力が周囲に影響を与えるまで、激しく揺れ動いているぞ。もしかして気付いていないのか? ……これだからただの人間は」

 嘲るような言葉を吐かれる。

 テウスは口元を閉じて、男を睨みつけた。そして腕を伸ばし、レナリアの手首を握りしめる。

「先を急いでいる。こいつを返してもらう」

「異分子を何もせずに放置するのか。それは許されない行為だ」

「……ナイフで脅しをかけているお前にそんなこと言われたくねぇよ」

 男ははっとした表情になり、手元が緩んだ。その隙にテウスはレナリアを自分の方に引っ張る。彼の体の横まで引っ張られるなり、手を回されて抱き寄せられた。

「女を誘いたいなら、もう少し気の効いたことをしろ」

 テウスはレナリアを抱き寄せたまま、男に背を向けて歩き出した。男はその場で突っ立っていたが、やがて手を顔に当てて大声で笑い始めた。

「はははは……! そうだな。誘って油断させたところで抑え込み、それからじっくり話を聞くべきだったな! 次はそうさせてもらおう……」

 男のねっとりした声が聞こえてくる。レナリアの背筋に悪寒が走った。それを見たテウスが顔を寄せてきた。

「早く歩くぞ。宿に戻ったら、すぐにここを出発する」

 こくこくと頷き、彼に背中を押されながら足早に歩いた。得体の知れない男の視線を受けながらも、彼に促されるままに進んでいった。



 あの男はいったい何者だったのかという疑問に抱きながら、レアリアとテウスは馬を走らせていた。整えられた舗装は途中でなくなっており、人々の足によって踏まれ、固められた土の道だけが続いていた。

「予定ではゴスラル村までは三日もあればつく。一晩は手前の村に立ち寄って休む予定だが、他の晩は狩猟組合の小屋、もしくは野宿になる。……って、おい、聞いているのか?」

 ぼうっとしていたレナリアは慌てて返事をした。

「あ、うん。野宿は仕事の関係で何回か経験しているから、問題ない」

「本当か? ……これから村に着くまでに倒れるなよ。道ばたで意識を失われたら、こっちもきつい」

「わかっている。たぶん無心に進んでいれば、大丈夫よ」

「さっきの男の言葉が気になっているのか?」

「……異分子なんて言われて、気分が悪くならない方がおかしい」

 手綱を握る手が強くなった。不愉快だ、イライラする。それでもその言葉を笑って受け流すことはできなかった。

 魔術についての考えが巡りそうになって、頭を横に振ってかき消した。余計なことを考えて、よかったことなどない。

 今は目の前に通じる道の上を、ひたすらに馬を走らせよう。



 * * *



 テウスが予想していた通り、狩猟組合の小屋で二晩寝泊まりすることになった。他に滞在者がいなかったため、小屋の中は二人だけだった。狩猟するピークも過ぎ、冬も近づいているため、人がいなかったのは当然といってもいいだろう。

 二人は食事をさっさと済ませて、翌日の行動を決めると、火を消して寝袋にくるまった。緊張の糸をずっと張っていたためか、レナリアはすぐに眠りについてしまった。今まで旅をしていたが、テウスがレナリアより先に寝息をたてることはなかった。任務に忠実な頼もしい護衛である。

 二晩目の夜、こくこくと眠っていると突然肩を揺らされた。レナリアはすぐに目を開けた。暗がりの中で灯ったランプは、テウスの引き締まった顔を露わにする。

「どうしたの?」

「……囲まれている」

「え!?」

 慌てて起きあがると、テウスは指をたててしっと言った。そして声を潜める。

「数はわからない。足音からして動物だとは思う」

「どうしてこんなところに? ここら辺に獰猛な生き物はいないと聞いた」

「それは昼の話だろう。夜、ここに寝泊まりする人間なんか、そんなにいねぇよ」

 レナリアは寝袋からでて、軽く上半身を浮かせてカーテンの隙間から窓の外を見た。二つの赤い瞳らがこちらを睨みつけている。ごくりと唾を呑みこんで、しゃがみ込んだ。

 小屋自体はしっかりした造りのため、よほどの勢いを付けて突進してこない限り壊れないだろう。このままじっとしていればやり過ごすことができるかもしれない。

 だが外にいる馬のことを考えると、状況が変わってくる。馬が襲われれば、これからの道中に暗雲が立ち込んでくるだろう。

「テウス、数は何頭かわかる?」

「カーテンの隙間から見た限りでは四頭。どれも頭に血が上っていそうな奴らだ。あともしかしたら奴ら……合成獣キメラかもしれない」

「嘘でしょ?」

 半分笑いながら言ったが、テウスの表情は固かった。彼の腰には既に剣が携えられている。

「新種の動物だとしても、明らかに敵意を向けられている相手だ。危険なのには変わりない。――どうする、レナリア」

「……どうするも何も、この状況から脱出するしかないでしょう」

 下ろしていた髪を乱雑に一本に縛り上げ、寝袋を畳んで荷物をまとめ上げる。テウスも支度をすませると、窓の傍にぴたりとくっついていた。

 二人が用意している間、合成獣たちは息をひそめて、こちらの出方を伺っているようだった。

 準備を終えたレナリアはテウスのすぐ傍に寄った。

「この暗闇の中で倒すのは難しいと思う。適当に牽制をかけて相手が怯んだところを狙って、馬に乗って逃げましょう」

「わかった。……地図を見る限り、ここから少し北に進めば川にでる。それに沿って進めばゴスラル村まで迷わずいけるはずだ。万が一離れたら、一人でも行け」

 レナリアは剣を手にしつつ、上着をぎゅっと握りしめた。

「縁起でもないこと言わないで。一緒に行こう」

「念のために言っているだけだ。アーシェル様にも常に言っている。所詮俺は護衛だ。お前はお前の身だけを考えろ」

 彼の表情は揺るがないものだった。レナリアは仕方なく頷いて、立ち上がる。魔術弾を装填した銃を手にして、二人で見合った。

 そして一緒に出入り口に歩み寄り、一呼吸置いてから、テウスが思いっきり扉を開けた。

 小屋の周囲にいた合成獣が一斉に目を向けてくる。青年の予想通り四匹だ。狼の背中には羽がつき、鉤爪は鋭い。狼と鷲を掛け合わせた合成獣だった。

 テウスが馬と柱をつないでいる紐を解いている間、レナリアは銃を突きつけて合成獣の様子を伺った。合成獣はこちらを見ながら、じりじりと近寄ってくる。

 汗が頬を伝っていく。合成獣はこれから飛ぶのか、駆けるのか、いったいどういう動きをするのか――思考がいったりきたりしていると、テウスに叫ばれた。

「レナリア!」

 振り返ると、手綱を渡された。それを見た合成獣は耳をぴんっと尖らせて、駆け寄ってきた。

 レナリアはやや後退しながら、一番近い合成獣に向かって魔術弾を撃った。至近距離で撃ったため、確実に命中するはずだ。

 だがその考えに反し、合成獣はタイミングよく飛び上がった。魔術弾は空を切って、闇の中に消えていく。――外した。

 レナリアは歯を噛みしめながら、素早く馬によじ登る。しかし合成獣はその隙を突いて、飛びかかろうとした。

 瞬間、テウスが剣を大きく振って、合成獣に対して牽制を仕掛けた。その攻撃に合成獣のうち二匹は避けるように下がったが、飛んでいる一匹と他の一匹はむしろ威嚇してきた。

「くそっ!」

 飛んで襲ってきた相手に思いっきり剣を振る。テウスの剣先は合成獣の顔をかすめ、一瞬その場で止まった。レナリアはその隙に再び魔術弾を撃った。今度は見事に命中し、合成獣の全身は途端に氷付けになり、地面に落下した。

 一緒に行動していた合成獣が氷漬けになったのを目の当たりにした他の獣たちは、レナリアたちから離れるようにして半歩下がる。相手が怯んでいる間に、二人は馬を走らせ始めた。

 対象が動き出したのに気付いた合成獣たちは、走るものと飛ぶものに分かれて追ってきた。

 振り返って銃を乱射しようとしたが、テウスに止められた。逃げるのに専念した方が早いと判断したようだ。たしかに慣れない乗馬をしながらの攻撃は、落馬する可能性がある。

 彼に言われたとおり何もせずに、手綱を握りしめて馬から下げているランプの光を頼りに進んだ。

 少しして川のせせらぎが聞こえてくる。ほっとしたのもつかの間、視界に川が一面に広がっていた。

「思ったよりも幅があるな……」

 テウスがふと言葉をこぼす。彼の言うとおり、対岸まで距離がある。川の中に飛び石や橋でもなければ、渡るのは厳しい。

 川沿いを走りながら、二人は対岸にいく場所を探した。だが思うような石などは見つからなかった。

「これから行く村は隔絶された村らしいから、行くにも一苦労ってところだな」

 テウスが思わず悪態を吐く。レナリアは背後を気にしながら、軽く問いかけた。

「このまま川沿いに進んで、向こう側に渡れるの?」

「……止まっていても追いつかれるだけだ。今は進むしかないだろう」

 テウスは手綱をきつく握りしめていた。

 彼の必死の形相を見たレナリアは、歯がゆい思いを抱きながら視線を川に向けた。穏やかな水の流れが広がっている。その水を見ていると、鼓動が速くなっていく。

 もし、もしも――私が――


『汝、我らの手となり足となり、この国を救うことを誓うか』


 不意に脳裏によぎったのは、夢かうつつかわからない不思議な空間で言われた、台詞。

 その意味に関してはよくわからなかったが、あの時のレナリアは誓うと言った――。

 それを思い出した瞬間、レナリアの胸が大きく波打った。片手で胸のあたりを掴む。

(こんなところで気を失ったら、確実に合成獣に襲われる。こんなところで死ぬわけにはいかない!)

 何となくだがレナリアは察していた、自分が以前とは違う力を持っていることを。

 そして、それをどう扱えばいいのかということも――。

 抑え込むのも大切だが、飼い慣らすことも重要ではないのか――?

 レナリアは意を決して、鋭い目つきで川を見据えた。

「テウス!」

「何だ!?」

「今から少し先に氷の橋を作る。それを渡って!」

「は、どういうことだ!?」

「いいから従って!」

 息を深く吐き出して、川を見つめる。そして小さく呟いた。

「我らを未来へ進む橋よ、目の前に現れよ――」

 言い切ると、テウスの少し先にある川に横一直線に氷の橋ができあがった。青年は目を大きく見開かせつつ、レナリアの言葉に従って橋を駆け抜けていった。

 レナリアもすぐ後ろをついて行く。橋はレナリアが乗った馬が通過すると、見る見るうちに溶けていった。

 同じく氷の橋を渡ろうとしていた二匹の合成獣たちが、川の中に落ちていく。一匹だけ岸でとどまった。そしてうなり声をあげながら、威嚇の声を発した。

 対岸に移動し、少し速度を落としながら、レナリアは合成獣を眺める。もうこちらに襲い掛かろうとはしてこなかった。

 先を進んでいたテウスが引き返してレナリアに寄ってくる。

「お前、体は……」

 胸がずきりと痛んだが、まだ動ける範疇だったため首を横に振った。

「大丈夫だから行こう」

 レナリアが先に進み出す。テウスは合成獣を一瞥してから、すぐ後ろをゆっくりついて行った。

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