3‐3 動き出す運命の歩み(3)
* * *
病院から退院したテウスは、早々に青輪会の隠れ家へ向かっていた。キストンが付き添ってくれているため、彼に二つあったうちの荷物の一つの持ち運びを頼んでいる。
レナリアはあと一週間近く入院するようだ。部屋が一人だけになり、伸び伸びとできるとぼやいていたが、やや寂しそうな顔をしたのに気づいていた。
「キストンはレナリアの見舞いには行くんだろう」
「ああ。仕事も落ち着いて、少し手が空いてきたから、レナリアが退院するまでに一、二回は行けると思う」
「頼む」
「テウスも行けばいいじゃないか。どうして気を使うんだ?」
「まだ俺たちとあいつの立場とでは、会いにくい関係なんだよ」
「……百年前にあったことが、今でも尾を引いているなんて、変な話だね」
テウスの後ろを少し遅れて歩いてくる少年がぼそっと呟く。ちらりと後ろを見ると、彼は地面を見ながら歩いていた。
「僕たちの店は魔術師もときどき来るから、その類の話も聞くんだ。昔、何があったかは詳しくわからないけど、話を聞く限り国側が悪いってたいていの人が言っているよ」
「民衆は力を持っている側に対抗したがるから、そういう意見が大半だろう」
「テウスは国側に肩を持つの?」
「いや、どっちにも肩を持たない」
穏やかな晴れ間が広がっている空を見上げる。
「当時であっても国側にはレナリアみたいな馬鹿な奴もいただろうって思っただけさ」
「……そうだね。レナリアみたく真面目な人間は、きっと二つの関係に亀裂が入らないように頑張っていたと思う」
「亀裂が入ったのなら、それを修復するまでだ。そう――あいつもあの方も考えている」
アーシェルはレナリアとしきりに会いたがっていた。真実を話すという目的もあるが、水環省の職員である彼女と繋がりを強固にしたいという想いも含まれていた。
レナリアも魔法使いとの距離感は考えているようだった。彼女は魔術師であり水環省の人間、その立場からすれば魔法使いという存在はとても大きかった。
そう言っていたにも関わらず、彼女は未だにアーシェルと会えていない。
「キストン、一つ変なことを聞いてもいいか?」
「何だい?」
テウスが立ち止まると、キストンも続けて止まる。テウスは二人の少女の実名は出さずに、極めて抽象的に問いかけた。
「会いたいと思っているのに、会おうと思った途端に体調を崩すのは、なぜだと思う?」
キストンは眼鏡ごしから目を細めた。今の問いかけだけでも、敏い彼は何かを悟ったのかもしれない。
「……それって無意識のうちに体が拒絶の意志を示しているってことじゃないかな」
「拒絶?」
「精神と体は一緒だと謳っている人間もいる一方、分離しているという人もいる。頭で理解していても、体が反射的に動いてしまうということだ。それが本人が知らずに働いているのかもしれない」
「難しい話だな」
「たとえばの話だよ。僕はそっちの専門家ではないから、ただの受け売りしか言えない。ただ、何度も続くなら、必ず相応の理由はあると思う」
笑いながら言ったが、彼の推測はどことなく筋が通っていた。
頭は受け入れているが、体だけが拒絶している。
その理由は、果たして調べればわかるだろうか――?
* * *
レナリアが退院した翌日、テウスは彼女と待ち合わせをして、国が運営している図書館に向かっていた。官公庁街の敷地内にあり、外周の橋の近くにあった。一般の人間でも利用していい場所のため、利便性を考えて橋の傍にあるようだ。
テウスは腰から下げている長剣を隠すように長い外套を羽織っている。旅路でも着ていた外套のため、朝、出かける矢先にアーシェルと会ったとき、驚かせてしまった。どこか旅に出るのかという問いに、すぐに否と答えると、心なしかほっとしたような顔をされた。
いくら人々が欲しがるようなすごい力を持っていても、彼女はまだ十六歳の少女だ。傍にいる誰かが庇護しなければ、心が折れてしまうだろう。
生かされ、道を与えてくれた彼女のためにも護りたい。
テウスが体を張って、彼女が思い描く道を進ませてあげたかった。
図書室の傍にある大樹の下に行くと、藍色の髪の少女が視線を下げて木に寄りかかっていた。いつもは一つにまとめている髪が解放されており、風になびかれている。
少女がテウスの気配を察すると、顔を上げてこちらを見てきた。軽く手をあげたので、それに応えるようにして同じことをした。
「いらっしゃい、迷わずに来られたようね。……それにしても、そんな物々しい格好で来なくても、よかったんじゃない?」
「長剣を見せると怖がる人間が多い。下手に注目を集めたくないんだ。レナリアこそ、どうして髪を結んでいないんだ?」
レナリアは自分の髪を軽く指ですくう。
「あまり知り合いに会いたくないの。仕事中は結んでいるから、この状態ならぱっと見では私だとはわからない。退院するとき、ミレンガさんにしばらく水環省には出入りしないようにって言われて。国の図書館にも少なからず水環省の職員が出入りするからね」
「お前が話していた、うるさい連中のせいか?」
レナリアは木から背中を離して、図書館に向かって歩き始めた。彼女の後をテウスは慌てて追う。
「――ねえ、アーシェルには何て言って出てきたの?」
「少し用事があるからって言っただけだ。それ以上、追求されなかった」
「そう……よかった。私と会っているなんて知ったら、気を悪くするだろうから」
彼女は振り返ることなく、図書館の前に近づいた。近くに警備員がおり、中に入る者は記帳する形をとっていた。レナリアに続いてテウスも名前を記してから、中に入った。
まず二階へと続く大きな階段が目の前にあった。その左右と奥に広がるようにして、一面に背の高い本棚が理路整然と並んでいる。まさに圧巻という言葉が当てはまる光景だった。
「この建物は縦長よ。本棚が延々と奥まで続いている。もう少し凝った作りをしようという考えもあったらしいけど、結局単純な構造にしたらしい」
レナリアは入り口近くにあった案内図を確認してから、中央にある通路を歩き出した。
テウスは周囲に目を配りながらついて行く。本に囲まれた生活などなかったため、目に見える範囲のすべてのものが本というのは新鮮だった。一応読み書きはできるが得意とは言えないので、並んでいる本を読もうとまでは思わなかった。
一方、レナリアはまじまじと見ながら、本棚を眺めている。
「すごくたくさんの種類の本がある……!」
彼女は立ち止まりそうになったが、そこは我慢して、奥に進んでいった。
「あまり来ないのか?」
本棚をきょろきょろ見ている少女の背中を眺めながら、テウスは尋ねる。
「知りたい情報は水環省でだいたい完結するから、わざわざこっちまで来ることがないのよ。おおよその場所は知っているから、そこら辺は大丈夫」
奥に突き当たると、さらに左奥に進む。窓から離れていくため、必然的に暗くなっていった。そして一番奥の棚につくと、レナリアは棚から一冊本を引き抜いた。埃を軽く払ってテウスに表紙を見せてくる。
「魔法使いと水の奇跡……か」
「こんな題名の本が建物の奥とはいえ、普通の人の目につく場にあるのはすごいこと。棚一面しかないけど、何かわかるかもしれない」
「棚一面……しかね……」
テウスは顔をあげた。一番上に並んでいる本は己の身長よりも高いが、手を伸ばして取れるぎりぎりの範囲にある。横は腕をめいいっぱい広げた長さだ。本の厚さは様々だが、薄いものもかなりあり、冊数にして百は超えそうである。
「全部見るのか?」
やや顔をひきつらせて言うと、レナリアは棚に視線を向けたまま首を横に振った。
「まさか。時間は有限なの。私が背表紙からある程度判断して、中身を見ていく。テウスは適当に興味がありそうなのを見ていって」
「ああ、わかった」
返事をしたが、レナリアの意識は既に棚に向けられていたため、反応することはなかった。彼女は棚の一番上から目を細めてみていく。テウスはそっと一歩下がり、彼女の動向を眺めた。
レナリアの視線がある一点で止まると、つま先立ちである本を取ろうとした。なかなか取れそうになかったため、彼女よりも背が高いテウスは隣からそっと本を抜き取る。手渡すと彼女は礼を言い、すぐさま立ったまま本を開いた。彼女の集中を妨げないよう、テウスはさらに下がる。
レナリアはページを一定の間隔でめくっていた。目は字を追いかけており、上下左右に移動している。テウスが本を抜いたり、多少音をたてても、目を向けられなかった。
若くして査察官を務めている今の少女を様子見て、妙に納得した。査察官は幅広い人たちと接するため、相手によって話しぶりを変えなければならない。つまり頭の回転が早くなければ、務まらない職業だ。
頭の切り替えの速さや、ある物ごとに対して瞬時に集中してしまう力は、数日程度で身につけられるはずがない。過去に相当努力したのだろうと、ぼんやりと思った。
レナリアは最後までページをめくり終えるなり、その勢いのまま次なる本に手を移した。テウスも少しは中身をみようと、必死になって文を読み出した。
多少なりともめぼしい資料を見つけた二人は、時間が許す限り文を転記した。魔術師としての能力が飛躍的に上がった人間の話や、逆に突然魔術を発動できなくなってしまった人間など、魔術に関連する能力の上げ下げをしているところを重点的に書き移した。しかしたくさんある資料の中でも、レナリアのような突然過ぎる極端な変化をした事例はなかった。
レナリアは浮かない顔をし、片肘をつきながらため息を吐く。魔術を使用しない状況であれば、日常生活を送る上ではまったく問題ない。意図して水を操る状況などないからだ。
だが再び査察官として復帰し、現場に戻れば、自分の身を守るために無意識に魔術を行使してしまうかもしれない。自分の中で操り切れなければ、周りの人に迷惑をかけてしまう。それだけは避けたかった。
転記を一通り終えたところで、外は茜色の空に染まり始めていた。ここ数日は雨が降る気配もなく、穏やかで温かな日が続いている。
テウスに本を持ってもらい、元あった場所に本を戻していく。無口であるが律儀な彼は、レナリアに声をかけることなく黙々と戻していた。
「……ごめんね、付き合わせたのに、思ったような成果が上がらなくて」
棚に目を向け、本を戻しながら謝罪をする。テウスも棚に顔を向けた状態で口を開いた。
「あまりにも異例な現象だったんだ。ここでわかったら御の字くらいしか思っていない。あのお嬢様でさえ、理由がわかっていないんだ。そこまで落ち込むことでもないだろう」
「そうね、ありがとう……」
彼の気遣いは有難い。だがさっさと理由を知りたいレナリアにはあまり響かない言葉だった。
本をしまい、図書室を出る頃には、空は暗くなっていた。官公庁街の建物もまだまだ明かりはついているが、橋を越えた先にある繁華街はさらに燦々と輝いていた。
「ねえ、夕飯はどうするって出てきた? 用意とかしていないようなら、付き合わせたお礼に奢るよ?」
「夕飯の心配は大丈夫だ。レナリアは夕飯を適当に店で済ますんだろう。それなら付き合う」
「わかった。……ちなみに私、普段は自炊しているからね。今は部屋に保存食があまりないから、外食で済ますだけよ」
勘違いされても嫌だったため、言葉を付け加えておく。彼はふうんと相槌を打っただけだった。
レナリアは繁華街にある、定食屋の一つに彼を連れて行った。比較的大きい店で席数が多いため、よほどの常連でなければ顔を覚えられにくい店だった。
賑わっている時間帯の少し前に入れたため、すぐに席に案内された。窓側の二人席に腰を下ろす。思い思いに注文をして、品が出てくるまで待った。