3‐2 動き出す運命の歩み(2)
ウィリーを見送った後、レナリアは病室でテウスと一緒に頂いたゼリーを食べていた。甘さは控えめで、繊細な味わいがする果実がたくさん詰まったゼリーだ。食に対してあまり言及しないテウスでさえも、美味しいと言葉を漏らしている。
「話は聞けたのか?」
「現状とか色々と。テウスたちに関係があることは話してもいいって言われたから伝える。ベルーンとカーンは捕まっていないって」
「そうだろうとは予想していた。あいつらは面倒なことが起きる前に、とっとと逃げるからな。個人的な理由でアーシェル様を狙うことあまりないだろうが、警戒だけはしておこう。他は?」
レナリアは持っていたカップを脇にある棚の上に置いた。
「今後のこと……かな」
話してもいい内容と、話すのは躊躇われる内容が脳内で錯綜する。
「……退院して、テウスたちと別れても、たまには会ってもいいっていう権利は得たから」
「権利? なんだか仰々しい言い方だな」
「水環省と魔法使いとの間に、過去に何かがあったらしいという話は知っているでしょう? 水環省内では大多数の人がそれに関して気にも止めていないけど、未だに魔法使いの存在自体を認めたくない人も少数だけどいるのよ」
レナリアはシーツを軽く握りしめた。
「だから安心してっていうのは変だけど、今回のピュアフリーカンパニーの事件にアーシェルのことはいっさい会議の中で話題に出ていないから。救出作戦もなかったかのように処理してくれるって」
「……おい、それだと辻褄が合わないぞ。お前がロイスタンに襲われたっていう事実はどう扱われるつもりだ」
レナリアはふっと自嘲気味な笑みを浮かべた。
「その件なら私が単独で査察に入って、返り討ちにされたっていう筋書きになっているから心配しないで」
「は?」
テウスがうろんげな目で見てきた。彼はアーシェルの前でないと、荒々しい感情を隠すことなく漏らす癖があるようだ。
レナリアは窓の方を向いて、淡々と答えた。
「だから何も知らない水環省のおじさんらには、休暇していた若手の査察官が気になった事業所に査察に入って襲われかけたけど、タイミング良く大々的な強制査察が入ったおかげで難を逃れたっていう設定になった」
「……おい」
「何?」
「こっちに顔見せろ」
「どうして?」
「いいから向けよ!」
テウスがベッドから身を乗り出して、レナリアの右腕を掴んでくる。力強く引っ張られたため、思わず顔も向けてしまった。すぐ傍には黒色の瞳の青年がいた。
「何で現実を受け入れたふりをしているんだ。悔しいんだろ。だから泣いているんだろ!」
びくっと肩を震わした。左手でおそるおそる目元を拭う。隠しようもないほどに、涙がついていた。
「今の話だけ聞いていると、お前が判断を間違え、馬鹿な若手みたいに聞こえる。それでいいのか。省に戻ったとき、後ろ指さされないのか!?」
「大丈夫よ、皆いい人ばかりだから……。昔から私がへましても、仕方がないよって言ってくれる。あの時も――」
脳裏に師匠の影がよぎる。途端、目に溜まっていた涙が一気に流れ出した。右腕を強く自分の方に引いて、テウスの手を振りきる。そしてシーツごと膝を抱えて、そこに顔を埋めた。
「あの時だって誰も私のことを責めなかった。どう考えても私が油断したから起きてしまったことなのに! 今回だって私のせいだもの。私が迂闊にあの男の懐に踏み込んだから……」
「違う。俺が警戒しなさ過ぎただけだ。あそこに副社長が潜んでいることは冷静に考えればわかることだった。お前が気にすることでは――」
テウスの手が伸びてくるが、それを背中にあった枕で叩きつける。彼の目が大きく見開く。
「……ないで」
「は?」
「私のことなんて、かばわないで!」
きっと睨みつける。テウスがたじろいだ。その勢いのまま枕を押しつける。
「私がもっとしっかりしていれば状況は変わった。こっちが傷を負わずにロイスタンを抑えつけることもできたのよ! 私がもっと強くて、冷静になれたら――」
「レナリア!」
声を遮るようにして、青年が口を挟んでくる。彼は立ち上がりレナリアの横に立った。そして嫌がるレナリアを押しのけて、両肩を掴んでくる。
「何よ。痛いって。やめてよ」
「落ち着け。お前らしくない」
「私らしくない? いいえ、これが私よ。今までのは全部、外面。働くってこと、つまり人と交わるっていうのは、本当の自分を押し殺すことでしょ?」
「そうかもしれないが、今のお前はあまりに乱れすぎている。過去を振り返っても何も――」
「わかっている。振り返っても何も変わらない。そして誰も戻ってこないって、知っているって!」
レナリアは腕をよじらせて、なんとかテウスの腕を離そうとする。だが彼はその力をものともせずに、逆に引き寄せてレナリアのことをきつく抱きしめてきた。抵抗しようにも、力が強かったため、動けなかった。必然的に彼の胸の中で涙をこぼすことになる。
「……そうだ。何も変わらない。ただ後悔の念が自分を責め立てるだけで、何もいいことはない。俺が人を殺したことも、知り合いを見捨てた事実も――決して消えない」
レナリアはごくりと唾を飲み込んだ。顔をよじると、彼が悟った表情で見下ろしていた。
「後悔はいくらでもできる。だが立ち止まったまま終わるのではなく、前を向いて進むのが、生きている限りするべき人間の役割じゃないか? ――お前が取り乱すほどの辛い過去を俺は知らない。だが、らしくないお前を見ているのは、こっちも苛々してくる」
「ごめん……」
やっとの思いで言葉をこぼす。するとテウスは腕を緩め、レナリアはゆるゆると解放された。
「落ち着いたな」
「多少は……」
「いい子ぶっていると、いつか耐えきれなくなるぞ。たまになら本音を漏らしたらどうだ」
「……そうね、ありがとう」
手で濡れた顔を拭った。テウスが棚の中に入っていたタオルを取り出してくれる。それを有り難く受け取り顔を埋めた。白くて柔らかなタオルが顔を包んでくれる。
「それで、話を戻すがいいか?」
レナリアはすっと顔を上げた。
「ピュアフリーカンパニーの事件での責任? さっきも言ったけど、私がそういう立場になるのが一番いいのよ。物事の処理が最も円滑に進むから。この事実は水環省の中で私が泣いても喚いても変わらない」
「お前が大勢の人の前で泣き喚いたら、さすがに俺や他の人からお前を見る目が変わるぞ……」
「それもそうね」
レナリアはふふっと笑い、テウスに顔を合わせた。
「ウィリー部長はいい人だし、ミレンガさんも癖はあるけど私のことは悪く扱わない人よ。私はミスをしたけれど、私のおかげでロイスタンを引きずり落とすことはできた。それが事実として残っているから、何かあった場合も、きっと養護に回ってくる。きっと他の人にもそういう風に伝えているはずよ」
「そうか。俺が思っているよりも、お前のことを理解している人間が多いってことだな」
「……ただ、上の人たちで頭の固いおじさんたちが何を言うのかが問題ね。心を休ませるために休暇を与えたのに、その休暇中に男に襲われてまた心が傷ついてしまった。そんな女、今後も使えるかっていう意見がどこかででるでしょう」
「面倒な連中だな」
「考えが古いのよ」
はあっと肩をすくめる。そして膝を抱えて、テウスから戻してもらった枕に顎を乗せた。
「そういう人たちの考えが収まるのも考慮して、退院後もすぐには出てこなくていいって言われた。つまりほとぼりさめたら復帰しろってこと。包帯を完全になくした状態で復帰したいから、その申し出は受けておいた」
ロイスタンに刺され撃たれた関係で、全身傷だらけである。頭の固い老人たちでなくとも、この体を見せれば心配されてしまうだろう。
こういう状況になるのは、アーシェルの奪還戦に行くと決めたときから覚悟していたことだ。自分のやり方に後悔はしているが、行くことに関してはまったく悔いてはいなかった。テウスみたく一緒に怒ってくる人がいるだけでも嬉しい。
「つまり充分時間があるんだな。それならいつ頃、アーシェル様に会ってくるんだ?」
「……体も心も落ち着いてからっていう回答じゃ、駄目?」
「それだといつになるかわからないだろう。心ってなんだ? またさっき見たく癇癪でも起こす要因を持っているのか?」
テウスがやれやれと肩をすくめている。レナリアは無言のまま、自分の右手を広げた。
「ねえ、テウスは魔法や魔術のことはわかる?」
「残念ながら専門外だ。そういうことはアーシェル様に聞けばいいだろう?」
「……あのね、会おうと考えるだけで体調を崩すのよ」
「アーシェル様と会うなって、体が拒絶しているっていうやつか? またどうして……」
「私が強すぎる力を得てしまったから?」
テウスが眉間にしわを寄せている。彼の視線の延長線上にレナリアは人差し指を向け、その先端に集中した。すると小さな氷の粒が空中にでき、ベッドの上に転がり落ちた。テウスはそれを拾ってじっと見る。
「お前、魔術はこうやって発動させていたか? 銃って言っていなかったか?」
「ロイスタンとやり合う前では、銃で魔術弾を撃って、それと触れたところしか凍らすことはできなかった。でも最近それがなくてもできるのよ……。身の危険を感じて、できるようになったのかなって思ったけど、少し違う気がするの」
再び手を見返す。魔術は何かを媒体としなければ発動できない。レナリアは銃、ベルーンはおそらく装飾品の類、または体に何か仕込んでいるのかもしれない。そういう風に魔術が込められたものを手にしていないと、発動できないはずだ。だが今のレナリアは何も持たずに氷を作ることができた。
「覚醒ってやつと違うのか?」
「私も魔術に関しては触りでしか使っていないから、調べてみないと……」
水環省の地下の図書室に、魔術に関する資料が保存されているはずだ。国民が見ることができる、国の図書館にも多少残っていると言われているが、量としては水環省の方が多かった覚えがある。ルベグランに指導されているときに言われたことだ。
魔法使いという存在が公にされていないが、魔術という存在はなんとなく認知されている現在。水イコール水環省と思っている人間から、ときおり問い合わせが入るほどだ。その時に情報を提供できるよう、資料が残っているらしい。
「休暇中に水環省に行くのは気が進まないけど、一度いってみるべきか……。その前に国の図書館に行こうかな。行ったことないから、どういう資料が残っているかわからないし」
「いつ行くんだ?」
「退院したらすぐに行く。このままだと前に進まないから」
「そうか。なあ、俺も一緒に行ってもいいか?」
「いいよ……って、え?」
目をしばたたかせて見返す。テウスは手のひらの上で溶けてしまった氷の残骸を眺めていた。
「図書館って昔の新聞の記事も残っているって聞いた。……俺の故郷のその後を知りたいんだ。アーシェル様と行くと、嫌な出来事を思い出させそうで」
「そうね。一緒に来るくらいいいよ。私が退院したら、一報いれるから、それから行きましょう」
「おう、ありがとな」
「こちらこそ」