2‐19 魔術と魔法の邂逅(4)
レナリアはベルーンが銃弾を放つことを、薄々予想していた。頭に血が上り始めた彼女の精神をちょっと揺らせば、撃ってくると思っていたのだ。だからあえて気を引くような話をしたのである。
案の定、彼女は撃ってきた。皆が焦っている中、レナリアの心の中は凪のように静かだった。
右手を目の前にかざし、空気中にある水の粒子らしきものを感じ、たぐり寄せる。銃によって水の華を発動させる以上に集中して、粒子をかき集めた。
そして着弾する直前、レナリアの目の前に氷の盾ができあがった。銃弾がそこにめり込んでいく。氷の中を果敢に進んでいくが、ついに貫通することはなった。
ベルーンは銃を向けたまま、眉間にしわを寄せる。
「氷の盾ですって? レナリア、何か他に魔術を発動させる媒体物でも手に入れたの?」
「さあ、どうかな。そんなこと敵である貴女に言うと思う?」
不敵な笑みをベルーンに向ける。
彼女は口を閉じ、銃を連射してきた。氷の盾のほぼ同じ場所に四発命中する。しかし貫通し切れない。すぐさま空薬莢を捨てて、新たな弾を装填し、氷の盾に銃口を向けた。引き金をひこうとするが、着弾した部分を守るようにさらに氷が覆ったのを見て、手を止めた。
「何なの、その氷は……!」
苛立ちながら銃をホルダーに戻す。そして円柱の筒を取り出し、右手で横に持った。それを地面と水平に横に動かす。
「生まれよ、氷の剣――」
持ち手の片側から長細い氷が作られていく。ある程度の長さになると先端が鋭くなり、そこで氷の形成は終わった。いとも簡単に人の肉を貫ける氷の刃ができあがる。
レナリアは氷の盾に右手の指で触れた。盾の氷が水と水蒸気になり、剣を生み出す姿を想像する。途端、氷でできた細長い剣が目の前に現れた。
それを見たベルーン、さらにはアーシェルまでもが目を大きく見開いていた。
「あらあら、本当の能力は結構なものだったのね。魔術師の端くれというのは撤回するわ。貴女はきっと危険分子になりえる。――ここで死になさい」
ベルーンがアーシェルの傍から離れて、レナリアに駆け寄る。
レナリアも対抗するために右手で剣を握ろうとしたが、一瞬躊躇った。右手の傷は塞がっていない。これで満足に握れるとは思えなかった。
しかし思考を巡らす時間はなかった。歯を食いしばりながら氷の剣を握り、ベルーンが振り下ろした剣を受け止める。全身に振動が伝わるが、不思議と傷ついた右手に悶えるような痛みが襲ってくることはなかった。これが長く続くことを願いながら、目の前の相手を押し退けた。
アーシェルには今、目の前に移っている光景がよく理解できなかった。
レナリアとベルーンが氷の剣で互いに打ち合っている。狭い空間の中でよく動けていると思うほど、動きがせわしなかった。
いつしか二人はアーシェルの体の横を通って、奥に移動して、剣と剣をまじりあわせていた。
レナリアの方が整った型で、剣を動かしている。純粋な剣技だけなら彼女に分があるだろうが、負った怪我の影響で、機敏さは半減しているようだった。
膝を冷たい床につけていたアーシェルは、ひたすら二人の動向を目で追っていた。そのため青年たちが近づいたのを、すぐ後ろに立たれるまで気づかなかった。
「アーシェル様、お怪我はありませんか?」
テウスが剣を持ちつつ、かがんで聞いてくる。彼に視線を向けたアーシェルは表情を緩ました。
「ありがとう。大丈夫よ」
彼はそれを見るとすぐに立ち上がり、盾になるようにしてレナリアたちの戦況に目を向けた。
ルカは傍でしゃがみ込み、涙目になりながら軽く抱きしめてきた。
「ご無事でよかった……! あの馬鹿副社長に変なことはされていませんよね!?」
「え、ええ……」
一瞬あの時のことがよみがえる。だが怖かっただけで変なことはされていない。努めて笑顔を作ったが、体を離したルカは浮かない顔をしたままだった。
「アーシェルさん……」
さらに後ろには眼鏡をかけた、焦げ茶色の髪の少年が立っていた。まさか彼もここにいるとは思えず、一瞬言葉を返し忘れた。
「キストンさん……、すみません、ご迷惑をかけて」
彼は激しく首を横に振った。
「いいんだ、これは自分の意志だから!」
ほんの数週間一緒に過ごしただけなのに、ここまで来てくれて有り難すぎて、涙ぐみそうになる。レナリアやテウスだってそうだ。
彼女らを護るために自ら身を引いた。だが結果としては、アーシェルを助けるためにこの場に来ている。どちらに転んでも結局は迷惑をかけるとは……、己の下した決断に嫌気がさしそうだった。
「あの、アーシェル様はまだ何もしていないんですよね? その……副社長から命令されたことを」
ルカが両手でアーシェルの右手を握りながら聞いてくる。しっかり頷くと、ほっとしたような顔をされた。そして背中を軽く支えながら、立ち上がらせてくれる。
「さあ合流したところで、こんなところからは早く逃げましょう」
「でも私が逃げたら、副社長がまた……」
追っ手を差し出してくる。そう続けようとすると、思ってもいない言葉を出された。
「副社長なら動けない状態になっているはずです。しばらくはアーシェル様に差し向けられる新たな追っ手はいないかと」
「どういう意味ですか?」
「うまく説明できませんが……とにかく動けなくなっています。残りの雇われている二人ですが、とりあえずカーンとは約束をしたので、彼は追ってこないでしょう。あとベルーンだけですね。さて、どうやって頭を冷やさせましょうか……」
斬撃が鳴り響く。小気味のいい音がすると、ちょうどレナリアの氷の剣が折れた時だった。ベルーンが止めと言わんばかりに、勢いよく振り下ろす。しかしレナリアを護るように、一瞬で氷の盾が出現し、それを防いでくれた。
「……何かがおかしい」
アーシェルがぽつりと呟くと、三人は一斉に目を向けてきた。
「どういうことですか、アーシェル様」
剣を握り直し、前にでていたテウスがちらりと見てくる。
「今のレナリアさんの魔術は、発動する上での理が抜けている。魔術に扱い慣れた人なら詠唱をある程度飛ばして発動できるけれど、それでも限度がある。予め魔術を施したアクセサリーを持っていたのなら、話は多少変わってくるけど……」
そう思いながらレナリアのことを見ていると、胸元で青い光を発しているのに気づいた。同時に彼女の瞳が空色よりも深い色になっていることを。
「あの位置にあるとすれば……ペンダント?」
「ペンダントというと、査察管の証があります。それに何か術がかけられていたのでしょうか」
「そういうことなら理を抜けているのはわかるかな……」
それでも納得できない部分はあった。
突然魔術の能力が開花したという話は稀に聞く。絶対絶命になった時、起死回生で能力が伸びる場合があるようだ。レナリアの服に付着している血痕から、この場に来る前に何かがあったのは確実だろう。それゆえ飛び抜けた才能がでてきたのだろうか。
「……とにかくレナリアさんたちの戦いを終わらせて、ここを逃げましょう」
腑に落ちない点はあるが、考え事はまた後だ。今は脱出するのが先決である。
幸いにも外では雨が降っているのか、テウスたちの足下は濡れているし、開いた扉からは雨の匂いもした。この環境下ならアーシェルの手によって、ベルーンの動きを止まらすことは容易にできる。
レナリアが肩で呼吸をしながら、間合いをとったところで、アーシェルはベルーンに向かって手を向けた。意識を集中して、氷を思い浮かべる。彼女が動き出そうとした瞬間、力を一気に放出した。
ベルーンの足下が凍り、両足が動けなくなる――はずだった。
たしかに凍り付いた。だが右足だけだった。
アーシェルは予想外のことに、目を丸くする。しかし他の者たちはアーシェルが発動した魔法に感嘆の声を上げていた。右足だけを凍らすつもりだったと思ったのだろう。
動きが鈍くなったベルーンに向けて、レナリアは踏みだし、彼女の右腕に切り傷を入れた。ベルーンが握っていた氷の剣が床に落ちる。そしてレナリアは右足で思いっきり彼女の腹部に蹴りを入れた。
アーシェルは素早く氷を溶かし、蹴りが入った瞬間に溶けきらせた。そのため蹴りはまともにベルーンに直撃して、その勢いのまま突き飛ばされる形となった。彼女は屈みながら下がっていく。
ベルーンの鋭い視線が突きつけられたが、怯みもせずに魔法を発動して、床から下半身まで凍り付かせた。下半身が動けなくなった彼女は舌打ちをする。
「この魔女が……!」
腰にあった銃に触れそうになったが、その前にレナリアが魔術弾を発動する銃を突きつける方が先だった。体の中心部に焦点を向けて、静かに言葉を放つ。
「動いたら、全身を凍らせる」
ベルーンはレナリアに向けて、ふふっと笑みを浮かべた。
「凍らして息の根を止めるつもり? 一度も人を殺めたことがない貴女ができるの?」
レナリアが唇を軽く噛んだのが見えた。
明らかな挑発だ。まともに聞いてはいけない。
「耳を貸さないでください。凍らしたとしても、こちらが悪意を向けなければ氷の魔法で死ぬことはありません! 一時的に昏睡状態に陥るくらいです!」
「魔法はそうだとしても魔術は違う。魔法使い様みたいに質のいい氷は作れないからね。――レナリア、殺すならさっさと殺しなさい。さあ!」
ベルーンの声に圧倒されて、レナリアがたじろいだのがわかった。アーシェルがかわりに手を向けようとすると、テウスが間に割り込んできた。
「おい、ベルーン、今のお前の雇い主は誰だ」
「ロイスタン副社長よ」
「お前の役割は、まずその人を護ることじゃないのか?」
「あいにく私に言いつけられた仕事は魔法使いを連れてくることと、その邪魔をする者がいたら排除すること、そして魔法使いにある事を遂行させることよ」
「副社長がいなくなったとしたら、どうする?」
「は?」
あからさまに眉をひそめられる。アーシェルにもテウスが言っている意味がわからなかった。銃を突きつけているレナリアの表情が強ばったように見える。
「副社長は今、意識を失っている状態だ。いつ目を覚ますかわからない。数時間後かもしれないし、数日後かもしれない。下手したら一生目を覚まさないかもしれない」
「何を言っているの? いったいどういう状態になっているのよ?」
「何の反動かはわからないが、副社長は――」
その時、硬質な物が当たり合う音がした。そして重いものが床に落ちる。テウスは言葉を切り、その者にいち早く駆け寄った。
「おい、レナリア!」
声をかけ、彼は手で彼女の頬を叩くが反応はなかった。彼女の脈をとると表情は一瞬緩んだが、すぐに険しい表情に戻った。
二人の様子を見下ろしていたベルーンは肩をすくめた。
「その体で魔術を使いすぎた反動? 自分のこともわからずそんな状態になるなんて、愚かすぎる」
「そうかもしれないが、魔法使いに手を向けられている状態で軽口を叩ける状況か?」
テウスの言うとおり、アーシェルはベルーンに手を突きつけていた。いつでも発動はできるようにしている。一瞬だけ全身を凍らして、その隙に眠り薬を体内に入れ込む芸当もできた。それをこの瞬間にしないのは、彼女が改心してくれないかという、淡い希望があったからだ。
ベルーンはアーシェルを横目で見て、やがて息を吐き出した。彼女が腰にあった銃に手をかけると、空気が一瞬で張りつめた。だが彼女はその銃を床に投げ出しただけだった。
「はいはい、今日は私の負けね。潔く認めるわ。今の環境下で魔法使いとまともにやりあって、勝てる気がしないもの。さっさと殺すなり、逃げるなりしなさい」
「貴女は殺さないわ。この場では逃げさせてもらう」
ベルーンの眉がややひそまった。
テウスは剣をおさめ、レナリアの全身をすくい上げるようにして持ち上げる。そしてベルーンから背を向けて、堂々と歩き出した。
「ふうん、魔法使いのナイトは相手を乗り換えたのかしら」
長い髪を手ですきながら、ベルーンは鼻で笑う。
アーシェルのすぐ横にきたテウスはつまらなそうな表情で言い返した。
「仲間だから助ける、それだけだ」
「そういうことにしてあげる。――行く前にアーシェル様、いえ、アーシェルに聞きたいことがある」
「何?」
殺気を潜めたベルーンが尋ねてくる。
「どうして私を殺さないの? 今の私の状態なら、氷のナイフを作って貫通させることは容易でしょう。……私はまた貴女を追って、捕まえに来るかもしれない。魔術師としては優れている私をこのまま放置しておいていいの?」
アーシェルはごくりと唾を飲み込む。それから息を吐き出して、秘めていた思いを言った。
「貴女の力が国にとって必要になる日が、いつかくると思うから殺さないのよ。水の循環は狂い始めている。魔法使いの私一人だけでは対処できないことを、魔術師にも手伝って欲しいのよ」
「ただの理想論ね。たとえそうなった場合でも、魔術師の全員が貴女に力を貸すとは限らない」
「わかっている。だからこれは私の願いよ」
そう言ってアーシェルは手を下ろした。それを合図として、ルカが先頭になり、来た道を戻り出した。テウスはベルーンに振り返ることなく歩いていく。
キストンはアーシェルに手を添えながら、警戒するように魔術師の女を見ていた。それをやんわりと宥めて歩き、階段を登るところで深紅の髪の魔術師を一瞥した。彼女は依然として笑みを浮かべている。
「後悔するわよ」
「いいわ。あとで私が犠牲になるだけで済むのなら」
そして四人は地下を後にした。