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水環の査察官  作者: 桐谷瑞香
第二章 渦巻く宿命の輪
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2‐13 密やかなる侵入(3)

 ピュアフリーカンパニーの外周は、すべての施設を取り囲むようにして、人の背よりも遥かに高い壁で仕切られている。中に入るには正門と裏門を通る必要があり、今は多くの人が建物の裏手にある裏門に向かっていた。

 正門の近くには守衛が滞在している小屋がある。この時間帯なら通常時は二人体制だが、今は一人裏に向かっているのか、残っているのは一人だけである。

「あら、いらっしゃい」

 壁沿いを歩いていると、高さのあるヒールをならしながら右側にある通りから一人の女性が出てきた。彼女の姿を見て、キストンの顔が赤くなったのがわかった。彼の様子を見ている女性は口元に手をあてて笑っている。

 露出度の高い、胸の谷間がはっきりわかる服を着ている女性。スリットの入っているロングスカートから下着が見えてしまうのではないかと思うほどだ。口の下にある泣きぼくろが、さらに艶めかしさを助長させている。

 女性は固まっているキストンの前に歩み寄ると、そっと彼の顎に手を添えた。

「お姉さんと楽しいことでもする?」

「えっと……」

 キストンが目のやり場に困っていると、ルカが肩をすくめていた。

「彼に色気出さないで。本番でやってちょうだい」

 女性は手を離し、口を軽くとがらせた。

「少し肩の力でも解してもらおうと思っただけなのに」

「はいはい、そうでしたか。気が回らなくて、すみませんでした」

「ルカも髪を伸ばして、綺麗な服を着れば、多少寄ってくる男はいると思うのに」

 そう言われた女性は顔をぴくぴく震わせる。

「うるさい。黙れ、おばさん」

「あら、酷い言葉使い。そんなんじゃ、いつまでたっても彼氏なんかできないわよ」

 そして女性は軽く手を振りながら、四人の前を歩き出した。

「健闘を祈るわ。素敵な夜を」

 彼女は正門の少し先まで歩き、ちょうど守衛が見える範囲で躓くと、足を捻って膝をついた。ヒールの部分が折れてしまっている。

「痛っ……!」

「お姉さん、大丈夫かい!?」

 小屋から守衛が慌てて出てくる。女性に寄り添うようにして近づいていた。

「え、ええ……。どうやら捻ってしまったみたい」

「こんなにヒールの高い靴を履いているからだよ! どれ、ちょっと見せてみな」

 守衛に足を見られる前に、女性は顔を近づけた。

「かなり腫れていて、痛くて動けないわ。ここから少し進んだところに、私のお気に入りの休憩場所があるの。そこまで連れて行ってくれないかしら?」

 甘ったるい声で囁くようにして言葉を紡ぐ。守衛は頬赤らめ、視線をきょろきょろと動かしていた。

「いや、持ち場から離れるのは……」

 ちらりと小屋に視線を向ける。思ったよりも仕事に忠実な男性のようだ。

 女性は彼の手首を握り、それを胸の近くまで持ってきた。

「本当に少しよ。そこでお礼も是非ともしたいわ」

「え、お礼?」

「そう、お礼を是非」

「そこまでいうのなら……。さて、どこに連れて行けばいい?」

 鼻の下を伸ばしている守衛は、女性の腰に右腕を回す。そして自分の肩を貸しながら、二人で立ち上がった。女性は守衛の右側に寄りかかる体制になる。

「ここから歩いたところよ。この敷地を囲んでいる壁の先ね」

「そうか。では行こうか」

 より密着しながら二人は歩き出した。時折楽しそうな談笑が聞こえてくる。女性がうまく守衛の気を引きつけているのだろう。

 二人の背中が小さくなったのを見て、ルカは三人に目で合図した。そして屈みながら守衛の小屋の前を通過した。

 敷地内に侵入すると、広大な庭が広がっていた。遮るものはせいぜい木くらいだが、それだけで身を隠すのは心細い。幸いにも目で見える範囲の敷地の中に人はいないようだ。

「警備が厳しいのは外の壁と、中心にある建物に入るところ。あそこまでは一気に行こう」

 ルカが周囲に目を光らせる。そして地面を蹴り、腰を低くして駆けだした。レナリア、キストン、テウスと続いていく。

 彼女の動きは的確で、ただ走り続けるのではなく、建物から見て木の影になるところはそこで一呼吸置いた。キストンたちが着いてきているのを横目でちらりと確認して、再度走り出す。周囲への気配の察知の仕方など、非常に勉強になる動きだった。

 あっという間に建物のすぐ近くの木に辿り着いた。木の陰に隠れて、建物の入り口を覗き見る。扉の前には三十代くらいの二人の警備員が立っていた。腰にはレイピアらしき剣をぶら下げている。先ほどのように、簡単に通してくれなさそうである。

「レナリア、入り口はあそこ以外だとどこ?」

 ルカが視線を入り口から逸らさず聞いてくる。

「裏手に一つと、脇にある非常階段から上れる入り口が一つ。ただし裏手は裏門から見える位置にあるから、今の状態だと人目に付くと思う」

「非常階段に警備は?」

「わからない……。でも、おそらく非常階段は内側から鍵がかかっているしいから、そこに人は当てていないんじゃない?」

「鍵かぁ。どっちが突破しやすいかな。非常階段まで移動はできそうだけど……」

 今いる木のすぐ傍には、花が植えられている大きなプランターがあり、それが一列ずらりと並んでいる。腰を低くする、もしくは張って進めば、見つからずには移動できそうだ。

「俺としては救出するまでは、騒ぎを起こしたくない」

「テウスと意見は同じ。ただし鍵を解除で――」

「そこまでひねくれた鍵でなければ、僕は開けられる」

 声がした方に振り返ると、今まで黙っていたキストンが軽く手を挙げていた。テウスは眉をやや潜めている。

「できるのか、そんな詐欺紛いなことを」

「錠前関係の器具は持ってきた。最悪ドアを分解する」

 覚悟がこもった受け答えをする。一瞬返答に窮したテウスだったが、キストンの眼力に押されて、首を縦に振っていた。

「わかった。頼むぞ」

 キストンは頷き返した。

 ルカはちらちらと入り口の様子を見ながら腰を屈んだ。そして息を潜めて、ゆっくり歩き出す。

 彼女と同じように腰を屈めて、レナリアも歩き出す。テウスはキストンのリュックを背負って、彼を先に進ませていた。不慣れな態勢になるため、気を使ったのだろう。いくら技術や知識があっても、キストンは一般人である。テウスらしい配慮の仕方だった。

 耳を澄まし、時に建物の正面を気にしながら進んでいく。すると警備員の二人に近づいてくる人間が見えた。レナリアが止まると、キストンが慌ててその場に踏ん張った。

「おい……」

 レナリアは人差し指を口元にあてて、静かにしろという仕草をした。声をかけたキストンは渋々口を閉じる。

 駆け寄ってきた人間は血相を変えて、何かを喋っていた。距離があるため聞こえないが、彼らにとって状況は悪化していると思われる。

 ルカが振り返ったのに気づき、そそくさと移動を再開した。

 黙々と歩き、プランターの端にたどり着くと、非常階段はすぐそこにあった。だがこの場から階段までは遮るものがない。

「入り口から距離はあるから、盛大に転ばなければ気づかれない」

 ルカがキストンのことをじろりと見てくる。彼は肩を震わしながらも、こくこくと頷いた。荷物はまだテウスが持っているのを目視で確認して、ルカは駆け出した。

 足音をたてず、つま先だけを地面につけて進んでいく。軽やかな動きを見て感嘆の言葉を発しそうになったが、それは飲み込んでレナリアも続いた。彼女ほどは軽やかではなかったが、そう時間をかけずに階段の傍に着いた。

 後からキストンが続いていく。順調に進むが途中で彼が何かに躓きかけたのを見て、息をのんだ。ルカも目を見開いている。だが彼はどうにか踏ん張って、不格好ながらも階段の傍についた。

「……見た目通り、どんくさいのね」

「……うるさい」

 ぼそっと言い合っている間に、テウスも後ろに到着した。息が切れていない。リュックを背負い、重い剣を携えているにも関わらずに。

 ルカとテウスが視線を合わすと、彼女は足をそっと階段に付けた。忍び足で上っていく。

 この階段は建物の外に備え付けられているもののため、階段を上がっている際は丸見えの状態だった。誰も来ないことを願いながら進んでいく。全部で五階、少し息が上がる程度で済みそうだ。

 階層ごとにあるドアの前では、より細心の注意を払って進む。このまま誰にも見つからずに進めるよう祈っていると、下から声が聞こえてきた。四人はその場で腰を屈ませた。

 建物の近くで人が話をしているようだ。運良く影になっていたため、身を隠しながら男たちの会話を聞くことができた。

「取水口に引っかかった大木は、思ったよりも問題はなかったようだな」

「ああ。だが早いところ取った方がいいだろう。雨が降るかもしれないって言っていたからな。増水したら面倒だ」

「副社長が雇った女が言っていたんだっけ? 美人で綺麗だがよ、ちょっと近寄りがたいよな」

「本人がいる近くでそれを言うんじゃねぇぞ。凍らせられるから」

「たしかにその通りだ!」

 二人で軽く笑い声をあげる。そして建物の裏側に歩いていった。

 四人は気配が消えたのを察してから、再び上り始めた。

 ふとレナリアは闇夜で覆われている空を見上げた。軽く雲で覆われているが、ほどなくして雨が降るという印象は受けない。次第に分厚い雲が覆っていき、やがて降り出すのだろうか。ベルーンは察したようだが、レナリアは魔術師の端くれのため、そこまで未来を予見することはできなかった。

 魔術師という言葉を思うと、ついつい腰にある銃に手が移動してしまう。ルベグランが何かを察して、レナリアに魔術が施されている銃を手渡したのが、これとの出会いだった。

 引き金をひくと銃弾が発射され、それが着弾するときに氷が発生する。何か物を媒体として発動される魔術は初歩的なもので、魔術師の素質があればたいていできるものだった。人によっては粉をばらまいたり、ボールを投げたりすることで発動するらしい。

 今回もこの力を使うことになるのだろうか。できるなら使いたくない。魔術を使うのは決して馴れていないからだ。念には念をといわれて、十回は発動できるが、それらすべてを使った場合、立ち続けられるどうかはわらかなかった。それほど体力を酷使するのだ。

 アーシェルは物を使わなくても奇跡を起こせる。しかし純粋な魔法使いであっても、おそらく体に負担はかかる。ピュアフリーカンパニーが彼女の力を使って何かを起こす前に、取り返さなければ。

 ようやく最上階まで辿り着いた。そこで呼吸を整えてから、ドアノブに手を付けた。当然だが鍵がかかっている。キストンはリュックから小さな箱を取り出し、膝を付けて、先が細い針金のようなものを鍵穴に突っ込んだ。縦に横にと動かしていく。はじめは険しい顔をしていたが、かちっという小気味のいい音を聞くと、表情を緩ました。

「このドアは昔作られたようだ。そこまで複雑なものではなかった」

 立ち上がりながら、膝を叩く。

「キストンって、一歩間違えれば完全犯罪できるよね」

 レナリアは横目でリュックに道具をしまっている少年を見下ろす。

「そっちだって、その剣術と武術があれば何かあっても並の男五人くらいなら沈められるんでしょ」

「それは否定しないけど……」

「誰だって扱い方を違えば、人を傷つけたり、犯罪に荷担できるんだよ」

 物を詰め終えると、ルカがノブに手を付けた。そしてこちらに振り返る。

「もし廊下が分かれていたら、二手に分かれる。テウスとレナリア、あたしとキストンで行くよ」

「戦力的に差がある気がする……」

 リュックを背負いなおしたキストンが呟く。彼女は口元に笑みを浮かべた。

「戦うとなったら、そうかもしれない。でも逃げるだけなら、あたしたちの方が優れていると思う」

「そうだキストン、心配しなくていい。ルカなら俺よりも先頭を突っ走っている。こういう狭い空間なら、こいつの方が動きは上だ」

「テウスがそういうなら、安心だね」

「あたしの言うことは信じないの?」

 ルカが眉をひそめている。それを軽く笑って受け流した。

 空気が和んだところで、再び引き締める。月明かりは見えない。空はどんよりとしている。

 自らの身と引き替えにここに来た少女を取り返すために、ドアをゆっくりと開けた。

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