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水環の査察官  作者: 桐谷瑞香
第一章 流れゆく首都への旅
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1‐2 雨の日の旅立ち(2)

 レナリアとアーシェルが飛び込んだ軒下は、古ぼけた空き小屋だった。中に入ろうとドアを引いたり押したりしたが、鍵がかかっており、開けなかった。

「すぐにやみますよ。ここでしばらく待っていましょう」

 空に真っ直ぐ視線を向けているアーシェルが、レナリアを見ずに応える。空を真っ黒に覆い尽くすほどの分厚い雲を見てから言われても、あまり説得力はなかった。しかし他に言い返す言葉もなかったため、おとなしく従うことにした。

 アーシェルは視線を雨に打たれる草花に移す。

「レナリアさんが一般的な女性とは違うのはわかりました。僅かな時間しか攻防は見ていませんが、お強いんですよね?」

「体術だけ見れば、暴漢が襲ってきても、それを撃退するくらいの力はあるよ。格闘術を学んでいない相手なら、怯ませられるんじゃないかな。あとは時と場合によって。汽車の上はちょっときつい。この前はあれで精一杯だった。ごめん、余計なことして」

 自嘲気味に言うと、アーシェルは首を横に振った。

「いえ、助かりました。あの機転がなければ、私は捕まったままですから」

「そう言ってくれると助かる。……まったくあの人たち、女への扱いがなっていないよね。もっと優しくしなきゃ!」

 腕を組みながら言い捨てると、アーシェルはふふっと笑みを浮かべた。眉を潜めて、その様子を見返す。

「おかしい?」

「少し。――あの、レナリアさん、一つ聞きます。私を助けたのはどうしてですか?」

「優しくしてくれた女の子が悪い男たちに捕まってしまった。恩があるから、救いだそうとした。……それじゃ駄目?」

 嘘は言っていない。詳細な説明が漏れているだけだ。

 アーシェルは黙ったまま、じっと正面を見続けていた。穏やかに笑みを浮かべている。その表情は人の心をわかりにくくするものだった。

「……その理由だけで、命を危険に晒す行為にでませんよ」

「あれは運が悪かっただけ。一応男のパンチも受け身をとっていたのよ? かすりはしたけど、たいしたことなかった。まさかあんなに柵が古びていたなんて、気づかなかったのよ」

 視線をアーシェルに向けると、彼女は緩く結んだ髪先を指でいじっていた。

「……強いですね、レナリアさんは。あの出来事をそう言ってのけるなんて。今までに結構な修羅場を掻い潜っているのですか?」

「それなりかな。突然後ろから切られそうになったこととか、毒を盛られかけたとか」

「だ、大丈夫だったんですか?」

 アーシェルが間髪おかずに聞いてくる。今までどこか張りつめていた表情が、年相応の十代の表情になっていた。それを見たレナリアは、表情を緩めた。

「たくさんの戦場を突破している師匠と一緒だったから、その時はかすり傷すら負わなかったよ。殺気って隠そうにしても、完全には隠せないんだって。だからテウ――」

 そこではっとして言葉を切る。寸止めしたが間に合わず、アーシェルの表情が暗くなっていた。しかし俯きかけた顔は、やがて正面を向いていた。

「大丈夫です、きっとどこかで生きています。だから私も進んで行かなくちゃ。――レナリアさん」

 深い青色の瞳がゆっくり移動し、レナリアの瞳を捕らえる。静かに呼びかけられた声は、とても澄んでいるものだった。

「あの汽車の先にある、首都に行くんですよね」

「そうよ。私が勤めている機関の本部があって、そこに行って報告しなければならない案件があるの」

「よろしければ、ここからそこまでの道のりがわかったら、教えてくれませんか?」

「教える? それなら連れて行くよ? その方が効率いいじゃない」

 アーシェルは首を横に振っている。握っていた両手を握りなおしていた。

「一人で行きたいんです。首都に入れば知り合いがいるので、少しくらい一人旅を」

「世の中物騒よ? アーシェルが男の人に取り囲まれたら、太刀打ちできないでしょ」

 師匠はいつも言っていた。一人でも生きていく力を手に入れろ。いつ、どんな状況で一人になるかわからないのから――っと。

 アーシェルの体格から見て、もっともなことを言ったつもりだったが、彼女は微笑んでいた。

「大丈夫です。私、こう見ても運はある方なので」

「運はある方って……。それだけで一人旅は危険すぎる。この前の男たちがいつどこで襲ってくるかわからないのよ?」

「そしたら逃げますよ。テウスが色々と教えてくれたので」

「でもね、アーシェル」

「レナリアさん」

 アーシェルの視線が空へ向けられる。雲の合間から、太陽の光が射し込んできていた。雨の降り方は軽くなっている。

「雨がやみそうですよ。村の中心部に行ってみましょう」

 指さした先にあるのは、教会とその周りにあるたくさんの家々。脇にある川には水車も見られた。

 アーシェルに手を取られて、レナリアは軒下から引っ張り出された。



 村の中心部は、こじんまりとしながらも賑わっていた。

 食材を買い求める人が往来し、立ち話をして談笑している。花屋には見たことのない種類の花々が売られていた。アーシェルが横目でそれを見ているのに気づいていたが、準備ができ次第ここを離れることになるため、あまり荷物は増やしたくなかった。

 唐突にアーシェルがある店の前で立ち止まった。彼女につられて顔を向けると、服飾屋が建っていた。彼女の視線は、窓ガラス越しにある帽子に向いている。

「アーシェル、あの帽子が欲しいの?」

「あ……はい。でも大丈夫です。ちょっと高いので」

「あれくらい買ってあげるよ。あまり持ち合わせないんでしょう」

 アーシェルは頬を赤らめて、視線を下げる。

 決して高いといえる値段ではなかった。一般的な昼食の代金、二人分といったところか。

 おそらくテウスが大半の資金を持って、旅をしているのだろう。彼女が持っているのは必要最低限の貨幣のみ。あとはしっかり者の彼が預かっている、と今の仕草から推察できた。

 レナリアも持ち合わせ自体は多い方ではない。だがもう少し大きい町に行けば、国の出先機関がある。そこで預けておいたお金を受け取ることは可能だった。

 買った帽子をアーシェルの頭に被せると、少女の表情が緩む。その様子を見ながら、ぼそっと呟いた。

「……旅するには、お金が必要よ。ここから首都までどれくらいのお金がかかると思っているのかしら」

 少女の動きが固まる。口を噤んでいる彼女が見上げてきた。言い返したいが、言い返せない様子だったが、結局反論できずに歩き出した。

 ふとしたときに、ドキッとするくらい凛々しい表情を見せるアーシェルだが、だいたいが年相応の仕草や表情をする少女だった。

 もう少し打ち解けてから首都へ連れて行くことを再度提案しようと思っていると、前から一人の少年が大きく手を振って寄ってくるのが見えた。キストンだ。

 レナリアたちがのんびり歩いている間に、こちらに来たのだろう。

「アーシェルさんにレナリア、村の中はだいたい見たの?」

「こんにちは、キストンさん。はい、だいたい見て回りました。お茶してから戻ろうというところです」

 アーシェルの発言に同意するように、レナリアは頷いた。日暮れまでに帰るとは伝えてある。お茶をしても間に合うはずだ。できるなら紅茶の産地であるこの村の喫茶店でお茶をしたい。

「それならいい店を知っているよ。店主が茶葉を栽培している店なんだ。きっと喜ぶはずだよ」

 キストンは指で進行方向をさしながら、歩き出した。アーシェルが小走りになって彼の横に追いつき、並んで歩いていく。

 キストンの表情が若干明るくなった気がした。レナリアが目覚めるまで、二人でどんな話をしていたかわからないが、優しく穏やかな性格の少女に対し、彼が好意を抱いてもおかしくなかった。

 後ろ姿をのんびりと眺めながら歩いていると、視線が道の脇にいる男女に向けられた。こちらを見ながら、耳打ちをしている。レナリアの緩んでいた気持ちが即座に引き締まった。警戒しながら、視線を追う。

 どこにでもいる若い男女だ。友人か、恋人か、それとも同僚か。そのような間柄に見えるが、まとう雰囲気は隙のないものだった。

 レナリアは歩調を早めて、二人に声がけする。

「二人とも、お茶はまた後日にして、茶葉だけ買って帰らない?」

 アーシェルが目をぱちくりしている。キストンに至っては眉をひそめていた。

「淹れ方によって、紅茶の味って変わるんだぞ。家で飲むのと、専門の人が淹れるのでは、まったく違うんだ」

「お茶しましょうって言ったのは、レナリアさんですよね? どうかされたんですか?」

 視線をちらりと背後に向ける。すでに男女の姿はいなくなっていた。ただの杞憂か。

 もしアーシェルを狙っている一味だとすれば、どこにいても襲ってくる可能性がある。汽車での出来事がいい例だ。

 それを危惧して早々にここから離れようと提案した。だが冷静になって考えれば、今キストンの家に戻る方が危険だった。

「……ごめん、なんでもない。キストンの言う通りね。お勧めの店、そのまま連れて行って」

「ああ、そうする。レナリア、体調でも悪いのか?」

「違うよ。お店が混んでいるのなら、次の機会でもいいかなと思っただけ」

 滑らかに嘘を言い切ると、キストンは納得したのか、それ以上追求してこなかった。

 帽子の下から銀髪が垣間見える、少女の後ろ姿を眺める。小さく、とても華奢だった。



 キストンが案内してくれた喫茶店では、彼が自信をもって言い切った通り、味に深みがあるとても飲みごたえのある紅茶を出してくれた。カップに口を近づけ、香りを感じた時点で、美味しいと思ったくらいである。

 セットで頼んだ茶菓子もその紅茶を消さぬよう、味が薄いクッキーだけだ。

 店内は落ち着いた雰囲気を出しており、行列ができるほどまでいかないが、ほぼ満席だった。

「中心部である教会から少し外れているから、思ったよりも人が流れてこないんだ」

「キストン、どうしてこんな店を知っているんだい?」

 彼は視線を窓に向けた。そこには風車と水車が両方見えた。喫茶店のすぐ傍には小さな川が流れている。

「ここの風車と水車の整備に、時々来ているからさ。特に水車。小さいけどよくできた水車なんだ」

 窓越しからではその出来はわからない。時間があれば帰りがけに見に行こう。

 先に視線を戻したアーシェルはキストンの顔をまじまじと見ていた。

「キストンさんは整備士でしたよね」

「見習いだよ。今は休暇もらって、里帰りしている。ぼちぼち馬車のチケットとって、師匠がいる首都に戻ろうと思っている」

「首都に……。そこまでどうやって行くのですか?」

 アーシェルの声音が若干下がった気がする。キストンは変わらず紅茶を口に付けていた。

「馬車を乗り継いで、途中から汽車かな。以前よりも汽車が伸びたおかげで、随分短縮されたけど、それでもまだ二週間はかかる。――あ、そうか。アーシェルさんは首都にいる知り合いに会いに行くんだっけ? その途中で誤って崖から落ちたんだよね?」

 こくりと頷く。彼にはあの汽車での一部始終は話さずに、概略だけ言ったようだ。

「よかったら首都まで……一緒に行く?」

 キストンが意を決して、聞いてくる。アーシェルは表情を和らげてから、首を横に振った。

「お気持ちだけ受け取っておきます。首都に行く前に回りたいところもあるので、キストンさんと一緒ですと、ご迷惑をかける恐れがありますから」

 丁寧な断り口調だが、視線を逸らさず、はっきり言い切っている。

 キストンは肩を落とし、小さく溜息を吐いていた。そしてちびちびと紅茶をすすり始めた。

 今の話から推測すると、首都に行くのはアーシェル一人だけでも思ったより安全だと思われる。

 少しでも治安が悪いと言ってくれれば、後で彼女を説き伏せやすかった。だが既に時遅し。

 余計なことを言った眼鏡の少年を、横目でじろっと睨みつけた。

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