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水環の査察官  作者: 桐谷瑞香
第二章 渦巻く宿命の輪
37/94

2‐10 囚われの魔女(2)

 夢を見た。

 雨に打たれている中、藍色の髪の少女が倒れている亜麻色の髪の少年に縋っている様子が、目を引く夢を――。

 泣いている少女は必死に少年を呼びかけるが、彼はびくとも動かなかった。おそらく心臓は止まっていると思われるが、彼女は声をかけるのをやめようとはしなかった。

 その少女がこちらに振り返ろうとした瞬間、ドアを叩く音によってアーシェルは現実の世界に戻ってきた。目を開くと、もう一度ノックされる音が部屋の中に響く。

 白いシーツが敷かれているベッドの上で体を持ちあげ、アーシェルは視線を下におろした。長い銀髪が脇に垂れ下がる。うっすらと青みがかかった白いワンピースを着ている自分を見て、自嘲気味な笑みを浮かべた。

「――アーシェル様、入りますよ」

 きつめの口調で女性が発すると、鍵を開けて中に入ってきた。高いヒールの靴をはいた深紅の髪の女性が、電気を付けて寄ってくる。白い壁の部屋の中では、女性の存在が一際目立っていた。

「充分お休みになられましたか?」

 アーシェルはふっと笑いながら、視線を右に向けた。

「とりあえず寝たわ。でも回復したとは言い難い。だってここにいると、息が詰まりそうなんだもの」

 視線の先には釘と板で頑丈に封鎖された窓の跡。あそこから外を見れば、さぞ素晴らしい景色が広まっているだろうに。

「それくらい我慢してください。水滴でさえ武器にもなり得る貴女様に外を見させてしまっては、我々としては都合が悪いのですよ」

 隠しもせず、本当のことを言う。余裕のある態度を見て、アーシェルは内心息を吐き出した。

 この女とは言い争っても勝てる気がしない。ならば勝てる部分は――。

「アーシェル様、副社長がお呼びです。着いてきてください」

「寝起きの人間に向かって言う台詞かしら。少しくらい身支度できる時間くらいほしいものね」

「そのままでも充分お美しいですから問題ありませんよ。さあ行きますよ」

 女性はアーシェルに向かって手を伸ばそうとしてきた。それを軽く手で叩く。女性は目をすっと細めた。

「自分で歩ける」

 きっぱり言い切ると、アーシェルはベッドの傍にあった靴をはいて立ち上がった。

 一刻も早く逃げるべきだが、この建物の構造がどうなっているかわからない今、迂闊に動けない。時がくるまでは従順なフリをして、相手側の言動に付き合うことも必要だろう。

 深紅の髪の女性――ベルーンはにやりと笑みを浮かべると、颯爽と翻して歩き出した。

「あまり私の手を煩わせないでくださいよ、魔法使い様」

 つくづく嫌な女だと思いながら、アーシェルは背筋を伸ばして彼女の後ろを歩いた。



 白を基調とした壁の廊下を黙々と歩いていく。花瓶でもないかと目を凝らしながら歩くが、花瓶どころか物すらなかった。アーシェルを警戒してのことか、それとも装飾に目を向ける暇すらなかったのか。後者であれば、この会社の余力の無さが垣間見た気がした。

「誰もいないのね」

「今は夜です。職員は帰宅しています。それにここは一般の職員は立ち入れない場所ですから、いるわけがありませんよ」

 ベルーンが丁寧に教えてくれる。彼女の言葉を聞き逃すまいと、頭の中で復唱した。

 廊下を真っ直ぐ進むと、一際大きな扉が目に入る。警備員らしき男が二人、扉を守るように左右に立っていた。扉の上には「社長室」と書かれている。

 ベルーンはその扉ではなく、右側の壁にある扉に目を向けた。扉の横にいる警備員に対して、声をかける。

「副社長はいますよね?」

「はい、お待ちかねですよ」

「わかった。ありがとう」

 軽やかに扉をノックすると、中からはっきりとした返事が聞こえた。ベルーンはアーシェルのことを軽く一瞥してから、扉を押して中に入った。

「よく連れてきたな、ベルーン」

 優しそうな男性の声が耳に入ってくる。ベルーンから少し遅れて奥に進むと、中にいた男性が視界に入った。少し黒みがかった灰色の髪で紫紺の瞳の青年、長方形のレンズの眼鏡をかけている。

 彼はアーシェルのことを見ると、ぱっと笑顔になった。場にそぐわない表情を見て、思わず後ずさりそうになる。

「君が今の魔法使い、アーシェル・タレスか! もっと幼い少女かと思っていたよ!」

「ロイスタンさん、彼女は十代半ばですが、既に色々な場を渡り歩いている子です。対等な大人の人間として接してあげてください」

「わかったよ、ベルーン」

 頭をかきながら笑う青年。これがあの会社の二番手の人間なのだろうか。

 唖然としていると、ロイスタンがすぐ傍まで近寄ってきた。視線をあげれば、すぐ目の前に凛々しい顔つきの青年がいた。

「初めまして、アーシェル・タレスさん」

 魔法使いではなく名前で呼ばれ、手を差し伸ばされる。思わず握り返しそうになったが、我にかえって引っ込めた。ロイスタンは笑顔を崩さず、屈んで見てくる。

「どうかしたのかな」

 手を伸ばしてくるのをかわすかのように、アーシェルは手を背中の後ろに回す。

 ロイスタンは右手を引っ込めると、肩をすくめた。

「どうやらまだ我々には心を許していないようだ。ベルーン、ちゃんと彼女の気持ちを考えて連れてきたんだろうね?」

「ええ。彼女が友達を助けるのと引き換えに、連れてきたまでです」

「友達?」

「あら、先ほど書類を提出させていただいたはずですが」

 ロイスタンは目を瞬かせてから、自分の机の前に戻る。小さな書類の山が積み重なっている脇で、茶封筒が置いてあった。その中身を取り出すと、彼はああっと声を漏らした。

「これだね。見るのを後回しにしていたよ。……へえ、護衛の男が一人と、同じくらいの年齢の少年が一人、そして水環省の少女か。可愛い子だね」

「可愛いかどうかはさておき、彼女は査察官ですし、魔術師の端くれです。接触を試みたいのなら、お気をつけください」

「わかった、忠告ありがとう」

 ロイスタンの口元がややつり上がる。それを見たアーシェルは得も言えない悪寒を感じ取った。自分が捕まるのは引き継がれた能力ゆえだ。レナリアは――ただ巻き込まれたにすぎない。

「あ、あの……!」

「なんだい、タレスさん」

 青年は書類を机の上に下ろすと、にこりと笑みを浮かべた。得体の知れない顔だが、それを気にしている暇はない。

「私を連れてきたのは、なぜですか!? こんなに素晴らしい会社が私を欲する理由がわかりません!」

 水を自由自在に操り、生み出すことができる魔法使い。既に水を大量に得て、利用している会社に対して、プラスになることなどあるだろうか。

「タレスさんが操れるのは、正確には液体だろう? 場合によっては血流を止めさせられると聞いた」

 アーシェルは何も答えずに黙り込む。盗賊に襲われたとき、自衛のために一度だけ実行したことはある。ただし精神的にも肉体的にもあまりにも反動が大きかったため、二度とやらないと決めていた。

 たしかに液体を操れるが、水だけのほうが体にかかる負荷は遥かに少ない。だから表向きでは水を操る者として名を通していた。

 ロイスタンがベルーンに目配せすると、彼女は軽く会釈をして、小部屋へと向かった。彼女の背中を見ていたアーシェルだったが、再び隣に来た青年を見て、びくりと肩を震わす。

「ソファーに座って、話でもしようか」

 そして彼に背中を押されながら、机を取り囲んだソファーの一角に座るよう促された。アーシェルが腰を付けると、ロイスタンは目の前に座り込んだ。

「さて、タレスさんを連れてきた理由だよね。至って簡単な答えだよ。君の力があればこの国を支配できると踏んだからだ」

「はい?」

 訳が分からない。どこが簡単な答えなのか。

 混乱している中、ベルーンが銀色のお盆を持って歩いてきた。食器がのっているのか、お盆と触れるとカチャカチャと耳障りな音がした。

「ロイスタン様、お水をお持ちしました」

「ありがとう。喉が渇いているようだから、彼女にも渡してあげてくれ」

「わかりました」

 お盆を机の上におろす。水差しとコップが三つのっていた。

 ますます意味がわからなかった。細心の注意を払ってベルーンがアーシェルのことを水から遠ざけていたのに、なぜこのタイミングで水を出してくるのだろうか。

 コップに並々と透明の液体が注がれる。アーシェルにとっては武器にもなり得る水が――。

 ここで二人を混沌させることができれば、脱出のきっかけに繋がるかもしれない。

 ごくりと唾を飲み込んで、アーシェルは目の前にあるコップに手をつけた。ベルーンはロイスタン用と自分用のコップにも水を注いだ。それに手をつけたのを見て、アーシェルは頭の中である言葉を思い浮かべた。それをしてから水を軽く飲む。

 ロイスタンとベルーンもコップに口を付ける。そしてコップを斜めにしようとしたところで、青年は動きを止めた。アーシェルがコップを下ろしていると、突然コップの水を浴びせられた。

「きゃっ……!」

 驚きのあまりコップを落として、目を瞑る。次の瞬間、顔に影がかかったかと思うと、右肩を握られ、ソファーの上に体を押し付けられた。目を開ければ、男が馬乗りになっている。その者がアーシェルの首に右手を添えていた。それに力が加えられる。呼吸がうまくできない。

「まさか本当に眠り薬を入れ込んでくるとは……。魔法使いって底が見えないね」

 けたけたと笑いながら青年はアーシェルのことを見下ろす。眼鏡の先にある目は据わっていた。首にかかる力がさらに強くなる。

「大人しく聞いてくれていれば、こんなことされることはなかったのに。辛い? 苦しい? 怖い?」

 笑顔で問いかけられるが、首を絞められた状態のアーシェルに答えられるはずがなかった。

 苦しい。脳内に空気が回らなくなってくる。意識が遠のきそうになる中、手を叩く音が二、三回響いた。

「お遊びが良すぎますよ、ロイスタン様。遊ぶのもいいですが、その状態が続けば死んでしまいます」

「ああ、そうだったね。悪かった」

 ロイスタンが手を離すと、圧迫感がなくなった。アーシェルは首に手を触れながら、必死に空気を求める。息も絶え絶えになりながらも吸い込んだ。

「魔法使いでも所詮は力のない女か」

「そうですね。アーシェル様はさらに言えばお優しい方。とても扱いやすい人ですよ」

 腕を組んだベルーンが笑みを浮かべる。彼女の笑みに裏があるのは知っているが、ロイスタンの笑顔よりもまだよかった。

 下半身にかけられている重圧の持ち主を見据える。

「苦しいようだね。変なことをした罰だよ。ああ、もし私のことを殺そうとしたら、すぐに首を絞めて殺すからね。そしてタレスさんのお友達三人の死体も並べて埋葬してあげる」

「さっ三人は、関係、ない!」

 必死に言葉を絞り出す。ロイスタンはアーシェルに手を伸ばした。肩を震わせると、彼は頭をそっと撫でて、顔を近くまで寄せてきた。

「関係あるかないかは、君が決めることではない。こちらが判断することだ。彼女らに心を許した時点で諦めることだな」

 ロイスタンは手を離し、アーシェルから体をどけた。負荷がなくなったのを確認すると、アーシェルはおそるおそる体を持ち上げて、ソファーに座り直す。そして両手で体を包み込むようにして、ぎゅっと抱きしめた。

 この人には――何も逆らえない。

「では話を最初に戻そうか、タレスさん」

 すぐ横にいる青年は笑みを浮かべた。

「君の力を使って、我々が作り出している水に手を加えてもらう。ベルーンに話を聞いていると、少し難しいみたいだから、多少実験することになるだろうが」

「な、何をするの?」

「やっと前向きになってくれたようだね。やってもらうのはさっき君がしようとしていたことの応用。首都から不要な人間を追い出すんだよ」

 そしてロイスタンは詳細を話し始めた。話を聞くうちに、アーシェルの顔は強ばり、青くなっていった。これならばまだ戦場に送り出された方が精神的に楽である。相手が明確に見えるし、相手も命をかけて来ているからだ。しかしこの手法を使われた相手は何もできない。

 いったい何人に手をかけることになるのだろうか。それをしないためにも、何とかしてこの場から逃げ出したかった。だがレナリアたちの命まで握っている彼に、逆らう術が思いつかなかった。

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