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水環の査察官  作者: 桐谷瑞香
第二章 渦巻く宿命の輪
36/94

2‐9 査察官の想いと覚悟(4)

「アーシェルに会わないと……」

 ルベグランの手紙を読んで、まず思ったのがその考えだった。

 あの時の真実を知るためには、ファーラデと同じ環境下に身を置くのが一番だと思った。だから必死に勉強をし、体を鍛え、人々の生活をよりよくしたいという理想を掲げて、水環の査察官になった。

 今も査察官であり続けている理由は、自分の正義心と周囲の人に迷惑をかけられないという想いが含まれている。理想など、ルベグランが死んだときに消え去った。

 手紙をウェストポーチに入れて、本を元の位置に戻し、地上に戻る。そして鍵をかけてもらったのを見届けると、レナリアは書庫を出て歩き始めた。担当の部屋には向かわず、上り階段を見つけると、そこに足を踏み入れて屋上に出た。

 工場側ではなく敷地外の方面を眺める。空がうっすらと茜色に染められていた。珍しく晴天だったようだ。ここに来るまで歩いていた時は、空が建物によって狭まっていたため気づかなかった。

 視線を背の高い建物がいくつも並んでいる地域に向けた。おそらくアーシェルはあのどこかにいる。不思議と確信していた。

 彼女に会いに行こう――。

 だがその前にやらなければならないことがあった。



 屋上から降り、二階にある部長の部屋のドアをノックした。少し遅れて中から返事がある。それを聞いてから、レナリアはドアを開いた。

「レナリアか。そろそろ家に戻るか? それなら――」

「部長、お話があります」

 ドアをしっかり締めて、机の前にいる彼に向かって歩み寄る。ウィリーは机の上を簡単に綺麗にして、立ち上がった。

「どうしたんだい?」

 レナリアは唇を噛みながらも、査察官の証であるペンダントを首からとり、手のひらに乗せて差し出した。

 ウィリーの目が軽く見開く。

「……これをお返しします」

「レナリア!?」

 慌てて当然である。これは査察官という証を示すもの。すなわちこれを返すということは、辞めると言うことだ。

「何を考えているんだ。せっかく戻ってきたのに!」

「……助けたい人がいるんです。それにはこの身分を持っていては邪魔なのです」

 テウスは共に行動するなら、水環省の立場は捨てろと言っていた。おそらく水環省とも懇意にしている会社にでも乗り込むのだろう。もしそこで捕まれば、省に多大なる迷惑がかかってしまう。だから職を辞したいのだ。

「助けたい人物はアーシェルという少女かい?」

 答えずに代わりにペンダントを突きだす。だがウィリーは自分の手で、レナリアの手を引っ込めさせた。

「部長……! 行かせてください!」

「――いいよ、行ってもいい。でもその身分を捨てては駄目だ」

「どういう意味ですか。私はきっと部長たちに迷惑をかけることをします。一般人なら適当に流されることでも、査察官という国の職についている者とわかれば、きっと怒りの矛先はこちらに向かれます!」

 左手で机を激しく突いた。机に積んであった紙が一枚飛落ちる。

「そんなことになれば信用問題になりますよ!? ただでさえ水環省は敵が多いというのに……!」

「それでも君を守るため、そして今こそ水環省と魔法使いが手を組むためにも、その身分を持っているべきなんだよ」

 ウィリーは移動し、レナリアの横まで来る。そして軽く肩を叩いた。

「その身分があれば、どこかのお偉いさんが相手であっても、レナリアを無碍に扱うことはできない。反乱を企てた分子という触れ込みでも出たら、こっちはこう言い返すよ。『水環省は魔法使いを支えるためにできた組織。その人物が危険な目に遭っているのに、見て見ぬふりはできない』って」

 一息ついて、ウィリーは微笑んだ。

「魔法使いの存在を教えられた人たちのほとんどが、その人に戻ってきてほしいと思っている。だから事を起こしても大丈夫だ」

「でもその言い方ですと、戻ってくるのに反対している人はいるんですよね? その人が黙っていないのでは……」

「有名貴族の一人がそれでね、少し手こずるとは思うけど、説き伏せてみせる。だからレナリアは彼女を迎えに行ってくれ。一人の友として、そして一人の水環省の人間として」

 ウィリーの手が肩から離れる。そして彼はレナリアの背に手を回して、そっと抱きしめてくれた。

「すまんね、再び査察官として働き出した君にこんなことを押しつけてしまって。本当は私たちも動きたいが、上に事情を話すのに時間がかかってしまうから。――一緒に助けに行く友人はいるんだろう?」

「……はい。彼女を密かに守っている人たちと合流します」

青輪あおりん会の人かな。会長とはルベグランが顔を合わしたことがあるらしいから、よろしく言っておいてくれ」

 そしてウィリーは体を離して、両手を肩に乗せてきた。

「いつでも帰っておいで。レナリアの席は空けておくから」

「……ありがとうございます、部長」

 居場所を提供してくれることが、何よりも嬉しい。それは何があっても帰ってくるぞ、という気持ちになれた。



 レナリアが部屋から出た後、一人の女性を呼び出した。眼鏡をかけた女性は、口元に笑みを浮かべながら近づいてくる。

「背中を押しちゃったんですか、部長。危険な場所に若手を突き出すなんて、酷い話です」

「あの子はルベグランが才能を見出し、引っ張り上げた子だ。やや感情的なところはあるが、一人ではないから大丈夫だろう。そうは思わないか、ミレンガ」

 ミレンガは口元に指をそっとあてた。

「そうですね、実力は認めますよ。ケリィ村での緊急査察も一人で実行したくらいですから。資料に目を通しましたけど、よくあそこまで情報を引き出したものです」

「ケリィ村の査察? 本当か? 休職していたのにか?」

 椅子に腰をかけていたウィリーの目が大きくなる。ミレンガは茶封筒に入った資料を一式机の上に置いた。

「休職でも身分剥奪ではないですから、査察はできますよ。詳しく言っていませんでしたけど、何か村の厄介ごとに巻き込まれたんじゃないんですかね。見るなら見てください。管轄の関係で、あとで隣の担当に渡す資料なのでお早めに」

 資料を封筒から取り出し、ウィリーは息を吐き出した。ぱっと見ただけでもわかるほど、しっかり書かれている。

 ミレンガは軽く髪を耳にかけた。

「あとタム君やルーベック町の所長から、あの町での事の顛末は手紙で知りましたよね。他に二人いて、間接的に援護はしていたみたいですけど、合成獣キメラとの対峙はほぼあの子一人で立ち向かったようですよ。度胸があるのか馬鹿なのかわかりませんが、ルベグラン並の心臓は持っているのは間違いないですね。それでも――今回の件は私としては背中を押したくありませんでした」

「相手が相手か」

 背もたれに背中をゆっくりつける。視線を背後に向ければ、夜にも関わらず明るい地帯があった。そこにおそらく魔法使いはいる。

「あそこ、結構な傭兵を雇っているみたいですね。その中に魔術師もいるようですし。――会社の運営内容からして、査察できない相手ではありません。加勢という意味合いも含めて、査察を行うのも有りだと思いますが」

「できるものならしたいよ。あの貴族議員を説得できればね」

「色仕掛けでも落とせなかった相手に、そう簡単にできませんよ……」

 ミレンガは近くにあったソファーの背もたれに寄りかかり、足と腕を組んだ。

「レナリアが気を回して、侵入した際に会社の不正証拠でも取ってこれれば、議員さんを説得できそうですけどね。まあその前に新聞社に突き出しますけど」

「……説得というよりも脅迫だな。怖いな、まったく」

「いつもにこにこして、腹の底では何を考えているかわからない部長に言われたくありませんよ」

 ミレンガはにこりと笑った。それを苦笑して返す。

「告発できたら、国の管理下におきませんか、あの会社」

「ああ、そうするのが一番いい。なにせ首都全体の水を取り扱う場所だ。公共性を考えればこちらが管理するのが絶対だろう」

 ウィリーは立ち上がり、一冊の冊子をミレンガに手渡した。彼女はその冊子を見て、口をとがらす。

「私に侵入しろって言うんですか?」

「いや違うよ。レナリアたちが失敗したときにうまくフォローできるよう、考えておいてくれ」

「その程度なら引き受けますよ」

 ミレンガは大きく伸びをしてから立ち上がった。そしてひらひらと手を振りながら、出入り口に向かって歩いていく。

「じゃあ部長、あまり無茶しないでくださいよ。最近寝ていないでしょう。目の下の隈、夜になると酷いですよ」

「気づかれたか。今日は帰って寝るとするよ」

 そう会話をかわすと、ミレンガはカバンの中に冊子をいれて、部屋から出ていった。夕飯時にも関わらず廊下では人がちらほらと歩いている。明日以降、慌ただしい日が始まるかもしれない。



 * * *



 ウィリーに別れを告げた後、レナリアは寮に戻らず、ガリオットの工房へ向かった。夜も更けていたが、彼の工房は家と併設しているため、手土産を渡せば嫌な顔はしないだろう。彼が好きな甘いお菓子を持って、工房に顔を出した。

「こんばんは、お久しぶりです、レナリアです」

 ドアを押し引きするとベルが揺れ、その音を聞いた作業服を着た男が受付に現れた。焦げ茶色の癖毛の髪の少年、眼鏡をかけた顔には煤が付いていた。

「レナリア!?」

「こんばんは、キストン。夜遅くにごめんね」

「いや、日付変わっていないから、全然遅くないけど……」

「ガリオットさんは?」

「奥で作業している」

「案内してくれる?」

 キストンは躊躇いながらも頷いた。

 入り口は比較的綺麗だったが、奥に行くにつれて通路に物が散乱していた。物陰には鼠の姿さえ見える。

「あとで掃除しておくよ。僕がいなくなると、すぐにこうなるから」

「他のお弟子さんにやってもらえばいいじゃない」

「他の人も師匠と似たような性格だから、それは厳しいかな。――ここだよ」

 ドアを押して中に通される。連れてこられたのは作業場でも最も頑丈な作りの部屋だ。固い壁で囲まれている。

 ガリオットは黒色の銃を奥に向けて構えていた。その先には木で作られた的がある。彼は目を細めて、引き金をひいた。小気味のいい音と共に、中心から逸れたが的に当たった。

「まあまあか……。……で、何をじろじろと見ているんだ?」

 ガリオットがぎろりと眼をつけて振り返ってくる。手には銃を握ったままだ。キストンは両手をあげた。

「すみません、レナリアが来たので連れてきました」

「こんな時間に来たってことは、職場に顔を出してきたんだな?」

「はい。上司からいろいろと話を聞きました。その上でその銃を受け取りにきました」

 机の上にある箱の中には、うっすらと青みを帯びた銃が入っている。そこに歩み寄ろうとすると、ガリオットは自分が握っていた銃を突きだした。

「これであの的にあてろ。感覚が鈍っているようなら、渡すわけにはいかねぇ」

「いつものことながら厳しいですね」

 右手で銃を受け取り、的に向かって突きだした。大きさとしてはレナリアが持っているものと変わらない。少しだけ重いだけだ。

 目を細めて的を見据える。そしてストッパーを外し、引き金をひいた。

 音と共に、銃弾が的に直撃する。ほぼど真ん中だった。

 ストッパーをして銃を返すと、ガリオットの口元に笑みが浮かんでいた。

「かわいくねぇ女だな。撃つ訓練なんて、ほとんどしていないんだろう?」

「銃なんて撃てる場所、限られているじゃないですか。弓なら村にいた頃から多少していましたから、その影響ですかね?」

「弓と銃じゃ全然違ぇよ。潜在的なものだろうな……羨ましいぜ」

 ガリオットはレナリアの銃が入った箱を持ってきた。磨かれたのか、いつも以上に光沢が放たれている。

「水を被っていたから、分解して拭いて元に戻しておいた。銃弾は五回分入ってある。それと予備だ」

 黒色の箱の中には、青みがかった親指ほどの大きさの弾が五個入っている。

「十回分だ。大盤振る舞いだろう」

「いいんですか、こんなに! 他の魔術師の物を流していますよね?」

「たいそうなことをするみたいだからな。金は後払いで構わねぇ」

 ガリオットは椅子に腰掛け、煙草を取り出し、火を付けて吸った。そして口から煙を吐き出す。

「顔を見ていれば、覚悟は決まったっていうのはわかる。これからキストンと一緒に行くんだな」

 レナリアはキストンと顔を見合わす。そして固い表情で頷きあった。

「はい。私は――友達を助けにいきます」

「友達か……。ルベグランは命を懸けてお前を守った。そんなお前が危険な地に行くのを、あいつは許すと思うか?」

 横目で睨みつけられる。レナリアは負けずに視線を突きつけた。

「師匠なら、むしろ助けに行けと言うと思います!」

「……まあそうだろうな。あいつもかなりの馬鹿だったからな」

 灰皿に吸い殻を軽く落とす。そしてふっと笑った。

「まあ死んだらこっちとしても目覚めが悪いから、せいぜい生きて戻ってこいよ。銃が破壊されても元さえあれば、作り直してやるから」

「ありがとうございます。絶対に生きて戻ってきます。……ね、キストン」

「ああ、もちろんだ。師匠、またしばらく店を空けることになりますが、よろしくお願いします」

 キストンは頭をしっかり下げる。煙草を灰皿にすりつぶしたガリオットは、彼の側に行くと頭をがしっと掴んだ。

「早く戻ってこいよ。店がゴミの山になるからな!」

「それは……師匠がきちんと整理していればいい話で……」

「何だと!?」

 さらにきつく力を入れたのか、キストンは顔をひきつらせた。

「痛いです、師匠!」

「これくらいで痛がるな! 本当になよっちいよな、お前。レナリアの方が数十倍強い!」

「それは否定しませんけど……痛いって!」

 必死に抵抗するキストン。それにも構わず、力を入れるガリオット。

 彼らの様子を見て、レナリアは思わず手を口元に当てて笑った。

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