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水環の査察官  作者: 桐谷瑞香
幕間一 過去の涙と少女の決意
27/94

幕間1‐3 過去の涙と少女の決意(3)

 ファーラデ・チャロフの死の原因は、足を滑らしたことによる事故と結論づけられた。

 事故でないと言いたかったが、それを覆すだけの証拠がなかった。

 享年十八歳。首都での学校でも成績優秀だった彼の早すぎる死は、多くの人を悲しみの縁に浸した。

 葬式での人の多さから、彼の交友関係の広さが伺えた。レナリアが顔を見たことがない人間も多くいた。その中には首都から来た人もいたのではないかと思われる。

 棺に入った彼が埋められたのを見届けると、レナリアは誰にも言わずに墓地から去った。

 涙はとうの昔に枯れ果てたと思ったが、今でもあのときの彼の顔を思い出すと、止めどない想いが溢れてくる。

 腕で顔を拭いながら、レナリアはぼんやりと川沿いを歩き、ファーラデの遺体の発見場所からさらに上を向かった。辿っていくと小さな洞窟の入り口に着いた。そこから水は流れ出ている。中はどうなっているのだろうかと思い、何気なく洞窟の中に踏み入れた。

 最初に思い浮かんだのは、寒いという言葉だった。温かな光が洞窟の外では燦々と射していたが、ここでは嘘のように寒く、光は射し込んでこなかった。

 腕をさすりながら、入り口で横になっていたランタンに火を灯し、それを手にしてレナリアは進んだ。

 ほどなくして行き止まりにぶつかった。他に道はないかと思い、光をぐるりと移動させると、地面に置かれている赤い石が目に止まった。レナリアの両腕を伸ばしたくらいの直径の球体だ。

 見るものを惹きつける、美しい薄青い色の石――。それを見ていると酷く心がかき乱された。

 レナリアはランタンを地面に置き、石に近づいていく。近づくにつれ、光の反射の具合か輝いているようにも見えた。

 すぐ傍にまで寄ると、惹かれるがままに右手を伸ばした。あと少しで触れるという瞬間、男の声が耳に入ってきた。

「それに触れるな!」

「え?」

 驚きのあまり手は寸前で止まる。しかし突如として地面が揺れた。

 体勢を崩したレナリアは、重心が前に移動し、つい手が石に触れてしまった。触れるなりレナリアの全身に激しい電撃が走った。

 あまりの激痛に叫び声をあげる。手を石から離そうと試みたが、意志に反して体は石から離れなかった。

 さらなる電撃とともに、脳内に様々な映像が入り込んでくる。湖、川、海などの景色、水を飲んだり、生活で利用している光景、そして水を巡って争う人間たちの様子など、水に関するあらゆることが流れ込んできた。

「何なの……!?」

 男がすぐ傍にまで寄って何か言っているが、レナリア自身の悲鳴にかき消されていた。

 映像がすごい勢いで入り込んでくる。永遠に続くのではないかと思ったが、唐突に入り込んでくる映像が止まった。

 場面が反転し、海を背景にしてフードを被った誰かが背を向けて立っていた。空の色は不自然なくらい青い。

 気が付けば、レナリアの全身に走っていた電撃はなくなっていた。さらによく見れば、自分自身もその海がある地に踏み入れていた。地上にあった意識が飛んで、夢か死語かわからない世界にきたのだろうか。

「あの、ここはどこですか?」

 人と思われるものに対して問いかける。返事をしないかと思ったが、それは口を開いてくれた。

「汝、我らの手となり足となり、この国を救うことを誓うか」

 中性的な声だった。男ともとれるし、女ともとれる。

「あなたは誰?」

「誓うのかと聞いている」

 その人が力強い言葉で聞いてくる。

 しかしレナリアには意味が分からなかった。何に対して、そして誰に対して誓えばいいのか。

 これだけの情報では、さすがに答えられなかった。

 しばしその場で立ちすくんでいると、視界に亜麻色の髪の少年が目に入った。彼を見てレナリアは思わず声をあげる。

「ファーラデ!」

 彼はレナリアを見ると、何も言わずに表情を緩めた。優しく包み込むような、一方で儚げとも見える笑み。そんな表情の彼の全身は、レナリアが見ている前で光の雫となり、やがて消えてしまった。後に残ったのは、光の残滓のみ。

 この地は彼の死と何か関係があるかもしれない。

 そして誓いの先に、彼の死の真相が知れるかもしれない――。

 一瞬の出来事だったが、レナリアに決断させるには充分だった。

 言葉を発した相手に視線を戻す。

「この国を救うと誓います」

 声を高らかにして宣言する。その人は軽く振り返り、白い歯を見せた。


「その誓い、忘れるなよ。血を分けた、我らの未来の――使い」


 聞き終えると視界は暗転した。そして目を開けると、レナリアの体は冷たい地面の上に横たわっていた。全身が酷く痛い。痺れが残っている。

「生き抜いたぞ、この女……!」

 すぐ傍で聞こえたのは、ファーラデの遺体を見つけたときに手を差し出してくれた男――彼と首都から来た人間だった。うっすらと開けた目を彼に向ける。

「意識はあるのか?」

「ここは……さっきの洞窟?」

「意識はあるようだな。よかった、愛弟子の女をみすみす殺されるようなことがなくて」

 大きな男の手がぎこちなく頭を撫でてくる。

「ここは村の外れにある、川の源流地点だ。そこでお前はその石に触れて、意識が飛んでいた」

「電撃が走るなんて、知らなかった……」

「まさか触れ続けられるなんて思わなかったが」

 男はレナリアを支えながら、起き上がらす。微かに煙草の臭いがした。

 上半身を壁に付けて、レナリアは無精ひげを生やした男を見据える。

「愛弟子って言っていたけど、どういう意味?」

「ああ、自己紹介がまだだったな。俺はルベグラン。首都でファーラデの上に付いていた男だ。お前はファーラデの女と聞いたが……」

「あたしはレナリア・ヴァッサー。彼の隣の家に住んでいて、ファーラデには昔から世話になっていて色々と教えてもらったの……」

 彼のことを思い出すと途端に涙腺が緩んでくる。ぽろぽろと涙がこぼれると、ルベグランは困った顔をしながらタオルを差し出してくれた。それに顔を埋める。

「奴のことは本当に残念だったと思っている。運が悪かったんだろう……」

「運……」

 彼と別れる直前、運を話題に出たことを思い出す。

 まるで彼はあの言葉を発したとき、自分の運命がわかっているような発言だった。

「この石に長時間触れても生きていたってことは、レナリアは素質があるのかもな」

「何の?」

「水を守り抜く素質だ」

 ルベグランはちらりと石に視線を向ける。

「まあこれは訳ありの石だ。二度と触れるんじゃねぇぞ。――さっき何を見たか知らないが、すべて忘れろ。そうすれば何事もなく穏やかに生活できる」

「……それはできない」

 男が目を見張って、こっちを見てくる。レナリアの手は自然と首から下げている、ファーラデからもらったペンダントを握りしめていた。

「あそこで誓ったことが、きっとファーラデの死の真相に近づけるから」

「おい、あいつは事故で――」

「ルベグランはファーラデを見ただけで死んでいると判断した、それはどうして? しかもあの時、その死を予測しているかのような態度だった。普通愛弟子が死んだら、取り乱すもんでしょ?」

 男は目を大きく見開いた。レナリアは迷いなく彼を見返した。男の瞳が揺らいでいる。虚をつかれた表情をしていた。

 少ししてルベグランは前髪をかきあげて、ため息を吐いた。

「ファーラデ、厄介な女を育てたな……。本当に十二歳の洞察力かよ」

「何か?」

「わかったわかった」

 お手上げと言わんばかりに、両手をあげた。

「レナリア、真実を知りたいのか?」

 躊躇いなく頷いた。ファーラデは深く頷き返した。

「なら、十五歳になったら水環すいかん省にいけるくらいの学力をこれからつけろ」

「学力?」

「ああ。それが真実を知るうえでの最低条件だ。ファーラデと同じ視点で世界を見たいのなら、あいつ並に知識を蓄えなければならないと思え」

 ある意味では道理に倣った条件だった。彼と同じ考えを持つような段階にならなければ、真実を知ったとしても、深いところまでわからずに終わってしまうからだ。

「わかった。全力で頑張る。絶対にファーラデに追いつくんだから! ちなみになぜ水環省?」

 水環省は首都にある国の省庁の一つ。十五歳から試験は受けられるが、合格点も倍率も高いため、何年も受験する人が多く、結果として合格者の平均年齢は二十歳だった。レナリアの年齢を考えれば、一発で合格するには今から四六時中勉強しなければならない。

「俺が水環省の一人だからだ。そこに入れたら俺が直々にお前のことを鍛えて、真実を見極めるくらいの実力をつけさせてやる」

 ルベグランは立ち上がると、レナリアの手を引いて立ち上がらせてくれた。飄々とした顔をしていたが、今は真顔だった。

「ねえ、ずっと思っていたけどルベグランは何者なの? ただの講師じゃないでしょ?」

 ぬかりない筋肉のつき方や隙のない佇まいからして、学校で生徒たちに教えている講師や、研究者に見えなかった。

 ルベグランは己の胸に軽く右手を添えた。


「俺は――水の循環を守る、水環の査察官だ」


 そして胸元から査察官の証明書でもある、刻印がされたペンダントを取り出した。それは紛れもない査察官の証。それをじっくり目に焼き付けた。

「ファーラデは査察官になっていたの?」

「いや、なろうとはしていたが、なっていない。あいつは体力が追いつかなかったから、水環省の職員の試験を合格しただけだった」

「そんな話知らなかった……」

 彼の考えだけでなく、立場すら知らなかった。それがとても寂しく思えた。

 ファーラデのことを思い出しても、もう涙は流れなかった。顔を思い浮かべても二度と帰ってこない。ならばせめて彼が何を見て、何を知っていたのか、自分も知りたかった。

 大好きなあの人の死の意味を明らかにするためなら、血反吐さえも吐く覚悟はある。

 決意を胸に秘めて、レナリアはその道を歩き出した。

 



次話から二章開始です。

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