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水環の査察官  作者: 桐谷瑞香
第一章 流れゆく首都への旅
21/94

1‐19 繋がる雨の日の記憶(4)

 テウスと並んで走りながら、最低限必要な情報として、現状だけを伝えた。協力者やムッタという言葉を出しても、彼はすんなり受け入れている。

「俺はムッタとは他の町で一度だけ会ったことがある。しっかりした女性だった。協力者の中でもかなり動ける人だ」

「動ける人?」

 それは情報を入手することに関してだろうか。レナリアが抱いたムッタの印象は、人の良さそうなおばさんだ。静と動であれば、静の人だと思われる。

「そんなムッタがいたにも関わらず、あの方の身に何かあったとしたら、相当厄介だ」

「そうね。誤報であれば嬉しいけど、彼に限ってそういうことはないと思う……」

 最悪のことを想像しながら走っていると、青色の狼煙が徐々に大きくなっていた。やがて狼煙を上げている光景が目に入った。その傍で地面に倒れ伏している、焦げ茶色の癖毛の少年がいる。

「キストン!」

 レナリアが呼びかけると、彼は右腕を押さえながら起きあがった。腕を切られたらしく、抑えている左手からは血が流れ出ていた。レナリアは鞄からハンカチを取り出し、すぐさま彼の腕に結びつけた。しかし一瞬のうちにハンカチは赤く染め上げられていく。

「レナリア、その程度じゃ応急処置にもならないぞ」

「わかっている!」

 キストンの左腕をレナリアの肩に回して、ムッタの家に向かって歩き出す。家の前ではムッタが震え上がっていた。

「何か止血できるものを持ってきてください!」

「は、はい!」

 ムッタはおぼろげな手つきでドアを開けて中に入った。

 キストンを壁に寄りかからせて、レナリアは彼の顔に顔を近づける。

「苦しい?」

「大丈夫だ。痛いけど、命には別状ないと思う……」

「何があったか教えてくれる?」

 キストンはレナリアの目を見て頷いた。

「レナリアが出かけてしばらくして、四人組の男が来たんだ。僕たち二階にいたんだけど、下にいたムッタさんの悲鳴が聞こえたから、慌てて降りたんだ。そしたら彼女を人質にして、アーシェルさんを出せって言って……」

「あの子はそれに従ったのね」

 他人思いの優しい少女なら、迷わずする行為だろう。

「おい、お前、アーシェル様が連れ去られた方向はどこだ?」

 テウスがぶっきらぼうな口調で聞いてくる。キストンが彼を示しながら、レナリアに小さな声で聞いてきた。

「誰?」

「アーシェルの護衛。汽車からの落下の時はぐれた人よ」

「へえ、本当に生きていたんだ。どうやって生き延びたんだろう」

「そこの話はあとで聞こう。今はアーシェルを助ける方が先よ」

 キストンは頷いてから、左手で森の方を示した。

「あっちに逃げていった。ここから森を抜けるのは一苦労だけど、不可能ではないと思う」

「そうか。たしかあの方向には川はなかったな。どうやら多少は事情を知っている、切れ者がいるみたいだ」

 テウスは歯をぎりっと噛みしめる。その方向に歩きだそうと一歩踏み出したが、何かを思い出したかのように振り返ってきた。

「レナリア、ムッタはどこにいる?」

「え? さっきの方がムッタさんよ」

「嘘を言うな。あんな婆さん、ムッタじゃない」

 テウスの言葉により、すべての謎が一つにまとまった。

 なぜレナリアがいないときに、男たちが攻めてきたのか。

 なぜムッタはアーシェルを護る立場でありながら、己の身を犠牲にせず、彼女を外に出すよう、叫んだのか。

 そしてなぜ未だに外に出てこないのか。

 テウスが舌打ちをして、結論を言ってくれた。

「……入れ替わっていたか。アーシェル様はムッタとは面識がない。いくつか必要な単語を本物から聞き出していれば、それらしく振る舞えるだろう」

「ごめん……私が不甲斐ないばかりに」

「謝るくらいなら動け。あの女にアジトを吐かせるぞ、来い」

 レナリアは護身用のナイフを右手で持って、立ち上がった。テウスは腰にある剣に触れながら、玄関に続く階段を上っていく。彼の後ろにレナリアは続いた。

 テウスがドアに手を触れると、一気に開け放った。中から短剣を持った白髪の女性が飛び出てくる。テウスは彼女の腹に容赦なくつま先を入れ込む。短剣がこぼれ落ちたのを見計らって、階段の上段で押さえ込んだ。

「こ、この……!」

「お前は誰だ。ムッタはどこにいる?」

「そんなこと言うわけ――」

 何かが小気味よく折れる音がした。レナリアは顔を強張らせながら向けると、テウスが女性の左手の指の一つを折っていたのだ。女性は呻き声を漏らしている。

「言わないと手から足まで、すべての骨を折る。死よりもきつい拷問を味あわせてやる。金と精神的苦痛からの解放、どちらを選ぶ?」

 端々から殺気を感じるほどの言葉を発された。女性は涙目になりながら、たどたどしく言う。

「う、裏にある物置小屋にいる……。殺していないわ、本当よ!」

「本当かどうかは見て確かめる。おい、アーシェル様はどこに行った?」

「森の中にある小屋よ。後ろに大木があるから、すぐにわかるはず。しばらくそこいるわよ。私たちはただの請負人、捕まえた以上のことはしない」

「つまり移動は他の奴がするんだな」

「そうよ。私たちを雇った連中が来るわ」

「なるほどな」

 テウスが軽く顔を上げる。そしてレナリアを見て、家の方を顎で示した。彼に応えるように頷き返し、すぐさま裏に回った。

 物置小屋は家から少し離れたところにあり、立て付けの棒で引き戸が開かないようになっていた。それを外して、一気に開く。中では女性がぐったりとした状態で横になっていた。背中に回された両手は拘束され、両足もぴったりと結ばれている。

 気を失っていた女性は、開かれたドアから射し込む光によって起こされ、うっすらと目を開けた。

「ムッタさんですか!?」

 猿ぐつわを噛まされた四十歳くらいの女性は、軽く頷いた。急いで猿ぐつわを外すと、彼女は空気を求めるかのように大きく息を吸い始めた。

「あ、ありがとう……」

「偽物に捕まえられたんですね。お怪我は?」

「怪我はない。薬で眠らされて、拘束されただけだから。貴女は?」

「アーシェルの旅路に同行している者です」

 本物のムッタの目が大きく開いた。

 彼女を拘束している縄をナイフで切っていき、手足を解放させる。そして彼女を支えながら、テウスとキストンのもとに戻った。

 偽物のムッタを拘束し終え、キストンの止血を始めたテウスは、ムッタの顔を見て表情をやや緩めた。

「あら、テウス君じゃない。お久しぶり。貴方に助けられたのね……」

「お久しぶりです、ムッタ。調子はどうですか?」

「ゆっくり休めば元に戻るわ。油断した私が悪かった」

 彼女はぐるりと見渡して、眉をひそめた。偽物が拘束されているよりも、キストンが傷を負っている方に目がいっている。

「アーシェル様は一緒じゃないの?」

「この女たちにしてやられました。今から助けに行きます」

 テウスは腰にある剣を目で確かめ、キストンの肩に軽く触れてから歩き出す。

 レナリアはムッタをキストンの傍に腰をおろさせて、揺れる黒髪の青年に向かって声を発した。

「私も行く」

 うろんげな目で振り返られる。

「お前が?」

「私は水環の査察官。そこら辺の女と一緒にしないで!」

 踵を返して階段を駆け上り、部屋の中に置いてきたブロードソードを手に付けた。そして階段を飛んで降りる。

 剣を手にした少女を見て、テウスの表情がさらに険しくなった。

「その格好で動く気か?」

「大きな立ち回りはできないかもしれないけど、いなすくらいはできる。潜入調査でこのような服を着て、動いている」

 ロングスカートをはいているのを見て、言ったのだろう。スカートであるが、大股で歩く分には問題はない。

 テウスは上から下までじろじろと見た。レナリアは姿勢を正して、テウスを真正面から見つめ返す。

 やがて青年は息を吐き出した。

「わかった。来るなら来い。足手まといにはなるなよ」

「ええ、貴女の援護以上のことはしてあげる」

 口元ににやりと笑みを浮かべると、テウスはむっとした表情になった。彼はその表情のまま、視線を森の方角に向けて、大樹の位置を確認する。

「あっちだ行くぞ」

「ええ。――キストン、こっちのことは、あとは頼んだ。アーシェルのことを助けに行ってくる」

 止血された右腕を軽くさすっている眼鏡の少年は、力強く頷き返した。

「わかった。くれぐれも気を付けてくれ。奴らは全員長短問わず剣を持っているから」

 レナリアとテウスの眉が僅かに動いた。キストンの助言を有り難く受け取ってから、芝生の上を走り出した。



 アーシェルは肩をすくめながら、乱雑に散らばっている机の上で食事をしている男たちを、下から眺めていた。

 ムッタの家から連れ去られた後に着いたのは古い小屋、強風でもくれば飛んでいきそうなぼろさだった。そこにあった丸机を囲むようにして、三人の男が座っていた。

「簡単に捕まえられて、驚いたぜ」

「まさか味方が敵だとは思わないでしょう。あの婆さんもいい働きをしてくれましたよ」

 捕まった直後にはっきり気づいたが、あのムッタは偽物だったようだ。協力者でなければ知らない知識を持ち合わせていたためほぼ信じていたが、少し引っかかることがあった。

 協力者の配置人数だ。首都にはたくさんおり、その近隣の町にも何人かいるが数は多くない。あの大きなルーベック町ですらいないと言われている。この町は首都から伸びる線路上にある町だったため、たまたまムッタが遣わされたようだった。

(テウスにもう少し警戒心を働けと、言われそうね……)

 レナリアやキストンといった、無条件で助けてくれる人間と出会い、人を信じすぎたためのツケかもしれない。

「あの男も弱っちいよな、あっさり切られやがって。男は強くならねぇと! あんな男、すぐに野垂れ死ぬな!」

 キストンの悪口を言って、がははっと笑い飛ばす。なぜだが無性に苛ついてきた。

 たしかに彼はテウスやレナリアのように、力が強いわけではない。だがあの頭の回転と機械などに対する知識の深さは、素晴らしいものだった。

 そんな彼の右腕が切られた。細かな手作業をする彼にとって、この後の感覚が変わってしまったら――そう思うと、男たちに敵意を向けざるを得ない。

 キストンの右腕が無事であることを願いながら、藍色の髪をおろした颯爽とした女性を思い浮かべた。

 レナリアが家に戻ってきたら、血相を変えて探しに来るだろう。しかしこの広い森の中にある小屋をすぐに見つけだすのは難しいはずだ。一日程度は覚悟しなければならない。その前に移動でもされたらさらに面倒だ。

 自力でここを抜け出すことを考えながら、手首をひねってみた。きつく縛られている。足は自由であるため、立ち上がれられれば、ここから逃げることも可能だろう。

 一人で思考に浸っていると、視界に影が入った。顔を上げれば、髭を生やした男がにやにやと見降ろしている。

「何を考えているのかな、お嬢ちゃん」

「何だっていいでしょう」

 そっぽを向くと、顎をもたれて、くいっと上に向けられる。

「大人しくしてもらわないとね、おじさんたち、お金もらえないの」

「人を誘拐してお金をもらうなんて、たいそうなお仕事ですね」

 男の顔にうっすらと血管が浮き上がった。顎をきつくも持たれるが、構わず言葉を並べる。

「貴方たちにお金を払う物好きさんはどなたかしら。お金に余裕のある人かしら。そうでもしなければ、こんなごろつきなんて雇わないでしょう」

「黙らないと、痛い思いをするぞ」

「暴力でしか自分を表現できないなんて、可哀そう」

 顎から手が外れ、勢いよく押された。壁に背中があたり、じんわりと痛みが広がってくる。しかし痛みに堪えながら、にらみ返した。

 従順にしていれば、もっと楽に逃げられただろう。だがキストンを侮辱され、怒りが湧き上がった今では、そのことを冷静に分析する余裕はなかった。思ったままの言葉をそのまま口に出していく。

「人を見た目と腕力だけで判断してしまうなんて、本当に哀れね」

「少しは黙っていろ――!」

 男の手が伸びてくる。頭を捕まれて、勢いよく横倒しされた。一瞬意識が飛びかける。

 その間に男がアーシェルの上に馬乗りになった。

「傷つけるなって言われているから、遠慮していたけどよ、辱めるくらいなら、体は傷つかないからいいだろう?」

 アーシェルの顔がやや強ばった。その表情をみた男がにやにやしてきた。

 男が別の男に向かって布を持ってくるよう指示する。それを受け取ると、アーシェルの顔の目と鼻の先に、顔を近づけた。

「静かにしていろよ、お姫様」

 布を永細くし丸め、それを猿ぐつわとして、アーシェルの口にくくりつけた。声が出せない。せめてもと思い、鋭い視線で男を見たが、笑みを浮かべられるだけだった。

 男の手がアーシェルのシャツに振れ、ボタンを一つずつ外していく。その様子を他人事のように眺めながら、アーシェルは表情を消して、男をゆっくり見据えた。

 あれだけ腕力だけの人間を叩いてきたのに、結局はその男に蹂躙されるのか。言った自分が間抜けに思えてきた。この世はすべて力なのか。ならば――

 ボタンが外され、素肌に手を触れられそうになったその時、ドアが軽く叩かれた。男は手を止め、ドアに寄っている男に視線を向ける。男は頷き返してから、ドアのすぐ傍に寄った。

「……誰だ」

「あの人からの使いですよ。差し入れを持ってきましたの」

 高い女の声だった。アーシェルの上に乗っている男は、ドアの近くにいる男に言い返す。

「少しだけ開け。大丈夫そうなら中に入れろ。所詮女だ。敵だったら取り押さえられる」

 その言葉を受けた男は、少しだけドアを開けた。

「ありがとうございます」

 ドアの隙間から、ロングスカートが見える。

「差し入れはどうした?」

「ドアの外にあります。重いので、一度地面に降ろしていました」

「ほう、どれどれ……」

 男が顔を出したと思うと、その場で崩れ落ちた。そして体が外に消え、ドアが大きく放たれた。

 藍色の髪をなびかせた女が剣を片手に立っている。彼女の姿を見た男たちは慌てて剣を手にした。

 女がゆっくり中に入りながら、鞘から剣を抜き放つ。

 彼女はアーシェルの姿を一瞥し、目を見開いてから、声の高さを落とした。

「さて、お仕置きの時間よ」

 二人の男がかかってくるのを、女は静かな目で見据えていた。

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