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水環の査察官  作者: 桐谷瑞香
第一章 流れゆく首都への旅
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1‐18 繋がる雨の日の記憶(3)

 ムッタと出会い、彼女の住まいに泊めてもらって、一夜が明けた。小鳥のさえずりと共に、何事もなくその日を迎える。

 窓の傍で寝ていたレナリアは、時折起きては外の様子を伺っていたが、特に誰かが張っているという気配は感じられなかった。昨日は食堂に二人の男がいたため、かなりの人数が町に散らばっているのではないかと思っていたが、実はそうでもないかもしれない。

 アーシェルがムッタと二人で言葉を交わしてから、考え込む時間が多くなったように見受けられた。気になりはしたが、それについてレナリアは言及しなかった。

 キストンもそれを察して声をかけていたが、「何でもないです」と、言われていた。時には一人で思考に浸りたいときもある。今はそっとしておくことにした。

 朝食後、レナリアはルーベック町で買い足したある服に着替え直し、藍色の髪を櫛でとかして、居間に下りた。その姿を見たアーシェルとキストンが目を丸くしている。

「レナリアさん……?」

「その格好って……」

 手に乗る大きさの長方形の箱からレナリアは眼鏡を取りだし、それをかけた。藍色の長い髪をおろすと、肩に触れる程度の長さになる。柔らかな素材の薄手のセーターを着て、ロングスカートをはいていた。多少だが化粧もしている。

「ちょっと町の様子を伺ってくる。念のために変装をして」

 小さな肩掛け鞄から帽子を取り出し、頭の上にかぶせた。

「どうかしら。これでもこの格好、仲間の中では好評なのよ? 気付かれないって、よく言われる」

「潜入調査もしているんですか、レナリアさんって……。一瞬どこのお姉さんかと思いましたよ」

「場合によっては潜入もする。女の方が変装したら気付かれにくいっていう理由で、突き出されるのよね」

 両手を腰につけて、息を吐く。変装をする度に師匠があまりいい顔をしなかった記憶が思い出される。

 レナリアはぼうっとしているキストンに歩み寄った。

「私、しばらくここを離れてもいい?」

 我に戻ったキストンはしっかりと頭を縦に振った。そして椅子の後ろにあったリュックの中から、何かを漁り始める。折りたたみナイフ、電撃を発する四角い箱、液体が入った小瓶などが次々と出てくる。そしてある物に手を触れると、一瞬動きを止めてから取り上げた。球体の黒い物体だった。

「行ってもいいけど、何かあったら狼煙をあげるから」

「色は白?」

「濃い青だ。濃いから、空を見上げれば気付くと思う」

「わかった。じゃあ少し出てくる。二人とも気をつけてね」

 レナリアはアーシェルに護身用のナイフを渡してから、出口へ向かう。ちょうど上から降りてきた、訝しげな表情をしているムッタと目があった。

「どちらさまですか?」

 帽子と眼鏡を外すと、彼女はあっと声を漏らした。

「レナリアです。少し町の様子を見てきます。尾行されないよう、くれぐれも気をつけますので」

「はあ……。まあおそらく今の貴女の様子であれば、尾行はされないと思いますが。気をつけてください」

「ありがとうございます」

 頭を下げて、レナリアはゆっくり戸を開ける。そして周囲の様子を伺い、誰もいないことを確認してから外に出た。



「アーシェルさん、女性って、あんなに変わってしまうものなんですか? ケリィ村での服装も普段とは違っていましたが、雰囲気はそこまで変わりませんでしたから……」

 未だに呆然としているキストンが話しかけてくる。アーシェルは口元に手を当てて、くすりと笑った。

「人によりますよ。レナリアさん、引き締まっている体ですから、割と何でも似合うのではないでしょうか。知性的な女性としても充分務まりますよね。査察官は体力以前に知識が要求されますから」

「レナリアは頭も回るし、動けるし、本当に凄いな……」

「はい。私にとって憧れの人です」

 キストンが言葉に出した以外でも、アーシェルには惹かれる部分があった。

 それが彼女の観察力と判断力だった。レナリアは自分の知力と体力を考慮して、ギリギリのところまで動いている。さらに無理だと思ったら協力を仰ぎにくる。それは自分のことを良く知り、他人のことを見ていなければできない行為だった。

 アーシェルもせめて自分の実力を見極めたいと思っているが、未だに限界が掴めなかった。テウスや周りの人がうまく支えてくれることで、どうにかなっている。だが、いつまでも彼らに頼っているわけにはいかなかった。

 事情を知っているテウスはいない。だから一人でもできることをしなければ。

 すっと立ち上がり、アーシェルはキストンに向かって、おずおずと口を開いた。

「二階で書き物をしたいのですが……」

 キストンは表情を緩めて立ち上がった。

「僕も二階で作業したいんだ。少しうるさいけど、同じ部屋でいいかい?」

 アーシェルはこくりと頷いた。心配性のレナリアを考慮したために、申し出た提案だろう。彼女がいない間、自分の身に何かあったら、彼女は己を攻める。辛そうな顔が見たくなかった。

 二人で移動しようとすると、居間に来たムッタとはちあう。彼女は一瞬はっとしたような顔をしていた。

「どうかしましたか?」

 声がやや上擦っている。

「上で少し作業しようと思いまして、移動を」

「そうでしたか。お部屋にある本は好きに使って構いませんよ。あとでお茶でも持って行きますね」

「ありがとうございます」

 そこまで気を使わなくてもいいと思ったが、好意を無下にしてはいけない。アーシェルはにっこり微笑んだ。



 レナリアはムッタの家を出て、周囲に気を配りながら、いつもよりは遅めに歩を進めていた。この格好で速く歩くのは、おかしいと思ったからだ。時折眼鏡の頭に指をそえて、整えながら進む。

 ランクフ町は初日に抱いた感想のとおり、汽車の発車地点としては、やや物足りない栄え方をしている地だった。言い方を変えれば、これからさらに発展するだろう、今後の動向が期待できる町だ。

 通りを歩きながら、ある本屋の前で立ち止まった。店の入り口に首都で発刊している新聞が置いてある。新しいものと古いものを数束、さらにこの町で印刷されている地方新聞を手にして、店内に入った。

 中では穏やかな表情で本を読んでいる老人がいた。彼に新聞を渡すと、値段を口にした。それを聞いて必要な硬貨を置く。

「こんなにたくさんどうしたんだい?」

「今の首都のことを知りたいんです。これから初めて首都に行くので、下調べをさらりとしおうと思いまして」

 嘘と事実を織り交ぜながら喋ると、老人は納得したのか、それ以上聞いてこなかった。人は不思議なもので、事実を言っていると、次第に強気になってくるのだ。

 支払いを済ますと、新聞を手にして通りに出た。

 ぶらぶらと歩きながら、目に付いた喫茶店に入る。通りが見られる位置の席について、飲み物を頼んだ。そしてまず首都で発刊している最新の新聞に目を通し始めた。

 表面は、とある災害についての記事が載っている。北部で大雨が降り、その影響で川が氾濫し、村の家屋が流されたというものである。それを読んで血の気が引いた。しかしそれを遮るかのように、店員が紅茶を持ってきてくれたため、我に戻れた。

 大雨や干ばつは、残念ながら最近では珍しいことではない。当たり前のようになりつつあるが、発生するにはそれ相応の原因があるはずだ。それを解明できれば、減らすことは不可能ではないと思っている。

「復帰したら、どこに飛ばされるのかな……」

 復帰という言葉を発すると、不安も抱くが、楽しみでもあった。精神的にも落ち着いてきたので、そろそろ仕事に戻ってもいいかもしれない。

 二枚目以降は引き続き国内の様子が、最終面近くには首都の細かな現状が書かれていた。強盗、誘拐、工場爆発など、物騒なことが載っている。首都に入ったとしても、アーシェルを無事に信用できる人に渡すまでは、油断ならないようだ。

 古い新聞の表紙をぱらぱら見つつ、今度はランクフ町の新聞に手をつけた。

 裏面には次の汽車の発車日時が書かれていた。こうすることで、町民に広く知らせているらしい。町の者で新聞をとっている者であれば、わざわざ駅舎に行って、尋ねたりしないのだろう。

 次が数日後に発車、その次はさらに二週間後となっている。今回の中日(なかび)が、一週間だったのは、いいほうだったようだ。

 中身は町の様子を書いた式面と、後ろに行くにつれて、掲示板的な役割の式面に移っていた。作物の交換を申し出る者、条件付きの護衛を求める者など、掲示板には様々なことが書かれている。

 尋ね人の欄を見たときは、飲んだ紅茶でむせそうになった

 アーシェル・タレスという名、長い銀髪で深い青色の瞳の少女、歳は十五歳、背は低め……と書かれている欄があったのだ。

 それだけの情報で見つかるかと、内心突っ込んでいた。銀髪の人間は決して多くないが、この町でもアーシェル以外に何人かすれ違っている。決してゼロではない。ただし、瞳の色まで言われると、対象はかなり狭まってくる。

 尋ね人欄を見て警戒はしたが、逆をとればこの姿でなければ追求の目は逃れられる。買い出しの品を頭に浮かべながら、他に何か有用な情報はないかと思い、ページをめくった。

 ふと、とある視線が気になった。新聞に顔を向けたまま、目線だけを窓に移す。外にいた男がじろじろと店内を見ていた。黒づくめではなく、ただのごろつき風情のようだ。レナリアは目線を窓から店の中にそっと移動させた。

 店内は十人くらいおり、対面している人とお喋りをしたり、一人でお茶の香りを楽しんでいる者たちがいた。その中で、入り口近くにいる一人の少女に目がついた。

 アーシェルより色ははっきりしていないが、銀髪だ。長さは肩付近、長いとは言えないが短いとも言い切れない長さである。その少女に、男たちの視線が向けられていたのだ。

 レナリアは不自然がないように新聞を片づけ始める。布バックにしまいこみ、地方新聞だけを左手で持ちながら、紅茶を飲んだ。

 やがて男たちがどやどやと中に入ってくる。彼らは少女の席の前に立ち止まった。

 少女が目を丸くして、顔を上げる。瞳の色は紺色だ。

「嬢ちゃん、アーシェル・タレスかい?」

「は?」

「とぼけても無駄だぜ。その色の組み合わせ、滅多にいないんだからな!」

「ちょっと人違いじゃない!? 私はそんな名前じゃない!」

「ご依頼人の元に連れて行くから、そこで顔を確認してから、言ってくれ。とりあえず連れて行くぞ」

 男が少女の手首をきつく掴む。そして立ち上がらせられた。

「やめて! 私じゃない!」

 少女が叫ぶ。店内にいた人はその様子を怖々と見ていたが、誰も助けに出ようとはしない。女性が多い店内だ、柄の悪い三人の男たちの前に飛び出していくのは、度胸と力が必要だった。

 肩をすくめたレナリアはカップを皿に置いて、立ち上がろうとする。その瞬間、突然入り口のドアが勢いよく開いた。

 男たちがそちらに視線を取られている隙に、入ってきた人物は近寄り、少女を握っている男の腕を握りしめた。一本に結んだ黒色の髪がなびかれる。

 その光景を見て、レナリアは呆然と現れた青年を眺めていた。

「いてて、やめろ!」

「この人は探している人物ではないと言っている。それなのに連れて行く気か?」

 胸に鋭く差し込むような声を放つ。

「とぼけているだけかもしれないだろう!」

「尋ね人の容姿の特徴は?」

 後ろにいた男が紙を取り出し、慌てて中身を読み始める。

「銀髪、深い青色の瞳、髪型は肩に掛かるほどの緩い三つ編み……」

「彼女がこの長さで結べると思うか?」

 ぎろりと声を発した男を睨みつける。男は震え上がりながら言う。

「き、切ったって言う場合が……」

「背は?」

「小柄で……え……」

 男の表情が固まった。今立っている少女は、男たちと同じくらいの長身だ。腕を掴んでいた男が手を離す。少女は赤くなった腕を逆の手で撫でた。

 男たちはゆっくり後ろ足で下がっていく。三人で視線をあわせながら、言葉をやりあっている。腕を組んだ青年が近づくと、男たちは逃げるようにして店から出て行った。

 店内が安堵の空気が漂う。少女は青年に向かって頬を赤らめながら頭を下げた。

「ありがとう……ございます……」

「別に対したことではない。俺の探し人に似ていたから、手を出しただけだ。しばらくは気をつけろ」

 そう言って、青年は颯爽と去っていった。

 一部始終をぽかんと見ていたレナリアは、青年が去っていた方向を確認し、手早く支度をして勘定を払ってから、平静を装いながら外に出た。

 黒色の髪が背中になびかれている。長剣が左腰から揺れていた。

 彼の後を追うために歩き始めるが、かなり速い。競歩で追いつこうとすると、唐突に青年が振り返った。やや険しい表情をしている。

「何だ?」

「……私の声、覚えてない?」

 一歩近づき、眼鏡をとった。空色の瞳を青年の黒色の瞳に突きつける。

 数瞬の間を置いてから、彼の目が大きく見開いた。

「お前、あの時の……!」

 彼がレナリアのことを認めたのを確認して、一歩近づいて小さな声で呟いた。

「……無事よ、貴方が護っていたお嬢様も」

「本当……か……?」

「ええ。ある場所にいるから、これから一緒に――」

 レナリアは不自然なところで言葉を切った。青年の背後にのぼる煙を垣間見て、慌てて彼をどける。

 濃い青だ。

 歯をぎりっと噛み締めた。

「どうした」

「ごめん、前言撤回。危険かもしれない」

「はあ!?」

「とにかく着いてきて!」

 レナリアはムッタの家がある方角に向かって走り始めた。後ろから青年が軽々とついてくる。

「おい、お前、状況がわからないぞ」

「あの、私にはレナリアっていう名前があるんだけど、テウス」

「……レナリア、何かあったのか?」

 渋々と名前を呼んでくる青年に対し、レナリアは正面を見据えたまま、言葉をこぼした。

「共に行動している人が危険信号を送ってきたのよ」

 それだけ言えば充分だったのか、テウスは黙り込んだ。

 それからレナリアは身振りも構わず、全力で町を駆けていった。

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