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水環の査察官  作者: 桐谷瑞香
第一章 流れゆく首都への旅
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1‐15 霧の水路に現るもの(5)

 作戦決行の前に、レナリアはアーシェルとともにタムが寝ている病室に顔を出した。胸を静かに上下させている、彼の姿を眺める。

 左腕だけでなく、全身が包帯で巻かれている。服の間から見える白い布を見て、痛々しく感じた。

 毒が完全に抜けきれば、ある程度動けるようになるという。だが噛まれた左腕が完治しない限り、現場に戻るのは不可能といわれていた。

 査察官は荒くれ者を相手にすることも多い職業。満足に動けなければ、周りに迷惑をかけるだけでなく、自分自身が辛くなる。

 自分で進んで動き、時には体を張る彼にとっては、耐え難い日々を迎えることになるだろう。その未来を、みすみす作ってしまった己が悔しかった。

 彼の怪我は決して無駄にしない――。

 覚悟を新たにして、レナリアはそっと背を向けると、後ろから呻き声が聞こえてきた。

「レナ……リア……」

 ノブに触れようとした手が止まった。アーシェルが服を軽く引っ張ってくる。彼女に促されて、ゆっくり振り向くと、タムがうっすら目を開けていた。

 傍まで寄り、彼の右手を軽く握りしめる。レナリアの手など簡単に包み込んでしまいそうな、大きな手だった。

「何……する……気だ?」

 何も言っていないのに、見透かされていた。付き合いがそれなりに長いだけはある。

 常日頃、心の底から思っていることを口に出した。


「自分の信念に基づいて、動くだけよ」


 握りしめるタムの力がやや強くなった。まるで行かせまいと主張しているようだ。レナリアはそれに反して、手を引っ張った。すると彼の手からあっさり解放された。

「……また元気に一緒に働ける日を楽しみにしている」

 そう言うと、レナリアは再び背を向けて、今度こそノブを回して部屋の外にでた。ついてきたアーシェルが静かにドアを閉める。

「レナリアさん、いいんですか?」

 銀髪の少女は躊躇いがちに言ってくる。

「何が?」

「その、タムさんに本当のことを言わないで……」

 レナリアは廊下を真っ直ぐ歩き始めた。

「言っても彼に余計な心配をかけるだけ。これは私の意志で決めたこと。余計なことは耳に入れない方がいい。吉報を届けるのが、一番いいでしょう」

「……レナリアさんがそう思っているのなら、私は何も言いません。次に来るときはいい話を持って行きましょう」

 その後二人は一言も発さないまま、病院からでた。

 冷たい風が吹いてくる。昼間と比べてかなり冷え込んできた。上着を軽く引っ張り、首元をすぼめながら、人気ひとけが少なくなってきた道を歩いた。



 アーシェルが言ったとおり、水路の周辺では霧が発生し、視界が悪くなっていた。初めは靄が漂っているだけだったが徐々に増えていき、今では霧がレナリアたちを出迎えているといった様子だった。

 水路が地上にでる脇で、レナリアは左手で剣が入った鞘を握る。

 今回のレナリアの仕事は二つ。一つが合成獣(キメラ)が現れ次第、引き寄せること。二つ目がキストンに指定された場所まで連れ込むということだ。

 彼は水路沿いにある、むき出しの螺旋階段の一角で待機しているという。何かを上から振りかけると言っていたため、高さがある位置に待機していると思われる。

 静かだ。人の声がしない。

 水路の近辺に合成獣が出没するという話は町中に広まっているし、わざわざ視界が悪い霧が多い時間帯に、人は出歩かないだろう。

 幸か不幸か霧のおかげで、人は外に出てなかった。それゆえに思ったよりも被害が拡大していないと思われた。

 じっとしていると、水の臭いに紛れて血の臭いが微かにした。レナリアは右手を柄の部分に添えて、腰を屈める。

 何かが水路から道に出てきた。霧の中に四つ足の影が横切る。それの視線がこちらに向いた。そして次の瞬間、それは飛ぶようにして走ってきた。

 鞘からブローロソードを抜き、飛び込んできた相手の目と鼻の先に一閃する。四つ足の獣は屈んでかわしつつ、下からレナリアに食いかかってきた。

 獅子の体、尾は蛇の頭、そして首もとは血が固まっている合成獣が目の前に現れた。動きは非常に素早く、あっという間に距離をつめられる。タムが驚いていたのも、わかる速さだ。

 しかし本当に怖いのは、獣の素早さや歯と爪の鋭さではなく、後ろでゆらゆらと揺れている尻尾である。

 飛びついてきた合成獣を寸前まで引き寄せ、それから脇に飛び退く。獅子の顔は正面を向いたままだが、尻尾ははっきりとこちらを見ていた。

 長い尾が伸びてくる。レナリアはそれを叩きつけるかのように、剣を振り下ろした。尾がわずかに動きを止めた。その隙に、レナリアは脱兎のごとく水路の下流側に向かって走り始めた。

 体の向きを変えた獅子が追ってくる。剣を持ちながら走っていたため速度がでず、すぐに追いつかれた。

 獅子は突進して、レナリアに体当たりをしてくる。踵を返し、左手で剣先を持ち、剣を盾のようにして真っ向から迎え撃った。うまい具合にぶつかり、攻撃を受け止めた。けれども突進の勢いはすさまじく、一瞬でも気を緩めれば剣からずれ、牙で体をかみ砕かれる。

 獅子の力強さを全身で体験しつつも、レナリアは視界の隅で動く蛇の尾にも注意を怠らなかった。そちらも様子を伺っており、なかなか動こうとはしない。しばし硬直状態が続く。

 少しして、レナリアの汗が頬を伝い、首から落ちる。それに意識が向いた瞬間、一直線に蛇は噛みついてきた。

 剣だけでなく、右足を使いながら、レナリアは獅子を蹴り飛ばす。そして蛇に噛みつかれる前に離れて、距離を保った。

「攻撃に転じきれない……」

 タムは獅子の攻撃をそこまで苦労せずに受け止めていた。だが、レナリアは耐えるのに精一杯。男女の筋肉差、タムとレナリアの攻撃スタイルの違いが影響しているようだ。

 レナリアは力で押し切るより、技術や素早さで相手を攪乱させることを主としている。真っ向勝負で動物相手など、普段は絶対にやらない。

 時間をかけて正面から対峙するのは不利――と実感したところで、レナリアは合成獣に背を向けて、再び水路沿いを走り始めた。

 キストンが待っている螺旋階段付近に連れて行くために。



 攻撃を受け流しつつ、合成獣と距離を保って走っていると、点滅している光が視界の上の方で目に入った。目を凝らして見れば、そこにキストンがいる。霧で視界はかなり悪いが、その光の点滅はこの環境下でも抜群の効果を示していた。

 レナリアはその建物の下で止まり、くるりと振り返って獅子の突進を剣で受け止める。予想を上回る勢いだったため、刃の部分に添えていた左手が食い込んできた。歯を食い縛って、その攻撃を耐える。

 蛇がゆらりと遠まわしに伸びていた。

「挟み打ちとはいい趣味しているよ!」

 重心をやや後ろに下げてから、素早く前に押しだした。その勢いにより、獣の牙から剣が離れる。

 レナリアは右手で剣を握り、突きを次々と繰り出す。上下左右に突きをしつつ、かわされながらも怯むことなく攻撃を続けた。徐々に合成獣が後退して行く。

 ここから短剣を抜いて、完全に攻撃に転じることもできるが、深追いは絶対にするなと、二人に忠告されていた。合成獣の動きを注意しながら、所定の場所まで移動させる。

 やがて螺旋階段の真下に来ると、腰に下げていた袋を左手でとり、それを獣に向かって投げつける。目潰しの砂が顔に当たり、一瞬獅子の動きが止まった。

「レナリア!」

 その声がけと共に、レナリアは下がる。すると合成獣に向かって、何かが落とされた。それが合成獣と衝突した瞬間――冷気を含んだ風があたりに広がっていった。

 顔を腕で隠しながら、合成獣を見据える。手がかじかむが、剣を落とさないよう、ぎゅっと握りしめた。

 ほどなくして風が納まる。正面にいた生き物を見て、レナリアの目は大きく見開いた。

 合成獣の全身に霜が生えていたのだ。動く気配はなく、まるで剥製のようにその場に突っ立っていた。

 レナリアは剣を持ったまま、合成獣の真横に移動する。そして口を開いて動かなくなった蛇の顔した尻尾を両断した。いとも簡単に尾は地面に落ちた。

 これで終わりかと思っていると、次の瞬間、動かなかった蛇の瞳がぎょろりと動いた。それはレナリアを睨みつけると、勢いよく跳ね上がり、単独で飛びかかってきた。

 長い舌と、小さいながらも毒がたっぷり含まれている牙を見せつけてくる。

 だが取り乱しもせずに、レナリアは迷いなく下から剣を振り上げた。蛇の顎の部分に剣はあたり、その部分が真二つにされる。そして地面に小さな音を立てながら、ぼたぼたと落ちた。目の色は真っ黒になり、蛇は機能を完全に停止した。

「ちょっと離れていて!」

 キストンの声に従って、レナリアは数歩下がる。すると上から硬質な材質でできた網が落とされた。獣たちを簡単に包み込む。レナリアは剣を地面に刺し、動きを止めた状態の獅子を網でしっかり包んだ。

 包み終えると、獅子が少し体を動かした。しかししっかり絡まっていたため、思った以上に動かなかった。

 横たわった状態の獅子はレナリアを見ると、口を開いて牙を見せつけてくる。しかし距離を保った状態では、恐ろしさが微塵も感じられなかった。

 耳を澄ますと、人の足音が聞こえてくる。事前に警官隊に対し、合成獣の出現場所と出現時刻を若干偽って知らせたのである。既に捉えられているとは露知らず、彼らは飛んでくるだろう。

 水路を中心に漂っていた、霧はだんだんと晴れていた。当初は肌寒かったが、動き回った後ではもはや暑いという感想を抱く方が先だった。



  * * *



 警官隊への事情徴収を終え、支部長に事の顛末を話し、レナリアの左手と左腕に包帯を巻き終えた頃は、もう夜明け前だった。

 あっという間に明けてしまった夜。あと数時間で、朝一の馬車に乗って、この町を去る予定である。

 キストンとアーシェルに旅支度を頼んで、レナリアはタムの病室に立ち寄った。

 明け方に来るなど非常識。起きているわけがないと思いながらも、顔を出したら、目をしっかり開いている彼と視線があった。レナリアの顔を見ると、強ばっていた表情が緩んだ。

「まさか……ずっと起きていたの?」

「あんな捨て台詞聞いて、寝られるか。その顔を見れば、無事に終わったのがわかる。……ありがとな」

 レナリアは首を横に振りながら、タムに近づいた。

「タムが昨日、体を張って蛇の攻撃まで受けなければ、解決は難しかったかもしれない。あの蛇、獅子より厄介だった。切り離しても、しぶとく噛みついてきたよ」

「でもその攻撃を最終的には阻止したんだろう。なんていうか、末恐ろしい精神力だよな。あれが飛びかかってきたら、普通はびっくりするだろう」

「蛇は蛇で、独立した思考を持っているってわかっていたから、そこまで驚かなかったよ。動きが奇怪なだけで、剣で切る分には、まったく問題ないし」

 腰に馴染んでいる、ブロードソードに視線を向けた。切れ味がよく、使う度に手に馴染んできた気がする。普段は布でくるんで背負っているが、やはり腰にあるのが一番しっくりくる。

「あの合成獣はどうなった?」

「捕まえて、今は生物関係の研究所に送られている。しばらく調査するんじゃない? あんな珍しい個体、初めて見たらしいから、皆さん興味津々よ」

「珍しい個体……か。なあ、あれは……自然発生した生き物なのか?」

 タムの問いに対して、レナリアはすぐには口を開けなかった。一歩彼に向けて足を伸ばし、声を潜めた。

「……有識者は、人の手によって作られたんじゃないかと言っている。違う個体の生殖を組み合わせれば、不可能じゃないって」

「それは本の上での話だろう。そんな仮定の話、できるはずがない」

「果たしてそう言い切れるのかな? 世の中は意外と少し不思議で成り立っているかもよ?」

「まあ、そうだけどよ……。……調べれば、おいおい何かがわかるだろう」

「そうね……」

 そうは言ったが、合成獣を解剖しても、何もわからないかもしれない。今言ったものは、あくまでも二人の希望だった。

 他にも個体がいるかもしれないと言って、警官隊は近々水路全体を探索すると言っている。万が一のことを考えると危険な行為だが、止めるだけの強い意見が出せなかった。この町については、あとは町の人に任せるしかないだろう。

「……まあいろいろと思うことはあるだろうけど、休息と思って、しばらくは休みなよ、タム」

「ああ。お前も見る度に包帯が増えていくの、やめろよ」

 きょとんとして左手を見る。白い包帯がぐるぐると巻き付けられていた。

「レナリア、ここを出るのか?」

「朝食後にはでる。それで汽車が出ている町まで移動して、そこからは文字通り、汽車に運ばれるだけよ」

「――その運ばれていた汽車で、何があったんだ?」

 寝込んでいる状態で、問いつめてくる同僚。レナリアは下がっていた脇の髪を耳にかけた。

「だからタムには関係ない」

「お前っ……!」

「……わからないのよ。タムに言うのが、正しいことかなんて」

 壁に背を付ける。

「だから言わない。余計な思考をさせたくないから」

 淡々と言うと、タムが明らかに不機嫌そうな顔をした。

「オレは聞きたいんだ! だから教えてくれよ!」

「――今は査察官の職を半分休んでいる身なの。何をしようと、私の勝手でしょう」

 冷たい言葉で突き放す。タムは虚をつかれたような顔をしていた。

 話してしまったら楽になるだろうが、同時に彼のことも気にして生きなければならない。目に止まる範囲でしか守れないレナリアにとっては、それは辛いところだった。

 壁から背を離して、ドアに手を添えた。

「じゃあ、私はこれで。元気でね」

 それだけ言い残して、レナリアはタムの追求がくる前にドアを閉めた。

 外にでると、夜の帳を終わらせるかのように、地平線から赤い光が射し込んでくる。漂っていた霧もやや明るく染められながらも、ゆっくり消えていった。

 一日のうちでもっとも寒いと言われている明け方。

 それが終わると、徐々に気温が上がっていく一日が始まるだろう。

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