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水環の査察官  作者: 桐谷瑞香
第一章 流れゆく首都への旅
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1‐12 霧の水路に現るもの(2)

 支部長室を出たタムは、レナリアたちを一階にある部屋へ連れて行った。

 本棚が壁に沿って並べられた部屋で、奥にある窓からは日の光が入り込んできている。中央には四角い机があり、それを取り囲むようにして椅子が並べられていた。ちょっとした話し合いの部屋として使えそうな場所のようだ。

 ちょうど部屋に入った時、先ほど玄関で会った女性がカップとクッキーが乗った皿を机の上に置き終えた時だった。彼女はタムたちを見ると、ポットからカップに紅茶を注ぎ始める。それを終えると、タムに向かって軽く礼をしてから出て行った。

「とりあえず茶でも飲みながら、ゆっくり話でもするか。お二人さんもお疲れのようだしな」

 タムに勧められて、四人は椅子に腰をかける。そしてカップに手を付けた。市場によく流通している紅茶の香りだが、温もりが心の中を包み込んでくれた。

 タムは一口、二口と飲むと、レナリアのことをじっと見てきた。

「さて……と。そろそろ本題にはいるか。レナリア、お前はどうやって生き延びたんだ? こちらの二人は?」

 レナリアはカップから口を離す。そして両脇にいる二人の少年少女を紹介した。

「二人とも私のことを助けてくれた人たちよ。汽車の中で争っている人たちと遭遇して、見ていられなくなって手を出したの。そしたら争いの最中に古い柵が壊れて、そこから川に落下。二人の力を借りて、助けてもらったのよ。……助かったのは運が良かったんでしょうね。我ながら強運だと思っている」

「お前、話の中身を端折っていないか?」

「事実を言ったまでよ。――この二人もこれから首都に向かうって聞いて、それならってことで一緒に移動していたの。物騒な世の中、一人で行動するのは危ないからね……」

「なあレナリア、怪我しただろう」

「え?」

 目を瞬かせると、タムの眉が跳ね上がる。彼は正面にいるレナリアに向かって、顔を突きだしてきた。

「どこを怪我したんだ!?」

「……落下するときに、切り傷や痣を負っただけよ。幸運なことにたいしたことなかったんだから、そんな顔しないでくれる?」

 頬を軽く膨らますと、タムは言葉に詰まりながらも、椅子に座った。

 これで追求がかわせたと安心していると、彼の視線がレナリアの目線からやや逸れた方に向かれた。

「左肩だな」

「はい?」

「オレと対峙したとき、左肩をかばいながら動いていた」

 タムは勢いよく立ち上がる。その衝撃で彼が座っていた椅子が倒れた。彼は足音をたてながらレナリアの左脇に寄り、左肩をぎゅっと握ってきた。

「……痛っ!」

 タムが服に手をかけて、無理矢理脱がそうとしてきたので、それを阻止するために左肩を軽く回した。タムの手が離れると、レナリアは渋々と左肩だけ服の外に出した。包帯に少しだけ滲み出た血がついている。タムはそれを見て、眉をひそめた。

「これが落下の衝撃でできた傷とは思えないな。切り傷だろう。おい、何があったんだ!?」

 タムが声を荒げると、アーシェルがびくりと肩を震わせた。

 レナリアは肩を隠し、タムに向けて微笑む。彼は虚をつかれたような顔をした。

「変な男と遭遇して切られたのよ。本当に危ない世の中よね。まあ、剣の腕が鈍っていたせいで、切られたというのも一理あるから、怪我が治ったら、また手合わせをお願い」

「あ、ああ……。レナリア、本当に――」

「ねえ、包帯を巻き直してくれない?」

 タムの言葉を遮りながら、力強い口調で頼む。彼はまだ口を開きかけていたが、レナリアの目に押されて、ようやく頷いた。

「わかった。救急箱を持ってくるから、少し待っていろ」

「ありがとう」

 そしてタムは足早に部屋を出ていった。

 部屋の中に残った三人は、しばし黙り込む。その後まず初めに口を開いたのは銀髪の少女だった。

「いいんですか? その……」

「いいのよ。私が個人的につっこんでいることだから。彼に言う必要はない」

 同期で親しいとはいえ、タムにまで迷惑をかけられない。この支部にもだ。

 電報を打ち、お金を引き出す、そして情報収集といった最低限のことをしたら、速やかに去るつもりである。余計な私情で、揺れ動いてはならない。

「二人とも、明日か明後日には出よう。また移動で悪いんだけど、いいかな」

「私は構いませんが……」

 何か言い足そうなアーシェルの顔は、どこか辛そうだった。



 簡潔に電報を打ち、水環省に預けていたお金を受け取ってから、支部を後にした。少し休む期間も必要だと思っていたが、結局明後日の早朝に出発する馬車の便をとった。

 あたりが茜色に染まり始めた頃、キストンにある食堂に連れて行ってもらった。

 その途中の露店でアーシェルが立ち止まった。先に進んでいたレナリアとキストンは顔を合わせてから、彼女の元に戻る。

「どうしたの?」

 可愛らしい髪留めなどが売られている露店だ。それらをじっと見つめていた。

 レナリアは帽子を被っている、銀髪の少女を横目で見た。彼女の髪は黒いゴムで軽く結われている。それを見てから、小さな青い花の飾りがついたゴムを彼女の銀髪に当てた。アーシェルは鏡に顔を向けたまま、目を瞬かせる。

「これ、つける?」

「え?」

「今まで使っていた飾り、落ちた時になくしちゃったんでしょう? 気に入ったのなら買ってあげる」

 アーシェルは鏡をじっと見つめる。その状態で、そっと花の部分に手を触れた。

「いいんですか……?」

「少しはお洒落をしなよ」

「……その台詞、そのままお返しします」

 アーシェルは手を伸ばし、青色の花が散りばめられたバレッタを手に取った。それをレナリアに差し出してくる。

「レナリアさんも、お洒落してください。これを使ったら、よりかっこいい女性になりますよ」

 手首を持たれて、バレッタを掌に乗せられる。レナリアは鏡の前に移動し、まじまじと顔を見た。藍色の髪を一本にまとめ、先っぽを一緒に結んだ少女がいる。揺れ動く髪も気がかりだったため、それすらも結んでしまったのだ。

 バレッタを使えば、先に伸びる髪をそれで挟むことで、すっきりとした髪型になる。揺れ動くこともないだろう。

 アーシェルの視線に押されて髪をほどき、バレッタを手に取って、髪をまとめあげた。

「素敵です! 似合っていますよ!」

「そ、そうかな……」

 頬をかきながら、鏡を見返す。意外と様になっていた。

 アーシェルも花の飾りを気に入っているようで、二つの花を並べて、にこりと微笑んでいる。

 レナリアは二人の様子をにこにこ眺めていた男に向かって手をあげた。

「店主、このゴム二つと、こっちのバレッタ下さい」

「レナリアさん! バレッタは私が買いますよ!」

「アーシェルが?」

「プレゼントさせてください、お願いします!」

 勢いよく頭を下げられる。そしてレナリアが口を挟む前に、バレッタ代を店主に渡していた。

 呆気にとられていると、キストンに肩を叩かれる。我に戻り、アーシェルの髪留めの代金を慌てて支払った。そしてその場でアーシェルに髪留めを手渡した。彼女はにこりと微笑み、黒いゴムを外して、青い花がついたゴムを結ぶ。二つの花が並ぶと、ささやかだが花開いたように見えた。

 露店をあとにした三人は、移りゆく店に目を留めながら、食堂に辿り着いた。そこは騒々しくも、多種多様な食物を使っている店だった。

 早速、席について料理を頼んだ。談笑をしている間に、料理は運ばれてくる。

 肉料理を注文したレナリアの前に、楕円に形作られたひき肉が、鉄板に乗って現れた。鉄板は熱いのか、湯気がたっている。それをナイフで切ると、肉汁がたっぷり出てきた。一口サイズに切って口に運ぶ。すると口の中で温かな肉汁が広がった。

「美味しい……!」

 レナリアが感想を零すと、こんがりと焼かれた肉の塊を頬張っていたキストンはにこにこしていた。

「よかった、喜んでもらえて。ここは町の奥まったところにあるから、知らなければ来られない場所なのさ」

 アーシェルも細かく砕いたジャガイモと挽き肉を混ぜ合わせ、からっと揚げたものを美味しそうに食べていた。その幸せそうな顔を見ていると、さらに食事が美味しくなる気がした。

「肉の扱い方が特に上手いんだ。仕込み方が一味違うのかな。あと味付けも他と一線を越えている」

 レナリアは厨房でてきぱきと動いている、白い帽子を被った男性を見た。忙しそうにしているが、楽しそうな表情をしていた。好きなことを仕事にし、それを皆に振る舞っているのだろう。それはとても幸せなことだった。

 三人で和やかに話をしながら食事を進める。警戒を怠ってはいけないが、少しは緊張を緩めることができた。

 皿が綺麗になるまで食べきり、お勘定を支払うために手を上げると、ちょうど奥の椅子に座っていた手を上げている、目を丸くした短髪の青年タムと目があった。

 給仕の男性が先にタムの方に行ったので、彼の視線はすぐに逸れたが、驚いたのはレナリアも同じだった。

「地元では有名な店だから、あの人がここにいても何らおかしくはないよ」

「そうね……」

 給仕の男性が机と机の合間をぬって、こちらにやってくる。言われた金額の硬貨をちょうど出して、三人は席を立った。タムは既にいなくなっている。それを確認し、胸を撫で下ろしながら店を出た。

「レナリア」

 出た途端、横から呼ばれる。レナリアは肩がびくっと動かしつつ、ドアの脇にいる腕を組んだタムに目を向けた。

「な、なに……?」

「宿まで送る。最近物騒なことが多いから」

 レナリアだけでなく、キストンとアーシェルにも向けて言う。おそらく謎の生物のことだろう。その話を昼に聞いていたため、水路沿いの宿はとらなかった。それでも用心に越したことはない。

 本当ならあまり一緒にいたくないが、ここで断ると逆に探りを入れられそうだったので、彼の好意を素直に受けることにした。

「ありがとう。せっかくだからお願いしようかな」

「散歩のついでだから、気にしないでいい。道はわからないから、先に行ってくれ」

 タムに促されて、先行してレナリアが歩き始めると、彼がすぐ横についてきた。そしてぽつりぽつりと質問をしてくる。それを適当に返しながら、夜の街を進んだ。



 宿は大通りから少し中に入ったところにある、それなりに人が入っている宿を借りた。値段はややするが、どこの町村でもなるべく人目がつく宿にしていた。万が一追っ手が現れた際、少しでも手荒なことをして欲しくないと考えた結果である。

 宿までの道中、久々にタムと話をしたが、いつもよりも彼の口数が少なかった。タムが質問したのをレナリアが返すという展開。そこで返答時の反応を見られているようだった。

 妙な空気に居たたまれなくなり、アーシェルやキストンに話も振ったりしたが、タムは嫌な顔せず、彼女らの話を大人しく聞いていた。

 どちらかといえば自分のことを話したがるタム。明らかに様子がおかしかった。

 宿の前に到着し、別れの言葉を告げようとすると、タムがレナリアのことを真っ直ぐ見つめてきた。

「なあ、ちょっと二人だけで話をしないか?」

「は?」

 呆気にとられていると、タムに右手首をとられた。そして見る見るうちに引っ張られていく。

「ちょっ、何よ、急に!」

「そこら辺をぐるっと回ってくるだけだ。アーシェルが寝る前に帰すさ。――いいよな、お二人さん!」

 アーシェルとキストンは呆然としながらも頷いた。それを見たタムはさらに強くレナリアを引っ張っていく。

「痛いって、タム!」

 建物の脇で力任せに右腕を振ると、彼は一言「すまん」と呟いて、手を離してくれた。レナリアは自分の体の前に持ってきた右手首を左手で触れる。そこはやや赤らんでいた。

「私だってこれでも女なの。タムと同じくらいの力があると思わないでくれる!?」

「ああ、だから悪かった」

 建物の影に入っていたため、タムの表情がよく見えなかった。だがいつもより静謐な空気を漂わせている。

「タム……?」

 じりっと半歩下がると、突然彼の左手が伸びてきた。彼の豹変に思考がついていかなくなり、手首を握りしめたまま、とっさに目を瞑る。

 叩かれるのを半ば覚悟したが、次に感じたのは彼の体の温もりだった。

「え……?」

 優しく、まるで壊れものを扱うかのように、レナリアを包み込んでいた。あまりのことに顔が熱くなる。

「ねえ、どうしたの?」

 両手が彼の胸と自分の体に挟まれていたため、ばたつくにもばたつけなかった。

 じっとしていると、タムが沈黙の後に口を開いた。

「……息が止まるかと思った。お前が行方不明になったって聞いて」

 耳元で囁かれる。その声は少し震えていた。

 それを聞いてレナリアは唐突に罪悪感にさいなまれる。

「……ごめん。すぐに連絡を寄越さなくて。そこまで大事おおごとになっているなんて、知らなかった」

 同時期に入省したのは、レナリアとタムを含めた五人。そのうち査察官になったのはこの二人だけ、他は事務方だ。本省にいた際は、なんだかんだやりとりをし合い、気が付けば何でも打ち明けられる間柄になっていた。

「随分騒いだの?」

「……ああ。予定の到着日になっても戻ってこない。汽車の乗客名簿に載っているのに、本人は降りてこない。調べてみたら、途中で乗客が三人落下したと聞いたから……」

 タムは腕の中からレナリアを解放し、そっと右肩に手を乗せてきた。

「お願いだ、本当のことを教えてくれ。汽車の上で何があったんだ? 誰にも告げ口しないから――」

 軽く乗せられた手は、肩を引けば簡単に離れるだろう。しかしそれはできなかった。タムの真摯な瞳に射抜かれては。

 言ってしまえば楽になるかもしれない。だがもし彼も仲間と見なされ、アーシェルを狙う団体に目を付けられてしまったら――。

 あの剣士に斬られた、左肩がうずく。

 今は言えない。自分の私情に彼を巻き込むわけにはいかない――。

 アーシェルを送り届けてからすべて言おう。今はそれでどうにか納得してもらおう。

「あのね、タム」

 一呼吸おいてから、レナリアは言葉を紡ごうとした。

「今、関わっている案件は、あとで――」

 その時、女性の短い悲鳴が聞こえた。

 二人は表情を引き締めて、その声がした方向に振り返る。

「今の、何?」

「わからない。だがあの声は放っておいていいもんじゃねえな。――お前は宿に戻っていろ。オレが見てくる」

「いえ、私も行く」

「お前、全力で動けないだろう。何かと対峙したら――」

「女性の声がした。屈強な男が現れるよりも、女が出てきた方が彼女も安心するでしょう? 前線にはでないようにするから、行きましょう」

 タムの背中を軽く叩く。彼は頭をがりがりかいてから、走り始めた。レナリアも街灯から漏れる光を頼りに、声がした方に走り出した。

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