18 異常事態と黒ウサギ
怯えたように逃げ出したリルカの後を追って家の外へと走り出たが、もうそこにはリルカの姿はなかった。
大学の方へ戻ったのか、それともこの森の奥へと行ってしまったのか、俺はどちらへ行けばいいのか判断に迷ってしまった。
「とりあえずフィオナに知らせた方がいいな。クリス、頼めるか」
俺のすぐ後に家から出てきたテオが真剣な顔で口を開いた。
なるほど、俺には思いつかなかったけどフィオナさんに頼んで捜索の手を回してもらった方がいいのかもしれない。
もしかしたら……リルカがフィオナさんの所にいるかもしれないしな。
「わ、わかったけど……お前は?」
なんだか今のテオはやたらイラついているようだ。気持ちはよくわかるが、ここで殺傷沙汰を起こすのはさすがに勘弁してほしい。
そう思って尋ねると、テオは険しい目つきでルカの家の方を振り返った。
「オレは……とりあえずはあいつと話を付けなくてはならん」
テオの視線の先では、クロムがびくびくとした様子で半端に開いた扉の陰からこっちをうかがっていた。
テオの雰囲気に怯えているのかもしれない。
「あ、あの……その剣、しまってもらえませんか……?」
クロムが恐る恐るそう話しかけてきたが、テオは首を横に振った。そうとう頭に来ているようだ。
俺もさっきのルカの言い方にはブチ切れかけたけど、さすがにこんなゴリラ級の大男に凄まれるとクロムがかわいそうに思えてしまう。
「残念ながら、おまえの師匠が考えを改めない限りその願いは聞けないな。リルカはオレの仲間だ。リルカを傷つけると言うのならオレも黙って見てるわけにはいかない」
テオははっきりとそう告げた。それを聞いて俺は嬉しくなった。
そうだ。例えリルカがホムンクルスでも、リルカはリルカだ。
俺たちの大切な仲間、それは変わらない!
テオが剣の切っ先を向けると、クロムは半泣きで後ずさった。そして、その直後何かに引っ張られるかのように後ろに倒れ込んだ。
大丈夫か、と声を掛けようとしたが、すぐに家の扉が勢いよく開いて俺は出かかっていた言葉を飲み込んだ。
扉の向こうには、眉間にしわを寄せた錬金術師のルカが立っていた。その後ろではクロムが家の中でひっくり返っているのが見える。
「てめぇ……こんな年端もいかねぇガキ脅して楽しいのかよ」
「それは貴様の方だろう。例え生み出したのが貴様であったとしても今のリルカはオレの仲間だ。リルカを傷つけたり侮辱したりする奴をオレは許すわけにはいかない」
緊迫した空気の中、二人は睨みあっていた。まさに一触即発という空気だ。
……これはヤバい、ヤバすぎる。
錬金術師ルカがどの程度強いのかは全くわからないが、テオの方は一見冷静に見えるがたぶん今までにないくらい怒っている。こうなったら手加減できずにルカを殺してしまうかもしれない。……できればそれはやめてほしい。
どうやって止めよう、と考えを巡らせた俺の肩を不意に誰かが掴んだ。
「……ヴォルフ?」
俺の肩を掴んでいたのは、真剣な顔をしているヴォルフだった。ヴォルフは大学の方を指差すと、小声で俺に囁いた。
「取りあえずあなたは急いでフィオナさんに知らせてください。リルカちゃんを探すにしても二人を止めるにしても人数が多い方がいい」
「それはわかるけど……ここは……」
「僕ができるだけ二人を抑えます。だから、早く!」
ヴォルフに肩を押されて、俺は渋々大学の方へと走り出した。
◇◇◇
「フィオナさぁん!! 大変です!!」
息を切らせて研究室に駆け込んだ俺に、フィオナさんは鋭い視線を寄越した。
彼女はどうやら休憩中だったようでソファーに座って優雅に紅茶を飲んでいたのだ。
あぁ、ティータイムを邪魔したのは謝りますからそんなに冷たい目で見ないでください!
「やかましいわね。何なのよ」
「そ、それが……リルカが大変なんです!!」
リルカの名前を出すと、フィオナさんの眉がピクリと動いた。
リルカの素性を話してもいいのか少し迷ったが、今は時間がない。俺は今まであったことを包み隠さずできるだけ急いでフィオナさんに説明した。
慌てていたのでちょっとテンパった箇所もあったが、なんとかだいたいの意味は伝わったはずだ!
俺の話を聞き終わると、フィオナさんは胸の前で手を組んでじっと考えを巡らせているようだった。
「そう。そんな事があったのね……」
「はい…………あの、結構冷静ですね……?」
当然、俺はリルカがホムンクルスだったと言う部分もそのままフィオナさんに伝えた。それなのに、彼女はあまり驚いた様子を見せなかった。
何でだろう。何となく予測していた俺でさえその現実にぶち当たった時はかなりショックを受けたのに。
「……あの子が普通の人間じゃないって事は察しがついてたわ。だって、あんな魔力量普通はありえないもの。でも……まさかホムンクルスとはね」
「それで……リルカはいなくなって……テオと錬金術師のルカって奴が危ない状況なんです!」
俺がそう急かすと、フィオナさんは紅茶を置いて立ち上がった。
「あんた、リルカの肉体の一部分は持ってる?」
「え……えぇぇ!!?」
「ちょっと……変な勘違いはやめてちょうだい。場所を探すのよ、この地図でね」
そう言うと、フィオナさんはテーブルに置いてあった地図を手に取った。
なるほど、あれはたしか相手の居場所がわかる魔法の地図だったはずだ!
必要なのはリルカの体の一部分……なんだけど、
「持ってない!!」
そう叫んだ俺に、フィオナさんは呆れたようにため息をついた。
「まったく……仕方がないわ。あんたたちの泊まっている宿屋に行くわよ。たぶん髪の毛の一本くらいは落ちてるだろうから」
そう言って足早に部屋を出たフィオナさんを、俺は慌てて追いかけた。
「あ、あの……テオの方は……」
「放っておけばいいわ。あいつだって曲りなりにも勇者なんでしょ。それなりの分別はついてるはずよ」
フィオナさんは顔色一つ変えずにそう言ってのけた。
なるほど、彼女はテオ達の方はまったく心配していないようだ。……ほんとに大丈夫かな。
まあでも、今はいなくなったリルカが最優先だ。
きっとテオもリルカの無事な姿を見ればちょっとは落ち着くだろう!
そう無理やり自分に言い聞かせて、俺はフィオナさんの後を追った。
とりあえず建物の外に出ようと階段を駆け下りたその時だった。突如何かが爆発するような音が辺りに響きわたり、俺とフィオナさんは思わず階段の手すりにしがみついた。
「な、何!?」
「……ここの棟じゃないわ!」
混乱する俺の横で、フィオナさんが低くそう呟いた。
確かに、今の音はものすごく大きかったけど方向的には少し離れた場所から聞こえたようだ。一体何があったんだろう。
「何かの、実験とか……」
「そうだとしても、こんな大規模な爆発を起こすなんて明らかに規則違反よ……!」
「もしかして……リルカ!!」
俺の頭の中に嫌な想像がよぎった。
いなくなったリルカと今の爆発音。関係ないと思いたいが、もしリルカが巻き込まれていたとしたら……!
「来なさい! だいたいの場所は予測がつくわ!」
「はいっ!!」
素早く立ち上がり走り出したフィオナさんの後ろを俺は追いかけた。
もう何が何だかわからない。リルカはホムンクルスで、そのリルカがいなくなって、テオは錬金術師のルカと今にも殺し合いを始めそうな雰囲気で、今度はどこかで爆発が起こって……いったい何だっていうんだよ!!
だが、俺のこの混乱はまだ序の口だった。
建物を出て、爆発音がした方向へと急ぐ。途中、棟と棟の間にある中庭に差し掛かった時に、俺たちはさらなる事態に遭遇することになる。
中庭では、何人かの魔法使いが険しい表情で何かに向かって杖を向けていた。
「えっ、なに……」
無視して進もうかと思ったが、その杖の先にいる人物を見て俺は思わず声をあげていた。
「イリス!?」
腰を抜かしたようにその場に座り込んでいたのは、あの偽勇者の妹のイリスだった。
俺の声が聞こえたのか、泣きそうな顔のイリスが振り返った。
「ク、クリス……! 助けて!!」
イリスは俺に気づくと、泣きながら這うようにしてこちらへとやってきた。
「助けて」と言ったのは周りを取り囲む魔法使いから助けてほしい、という意味だと俺は思ったのだが、何故か周囲の魔法使いたちはイリスがいなくなった後も彼女が座っていた辺りに杖先を向けていた。
「助けてって、何が……」
「レーテ、レーテが!!」
イリスは泣きながら姉の名を繰り返し呼んでいる。
何でそこでレーテが出てくるんだよ……と思ったのだがすぐにわかった。
イリスが座っていた辺りの地面がもこり、と盛り上がり、そこからゆっくりと黒い毛玉のような物が姿を現した。周りにいた魔法使いたちに緊張が走る。
「レーテが……急に、おかしくなって!!」
イリスがしゃくりあげながらそう説明した。
そうだ、イリスの言っているレーテとは俺と入れ替わったあいつのことじゃない。イリスがここで面倒を見ていたウサギのことだったんだ。
巨大な黒い毛玉はむくり、と起き上がった。黒い毛玉の中からのぞくよどんだ瞳が怪しく光る。
その頭のあたりからは、ウサギのような長い耳が飛び出していた。




