16 精霊の集う丘
「リ、リルカ……なんで……」
クリスが慌てたように声を掛けてきたのが分かったが、リルカは目の前の男から目を離すことができなかった。
黒い髪の長身の男……名はルカ。
……知っている。リルカはこの男を知っていた。
「おまえは……!」
男は驚愕したように顔をゆがめてリルカを凝視していた。
やっぱりそうだ。リルカは確信した。
「あ……なたが、リルカを……作ったんです、か」
男はしばらく目を瞑って黙っていたが、やがて観念したように目を開くとゆっくりと口を開いた。
「…………そうだ」
それを聞いた途端、周りにいたクリスたちが一斉に息をのんだ。
リルカはなんだか笑い出したくなってしまった。
クリスたちと出会って、自分の過去を探しにこんなに遠い国まで来たのに…………その結果がこんなものだったなんて!
「まあいい。……戻ってきたという事はそういう事なんだろう」
ルカは冷たい目でリルカを見ていた。彼は一歩足を踏み出すと、リルカに向かって言い放った。
「来い。解体してやる」
その言葉を聞いた途端、リルカは全身が一瞬にして冷たくなったように感じた。
次の瞬間、クリスが勢いよくルカに掴みかかっていた。
「てっめぇ! ふざけんなよ!! うわっ!」
ルカは面倒くさそうにクリスを突き飛ばすと、また一歩リルカに近づいてきた。
「先生! やめてください!」
「……足を止めろ」
クロムがしがみつくようにルカを制止しようとして、テオは剣を抜きかけた。それでもルカは止まらない。
また一歩、ルカはリルカの方へと向かって足を踏み出した。その冷たい眼差しと視線がぶつかった瞬間、リルカは今まで感じた事のない恐怖を感じた。
間違いない、目の前の存在は自分を破壊しようとしている。
ここにいたら間違いなく殺される!
「……っ!!!」
そう感じた瞬間、リルカはくるりとルカに背を向けて駆け出していた。背後からは誰かの制止するような声が聞こえたが、今のリルカにはそんな声を気に留める余裕はなかった。
無我夢中で家を飛び出して、どこへ行こうとしているのかもわからないままにリルカは走り出した。
◇◇◇
「はぁ、はぁ……」
周りはまったく道らしきもののない森だった。何度か突き出した木の枝に引っかかって、リルカの腕は傷だらけだ。それでも、何故か痛みは感じない。
それも当たり前か。だって、リルカは人間ではないのだから。
「っ……うぅ……!」
そう思うと涙が溢れだしてきた。
じんじんと痛む喉に気づかない振りをして、リルカは更にスピードを上げて森を駆け抜ける。
不意に覆い茂っていた木々が途切れて、ひらけた場所に出た。ひゅうひゅうと強く風が吹いている。
少し先は小高い丘になっているようで、リルカは無意識にその丘を登り始めた。
頂上まで辿り着くと、周りがよく見渡せた。リルカが走り抜けた森の向こうには、大学の建物が小さく見える。
……誰も追いかけてくる気配はない。気が抜けて、リルカは思わずその場に座り込んだ。
風が一層強く吹き付ける。その途端、リルカは堪えていたものが抑えきれなくなった。
「……うぅ…………うわぁぁん!!!」
どうせ誰も聞いていない。リルカは大声をあげて泣いた。
悲しい、悲しくてたまらない。
リルカは信じていた。自分は普通の人間で、家族がいて、生まれた場所があって、どこかに暖かく迎えてくれる人がいるのだと。
それがどうだ、自分は人から生まれたんじゃない。人によって作り出されたホムンクルスで、親も、家族もいなかった。
自分を作り出した人物は、冷たい目で自分の事を壊そうとしていた!
「うぅ……ひっ……」
悲しい、まるで心が引き裂かれるような悲しみだった。だが、その一方でリルカの中の冷静な部分がずっと囁いていた。
悲しみなんて感じるわけがない。だっておまえは魂のない人形なのだから、と。
そうだ、ホムンクルスには魂がない。ただ命令に従うだけの人形だ。だから、今リルカが感じている悲しみも錯覚だ。ただのまやかしでしかない。
そうわかっていても、涙が後から後から溢れて止まらなかった。
全て虚構だった。クリスたちと出会って、自分もテオみたいに人々を助けたいと思った。
彼らについて行くうちに感じた喜び、怒り、悲しみ……それらはすべて偽物だった。
だって、リルカは魂のない人形なんだ。
心も、感情も、あるはずがないのだ。
しばらくリルカは地面にうずくまるようにして泣きじゃくった。風がまるで慰めるかのようにリルカの頬を撫でる。
そして、不意に誰かの声が聞こえた。
『泣かないで……』
リルカは慌てて辺りを見回したが、そこには誰の姿も見つけることができなかった。
……幻聴だろうか。それとも、ついに自分は壊れてしまったのだろうか。
そんな事を考えていると、また別の声が聞こえた。
『大丈夫、心配ないよ』
『だから、もう泣かないで』
「だ、誰っ……!」
リルカがそう叫ぶと一層強く風が吹き付けた。そして、その風と一緒に淡い光がリルカの元へと集まってくる。
「あ…………」
光たちはリルカの元に近づくと同時にその姿を現した。
鳥のような姿のもの、蝶のような姿のもの、兎のような姿のもの、人間のような姿のもの。
皆一様に優しくリルカを見守っている。
この感覚には覚えがあった。リルカは思いつくままに口を開いた。
「精霊、さん…………?」
リルカがそう呟いた途端、付近を舞っていた蝶が嬉しそうにリルカの肩に止まった。地面を跳ねていた兎もリルカの足にすり寄ってくる。
『おかえりなさい、会いたかった』
少女の姿をした精霊が、そう言ってリルカに微笑んだ。
『帰ってくるの遅いよ!』
鳥の姿をした精霊がパタパタとリルカの周りを飛び回っている。
リルカは困惑した。いったい何の話をしているのだろう……。
「あの……どういう、こと……?」
そう尋ねると、精霊たちはざわざわと騒ぎ始めた。
『覚えてないの?』
『どうしよう』
『大丈夫だよ。だって』
『母様が来るから!!』
「かあさま……?」
リルカがそう聞き返した途端、周囲の精霊たちは一斉にわあわあとざわめき、一点を指し示した。
『ほら、母様が来るよ!』
「え……?」
精霊たちはリルカの背後を指している。リルカが振りかえると、強い風がまるで渦を巻くように周囲の草を巻き上げていた。
やがてその渦が竜巻のように大きくなり、ぱっと弾けたかと思うとそこに一人の女性の姿が現れた。
「えぇ……!?」
人間……ではない。淡い光を纏った女性は、どう見ても普通の人間の二倍はありそうな大きさをしていた。それに、肌が白すぎる。真っ白だ。萌木色の豊かな髪はふわふわと風になびいている。よく見ると足は宙に浮いており、彼女の周囲では相変わらず微弱な風が草を舞い上げていた。
「女神、さま……?」
どうみても人間ではない。なら女神ではないかとリルカは考えた。
彼女の雰囲気は、教会で見る女神の絵画に少し似ているような気がしたからだ。
だが、リルカの言葉を聞くと女性は困ったように微笑んだ。
『いいえ、わたしは女神ではありません』
「じゃ、じゃあ……あなたは……」
おそるおそるそう問いかけると、女性はにっこりと慈しむような笑顔を浮かべた。
『わたしは、あなたの母ですよ。……よくぞ帰ってきましたね、愛し子よ』
女性はゆっくりと白く美しい手をリルカの方へと差し出した。
リルカは女性の顔を見て、差し出された手を見て、もう一度彼女の顔を仰ぎ見た。
女性は相変わらず優しげな笑みを浮かべている。
「え、え……ええぇぇ……!!!?」




