15 いつかの記憶
その日、リルカがその場所にいたのはただの偶然だった。
ちょうど用があって宿屋まで戻って来ていたリルカが見たのは、クリス達三人と知らない少年だった。
誰だろう、と近づこうとしたリルカは聞こえてきた会話に思わず足を止めた。
「だから駄目ですって! 大学の人には教えられません!!」
「ならちょうどいいな。俺たち別に大学の関係者じゃないから」
「…………えぇぇ!? 僕のこと騙したんですかぁ!!?」
悪い悪い、と軽く謝るクリスに対して、少年はぷりぷりと何やら怒っているようだった。
何の話をしているのかはわからないが、何故だか自分が出て行ってはいけないような気がした。
そのうちに、四人はどこかへと歩き出す。リルカは気づかれないように少し距離を置いて四人の後を追った。
別にやましいことはないのだから堂々と声を掛ければいい。
そう頭では分かっていても、何故だかあの少年に近づくことができなかった。
何でだろう、彼には会った事がないし、見るのも初めてのはずだ。
それなのに、何故かその少年の姿を見ると胸がざわめいた。
◇◇◇
クリスたちは森の中に進み、一軒の家へとたどり着いた。その家を見た瞬間、リルカの頭がずきんと痛む。
やっぱり何かがおかしい。前を歩く少年もこの家も見たことはない。見たことはないはずなのだが、何故だか奇妙な既視感がリルカを支配していた。
その内にクリスとテオの二人が家の中へと入り、少し遅れて少年も慌てたように家の中へと走り込みヴォルフもそれを追っていなくなった。
誰もいなくなった家の前へとリルカはそっと近づいてみる。
赤いレンガ造りの小さな家だ。知らない。知らないはずなのに、うっすらと家の間取りが浮かんでくる。
「そう、裏に井戸があって……」
何かに引き寄せられるように、リルカはふらふらと家の裏へと回り込んだ。
「あ…………」
思った通り、そこには小さな井戸が鎮座していた。そっと井戸のふちに触れ中を覗きこむ。そこにはゆがんだ表情のリルカがこちらを見つめ返してくるのが見えた。
そう、昔はこの井戸もずいぶん大きく感じたものだ。こんな風に中を覗き込むなんてこともできなかった。
「昔…………?」
いったいこの感覚は何なんだろう。この家も、こんな井戸も知らない。
それなのに、何でこんなに懐かしく感じるんだろう。
そう思った瞬間、家の中から怒鳴り声が聞こえリルカはびくりと体をすくませた。
テオではない、知らない男の声だ。それなのに、その声を聞くと何故か今までになく胸がざわめいた。
家の前まで戻り、開いたままの扉からそっと中を覗く。
入ってすぐの部屋には誰もいない。クリスたちは奥へ行ったのだろうか。リルカはそっと家の中へと足を踏み入れた。
家に入ると、胸のざわめきが増した。不意に窓際に飾られたピンク色の花が目に入り、リルカは引き寄せられるようにその花へと近づいた。
鮮やかなその色は、リルカの髪の色と同じだ。
『リラ様と同じ、綺麗な色だね』
頭の中に知らない声が蘇り、リルカは思わず頭を押さえた。そう言ったのは誰だっただろう。
知りたい……いや、知らなくちゃいけないことだ。
リルカはそっと足音を立てないように扉に近づいた。声は扉の向こうのもっと奥から聞こえてくる。意を決して扉を開くと、その向こうは廊下のようになっており、一番奥の部屋から何人かの声が聞こえてきた。
引き寄せられるように扉に近づくと、中の声がはっきりと聞こえるようになった。
「あの……どこから話せばいいのか……」
「ホムンクルスを作るのに成功したって言うのは昨日聞いたから、その続きな。それでそのホムンクルスはどうなったんだよ。今もここにいるのか?」
さっき見た少年とクリスの声だ。
ホムンクルス、という言葉聞こえた途端、扉を開こうと伸ばしていたリルカの手は固まった。
ホムンクルス、作る、成功……知らない、そんな言葉は知らないはずなのに、何故だかすっと頭の中に入ってくるような気がした。
「そうですね……最初のホムンクルスが生まれて、僕たちはその子を育てていました。はっきりと成果が出たら大学にも発表しようと思ってたんです。何年か経って、何人かのホムンクルスが生まれました。……でも、その頃大学ではちょっと大変なことが起こっていて……」
「大変な事?」
嫌だ、聞きたくない……。
知らず知らずの間に、リルカの体は震えだした。
「過激派って呼ばれる、ちょっと危険な一派がいたんです。危険な研究に手を出して追放間近だって言われてましたね。そして、大学では過激派とその過激派を諌めようとする一団との間で衝突が起こりました。……死者も出たって聞いてます。それで……その過激派の中に、ボクと同じくルカ先生の弟子がいたんです」
知らない、そんな事は知らないはずなのに……その先を聞くのが怖い。
まるで、足元が今にも崩れそうな場所に立っているような気分だった。
「その兄弟子は、この家を襲撃しました。僕たちも何とかしようとしたんですけど……相手は大人数で……そこにいたホムンクルスはすべて連れていかれました。その研究過程も持って行かれたと思います。……それ以来、ルカ先生はホムンクルスを作ってはいません」
襲撃――なぜかありありとその光景を頭の中へ描き出すことができた。この家に知らない人が押し寄せて……いや、違う。一人は見たことがあったはずだ。
「なので、もしアルエスタでテオさんを襲ったのがホムンクルスだとしても、ルカ先生が仕向けたものではありません」
アルエスタ、襲われた――すぐに何のことかわかった。フォルスウォッチの地下で戦った不思議な子供のことだろう。あの時、リルカは精霊に気をとられていてあの子供たちのことはよく見ていなかった。
だから気が付かなかったのだ。きっと、もっと注意を払っていればすぐに気が付いただろう。
……あの子供たちは、自分とよく似ていたことに。
「だが、俺に意志に反していたとしても俺の生みだした物が悪用されたのは事実だ。ホムンクルスには魂がない。どんな危険な命令にも従う人形だ。これはそういったリスクを管理できなかった俺の責任だ」
――悪用された、魂がない、どんな危険な命令にも従う人形――
扉へと手を伸ばした自分の手がみっともなく震えているのにリルカは気が付いた。
違う、そんなはずはない。だって、リルカはもう命令に従うだけの人形じゃない。
……本当に? 自分でそう思い込んでいるだけじゃないの?
そっと自分の胸に手を当てる。
違う、魂がないなんてそんなはずがない。リルカはもう自分で考えて行動できる。
……本当に? それも誰かの命令じゃないの?
「あ、あのさ! そのホムンクルスってどういう見た目してんの?」
クリスの声が聞こえ、リルカははっと顔をあげた。
その途端に、リルカはクリスの傍に行きたくなった。クリスはいつも優しい。そう、クリスならきっとこの不安を取り除いてくれるに違いない。そう信じていた。
目の前のドアノブをまわそうとしたが、次に聞こえてきた声にリルカの体は硬直した。
「見た目は普通の子供と変わりないんですよ。ただちょっと目の色とか髪の色とかが珍しい色になったかな……。特に、最初に生まれた子なんかはルカ先生の影響か女神リラ様によく似た容姿をしていたんです!」
「え……」
『リラ様と同じ、綺麗な色だね』
また頭の中にあの声が蘇った。
これは誰の声か……そんなのはもうわかっている。これは、今扉の向こうで話している少年の声だ。
「ちゃんと人の子供みたいに僕が名前も付けていたんですよ。そうですね……例えば、最初の子はルカ先生とリラ様から名前をもらって……」
「リルカ」
そう聞こえてきた声がとどめだった。知らず知らずのうちに、リルカの手はドアノブを回していた。
きぃ……と小さな音を立てて部屋の扉が開く。
部屋の中にいた全員が驚いたような顔でリルカを振り返った。
だが、リルカの視線はたった一人にくぎ付けになった。
黒髪の長身の男。彼を見た瞬間に、リルカはわかってしまった。
そう、自分はここで生まれた。
……いや、作られたのだ。目の前の男の手によって。




