12 森の奥の錬金術師
小さな少年クロムは大通りを超えて、大学へと続く道とは別の細道へと進んでいった。
その後について行くと、道は木々が覆い茂る森の中へと続いていた。
「え、こっち?」
「はい。先生はにぎやかなところは嫌だって人気のない所に住んでるんです。まあ家から出ない先生はそれで良いかもしれないかもしれないけど、いちいち買い出しに行く僕の身にもなってほしいですよね。ほんとに先生は……」
俺は愚痴を言いながら歩くクロムの背中を眺めながら、アムラント島の地図について思い出そうとした。
確かこの島は中央部に大学があって、その南側は市街地、北側は森林地帯となっていたはずだ。……とすると、この少年が先生と呼んでいる人物は森林地帯に住んでいるんだろう。
……変わった人もいるもんだな。
そのまましばらく俺たちは歩き続けた。いくつかの川を越えて、倒木を超えて……いい加減に疲れてきた。目を凝らしても人が住んでそうな建物は見えない。
「なぁ……まだ着かないの?」
「もうちょっとですよ。あれ、もしかして疲れたんですか?」
クロムは目をぱちくりと瞬かせて驚いたように俺を見ている。
いやいや……そんなに驚かれても疲れたものは疲れたんだよ。
「おまえはよく街まで行くのか?」
「はい。食料とかも買いに行かないといけないですし……今日みたいにいろいろ売って生活費の足しにしてるんです」
「へぇー、苦労してるんだな……」
見た目はリルカとそんなに変わらないのに随分と苦労人のようだ。
そのルカ先生とやらの面を拝んでみたいぜ。まあたぶんもうすぐ見えるんだろうけど。
そのまままた歩き続けて、不意に木々の間に何やら赤いものがちらちらと見えてきた。
「ほら、あそこです!」
クロムはその赤い建物らしきものを指して嬉しそうに声を上げた。
近づくと、赤いレンガ造りの小さな家がぽつん、と一軒だけ建っていた。なんかおとぎ話とかに出てきそうな建物だ。
「この時間なら先生も起きてるかな……。せんせーい! お客さんですよー!!」
クロムは入口の扉を開くと、大声を出しながらどかどかと家の中へと入って行った。
「なぁ、俺たちも入っていいのか?」
「いいんじゃないか。クロムはその為にオレ達をここまで連れて来たんだろう」
テオが遠慮なく中へと入って行ったので、俺もその後に続いた。
中は思ったよりも普通の家だった。暖炉のそばに小さなテーブルと椅子が三脚置いてあり、窓際にはピンク色の花が飾られている。
そういえば「ルカ先生」の性別は聞いていなかったけど、この感じだと女の人のような気がする。
くっそ、羨ましいなクロムの奴……。
部屋の奥の扉の先からは何やら話し合うような声が聞こえる。クロムの声は聞こえるがその相手は声が小さいのか全然聞こえない。その内にクロムの焦ったような声が聞こえ、次の瞬間奥へと続く扉が開いた。
俺の予想では眼鏡をかけた妙齢のインテリ美人が登場するはずだった。
だが、扉の奥から出てきたのは長身のガラの悪そうな男だった。
「ったく、勝手に人ん家にどかどか入り込みやがって……」
乱れた黒髪に鋭い瞳。クロムと同じくとがった耳を持つ長身の男は、不快そうにじろりと俺たちを一瞥した。
「せ、先生……この人たちは大学の方で先生の……」
「あぁ? クロム、てめぇ何言ってんだ。こんな知性の欠片もなさそうな奴らが大学の人間のはずがねぇだろが……!」
心底馬鹿にしたように男はそう言い放った。
知性の欠片もない、とは随分な言い方だ。俺はちょっとむかついた。
たとえ真実だとしても、もうちょっと言い方ってもんがあるだろ!
「ま、待ってください! この方たちは先生の錬金術に興味を持たれてて……ほら、クリスさん! あれ見せてください!!」
クロムが焦ったように俺の方に手を伸ばしてきた。
「あれ? あぁ……」
俺はリルカのブローチを取り出してクロムに手渡した。クロムは慌てたように男にブローチを見せて説明している。
「ほら、これって先生が作ったものですよね!? 皆さんこれを見てここまで先生を探しに来たんですよ!」
男は訝しげにブローチを眺めていたが、その言葉を聞くと一瞬で顔がこわばった。
「だから、うまくいけばまた大学に……」
「……出ていけ!!」
突如男は豹変したように立ち上がりそう叫んだ。男の傍らにいたクロムがびくりと肩をすくませたのが見えた。俺も慌ててテオの背中に隠れる。
「出てけ! てめぇらと話すことは何もねぇ!!」
「おい、だがオレ達は……」
「出てけつってんだろーがっ!!」
男は怒りをあらわにした表情でまたそう叫んだ。駄目だ、とても話を聞いてくれそうにはない。
「テオさん、ここは退きましょう……」
ヴォルフに腕を引っ張られて、テオは渋々と言った様子で頷いた。
俺もいきなり大声で怒鳴りだした男が怖かったので早くここを出たかった。二人でテオを引っ張って家の外まで連れて行く。
「すみません、今日は先生機嫌が悪いみたいで……」
俺たちが外に出るとクロムが申し訳なさそうに頭を下げた。そのまま、中に戻ろうとしたクロムの体が不意に宙に浮いた。
着ていたローブの首元の部分を掴まれて、まるで小動物のようにクロムの体はさっきの男に持ち上げられていた。
「せ、先生……?」
「おい、何勘違いしてんだ? てめぇも出てけ!」
「ぎゃん!!」
そのままクロムの体はぽいっと外に放り出される。次の瞬間にはばたん! と大きな音を立てて無情にも扉は閉められてしまった。
「先生!? ちょっと待ってください!! ルカ先生!!」
起き上がったクロムがどんどんと扉を叩いたが、中からは何の反応もない。しばらくは扉を叩き続けていたクロムも、やがて無駄だと悟ったのか大きなため息をついてその場に座り込んでしまった。
「はぁ……どうしよう……」
ひどく落ち込んだ様子のクロムが哀れに思えて、俺は思わず声を掛けてしまった。
「なぁ、取りあえず街の方に戻らないか? このままここにいても入れてもらえなさそうだし、俺たち宿取ってるからそこに来いよ」
純粋な善意からの申し出だったが、それを聞くとクロムは驚いたように目をまるくした。
「えっ、会ったばかりの男を部屋に連れ込むなんてクリスさんって結構大胆なんですね」
「…………やっぱやめるわ。一生そこで座ってろよ」
「うわぁぁ! 嘘です! ちょっと場を和ませようとしただけなんですー!!」
クロムを置いて立ち去ろうとすると、奴は慌てたようについてきた。
まったく、笑えない冗談なんて言わなければいいのに。
「……それにしても、お前みたいな子供を放り出すなんてあのルカって奴も結構ひどい奴だな」
「あれ? 僕もう成人してますよ?」
「え?」
俺は慌ててクロムを振り返った。クロムはきょとん、と大きな瞳で俺を見つめ返してくる。
その顔はどうみてもリルカのような子供にしか見えない。どうみても十歳そこそこだろう。
じっとクロムの顔を眺めていると、丸みを帯びた輪郭にとがった耳が目に入る。
……そういえばこいつはエルフだった。フィオナさんも成人してるって言ってたし、エルフは思ったよりも成長が早いのかもしれないな。
「なぁ、お前って何才?」
「今年で35です」
「はあぁ!?」
驚きすぎて変な声が出てしまった。さすがにテオとヴォルフも驚いたのかクロムに近づいてくる。
「35才? 13とか15じゃなくて!?」
「そうですよぉ、もうとっくに成人してるんですから。ルカ先生も僕を一人前の男と扱って放り出したんですよ!」
クロムは得意げに胸を張った。
いや、放り出された事は誇るところじゃないだろう。それよりも、本当にこいつは35才なのか? こんななりで俺の2倍近くも生きているとか信じられない!
「エルフは人間よりも成長速度がはやいんです。だから見た目だけで判断しちゃだめなんですよ!」
「うーん……」
そう言われてもいまいち実感がわかない。まだクロムが俺たちをからかってるだけなんじゃないかという気がしてくる。
だって、10才くらいに見えるクロムが35才って事はフィオナさんは……やっぱり考えるのはやめておこう。
「……まあいいや。子供じゃないって事はもう遠慮はしないからな!」
「えー、優しくしてくださいよぉ」
「あーもう! 何でもいいから行くぞ!!」
俺は考えるのを放棄して、クロムを引っ張って街の方へと歩き出した。
◇◇◇
「わー! こんなにお肉食べるのは久しぶりです!!」
「そうか! 今日はオレのおごりだ。好きなだけ食べるといい」
「わぁ、テオさんって優しんですね! さすが勇者様!!」
夕食をとりに適当な店に入ると、クロムは目を輝かせて料理にぱくついていた。テオも褒められて満更でもなさそうだ。まあ、二人がいいならそれでいいか。
聞けばクロムは普段は金が無いのであまり高い食材は買えなかったらしい。あの錬金術の品物を売っていても結構生活は苦しいようだ。
「あのルカって奴は何やってんの?」
俺がそう聞くと、クロムは食事をとる手を止めて答えてくれた。
「ルカ先生はすごい錬金術師なんです! 難しいものでもぱぱっと作っちゃうんですよ!」
ルカって奴の話を振るとクロムはきらきらと目を輝かせながら話し始めた。いやいやあいつの所にいる……というわけではなさそうだ。
「あの人、仕事はされてるんですか?」
ヴォルフがそう尋ねると、クロムはあからさまに目を泳がせた。
「いやぁ……前は自作の道具とか売ってたんですけど最近は家にこもりっぱなしで……」
「駄目男じゃん……」
そう呟くと、クロムは慌てたように手をぶんぶん振って否定した。
「そんなことないんです! その……今はちょっと休養期間なんですけど、きっとまた前みたいにやる気に満ち溢れる先生に戻ります! ……たぶん」
最後の言葉は自信なさげだった。たぶんクロム自身の希望的観測なんだろう。
それにしてもクロムの話だと錬金術師ルカは以前はきちんとした人物だったようだ。それがあんな感じになってしまうとは、一体何があったんだろう。
「そのルカ先生とやらは今は何であんなに閉じこもってイライラしてるんだ? スランプ?」
「その……ちょっといろいろあって……」
クロムは俯いてもごもごと口動かしていたが、やがては決心したように顔をあげた。
「あの……皆さんは大学の関係者なんですよね……?」
「……うん」
俺たちはフィオナさんの護衛なんだし、関係者と言えば関係者だ。ちょっと苦しいけどそういう事にしておこう。
「だったら、先生の事を聞いてもらえますか? 僕もずっと前みたいなルカ先生に戻ってほしくていろいろやってるんですけど、僕だけではどうにもうまくいかなくて……」
小さな声でそう呟いたクロムの声を聞いて、テオはかちゃん、と持っていたフォークを置いた。
……今までは普通に食っていたみたいだ。ちゃんと話聞いとけよ。
「クロム、何があったのか話してくれないか? オレ達でよければ力になろう」
テオがそう言うと、クロムの顔がぱっと輝いた。
……そうか、こいつもけっこう切羽詰まった状況だったのかもしれないな。ずっと、誰かに話を聞いてもらいたかったのかもしれない。
そして、クロムは話し始めた。
「ルカ先生なんですけど……昔は、大学で研究をしていたんです。……あの事件が起こるまでは」




