8 魂の記憶
じっと見守る俺たちの視線を受けて、ディオール教授はゆっくりと口を開いた。
「あの子と出会ったのはほんの数年前の事なんです。あの子は悪質な魔術結社に捕らわれていた所を私の友人に救出されたようでして……」
「悪質な魔術結社……」
フィオナさんがいまいましそうにそう吐き出した。ちらりと横目で様子をうかがえば、今までに見たこともないほどに顔をゆがめていた。
「あの、悪質な魔術結社って……」
「この大学を含めた、一般的な機関では禁止されている倫理に反した研究を進める奴らの組織よ。国の方でも撲滅を進めているのだけれど、奴らってほんとゴキブリみたいにあとからあとから湧いて出てくるのよ……!」
フィオナさんはいらついたように足を組みなおした。よっぽどその魔術結社とやらの存在が気に入らないようだ。まさかお姫様の口からゴキブリなんて言葉が出てくるとは思わなかった。
「ええ、私の友人もその結社を潰す作戦に参加した者の一人なのです。そこには……イリスをはじめ、多くの幼い子供たちが捕えられていたそうです。中には、非人道的な行為に利用されていた子供もいました」
「最低ね……」
フィオナさんがそう呟いた。俺も同感だ。研究の為に子供を閉じ込めて利用するなんて頭がおかしいとしか思えないな。
「多くの子供たちは親元や、養護者の元へと引き取られましたが、イリスは相当小さな頃からそこにいたようで故郷や家族の話を聞いても要領を得ないのです。唯一はっきりと聞けたのがレーテと言う名の姉がいるという事だけですね」
ディオール教授は悲痛な面持ちで額を抑えた。
レーテの名前が出てきて俺はドキッとした。そういえば、レーテも彼女の持つ不思議な力を利用としようとする奴らの話をしていた。あの時は正直よくわからなかったけど、本当にそう言う奴らがいるって事なのか。
「イリスの言う姉の話が本当の事なのか、それともあの子の妄想の産物なのかわかりかねていましたが、あなたみたいにイリスにそっくりな方がいるという事は、きっと本物の『レーテ』も存在するのでしょうね」
ディオール教授はそう言うと俺の方を見てにっこりと笑った。穏やかな微笑みだがその目がまるで俺の心を見透かそうとしているように見えて、俺は内心ドキドキしっぱなしだった。なんだろう、この人には些細な嘘でもすぐに見破られてしまいそうな気さえする。
ちょっと俺が冷や汗をかき始めた時、奥の扉がかちゃりと開いてイリスがやって来た。
「コゼット先生。お茶、淹れて来たよ」
「ありがとう、イリス。本当に助かるわ」
ディオール教授に褒められて、イリスは嬉しそうにはにかんだ。よかった、もう泣いてはいないな。
一通り全員にお茶を勧めると、イリスは俺に向き直っておずおずと切り出した。
「あの、ごめんなさい……私、勘違いしてたみたい」
「いやいや、俺は全然大丈夫だから! 気にしないでくれるとありがたいよ!!」
俺がそう言って手を振ると、イリスは明らかにほっとした顔をした。
その後は穏やかな雰囲気で、ディオール教授の研究の話などを聞いた。精神学というのはよくわからないが、どうやら人の心と魂の研究をしているようだ。
「魂、といっても中々人間の領域では分からないことも多いですからね。とにかく多くの人に話を聞いて、推測するしかないのです」
「推測?」
「ええ、最近考えているのは『魂の記憶』というものがどれほどの影響を及ぼすのか、ですね」
「魂の記憶……?」
聞いたことがない言葉だ。俺が不思議そうな顔をすると、ディオール教授は嬉しそうに微笑んだ。
「人の記憶は体の他に魂にも蓄積する、という仮説です。人の体が滅びた時にほとんどの記憶はリセットされて転生には影響を与えないとされていますが、体とは別に魂にも記憶が残っていて、それらは生まれ変わった後も魂の奥深くに刻み込まれ無意識のうちに影響を与えている、と私は考えているのです」
「へ、へぇ……そうなんですか……」
やばい、全然わからない。やっぱり教授って頭いいんだな。俺にはよく話が理解できないよ。
困惑する俺に助け舟を出すように、ディオール教授は一つ問いかけをしてきた。
「例えばクリスさん。あなたに嫌いな食べ物はありますか?」
「嫌いな……辛いものは少し苦手です」
前はそうでもなかったが、バルフランカでテオに激辛トマトを食べさせられて以来俺は辛いものがすっかり苦手になってしまったのだ。まあ、自業自得と言われればそうなんだけど。
「そうですね……たとえば、あなたは前世で辛い物を食べすぎて血を吐いて亡くなった。魂の奥底にその記憶が残っていて、その影響で今世では辛いものが苦手になってしまったのである……と考えるのが『魂の記憶』なんですよ」
ディオール教授はとんでもない事を言いながらにっこりと微笑んだ。対する俺はまさか嫌いになったのは最近です、なんて言えるわけもなく曖昧に頷いた。
彼女の理論からするとテオに激辛トマトを食べさせられたせいで来世の俺は生まれた時から辛いものが苦手だったりするんだろうか。うーん、なんか理不尽な気がするな……。
「まあ、これはあくまで私個人の仮説であって、きっと多くの人からは嘲笑されるような馬鹿げた考えなのかもしれません」
「でも、そんな馬鹿げたことをとことん研究できる場所がここなのよ」
そう言うとフィオナさんはえっへん、と胸を張った。……あんまり胸無いな。きっとテオの守備範囲外だろう。
その後も取りとめもない話を聞いて、気が付いたら結構な時間が経っていたようだ。
「あらあら、もうこんな時間ですね。お引止めしてしまってすみません」
「いえ……興味深いお話をありがとうございます」
フィオナさんが丁重に頭を下げると、ディオール教授は嬉しそうに笑った。
「是非またいつでもいらしてください。ねえ、イリス」
「うん……また来てね!」
イリスもにっこりと笑って俺たちに元気よく手を振った。よかった、もう落ち込んではいないようだ。
俺たちもディオール教授に礼を言うと、建物から外に出ようとした。ちょうど俺が扉に手を掛けた時、控えめな声でディオール教授に呼び止められた。
「クリスさん、少しよろしいですか?」
「はい……?」
振り向くと、ディオール教授はいつになく真剣な顔をしていた。俺もちょっと構えてしまう。
「もしもこの先、あなたが本当の『レーテ』に会う時が来たら伝えていただけますか。……イリスは今でもずっとあなたの事を待っていると」
ディオール教授は俺をじっと見つめてそう言った。その目はまるですべてを見透かしているような気がして、俺はびくっとした。
「はい……必ず、伝えます」
なんとかそれだけ口に出すと、俺は逃げるように扉の外へと出た。
そんなはずはないのに、ディオール教授にはまるで俺が本物のレーテの事を知っているとばれているんじゃないか、そんな気すらしてくる。何でだろう、彼女が持つ独特の雰囲気のせいだろうか。
そうして俺たちはやっと本来の目的地であるフィオナさんの所属する研究室へと向かう事となった。
◇◇◇
階段を上って降りていくつもの柱廊を通り抜けてまた階段を上って……俺一人じゃ絶対にたどり着けないな、と考え始めた時にやっとフィオナさんの研究室へとたどり着いた。フィオナさんの研究室は大きな城の中の、いくつもの部屋が立ち並ぶ広い廊下の一画に存在していた。
廊下には忙しそうに魔法使いらしき人たちが走り回っている。随分と活気のある場所だ。
フィオナさんが部屋の扉を叩くと、すぐに扉が開いて立派なあごひげを生やした壮年の男性が俺たちを迎え入れてくれた。
「待っていたよフィオナ! 休暇はどうだったかい?」
「いつもと変わりありませんわ。今回は優秀な護衛が付いていましたしね」
フィオナさんはそう言うと、男性に向かって俺たちの紹介を始めた。特にテオが勇者だという事を聞くと、男性は喜び勇んで手を叩いた。
「ミルターナの勇者か、それは素晴らしい! まさか本物に会えるとは思わなかったよ! 私はレナルド・ダラス。ここではフィオナと共に魔法道具を中心とした研究をしているんだ」
聞けば、この人もさっきのディオール教授と同じくこの大学の教授という事だった。それにしては随分とフレンドリーな人だな。ダラス教授は俺たち一人一人に握手を求め、テオがラヴィーナでドラゴンと戦った話をすると子供のように大喜びしていた。
俺も勇者の存在が他国の大学教授にも認知されているようで嬉しくなった。シーリンに「その年で勇者? 痛くない?」とか言われた時はかなり傷ついたからな。
ダラス教授の話を聞きつつ部屋に置かれている物へと視線を彷徨わせると、この部屋には大学に来る前の通りの商店で見たような不思議な道具がたくさん置いてあった。
「あら気になるの? 魔法道具」
「えっ? あ、はい……」
俺の視線に気が付いたのか、フィオナさんが小声でそう尋ねてきた。隠してもしょうがないか、と正直に話すと、彼女はくすりと笑って立ち上がった。
「教授、話が長いのよ。テオが相手してくれるみたいだし、見せてあげるわ」
「ほんとですか!?」
俺は彼女の言葉に甘えて、魔法道具を見せてもらいに立ち上がった。




