5 魔法のレッスン再び
馬車に乗り換えてからも、俺たちの行程は順調に進んでいた。
フィオナさんは言った通りリルカに魔法の何たるかを叩きこんでいるようで、二人の会話には常に小難しい単語か飛び交っていた。
鍛えてあげる、と言った通り、フィオナさんは魔法に関してはかなり熟練者のようだった。今も、馬車に揺られつつリルカを含む俺たちに魔法についてレクチャーしてくれているのだ。
「いい? まずは基礎を完璧にすること。いろいろとアレンジするのはそれからでいいのよ。まずは基礎がなってないとどうにもならないわ」
フィオナさんによると一般に売られている呪文書に載っている黒魔法は基本中の基本の部分で、大学ではさらに魔法をアレンジしたり使いやすくしたりという研究が盛んに行われているという事だった。なんでもアムラント大学の中と外では驚くほど魔法の発展具合に差があるらしい。
「自分で理解できても人に教えるのって難しいのよ。一般に流通している呪文書はその辺をクリアできているから誰でも使えるの。これってすごい事なのよ? 大学にいる人たちは自分の研究に没頭することが多いからね、あんまり人に教えるのは上手くないのよ」
「へぇ、研究ってどんなことをやってるんですか?」
「まあ、魔法道具の開発や魔法を使った際の負荷の軽減とか……多岐にわたるわね。でもあまりに危険すぎたり、倫理に反していたりする研究者は追放されるのよ。前は堂々と邪術の研究している奴がいて、追放の上投獄されてたわね」
いくら魔術の研究と言ってもやっぱり邪術は御法度のようだ。まあ当然か。
◇◇◇
何日目かに宿屋に泊まった時のことだった。夕食を終えたフィオナさんは実地練習を始めると言ってリルカを宿屋の外へと連れて行った。特にやることもなかったので俺たちもその様子を見学することにする。それにしても、直に教えてくれるなんてフィオナさんはよっぽどリルカの事を気にいったのかもしれない。これって結構すごいことだよな。
「風魔法は使えるわね?」
「は、はい! 大丈夫です!!」
「そう、ならいいわ」
リルカに向かってそう確認すると、次にフィオナさんは俺たちに向かって落ち葉を集めてくるように命じた。何でだよ……と思ったが、またキーキーわめかれても面倒なのでおとなしく落ち葉集めに専念することにする。その間も、フィオナさんは何事かリルカに説いているようだった。
「まあ、このくらいあれば十分よ」
俺たちが集めた落ち葉は優に大人一人のベッドが作れそうなほどの量があった。いったいこの落ち葉をどうするんだろうか。まさかたき火でもするんじゃないだろうな。
「じゃあまず私が手本を見せるから、その後に同じようにやってみて」
「はい!」
リルカが力強く頷くと、フィオナさんは短く呪文を唱えた。
「……“旋風”」
彼女がそう唱えて杖を振った途端、落ち葉の山が形を保ったままふわりと浮き上がった。
「風の力をコントロールして、できるだけ形を崩さないように浮かせて見せて。不安だったら力の弱い呪文から試した方がいいわ」
落ち葉の山は俺たちの頭上よりも高くにふわふわと浮き上がっている。一枚たりとも落ちる様子はない。フィオナさんがもう一度杖を振ると、そのままゆくっりと地面へと降りてきた。
「はい、次はあなたの番よ」
「はい……!」
リルカは緊張した面持ちで杖を構えた。
「……大気よ、集え、“薫風!”」
リルカがそう唱えた途端、落ち葉の山に動きが見えた。だが、フィオナさんの時とは違って落ち葉は四方八方へ飛び散りながらぶわりと舞い上がった。
「あ、あぁ……」
「……まあ、最初はそんなもんでしょうね。でもこれは大事な事よ。制御できない力はいつか誰かを傷つけることとなる。それは魔法使いにとって最も忌むべきことである……。これはアムラント大学で魔法を学ぶにあたって一番大事なことだと言われているの。少しずつでいいから、練習なさい」
それだけ言うと、フィオナさんはさっさと宿の中へ戻って行った。リルカはきゅっと唇をかみしめて飛び散った落ち葉の山を見つめている。
「オレはフィオナの護衛に戻るが……お前たちはどうする?」
テオが遠慮がちにそう声を掛けた。まあ護衛対象を放っといちゃいけないよな。もう夜になりかけていて結構寒いし、俺たちも戻った方がいいんじゃないか。俺はそう言おうとしたが、そのまえにリルカが口を開いた。
「リ、リルカは……もう少し、練習……します!」
そう言って顔をあげたリルカの目には強い光が宿っていた。リルカはやる気だ。そういうことなら、俺も逃げるわけにはいかないよな。
「ここで俺とヴォルフはリルカの練習についてるよ。テオはフィオナさんを頼む」
「ああ、まかせろ」
テオが宿屋に戻ったのを確認して、俺は再び飛び散った落ち葉を集めた。ヴォルフの意志は確認せずに応えてしまったが、特に文句も言わずに落ち葉集めを手伝ってくれていることから考えると、俺と同じくリルカの練習を見守るってことで意義はないんだろう。
「よし、リルカ! ちゃちゃっと上達してフィオナさんを驚かせてやろうぜ!!」
「うん……リルカ、頑張る……!」
一通り落ち葉を集め終わると、リルカは再び呪文を唱え始めた。落ち葉が飛び散ったらまた集めて、もう一度呪文を唱える。
リルカは何度だって諦めずに魔法を使い続ける。すごいな、リルカ。たぶん俺だったらすぐに諦めてるよ。でも、これがリルカの強さなんだ。だったらリルカが頑張る限り、俺もリルカを手伝おう!
その日のリルカの特訓は、真夜中になってさすがにそろそろ寝た方がいいとテオが俺たちを注意しに来るまで続いた。
◇◇◇
「あら、何だか眠そうね。健康管理を怠るなんて護衛としての自覚が足りないのではなくて?」
「おっしゃる通りです……」
翌朝、夜中までリルカの特訓に付き合っていた俺は思いっきり寝不足状態だった。リルカも同じくらい夜更かしをしていたはずなのに、今もじっと手元に集中している。眠くないのかな。
さすがに馬車の中では落ち葉を浮かせたりはできないので、現在はコップの中から少しずつ水を取り出すと言う地道な作業に没頭しているようだ。それに何の意味があるのかはよくわからないが、フィオナさんによるとこれも重要な修行らしい。
うとうととしつつリルカの手元を眺めていると、突然馬のいななきと共に馬車全体ががくん、と揺れた。
「ちょっと、何!?」
「ま……魔物が!」
御者が素っ頓狂な声が聞こえて慌てて外をのぞくと、御者の言った通りに人間の子供ほどの大きさの犬のような魔物が行く手をふさいでいた。
「なによ、あんなの雑魚じゃない」
「おい、危険だから降りるな……こら!」
テオが止めるのも聞かずに、フィオナさんは馬車から降りてしまった。……この人は自分が護衛を雇ってる意味を分かってるんだろうか。
俺たちも慌てて降りると、魔物は俺たちを威嚇するかのように唸っていた。対するフィオナさんは余裕の笑みを浮かべて魔物を眺めている。
「あら、まさか魔物の分際でアルスター家に楯突こうって言うの?」
「そんな事言っても通じないんじゃ……」
「関係ないわ。私の前に立ちふさがった時点でアルスター家の敵よ」
よくわからない理論を展開しながら、フィオナさんは鞄の中からこぶし大の球のような物体を取り出した。
「おい、何をするんだ……」
「こうするのよ」
フィオナさんはそのまま手に持った球を魔物の方へと投げつけた。だが、魔物もそれを予測していたようでひらりと身をかわして球を避けた。でも、それで終わりではなかった。
「“発火”」
フィオナさんがそう唱えた途端、地面に落ちた球がすさまじい轟音をあげて爆発した。はずみで魔物が勢いよく吹っ飛ばされる。そのまま地面に叩きつけられた後、よろよろと起き上がった魔物はフィオナさんに恐れをなしたかのように、キャンキャンと子犬のような鳴き声をあげてどこかへ走り去っていった。
「ふぅ、これで障害物はいなくなったわ。出発してちょうだい」
「は、はい!」
御者に声を掛けると、フィオナさんは何事もなかったかのように馬車の中へと戻ろうとした。
その声で、呆然としていた俺は我に返った。
「ちょ、今の何ですか!?」
「何って……私が研究中の魔法道具よ。まだ威力はいまいちね。一撃で仕留められるような物を考えていたんだけど」
「えぇー……」
「大学に戻ったら改良しないと、遠距離起動に問題はないから、うまく効力を高めるために……」
フィオナさんは何やらぶつぶつと呟きながら、今度こそ馬車の中へと戻ってしまった。
俺はそっと彼女が球を投げつけたあたりへ視線をやった。彼女は威力がいまいちだとか言ってたが、そこの地面は大きくえぐれていた。
「あの人……護衛なんていらなくないですか?」
ぽつりとヴォルフが呟いた言葉に、俺は無言で同意するしかなかった。




