1 海原を超えて
船は順調に海原を進んでいく。一つ順調でなかったのは、あのゴリラ勇者の体調だけだ。
「おーい、生きてるかー?」
俺が部屋へ入ると、あいかわらずテオがベッドで唸っていた。船が出発した時はやたらとテンションが高かったこいつはどうやら酔いやすい体質だったらしく、すぐにこうしてダウンして部屋に引きこもる羽目になっている。うん、この弱点は俺も予想していなかったな。
「クリス……やっぱり、陸路に……」
「無理無理、今更引き返せないって。フリジアに着くまでおとなしくゲロってろよ」
これは俺たちの船ではなく運航便なんだ。ちょっと船酔いがひどいので……なんて理由で引き返せるわけはないだろう。テオはまだ何事かぶつぶつ言っていたが、俺は無視して部屋を出ることにした。
俺とリルカとヴォルフの三人交代でこいつの様子を見ているのだが、残念ながら俺たちにはこいつの船酔いをどうにかすることはできなかった。できるのはこうしてたまに体調が悪化していないか見に来る事か、食事を運ぶことくらいだ。
なんとなく甲板へ出ると、今日もリルカは海を眺めていた。リルカはどうやら海が好きらしい。放っておくとこうして飽きもせずいつまでも海を見ているのだ。潮風で髪がべたつくのとか気にならないのかな、俺はちょっと気になるぞ。
「テオさん……どう、だった?」
俺が来たことに気が付いたのかリルカは海を眺めるのをやめて振り返った。桃色の髪が風になびいている。出会った当初よりは大分長くなった髪は、陽の光をあびてきらきらと輝いていた。
前に一度髪を切らないのかと聞いたことがあるが、その時のリルカは「長く、伸ばして……くーちゃんみたいに、なりたいの……」なんて可愛い事を言ってくれた。それを聞いた俺は、もう自分の髪を切ることもできなくなってしまった。長い髪は結構鬱陶しかったりするが、リルカの為だ、仕方がない! このまましばらくは切らないでおこう。
「テオはまだ部屋で寝てたよ。もったいないよなー、せっかく船に乗ったのにずっと寝てるとかさ」
俺が海の方へと視線をやると、遠くにきらきらと光る魚の群れが見えた。イルカとクジラはまだ見ていないが、船旅ではこうして今までに見た事のないものが見れたりするので結構楽しい。リルカがずっと海を見ている気持ちもわかる気がする。
「そういえば、さっきヴォルフさんが……くーちゃんの回復魔法をテオさんに使ったらどうか、って言ってたの……」
「うーん、回復魔法かぁ……」
果たして船酔いには効くのだろうが。船酔いを消し去る魔法……みたいなのがあるといいんだが、あいにく俺はそんな魔法は知らないし、ダメもとで回復魔法をかけてみてもいいかもしれない。
もし効かなかったとしても、回復魔法なら特に害になることもないだろう。これでテオが復活すればそれでいい。いつまでも唸りながらぐちぐち言われるのは結構鬱陶しいんだ。
「わかった、行ってくる。ありがとな!」
俺がそう言うと、リルカは一度頷いてまた海の方へと視線を戻した。今日も海の観察を続けるようだ。
◇◇◇
俺が部屋へと戻ってくると、どうやらテオは寝ているようだった。ちょっと安心した。起きてる時に回復魔法をかけて効かなかった、とかだったらちょっと自分が情けなくなるからな。
そっと顔を覗き込むと、いつもよりは幾分か苦しそうな顔をしていた。普段だったらのん気な顔でがーがー寝ているのだが、こうして苦しんでいるさまを見せつけられるとどうにも調子が狂う。なんかいつもより優しくしないといけないような、そんな気がしてくる。まあいい、今週はゴリラ愛護週間にしよう。
「生命の息吹よ、どうか彼の者に力を与えん……。“癒しの風……”」
小声でそう唱えると、優しい風がそっとテオを包んだ。テオの苦しげな顔が若干和らいだ……ような気がする。
よし、本当に効いたのかどうかはわからないが、これで義務は果たしたはずだ。俺は立ち去るとしよう。音をたてないようにそっと立ち上がったつもりだが、俺が立ち上がるのと同時にテオはうぅん、と身じろぐとゆっくりと目を開きかけた。その視線が俺を捕える。まだ半分寝てるのか半目だ。俺は何か声かけようと口を開こうとしたが、それより先にテオが声を出した。
「…………アンジェリカ……?」
…………誰? 何て聞く暇もなく、テオは再び目を閉じた。そのまま寝息が聞こえ始める。また寝てしまったようだ。
……寝ぼけていたんだろうか。それで、俺を誰かと間違えたんだろう。あいつのことだし、旅先の飲み屋で出会ったお姉ちゃんとかかもしれない。まあ俺だから良かったものの、寝起きに知らない女の名前を口走るなんて女の人からすれば結構失礼な気がする。女好きっぽい割に決まった相手がいなさそうなのはその辺りが関係してるんだろうか。
再びテオを起こすことがないように、俺は今度こそ音をたてないように部屋を出た。
アンジェリカ……か。テオが起きたらからかってやるのもいいかもしれない。おまえ、アンジェリカさんって誰だよ、って。
そう考えて、俺は気が付いた。
「…………リカ?」
俺の夢に出てくる不思議な女性。彼女は夢の中で○○リカと呼ばれていた。思えば、アンジェリカもリカで終わる名前だ。あの女性の名前がアンジェリカである可能性も、なくはないのだ。
「まあ、関係ないよな……」
あの夢に出てくる女性がテオが飲み屋で出会った(と俺が勝手に考えている)女性だとは思えない。リカで終わる名前なんてありふれているし、単なる偶然だろう。
まあでも、テオが起きたら一応アンジェリカさんの事を聞いてみてもいいかもしれないな。
◇◇◇
その後も、テオの船酔い以外は特に問題なく航海は進んだ。結論から言うと、俺の回復魔法はほとんど効かなかった。起きてる時に直接魔法をかけたこともあるが、テオにはよくわからん、なんて言われてしまった。むかついたのでそれ以来回復魔法をかけてやるのはやめた。ふん、好きなだけ苦しめばいいんだよ!
そんな風にテオの体調が元に戻らなかったので、俺はうっかりアンジェリカとは誰なのかを聞くのをすっかり失念してしまったのである。
◇◇◇
《フリジア王国西部・ミーシェス島》
「やぁーっと着いたー!!」
久々に大地を踏みしめて、俺は大きく伸びをした。海の上もいいけど、やっぱ陸地が落ち着くな!!
ここはフリジア西部に位置するラエル海という海域にある島の一つ、ミーシェス島だ。調べたところ。俺たちの当面の目的地であるアムラントはもう少し先のアトラ大陸本土まで行かなければならないのだが、この船は積み荷の関係で数日間この島に停泊することになるらしい。その間は船に残っていても良かったのだが、どうせならということで俺たちは島に降りることにした。
最初は感動した海も、何日も何日も見続けているとやっぱり飽きてくる。リルカだけはいつまでも飽きずに海を見てたけど、俺は結構退屈だった。テオの船酔いがよくならないこともあるし、久しぶりの陸地でリフレッシュしよう!
「まずは食事にするか。……船の中ではまともに食べれなかったからな……」
陸地に降りて船酔いから解放されたテオは、待ちきれないとでも言うようにずんずんと歩き出した。ずっと船に揺られてストレスが溜まっていたんだろう。大分苦しそうだったし今日だけは何をやっても大目に見てやろう。
俺たちが降りたのは、白を基調とした建物が立ち並ぶ綺麗な町だった。町自体はそう大きくなさそうだが、アルエスタとフリジアの中継地という事もあって人通りも多い。
立ち並ぶ店を眺めつつぶらぶらと歩いていると、俺はある事に気が付いた。
「なんか、エルフが多い……?」
やたら長身の人が多いな……とは思っていたのだが、よく見るとその人たちは人間よりもとがった形の耳をしていた。肌も白いし、エルフの特徴と合致している。
「フリジアはラガール大陸に近いですからね。アルエスタと同じで亜人種が多いんです。中でもこの国は特にエルフの移住者が多いらしくて、なんでも昔から王家にもエルフの血が混じっていたらしいですよ」
「へぇー、そうなんだ」
ヴォルフにそう教えてもらって、俺は何となく納得できた。
アルエスタには獣人やドワーフの集落があったし、それと同じようなものなんだろう。国が変わればそこに住む人も変わる。しみじみとそう実感した。




