8 ぬめぬめパニック!
「無理無理無理! 俺ああいうねちょねちょしてそうな奴嫌い!!」
「情けない事を言うな、おまえも男だろう」
「体は女の子だから! 絶対無理だから!」
奴の視界に入らないように、慌ててテオの後ろに隠れた。
男だろうが女だろうが怖いものは怖いし、嫌いなものは嫌いなんだから仕方がない!
ド田舎な俺の故郷の村には虫や動物やらいろいろな生き物がいたが、俺は昔からカエルやナメクジといったねちょねちょした生き物が大の苦手だった。
一度、いたずらで教会学校の俺の机にカエルを仕掛けられたことがあるが、その時はトラウマでしばらく大好きな教会学校にも行けなくなってしまったぐらいだ。
感触を想像しただけで気持ち悪いのだ。触れもしないのに、戦うことなんてできるわけがないじゃないか。
「今回の手柄はお前にゆずってやる! 遠慮なく倒していいぞ!!」
「いいのか? これも勇者としての活躍に入るぞ? おまえは勇者になりたかったんじゃ――」
「いい! いいから早く倒せ!!」
カエルと戦わなければ勇者になれないなら、俺はすっぱりと勇者への道をあきらめよう。
ああ、はやく暖かくてふかふかの宿屋のベッドに帰りたい……。
俺の心は早くも現実逃避を始めていた。
幸いなのは、目の前の魔物はただでかいだけでそんなに強くもなさそうなことだった。無駄に筋肉もりもりのゴリラ勇者だったらすぐに片が付くだろう。
「……行くぞ」
テオは大剣を構えると、巨大ガエルに向かって構えた。途端に、その場の空気が張り詰める。
間違いない、あいつは本気だ。
俺はごくりと唾を飲み込んだ。
「はあぁぁぁ!!!」
テオがカエルに向かって走り出す。
そのまま巨大ガエルに向かって大剣を振り下ろした瞬間、
『ゲコォ!』
ぴょーん、と大きく巨大ガエルは跳躍した。
「おい、外れたぞ!?」
「む……」
間一髪、テオの剣は空を切った。
当のカエルは少し少し離れた所に着地し、何事もなかったように佇んでいる。
「何手ぇ抜いてんだよ!!」
「いや、そういったわけではないが……まあいい、次こそ仕留める」
テオは再び剣を構えた。巨大ガエルもそれに気づいたようだった。両者がにらみ合う。そして再び、
「はあぁぁぁ!!」
『ゲコォ!』
再びカエルは跳躍し、斬撃を回避した。
「…………」
「行くぞっ!!」
『ゲコォッ!!』
「次こそ!!」
『ゲコッ!』
「やるな!!」
『ゲコ!!』
「…………何遊んでるんだよっ!」
「誤解するな、クリス。こいつは中々の強敵だ」
どうやらテオは本気だったらしい。
……やばい、あのゴリラ勇者の弱点がわかってしまった。
テオの図体は無駄にでかい。さらにあの大剣での斬撃が加われば、どんな魔物も敵じゃないだろう……。
ただし、攻撃が当たりさえすれば、だ。
「次だ!!」
『ゲコォっ!!』
俺の目の前では、いまだにテオと巨大ガエルの戦いが繰り広げられている。
余裕かと思われた戦いだが、決着はついていない。それどころか、テオはカエルのあのぬめぬめした体に、に傷一つ負わせられていない。
そう、あいつの攻撃にはスピードが足りないんだ。
俺から見ればテオの攻撃は遅すぎる。
いまだに攻撃は一度も巨大ガエルに当たっていない。テオが剣を振り下ろす前に、カエルは余裕しゃくしゃくで逃げていってしまうのだ。
攻撃が当たらないままでは、どうやっても奴を倒すことはできないじゃないか!
「どうするんだよ!?」
「焦るな、今次の手を考えて――」
テオが言い終わらないうちに、カエルは再び跳びあがった。
今度はやけに高い。というか近い。
もしかして、こっちに跳んできてる……?
「う、うわあぁぁ、ぎゃ!」
「クリス!?」
慌てて逃げようとした俺の上に、無慈悲にもカエルの巨体が落ちてきた。
重い。めちゃくちゃ重いし、何より、
「うええぇぇ、ねちょねちょする!! 気持ち悪い!」
「おい、大丈夫か!」
「大丈夫じゃない!!」
背中から首筋にかけて、生暖かい感触を感じる。それが何なのかなんて考えるまでもない。
いや、考えたくない。
「これはカエルじゃないこれはカエルじゃないこれはカエルじゃないこれはカエルじゃないこれはカエルじゃない……」
「クリス、どうした?」
「ああぁぁぁ!! 何でもいいから倒してくれえぇぇ!!」
「ああ、だが……」
何故かテオは言いよどんだ。
いったい何なんだ、ここに来てこの巨大ガエルに情でもわいたとでも言うのか!
件のカエルは悠々と俺の体の上で相変わらずゲコゲコ鳴いている。
……何でそんなにリラックスしてるんだよ!
「ここでそいつを斬ったら、お前の上に血やら内臓やらぶちまけるぞ」
「………………剣を使うのはやめろ」
「了解した」
そう言うと、テオは手に持っていた大剣を投げ捨てた。
『ゲゴオ゛ォ゛!!!』
大剣が地面に落ちた音が響くと同時に、潰れたような鳴き声をあげて俺の体の上から巨大ガエルがすごい勢いでふっとんでいった。テオの拳が巨大ガエルの腹のあたりにめり込んだのだ。
いや、ちょっと待て。
「何……今の」
「ん、どうした?」
「お前、なんでそんなに早く動けるんだよ!!」
テオが剣から手を離してから、カエルに拳をぶちこむまでは一瞬だった。
カエルとテオとの距離はそれなりに離れていたはずなのに、だ。
それに、さっきまではあんなにのろのろと攻撃していたじゃないか!!
「なんでさっきまでは攻撃が当たってなかったんだよ!! 舐めてんのかこの野郎!!」
こんなに簡単に倒せるなら、さっきまでは手を抜いていたとしか思えない。
このゴリラ勇者は、俺がカエルにのしかかられてぎゃあぎゃあ騒いでいるのを楽しんでたに違いない!!
なんという鬼畜野郎だ!!
「待て、クリス。誤解だ」
「何が誤解なんだよ!!」
「これだ」
テオは先ほど自分で投げ捨てた大剣を拾い上げると、俺の方へと差し出してきた。
「ちょっと持ってみろ」
「うん……ってええぇぇ!!!」
テオが剣から手を離した瞬間、剣の重さが俺にのしかかる。踏ん張って支えようとしたが、俺の力なんかじゃ支えきれなかった。
剣もろとも地面に倒れかけたが、その直前にテオが剣を自分の方へ引き戻し、倒れるのは俺一人で済んだ。
良かった。いや、全然良くはないんだけど、剣に押しつぶされたり、最悪そのまま真っ二つにならなかっただけマシだと思えた。
というか何でこの剣はこんなに重いんだ。
そりゃあ、こんなに重い剣を振り回しながら早く動くなんて無理に決まってる。カエルに攻撃が当たらなかったのも納得だ。
「何これ、罰ゲームでもやってんの?」
「勇者の武器と言えば剣だと聞いてな。普通の剣だとつまらんから王都で一番重い剣を買ったんだ。中々いい修行になるぞ」
ほれ、とテオは鍛え抜かれた腕の筋肉を見せつけてきた。
うわぁ、ムキムキ。さすがはスピードを犠牲にしても筋トレを欠かさない男だ。
「次からは攻撃が当たらなかったらすぐ剣を捨てて直接殴れ」
「だが、それだと剣使いだとは言えないだろう」
「いいの! 使ってなくても剣を持ってれば剣使いって答えていいんだよ!」
俺たちがそんな話をしていた時だった。
近くの川辺から、『ゲコォ』と随分と聞きなれた鳴き声が聞こえた。
「今のって……」
「ああ、さっきの奴だろうな」
確かに、今の鳴き声はあの巨大ガエルのものだろう。だが、随分とボリュームが小さい気がする。
テオは声が聞こえた方へ向かっていった。俺はまたあいつが出てきても嫌なのでその場で待つことにした。
すぐに、テオは戻ってきた。
よく見ると、手に何かを持っているようだ。
「見ろ、さっきの奴だ」
『ゲコ……』
「えっ?」
テオの手の上にいるのは、ごく普通……とは言えないが、テオの両手に十分収まる程度の大きさのカエルだった。
「ウシガエルだ。知ってるか?」
「知ってるけど……」
田舎育ちを舐めないでいただきたい。ウシガエルくらい何度も見たことがある。俺の天敵だ。
こいつは色や形から見ても、さっき俺たち(というか主にテオ)が戦っていたカエルの様だが、大分縮小化されてしまったようだ。
「おそらく、変異体だろうな」
「変異体? 何それ」
「クリス、魔物がどうやって発生するか知ってるか」
もちろん知ってる。このアトラ大陸に住む者なら、子供でも知ってる常識だ。
一般的に魔物と呼ばれる生き物は、もともとこの世界にいる奴もいないわけではないのだが、その大半が奈落と呼ばれる異世界から、偶然開いた門を通ってこの世界へやってくると言われている。
平和だった村に突然門が開いてしまい、魔物の大群が押し寄せて住民たちが慌てて逃げ出したなんてことも過去にはあったらしい。
「そうだ。そして、門の周りには瘴気という悪い気が溜まる。」
「うん。瘴気に長く触れると頭がおかしくなったりするんだろ?」
俺も王都で変な女に体を入れ替えられた! と訴えた時には瘴気のせいだと言われたことがある。
間違いなく俺は正気だったが、瘴気に触れるとそんな風に変なことを言い出したりするらしい。
「人間だとその程度で済むがこれが動物や虫の場合だと、体ごと魔物のように変化することがある。それが変異体だ」
「ふーん、じゃあさっきのカエルはどっかで瘴気に触れちゃったって事?」
「そうだろうな。殴った衝撃で元に戻ったようだが……」
そこまで説明すると、テオはカエルを手に乗せたまま、宿屋の方へと歩き始めた。
「取りあえずは報告だ。おまえも疲れただろう?」
「う、うん……」
嫌な話を聞いてしまった。変異体になるとウシガエルでもこんなに厄介なら、もっと危険な動物とかはどうなるんだ。
……あまり考えたくはないな。
それよりももっと身近な事を考えよう。まずは、カエルの粘液でべたべたになった体を何とかしたい。
「そういえば、ここの宿屋には温泉があるらしいぞ」
「え、温泉!? ほんとに? やったー!!」
これで楽しみが一つできた。
いるのかどうかもわからない危険な魔物の心配なんて、今は忘れてしまう事にしよう!