27 港町ブリサマリナ
テオの意見により俺たちはここアルエスタからフリジアへと国を超えて移動することになった。まあそう決まったと言っても、そんなに簡単にいくわけではないのだが。
アトラ大陸は大陸の南北をプルクラ山脈という大陸を横断する長い長い山脈に分断されている。その為、南側のミルターナとアルエスタ、北側のフリジアとユグランスを行き来するのは中々骨が折れる……らしい。
実際、俺の故郷のリグリア村も北の山々を越えればユグランスにたどり着くらしいが、とても一般人が越えられるような生易しい場所じゃないので、俺はおろか村の住人は誰も山越えに挑戦したことはなかった。たまに外から来た人たちが山越えに挑戦すると言っているのを聞いたことがあるが、そう言った人たちはみんな途中で引き返してくるか、もしくは二度と戻ってこないかのどちらかだった。
そんな険しい山脈の中でも、アルエスタ東部の交易都市バルフランカの少し北にある部分は割と普通の人でも通行できるようになっているらしい。一旦バルフランカまで戻ることも考えたが、時間がかかるしまた来た道を引き返すのも面倒くさい。そうなったら、残されたのはもう一つの道だ。
山脈を越えずに大陸の南北を移動するにはもう一つの道が残されている。海路だ。
アルエスタ西端の街、ブリサマリナからはフリジア行きの船が出ているらしい。ちょうど今いる街からもそんなに遠くないし、テオが船に乗りたいとうるさかったので俺たちは早速ブリサマリナへ向かう事になった。
◇◇◇
《アルエスタ西部・港町ブリサマリナ》
「わぁ……! あれが、船……?」
リルカは眼下に広がる大海原と、港に停泊する船を見て感嘆の声をあげている。俺も正直めちゃくちゃ感激しているが、リルカの手前落ち着いてるふりをしていた。許してくれ、これでも格好つけたい年頃なんだよ。
ブリサマリナに着いてすぐに、テオがフリジア行きの船の出航状況を確認しに行ったので、俺たちはそこで自由行動となった。
港の灯台に自由に登れるという事を聞いた俺とリルカは、こうして灯台の中から目の前の海を眺めているという訳だ。俺も内陸育ちなので、海はともかくこんなに多くの船を見たのはこれが初めてだ。もうすぐ俺たちもこの船に乗って出航するんだ……そう思うと俺までどきどきしてしまう。思えばずいぶん遠くまで来たものだ。
「リルカ、そろそろお腹空かないか?」
「そういえば……空いた、かも……」
リルカは今思い出した、というような顔をして腹に手を当てた。もうお昼時だ。初めて来た町だし、早めに店を探してもいいだろう。俺たちは灯台を後にして市街地へと繰り出した。
◇◇◇
「お店……いっぱい、だね」
「リルカは何が食べたい? やっぱ港町だと魚とか……」
そんな事を話しながら歩いていると、ふいにすぐ近くの路地裏から何やら危なげな気配のする声が聞こえてきた。
「やだっ……離して!!」
「おい、おとなしくしろ!」
……これはいけない。
音をたてないようにそっと覗くと、二人の男が一人の女に詰め寄り、腕を掴んでなにやら怒鳴っているようだった。
周りの人は気づいていないのか関わり合いになりたくないのか、誰も助けようとはしない。
どうしよう、ここにテオがいれば迷わず突入するんだろうが、あいにく今ここにいるのは俺とリルカだけだ。二人だけでなんとかなるだろうか。俺はともかく、リルカにもしものことがあったら……。
「ここは、勇者の出番……だね! 大丈夫、任せて……」
どうやらいらない心配だったみたいだ。リルカは目を輝かせて杖を取り出した。
……結構リルカはテオの影響を受けつつあるようだ。このまま変な方向に成長しないといいんだが。
「炎よ、宿れ……“発火”」
リルカが小声でそう呟いてちょい、と杖を振ると手前の男の服の裾に小さく火がついた。だが、まだ男はそれに気が付いていない。
「このまま、待てば……」
リルカの言った通り、数秒もすると路地裏から慌てた声が聞こえてきた。
「熱っ、なんだこりゃあ!?」
「なんだ!? 早く消し……おい、待てっ!!」
すぐに、慌てた様子の女の人が飛び出してきた。こわばった顔であたりを見回す女の人に俺は急いで声を掛ける。
「こっち来て!」
「え、あなた……?」
「いいから早く!!」
混乱した様子で走ってきた女の人の手を掴むと、すぐ近くの店に飛び込み二階へと駆けのぼる。
思った通り、少し遅れて路地裏から出てきた男たちは、上には目を向けず通りを二手に分かれてどこかへと走って行った。
「ふぅ……なんとかなったな」
追ってきたらどうしよう……とちょっと考えたが、どうやらいらない心配だったようだ。
男たちが完全に見えなくなったのを見届けると、俺は額の汗を拭って女の人の方へと振り返った。
「とりあえずは行ったみたい。今のうちに……」
遠くまで逃げた方が、と言おうとした俺は彼女の瞳を見て言葉を失った。
俺たちが助けた女の人の目が金色にぎらぎらときらめいていた。さっき見たときは海の色のような澄んだ青色だったはずだ。それなのに、金色に怪しく光る眼が俺を睨み付けている。
「え……なに……?」
「……体と魂が合っていない。何なの、あなた?」
そう呟いた女の人の目は、先ほどと同じ空色に戻っていた。だが、その目からは俺に対する警戒が見て取れた。
体と魂が合っていない。それは、レーテの体に俺の魂が入っていることを言っているんだろうか。
でも、何でそんなことがわかるんだ……?
俺は何も答えることができなかった。女の人は相変わらず俺を睨み付けている。
緊迫した空気を破ったのは、自信満々のリルカの声だった。
「リルカたちは、勇者……なんです! 困っている人の、味方、なんですよ!!」
えっへん、と胸を張りながら、リルカは明るくそう言い放った。俺と女性の間のぴりぴりと張りつめた空気なんて、まったく気にしていないようだ。
「……え? 勇者……?」
女性も困惑したように目をぱちくりと瞬かせた。
「そうです! だから……もう安心して、いいんですよ! 悪い人は、リルカがやっつけますから!!」
リルカはそう言うと、得意げに杖を振って見せた。
女の人はぽかんと口を開けてリルカを眺めていたが、何がおかしかったのかくすくす笑い出した。
「アハッ……悪い人をやっつけるって、あなたが? そんな小さな体で?」
「小さくても、大丈夫です! リルカは……おっきな魔物とだって、戦ったこと、あります!」
リルカは必死にそう主張したが、逆にそれが女の人のツボにはまったようだ。リルカが必死になればなるほど女性はおかしそうに笑った。
「むぅ……信じて、ないですよね……!」
「そんな、信じてるわよ、小さな勇者さん……ぶふっ!」
女性はまだ笑いながら、腹を押さえて立ち上がった。よっぽどリルカが勇者だと言ったのがウケたようだ。
「それで、何でさっきの奴らに追われてたんだ?」
俺がそう問いかけると、彼女は面倒くさそうにため息をついた。
「さっきの見たらわかるでしょ。私……魔族なの」
女性はそう言うと、うっとしそうに濃紺の長い髪をかき上げた。
魔族、さっきのを見たらわかる……そんなこと言われても、
「魔族って……なに?」
「は…………?」
俺がそう呟くと、彼女は信じられない、と言った顔で俺の事を凝視してきた。
いやいや……そんな目で見られても魔族なんて知らないし、聞いたこともない。
「リルカは知ってるか?」
「ううん……しらない」
俺たちが首を振ると、女性は驚いた様子で詰め寄って来た。
「え、知らない? 嘘でしょ!? 魔族を知らないなんて!」
「そんなこと言われても、知らない物は知らないし……」
嘘でも冗談でもなく本当に知らないのだからしょうがない。俺がそう答えると、女の人は呆れたようにため息をついた。
「あっきれた! 勇者が魔族を知らなくてどうすんのよ!」
「別に知らなくてもなんとかなってるし……!」
「……いいわ、どうせだし教えてあげる。吸血鬼や狼男は知ってるわよね?」
俺は黙って頷いた。吸血鬼も狼男も、おとぎ話によく出てくる化け物だ。実在するかどうかは知らないが、ドラゴンだって実在したんだし、吸血鬼や狼男がいてもおかしくはないのかもしれない。
「そう、それなら話は早いわ。吸血鬼も狼男も魔族の一部なのよ。この世界の『人』の中にエルフやドワーフが含まれるのと同じね。……こことはちがう魔界という世界に住む種族をまとめて、この世界では魔族と呼ぶのよ」
「別の世界から来たってこと……?」
「そう。でも、見た目はあなた達とそう変わらないから黙ってればわからないわ。ただ……さっきみたいに力を使おうとしたり、精神が乱れると目が金色になるのが特徴よ。覚えておきなさい」
そう言うと、女性はまた髪をかき上げた。俺はその様子をまじまじと観察する。
見たところ狼男(この場合は狼女?)には見えないし、吸血鬼なんだろうか。
「お姉さんは、血を吸ったり……するんですか?」
俺と同じことを考えたのか、リルカがそう質問した。女の人はくすりと笑うと、首を横に振った。
「メリッサでいいわ。私は吸血鬼でも狼男でもない、普通の魔族よ。この世界でいう『人間』と同じね。ただ……私って魂を視ることができるのよ。この能力って魔族の中でも特殊で、よく狙われたりするの。それが嫌でこの世界に来たのに、ここでも追っかけられるなんて困っちゃうわね」
そう言うと女の人――メリッサさんは妖しげに笑った。魔族の力についてもう少し詳しく聞いてみようかと思ったがやめておこう。実戦で見せてあげる、なんて言われたら大変だ。
それにしても魂を視る、か……。さっぱりどういう能力なのかはわからないが、不本意に追っかけられるのは確かに大変そうだ。
「それで、さっきの奴らは? あいつらも魔族なのか?」
「いいえ、奴らは普通の人間よ。ただ、人間の中にも私の力を利用しようとしている連中がいる。おそらくはそいつらの手先でしょうね」
メリッサさんは不快そうに眉をしかめた。魔族って言葉の響きだけで笑いながら人間を圧倒しそうなイメージだけど、メリッサさんはそうでもなさそうだ。
「やっとラガール大陸行きの船に乗れることになって、もうすぐ出航なのに……。これじゃロクに外も歩けないわ……」
どうやら彼女は西の大陸に逃げる予定だったらしい。でもそれは大変だ。大陸間を渡る船なんて、そう頻繁に出ているわけじゃないだろう。この機会を逃したら、きっと次はずっと先のはずだ。
俺はリルカと視線を合わせた。リルカは黙って頷く。以心伝心、俺たちの考えは同じようだ。
「メリッサさん。さっき俺たちは勇者だって言っただろ? それ、証明してやるよ。……俺たちがあんたを無事に船まで乗せてやる」
リルカがあんなに頑張っているんだ。俺だって元祖勇者に選ばれた者として負けてられない! テオもヴォルフもいないけど、俺たちだけでもなんとかしてみせる!
メリッサさんは疑わしそうな顔をしていたが、やっぱり船に乗りたい気持ちは強いんだろう。俺たちと一緒に来てくれることになった。
怪しい奴らに追われる女性の護衛……よし、これこそ勇者の仕事っぽい!!




