26 気になる名前
《アルエスタ西部・オアシス都市デベル》
アコルドと別れてすぐに、俺たちは運よくメスキア遺跡の近くで牛車を捕まえることができ、なんとかその日の夕方にはこのデベルの街まで辿り着くことができた。
たぶん一日か二日くらい何も口にしていなかったと思うが、宿に着いた時には疲れ切っていたのでとにかく寝たかった。というわけで、その日はまだ陽が落ちきっていない夕方から倒れ込むように眠りについたのである。
よっぽど疲れていたからだろうか、その日は不思議な夢を見た。
◇◇◇
気が付くと知らない場所にいた。なんだここは。とりあえず歩き出そうとしたが、何故か体が言う事を聞かない。俺の行きたい方向とは別方向どんどん体が進んで行ってしまう。
どうやらここは森の中のようだ。周囲には木が覆い茂り、しかも夜なのでほぼ真っ暗だ。ほぼ……というのは、丁度俺の少し後ろ辺りに光源があるようで、足元と少し先くらいは見える程度には明るくなっているのだ。ランタンでも持っているのかと思ったが、俺は手ぶらだった。背後に人のいる気配もない。ちょっとぞっとしたが、すぐに理由は分かった。この明かりの感じは、いつも俺が神聖魔法で出している光の球と同じなんだ。何だろう、俺は夢でも魔法を使っていたんだろうか。
少し歩くと、前方に明かりが見えてきた。そこには二人の男がいた。
『ъ¶……ぞ、△л……ってたんだよ!!』
片方の男が俺に向かって呆れたように何か言っている。でも、何を言っているのかよくわからない。
あれ……なんか前にもこんなことがあったような気がする。
『そうф※ю……ても、ъг▼вだろう?』
もう一人の男が振り返る。案の定、俺はその男に見覚えがあった。
こいつは、前にフォルスウォッチで倒れた時に見た変な夢に出てきた男だ!
……ということは、今の俺は、またあの変な魔法を使っていた女の体に憑依しているような状態なんだろうか。
「そうカリカリしないで。失敗なんかするはずないんだから」
俺の口から勝手に出てきた声は、やっぱり前に聞いたあの女性のものだった。
いったい何なんだ……。二度もこんなよくわからない人たちの夢を見るなんて、もしかして本当に夢じゃなくて、俺は寝ている間に全然知らない女性に憑依してしまったんだろうか。何故だ、完全に理解不能だ。
『йцは前に話した通りだ。£♭л■は大丈夫だよな?』
「当たり前じゃない。何も心配することはないわ」
俺が混乱しているうちに、この謎の人物たちの話はどんどん進んでいき、二人の男はいきなり剣を抜いた。
俺はちょっとびびったが、別にこの女性を切りつけるつもりじゃなかったみたいだ。二人の男は剣を抜いたまま、あたりを警戒しながら進んでいく。その後ろを女性がついて行くという構図だ。
ちなみに、前回も夢に出てきた男は青い髪色をしており、今回初めて見る男は特に変哲無い茶髪だ。二人とも普通の町人、というよりは前にフォルミオーネの街でよく見た冒険者のような恰好をしていた。女性の方は……鏡とかを見ないとわからないな。
三人が歩き始めてすぐに、木々の向こうに小さな洞窟のようなものが見えてきた。
『よし、やるぞ』
青髪の男は緊張した面持ちで懐から何かを取り出し、茶髪の男は真剣な顔をして剣を構えた。しかしこの女性は何かをしようとする様子はない。腕を組んで成り行きを見守っている。
そして、青髪の男は懐から取り出した球のような物を勢いよく洞窟の中へ投げ込んだ。一拍遅れて、洞窟の中からすさまじい爆発音が響いた!
『来るぞ、構えろ!』
茶髪の男が叫ぶ。それと同時に、洞窟の中から獣の唸り声が聞こえ、次の瞬間洞窟の中から黒い獣が飛び出してきた!
『今だ!!』
青髪の男がそう叫び、茶髪の男と共にその獣に向かって斬りかかった。それと同時に、女性が呪文を唱え始める。
「楽園に満ちる光よ、我の元へ集いて渾沌の闇を掻き消せ……!」
女性は真っ直ぐ前に手を伸ばし、呪文を唱えている。すると、次第に伸ばした女性の手のひらに光が集まってくる。すぐにその光は小さな子供を包み込むくらいの大きさになった。
「“聖気解放!!”」
女性がそう叫ぶと、集まった光が一直線に黒い獣に向かって放たれた。斬りかかってくる二人の男に気を取られていたらしい獣は、あっけなく光の直撃を受けて倒れ伏した。
『おい、これでいいのか?』
「いえ、これは……まだ完全に闇を祓えていない」
女性はゆっくりと倒れたままの獣に近づいていく。膝をついて覗き込むと、まだ獣は生きているようで耳がぴくぴくと動いている。
女性は獣の首のあたりに手を当てた。俺にもふさふさとした毛の感触が伝わってくる。
「大地を護りし神々よ、悪しき業を打ち砕き、無垢なる咎人に救済を……。“浄罪の祈り”」
女性がそう唱えた途端、獣の全身を黒い煙のようなものが包み込んだ。二人の男は慌てたが、女性はじっと獣に手を当てたままだ。そのまま女性がぐっと手に力を込めると、黒い煙のようなものはふわりと霧散した。そして、その下から出てきたのは薄汚れた犬……のような動物だった。
『なんだよこれ、犬っころじゃねーか!』
『おそらく変異体だな。普通の動物でも瘴気に当たれば魔物のように変異する場合があるんだ』
青髪の男の説明に茶髪の男はよくわかってなさそうな顔をしている。ふむ、俺もテオに同じような事を聞いたことがあるが、よくわからなかったのでこの茶髪の男の気持ちはわかるぞ。
なおも二人の男は何か話していたが、何故だか頭ががんがんしてきてうまく聞き取れない。そのうちに、青髪の男が女性の方へと振り返った。
『……にしても、вй※ю▽だな………リカ。……が…………で……』
俺は男の言葉を最後まで聞くことはできなかった。いつのまにか俺の意識は闇にのまれて、気が付いたら朝だった。
◇◇◇
「…………夢?」
今俺がいるのは、昨日泊まったデベルの街の宿屋のベッドの上だ。隣で寝ていたはずのリルカはもう起きているのか姿が見えない。
……よし、頭の中を整理しよう。昨日、なんとかメスキアの地下遺跡を抜け出した俺たちはこの街にやって来て、宿屋で部屋を取って寝た。大丈夫、ちゃんと覚えてるな!
今まで寝ていたってことは、さっきのもろもろはやっぱり夢だったんだろうか。それにしては獣の毛の感触とかがリアルだった気がするし、フォルスウォッチで見た夢と同じ奴らが出てくるっていうのもおかしい気がする。
それに、前に同じような夢を見た後で夢に見た呪文を試してみたら、本当に効果があったじゃないか! 今回も女性が使った呪文は覚えている。俺は忘れないうちに紙に呪文を書き写した。起きたばっかりで使ってみる気にはならないが、もし本当に使える呪文だとしたら魔物と戦う時には役立ちそうだ。今度使ってみよう。
でも、それよりも気になることがあった。
「…………リカ」
夢の最後の方で、青髪の男は女性にそう呼びかけていた。なんとなくだけど、このリカというのは俺が憑依していた女性の名前なんじゃないか、そんな気がする。
でも、普通にリカって呼んだわけじゃなくて、俺がうまく聞き取れなかっただけで○○リカ、みたいに呼んでいた気がする。
「フレデリカ、エリカ、リルカ……は違うか」
思いつく名前を口に出してみたけど、いまいちぴんと来ない。まあ、俺はあの夢に出てきた人たちの事を何も知らないのでぴんとくるも何もないのも当然か。
わからない、わからないことだらけだ。こんなときは……放っておくに限る!!
寝すぎて腹も減ったことだし、食事にしよう!
◇◇◇
食事をとりに階下へ行くと、そこにはリルカとヴォルフがいた。そこで俺は朝食……ではなく昼食をとることにした。起き抜けで頭がぼやーっとしていたので気が付かなかったが、なんと今はもう昼過ぎだった。昨日の夕方にはもう眠りについたので、いくら疲れていたとはいえ俺はほぼ一日寝ていたことになるわけだ。
適当に食事をとっていると、どこへ行っていたのかテオがやって来た。昨日の変な雰囲気はどこへやら、もういつものテオに戻っているみたいだ。
「考えたんだが、次はフリジアに行ってみないか?」
なんとなくそう言うんじゃないかな、と予想はしていたので、俺は驚かなかった。でも、少し意外だった。
「それはいいけど、ミランダさんが言ってたことは良いのか? アルエスタで怪しい動きがあるっていうの」
元々俺たちがこの国へやって来たのは、ミランダさんにアルエスタを調べて欲しいと言われたからだ。怪しいエルフに殺されかけたこともあったが、まだ奴が何者なのかもわかってはいないし、奴がまたここに何かしかけてこないとも限らない。そんな状態のこの国を放っていくというのがあんまりテオらしくないと思った。
「アコルドが言っていただろう。この地方なら何かあっても耐えられると」
「……あんな怪しい奴のいう事信じるのかよ」
ラファリスもアコルドも、必死に地下都市の不死者を浄化しようとしていた。俺たちの敵じゃないって言ってたしたぶん悪い奴じゃないとは思うんだが、やっぱり肝心なことは話してくれないし、いまいち信用しきれないというのが俺の本音だ。
「確かに、奴らに思う所がないわけではないが……今一番大切なのはいかにしてこの世界を守るか、だろう? あいつらが何であれ、俺たちと目的が同じという事ならわざわざ嘘をつく必要はないだろう」
「でも……」
「忘れるなよ。この国にはシーリンもいるんだ。何かあったらあいつが黙ってはいないだろう」
テオはそう言って笑った。なんだ、もうテオの中では結論が出ているようだ。そういうことなら、俺がとやかく言っても仕方がないだろう。
アコルドはもうこの大地の浸食が進んでいる、みたいなことを言っていた。それが本当だとしたら、いつまでもここに留まるよりは新しい場所を調べに行った方が有意義なのかもしれない。
「でも、ミランダさんに怒られない?」
「重要なのは過程より結果だろう。最後にこの世界を守り抜けばミランダも何も言わんさ」
ミランダさんに何か言われたらテオがショックを受けるんじゃないかと思っていたが、本人は割と平気そうだ。ならいいか、この国の事はシーリン達に任せて俺たちは新しい場所に向かって出発しよう!
いろいろ引っかかることはあったが、俺は無理に気持ちを切り替えるように口にパンを押し込んだ。
◇◇◇
夕方になるとテオは今夜は遅くなる、なんて言いながら出て行った。今日は朝帰りかもしれない。まあ、あいつもいい大人だしこんなことは今までに何度もあったので俺たちは心配はしていなかった。
街を歩く途中で美味しそうな小料理屋を見つけたので、夕食は三人でそこで取ることにした。
店の中央では、壮年の男性がラファリスが持っていたのと同じような楽器を奏でながら歌っている。アルエスタでは主に音楽の女神、アリア様が信仰されている。そのせいか、やたらと人の集まる場所には吟遊詩人がいるのだ。俺たちもこの国に来てから幾度も目にした光景である。年の功か、その男性は歌も演奏の腕も中々だった。それでもやっぱりラファリスにはかなわないかな。ついそんな事を考えてしまう。
店に集まる人たちは皆その吟遊詩人の歌へ耳を傾けている。俺たちもしばし彼の音楽を楽しんだ。
「……ラファって、何だったんだろな」
俺はあの遺跡から脱出して以来、ずっとラファリスの事が気にかかっていた。なんであいつは普通の人が知らない遺跡の地下の事を知っていて、不死者の浄化なんてしていたんだろう。
それに、ラファリスが不死者を浄化しようとしていた時、不死者どころか街の風景まであの都市が生きていた頃の姿に戻っていた。
そんなこと、自分の目で見なかったらとてもじゃないけど信じられない。本当にあいつは何なんだろう。
「……国の権力者とかは、一般人がしらない情報や技能を持っていることがあるんです。アルエスタに正式な王家はないけれど、ラファリスさんもどこかのそういう生まれなんじゃないでしょうか」
ヴォルフがパンをちぎりながらそう答えた。なるほど、そういうものなのか。
でも、あいつは国の偉い人にしては女の子を引っかけたり街中で騒いだりとやりたい放題だった。あんなんでいいんだろうか。
「あの……もしかして……」
「……ん?」
リルカは食事をとる手を止めてじっと何か考え込んでいる。俺はリルカの次の言葉を待ったが、結局リルカは首を横に振ると小さく告げた。
「……ううん、なんでもない」
「そ、そうか……?」
俺はリルカが何を言おうとしてたのかちょっと気になったが、無理に聞き出すのはやめておいた。リルカだって疲れているんだ。俺にぎゃあぎゃあ言われても嫌だろう。
「まあ、また会えるって言ってたし……次に会ったら正体を暴いてやろうぜ!!」
ラファリスの言った事が本当かどうかはわからない。でも、確かにあいつは俺たちの敵じゃないと言っていた。だったら今はそれを信じよう。
それでいつかまた会うことがあったら、その時こそ正体を聞き出してやる!! 俺はそう心に決めて、飲みかけのスープへと手を伸ばした。
 




