24 古の鎮魂歌
ここに残る。ラファリスは確かにそう言った。相変わらず周囲の不死者は不気味なほど静かに俺たちを見ている。
……ここに残るだって!?
「何言ってんだよラファ! 危ないって! いつまた不死者が襲ってくるかわかんないのに!!」
そうだ。今は何故かおとなしくしているけど、本来不死者というものは無差別に人を襲う恐ろしい存在なんだ。俺だってこの地下都市で最初に見た骸骨に剣を向けられたし、他の奴らにも追いかけられたし、こんなところに残ったら暴走する不死者に殺されるに決まってる!
俺は何とかラファリスを説得しようとしたが、ラファリスは悲しげに首を振るだけだった。
「……クリスちゃんは、この人たちが怖い?」
この人たち、という言葉が何を指すのか一瞬わからなかったが、ラファリスの視線を追ってやっと意味が分かった。ラファリスはまた周囲の骸骨の集団を見ている。その視線は何かを慈しむようであり、とても不死者を恐れているようには見えなかった。
「そうだね、怖いのは当然だ。不死者と化した者は理性を失い無差別に人を襲う怪物に成り果てる……。でも、この人たちも元は君と同じ人間だったんだよ」
「それはわかるけど……」
ラファリスの言う通りだ。俺だってできれば彷徨える魂を救ってあげたい。でも……できなかった。
俺にはどうしようもなかったんだ。
「僕は、彼らを救いたい」
ラファリスはまっすぐ俺の目を見つめると、はっきりとそう言った。
俺は何も言えなかった。俺って神聖魔法を扱うものとして、人として、不死者になってしまった人を助けたいとは思う。
でも、そのために不死者に襲われて命を落とすようなことがあれば、本末転倒じゃないか?
黙ったままの俺とラファリスにしびれを切らしたのか、アコルドが苛立ったように舌打ちした。
「おい、やるならあれが来る前に早くしろ。やらないのならここを出るぞ」
「僕は残ります。あなたはテオくん達を連れて早く……」
「俺が何のためにここに来たと思っている? お前が残るなら俺も先に出るわけにはいかないだろう」
「でも、それじゃあみんなが……!」
ラファリスとアコルドは俺たちをほったらかして言い争いを始めてしまった。どうやらラファリスはここに残ると言っていて、アコルドははやく外に出た方がいいという事で意見が対立しているようだ。
ラファリスはこの場所の不死者を救いたいと言っていた。ということはここに残って魂の浄化を行うつもりなんだろうか。ラファリスに神聖魔法が使えるのかどうかはわからないが、あんなに頑なだという事はきっと浄化できるという自信があるんだろう。
「……どうしよう?」
俺は困ってテオに助けを求めた。テオは目をつぶってじっと何か考え込んでいる。
「……クリス。ヴォルフにリルカも、聞いてくれ。ここに残ればラファリスが納得したうえで全員が脱出できるだろうが、不死者に殺される危険性も高い。俺たちだけで出口を探せば不死者に殺される危険は減るだろうが、あの二人がどうなるかはわからないし、そもそも出口が見つかるかどうかも怪しい。……俺たちはどちらを取るべきだと思う?」
テオは俺たち三人の顔を順に見回しながら、ゆっくりとそう言った。その顔は、どこかこの状況を面白がっているようにも見える。……俺の勘違いだといいんだが。
俺も冷静になって考えてみる。この状況で俺たちの生存だけを考えるのならば、二人を置いて逃げる方が生存率は高くなるだろう。出口の場所はわからなくても、探し続けていればきっと見つかるだろう。でも、その場合ここに残ったラファリスとアコルドはどうなる? ラファリスは弱そうだけど、アコルドは不死者を一撃で戦闘不能にできるくらいには強い。でも、何十体もの集団でかかってこられたらいくらアコルドでもどうしようもないだろう。二人はここで死んでしまうかもしれない。
…………それでいいのか?
……いや、よくない! 偶然とはいえ俺は一度勇者に選ばれた。テオは自分で勇者になる道を選んだ。いつか、フォルミオーネの街で出会ったアニエスは兄を勇者に見殺しにされたと泣いていた。いくらか状況が違うとはいえ、ここで逃げたら俺たちだって二人を見殺しにするようなものだ! そんなの許されるわけがない!!
「俺は……ラファリスたちを置いて行きたくない」
俺はテオに向かってはっきりとそう口にした。反対されるかと思ったが、テオも、ヴォルフもリルカも何も言わなかった。テオは俺の答えを聞くと、何故か満足そうに頷いた。
「ふむ、クリスはそう考えたか。二人はどうだ?」
テオがそう話を振ると、ヴォルフは呆れたようにため息をついて、リルカは困ったように眉を寄せた。
「はぁ、そう言うと思いましたよ……。僕はクリスさんの言う通りでいいと思います……」
「リルカも、くーちゃんと同じで……いいよ」
何て主体性のない奴らだ。自分の生死がかかってる選択肢を他人に任せるとは……。でも、今だけは助かる。ここで争っているわけにはいかないからな!
「それで、お前はどうなんだよ?」
テオにそう聞き返すと、テオは俺がそう聞くのを予測していたかのように不敵に笑った。
「オレは勇者だ。困っている奴を放っておくわけにはいかないだろう?」
どうやら最初っからテオの答えは決まっていたみたいだ。……じゃあ何でわざわざ俺たちに聞くような真似をしたんだろう。もし俺たちが二人を置いて先に脱出しよう、とか言い出したらどうするつもりだったんだろう。……まあいい、今は目の前の事だけを考えよう!
「ラファ! 俺たちも残ることにしたから、浄化するならさっさとしてくれ!!」
「え……えぇぇ!!?」
いまだにアコルドと言い争っていたラファリスは、俺の声を聞くと目に見えて慌てふためいた。
「ちょっと待って、どうしてそうなる!?」
「お前がここを動かないだろう。いいからやるぞ、時間がない」
「うぅ…………」
ラファリスは何事がぶつぶつ呟いていたが、諦めたのか抱えていた楽器を構えた。
「ごめんね。みんな、ありがとう……」
すっと目を瞑ると、ラファリスは大きく息を吸った。
「…………旋律は加護、歌は共鳴。彷徨える魂に生々世々の導きを……」
そうして、ラファリスは曲を奏で始めた。ラファリスが演奏するのは以前聞いたことがあったが、その時とは全然違う。物悲しくて、どこか懐かしい旋律。時折紡がれる、俺には理解できない言葉。でも何故か、心の奥深くを揺さぶられる様な曲だった。
そして、ラファリスが演奏を始めた途端、世界は一変した。
「えっ!!?」
街のあちこちから小さな光があふれ出て、薄暗い地下都市を照らし出す。ここはもうずっと昔に滅びた都市で、ここに住んでいるのは不死者ばかりのはずだった。それなのに、何だこれは!?
俺の目の前の建物はまるで新築のように傷一つなく白く輝き、溢れる光が反射している。他の建物も同じように変わり、ひび割れ朽ちかけた都市の姿はどこにもなかった。
驚いている俺の目の前で、建物の扉がそっと開いた。出てきたのは、上質そうな服を着た若い女性と小さな男の子だ。骨じゃない、生身の人間だ。
二人は建物の前に立つと、寄り添いながら楽器を奏で続けるラファリスを見つめている。
いつの間にか、俺たちを取り囲んでいた不死者の姿も変わっている。銀色に輝く鎧に、同じく銀色の剣。若い男から中年の男まで、兵士のような恰好をした男たちが放心したようにその場に突っ立っていた。
「これって……」
「この場所の、昔の姿だ」
すぐ近くにいたアコルドがそう教えてくれた。
ラファリスの奏でる音色に引き寄せられるようにして、俺たちのいる場所にどんどん人が集まってくる。小さな子供に、年を取ったおばあさん。老若男女関係なくどこにいたんだよ、と言いたくなるほど多くの人がこちらにやって来ていた。
街の昔の姿、と言っていたが、アコルドに言う通りまるでこの場所で今でも多くの人々が生活しているかのような光景だった。
ふと、すすり泣く声が聞こえた。横を見ると、さっき建物の中から出てきた若い女性が涙を流している。傍らにいた小さな男の子が、まるで慰めるかのように女性にしがみついた。
きっと二人は親子なんだろう。何となくそんな気がする。
「彼らは死してからもこの場所に縛られている。君も、彼らを解放してやってくれないか……?」
俺は前に一度魂の浄化に失敗している。アコルドもそれを知っていてそう頼んでくるという事は、きっと今ならうまくいく可能性があるという事だろう。
俺も、なんとなくラファリスの曲を聞いてたら大丈夫だという気がしてきた。根拠なんて全然ないけど、そんな気がしたんだ。
「輪廻の紡ぎ手レムリスよ。今こそ迷える魂を導き、ひと時の安らぎを与えたまえ。“魂の回帰……”」
寄り添う親子に向かって呪文を唱えると、二人を包む光が一層強くなった。二人の顔が安心したように穏やかになって行く、そして女性の方が俺にむかってそっと頭を下げると、二人の姿は光に溶けるようにして消えて行った。
「……うまくいった?」
「そのようだな」
きっと、これであの二人はこの場所から解放されて、輪廻の輪に戻ることができたんだ。
辺りを見回せば、他にも涙を流している人がたくさんいた。中には、ラファリスの奏でる音を聞きながら光に溶けていく人もいる。
それでも、まだまだここに縛られている人はたくさんいる。俺はあらためて杖を握りなおした。
一人ひとり、魂が救われるように祈りながら呪文を唱える。どのくらい時間が経ったんだろう。気が付けばこの場所に集まった人もだいぶ少なくなっていた。けっこうな人数を浄化できたようだ。
ふと、ラファリスの楽器の音色が途切れた。その途端、街を包んでいた光は消えうせ、あたりは以前の滅んだ都市の光景に戻ってしまった。
集まっている人々はぼろぼろの服の不死者に戻り、建物も傷ついた無残な姿をさらしている。最初に浄化した親子が立っていた辺りの地面には、二人分の骨とぼろぼろの服が散乱していた。
「……限界か」
見れば、いつの間にかアコルドがラファリスの傍らに膝をついていた。ラファリスは地面にうずくまって、はぁはぁと荒く息を吐いている。楽器も投げ出されるように地面に落ちていた。
「まだ……いけます……」
「もう無理だ。あれが出てきている」
アコルドが街の中央にある塔のような建物を指差しながらそう言った。あれってなんだよ……。俺もつられるようにしてその塔に視線をやって、その瞬間心臓を鷲掴みにされたかのような恐怖感に囚われた。
遠目にでも、塔の窓から中の様子が見える。塔の中には真っ黒で巨大な芋虫のようなものが無数に蠢いていたのだ。
一目見ただけでも本能的に理解できた。あれはヤバい、ヤバすぎる。魔物とかドラゴンとかと対峙した時も怖かったけど、なんというかあの芋虫みたいなのは次元が違う。
周りの不死者もその芋虫らしきものに気づいたのか、ひどく怯えたように建物の中へと引っ込んでいく。
あれだけたくさんいた人がいなくなり、その場には俺たちだけが取り残された。
「まだ……」
「諦めろ、時間がない。ここで迎え撃つには分が悪すぎる」
街の中央からは、何かが這い回るような身の毛もよだつような不快な音が聞こえてきた。怖い、ここにいたらいけないという事はわかるのに、足が動かない。
アコルドはうずくまったままのラファリスを肩に担ぎあげ楽器も拾い上げると、俺たちの方を振り返った。
「悪いが、ここから先は君たちの事を気遣ってやる余裕はないかもしれない。とにかく逃げろ、それだけだ」
アコルドはそれだけ言うと、ラファリスを担いだまま走り出した。それと同時に、街の中央に向かう道の向こうに無数も黒い芋虫のようなものが姿を現した。もう、こんなにすぐ近くまで来ていたんだ!
「っ、逃げろ!!」
テオは珍しく焦ったようにそう叫ぶと、呆然と突っ立っていたリルカを抱え上げて走り出した。
その声で、やっと体が動くようになった。とにかく逃げろ、とアコルドに掛けられた言葉が蘇る。
何かに駆り立てられるように俺は強く地面を蹴った。




