16 砂漠の狂詩曲
《アルエスタ西部・オアシス都市サンディア》
フォルスウォッチでシーリン達と別れてから数週間、俺たちはアルエスタ西部のパスタール砂漠の中にあるオアシス都市のひとつ、サンディアへとたどり着いた。
実は数日前、何の準備もなく砂漠へと突入した俺たちは道に迷って死にかけたのだが、偶然通りがかった行商人の牛車に拾ってもらい命拾いしたのだ。
ちなみに、この辺りの砂漠では馬車ではなくラクダや牛車を使うのが一般的らしい。牛車と言っても、引いているのはやたらと角が長くて筋肉隆々でスマートな本当に牛……? といいたくなるような牛だった。家畜としての牛しか知らない俺には牛というよりもたくましい鹿に見える。なんでもこういう種類の牛じゃないと砂漠を進めないそうだ。
まあ、その行商人に拾ってもらえたおかげで何とかこの街にたどり着けたのだから良しとしよう。目的の古代都市もこの近くにあるはずだし。
リルカがふらふらになっていたので、取りあえずは食事をとることになった。
ああ、数日ぶりのまともな食事……考えるだけで涎が垂れそうだ……。
◇◇◇
「あー! 生き返るぅー!!」
コップ一杯のトマトジュースを飲みほして、俺は大きく伸びをした。
ここ数日ほぼ水しか口にしてなかったので、味のある食べ物がめちゃくちゃ美味く感じる。適当に入った小料理屋だったが結構当たりだな! 向かいに座るテオなんて、ちょっと怖いくらいの気迫で肉料理にがっついていた。
リルカもジュースを飲んだら何とか復活したようで、今は野菜のスープをすすっている。砂漠をさまよっていた時と比べればだいぶ顔色も良くなっているようだ。よかったよかった。
リルカの飲んでいるスープが美味しそうだったので俺の手を伸ばそうとした時、店の奥の方からきゃーっ! と何人かの女性の黄色い声が響いた。
「ねぇラファ! 次はあの曲をやってよ!!」
「それよりもこの後空いてる!?」
「ちょっと、抜け駆けは禁止だって!!」
なんだなんだと振り返れば、何人かの若い女の子が一人の男を囲んでいた。
年は二十代前半くらいだろうか、肩のあたりでゆるく結ばれた赤みがかった金髪に、まるでエメラルドのように強い緑を帯びた瞳。端麗な顔立ちもあわさって、俺が今まで見た中でも五本の指に入るくらいに綺麗な人間だった。
…………だが男だ。
あぁ、これで女の子だったらな、もったいない……。なんてことを考えながらその男と彼を取り巻く女性たちを眺めていると、不意にその男と目があった。
男の目が俺と、俺と同じ席についているテオ達に向けられる。その途端、男の顔がぱっと輝いた……ように見えた。
何か嫌な予感がする……。見なかった事にしよう。
何事もなかったかのようにスープをすすることに集中しようとしたが、俺の危惧したとおりにその男は何故か女の子たちを置いて俺たちの方へと歩いてきたのだ。
「こんにちは! 見ない顔ですね、旅人さんですか? 僕は吟遊詩人のラファリスといいます」
どうぞよろしく、とラファリスはテオに向かって片手を差し出した。テオも立ち上がって握手に応じる。
近くで見るラファリスは吟遊詩人と言ったのは嘘ではないようで、左手には見たことない弦楽器を持っていた。成人男性なのは間違いなさそうだが、向かい合うテオと比べるとかなりひょろひょろに見えた。俺でも一対一なら負ける気がしない。
気になってさっきの女の子たちに目をやれば、ちょっと恨めしそうな顔で俺たちを眺めていた。
「あのさ……戻った方がいいんじゃないの?」
あっち、と女の子たちの方を指差すと、ラファリスはゆっくりと首を振った。
「あの子たちには長いこと演奏していたからね。そろそろ手持ちの曲が無くなってきた所だったんだ。それに、あんまりお金を使わせすぎるのも悪いかと思って」
ラファリスはそう言うと、困ったように笑った。
なるほど、確かにこいつに熱をあげている女の子なら、こいつの気を引きたいがためにいくらでもお金を使ってしまうんだろう。うわっ、むかつく野郎だな……。
「それで何故オレたちの所に?」
「それはもちろん、お客さんの新規開拓です! どうですか? 激しい戦いの曲に切ない恋の曲。世界を救った英雄の曲に悲運な乙女の曲。何でも取り揃えてますよ!」
「いらない」
テオが何か言う前に、俺ははっきりと拒否しておいた。断られると思っていなかったのか、ラファリスが狼狽し始める。
「えぇ、どうして!? お安くしとくよ!?」
「だからいらないって! 俺たちにはそんな暇も金もない!」
「そんなぁ、今月生活費がやばいんですよ! 人助けだと思ってお願いします!!」
「知らねーよっ! そんなに困ってんならさっきの女の子たちにでも頼めよ!!」
あの様子なら喜んで金でも住居でも提供してくれるだろう。思う存分ヒモ生活を楽しめよ!
それなのに、何故かラファリスは顔を青くしてぶんぶんと首を大きく横に振った。
「いや、それが……あの子たちの家族とか知り合いの男性に、『その綺麗な顔をぐちゃぐちゃにしてやる!』とか『月夜ばかりと思うなよ……』とか言われていまして……これ以上は僕の命が危ないんだ……」
ラファリスは蒼白になりながら情けない声を出していた。
うわぁ、思ったよりくだらない事情だった……。まあでも、俺だってリルカがこんなチャラい男にキャーキャー言って金をつぎ込むようになったら、こいつを奈落に放り込んでやりたいと思うかもしれない。イケメン過ぎるのも大変なんだな。
「だからお願い! 人助けだと思って!!」
半ばテーブルにすがりつく勢いでラファリスは粘った。何てしつこい奴なんだ。例え俺が女の子だとしても、こんな涙目で床にはいつくばるようなヘタレ野郎なんてこっちから願い下げだが、何故かさっきの女の子たちは「かわいそうなラファ……」とか言いながら涙を拭っている。
……ほんとなんなんだよ。いい加減にしてくれ。
「済まないが、オレたちも急ぐものでな。これから古代遺跡に向かうのでおまえの曲を聞いている時間はないんだ。悪いな」
テオは申し訳なさそうに手を振ってラファリスの誘いを断った。ラファリスはそれを聞いてぽかんとしていたが、次の瞬間目を輝かせるとばん! と俺たちのテーブルに手をついて立ち上がった。はずみでちょっと俺のスープがこぼれた。どうしてくれるんだよ!
「古代遺跡ってメスキアの事ですよね!? 僕、案内できます!! だから僕を雇ってください、お願いします!!」
「いや……オレたちだけでも問題な――」
「いやいやいや、こんなに小さい子供もいるのに危ないですよ! 砂漠を舐めてると痛い目に遭います!! その点、僕がいれば問題ありません。メスキアに着くまでばっちり安全な道をご案内しますよ!!」
本当にラファリスに砂漠案内が務まるのかどうかは怪しいが、安全に砂漠を進めるというのは確かに魅力的だ。
テオも彼の言葉を聞いて迷っているようだった。俺たちは数日前に砂漠で迷って死にかけたばっかりなのだ。リルカもいることだし案内をつける、というのはいいかもしれないが、間違ってもこんなチャラそうな男だけは勘弁願いたい。
だが、ラファリスは諦めるつもりは毛頭ないらしく、「ね、ね!? お買い得ですよ!?」 とかわめきながら俺たちの周りをぐるぐる回っている。それでもテオが首を縦に振らないとなると、遂には芝居がかった動きで床に突っ伏して泣きだしはじめた。
それを見た途端女の子たちの目がつりあがった。ついでに他の客も、早くなんとかしろよ……みたいな目で俺たちを見てくる。
理不尽だ、何故なにもしてない俺たちがこんな視線に晒されなければならないのか……。世の中はいつだって不条理だ!
「わかったわかった! 遺跡まで案内してくれ!!」
やけくそになったテオがそう叫ぶと、ラファリスは突っ伏していたのがウソみたいにぱっと立ち上がると、満面の笑顔で手を叩いた。
「ほんとですか!? さすがは旅人さん、話が分かる!! これでもう安心ですね! そうだ、出発は明日にしよう! 早い方がいいからね!!」
早口でそれだけまくしたてると、ラファリスは風のような速さで店を出て行った。入れ違いに。目つきの悪い数人の男が入ってくる。
「おい、あのチャラい詩人野郎をみなかったか?」
「……たった今出て行きました」
「チッ! 逃げ足の速い野郎だぜ!!」
店員がラファリスがもういないことを説明すると、男たちはぶつぶついいながら店を出て行った。
どうやら、ラファリスが恨みを買いまくっているというのは本当だったようだ。
◇◇◇
翌朝、俺たちはラファリスに見つかる前に街を出ることにした。どう考えてもあいつに砂漠の案内がまともにできるとは思えなかったからだ。どうせでまかせだったんだろう。
「でも……ラファリスさん、リルカたちがいなくなって……困らない、かな」
優しい優しいリルカはあんな詐欺師みたいなやつでも心配になってしまうようだ。俺なんかはあいつが街の男達に袋叩きにされようが別に何とも思わないんだけどな。
「いいって、あんな無理やり雇わせたのなんか詐欺だぞ詐欺! あいつ他にも悪い事やってそうだったし!」
「でも……かっこよかった、ね……」
リルカは微笑みながらそんな事を呟いた。その言葉を聞いて俺は心にナイフが刺さったようなショックを受けた。まずい、このままじゃリルカがあのヘタレ野郎の毒牙にやられてしまう!!
「リ、リルカ!? 吟遊詩人なんて不安定な職業の男は駄目だぞ!? 俺は許しません!」
「クリスさん、不安定さで言えば僕たちだって負けてませんよ」
そんな話をしながら部屋を出ると、下の方から何やら綺麗な音色が聞こえてきた。爽やかな朝の空気をそのまま音楽にしたような、心地よい弦楽器の音だ。
弦楽器……嫌な想像が俺の頭をよぎった。
「いや……宿泊場所は言ってない。きっと誰かほかの客だろう」
そう言ったテオの顔も引きつっている。俺はそっと階段の途中から下をのぞきこんだ。
部屋の中央に腰掛けて楽器を弾きならす若い男が一人。慌てて上に戻ろうとしたが、その前に奴に見つかってしまった。
「おはよう、いい朝だね! さあメスキアへ出発しようか!!」
何故か宿屋で待ち伏せをしていたラファリスは、俺たちの顔を見るとにっこりと満面の笑みを浮かべた。それを見た周囲の女性からきゃーっ! と黄色い悲鳴が上がる。
「…………何でここにいるってわかったんだ?」
「親切な女将さんが教えてくれたんだよ。本当に、容姿だけじゃなくて心まで美しいお方だ」
ラファリスがそう言って女将さんにウィンクすると、女将さんはばたーん! とその場に倒れた。
「おい、大丈夫か!?」
「ああ、ラファ……あなたの為ならわたし……」
「こりゃだめだ」
何故か幸せそうな顔をした女将さんは、近くにいた従業員に奥の部屋へと運ばれていった。
「貧血かな? 君たちも体調管理には気を付けてね。朝食はちゃんととらないと駄目だよ? それが済んだら、さっそく出発しようか!」
ラファリスはそう言うと、手早く四人分の朝食を用意した。その顔はまるで飼い主に褒めてもらいたがる犬のようだ。
なんかもう抗う気力も無くなって来た。でも、これだけは言わせてくれ。
「気持ち悪ぃんだよ、このストーカー野郎がっ!!!」




