1 交易都市
《アルエスタ東部・交易都市バルフランカ》
「はあぁ……」
水面を覗き込めば、そこには物憂げな顔をした美少女がうつりこんでいる。形の良い眉はひそめられ、アイスブルーの瞳はどこか悲しみをたたえている。そんな少女の気分とは裏腹に太陽は燦々と照り付け、彼女の淡い金色の髪をきらきらと輝かせていた。
そんな好天でも、俺の気分は晴れなかった。やっぱりおかしい。うまく丸め込まれた気がする。だいたい何であいつは――
「何ぶつぶつ言ってるんですか。うるさいですよ」
いきなり背後から声を掛けられ、頬にぷにっとした不思議な感触があたる。
「ん…………トマト?」
「そうですよ。それあげるからぶつぶつうるさくするのやめてくれません?」
もらったトマトを一口かじってみる。口に広がる酸味と甘み。このやわらかな果肉の食感がささくれ立ったもやもやとした心を少しだけ癒してくれるような気がした。
「だってさぁ、嫌にもなるじゃん……。ていうか俺、そんなに聞こえるほど声出してた?」
「この距離なら普通に聞こえますよ。自分で美少女とか言ってて恥ずかしくないんですか?」
一人でポエムに浸るのは恥ずかしくないが、それを人に聞かれていたと思うとさすがに恥ずかしい。
俺は水辺にしゃがみこんだまま、トマトを差し出した人物をそっと見上げた。
白い髪に銀色の目。口うるさい弟のような少年、ヴォルフが不機嫌そうにトマトをかじっていた。
やたらと機嫌が悪いのは暑いからだろうか。それとも、また反抗期に突入したのだろうか。まあ、どっちでもいいけど。
「それより、何でトマト?」
「そこの市場で安売りしてたから買ったんです。ほら、テオさんとリルカちゃんも食べてますよ」
ヴォルフが指差す方へと視線をやると、ゴリラのような大男と、人形のような可憐な少女が道端で二人して無心にトマトをかじっていた。
我らが勇者様のテオと、俺の心のオアシス、桃色の髪の美少女リルカちゃんだ。二人とも頼りになる仲間ではあるのだが、まるで取りつかれたようにトマトをむさぼるその姿は……何というか、異様だった。
「とりあえず、宿、行かない?」
「そうですね……」
行き交う通行人の視線が痛い。俺はトマトをむさぼる二人を引っ張って、何とか宿屋へとなだれ込んだ。
◇◇◇
ミルターナからアルエスタに入ってすぐに、俺たちは堅固な城壁に囲まれたこの交易都市バルフランカに到着した。
アルエスタの東端に位置するこの都市は、すぐ東にミルターナ、大きな街道をずっと北に進めばユグランス、西に広がるのは雄大なアルエスタの大地、という恵まれた立地条件の中で、古くから商人たちの交易が盛んな都市として栄えていたらしい。
俺たちがいるこのアルエスタという国は、統一王を持たない。多くの都市、部族が連合して同盟を組み、それぞれの暮らしや文化を守りながら生活している、ということだった。
その中でも、このバルフランカの首長が実質アルエスタ連合の盟主的な役割を担っているらしい。
そんなわけで、このバルフランカという街はアルエスタ地方はもちろん、アトラ大陸中から人が訪れる交易都市となっている。ここには、人、物、情報、すべてが集まってくる。
つまり、この街で情報収集を行えばミランダさんが言っていた怪しい動きについてもわかるかと思っていたのだが……
「なーんにもなかったな」
「まだ初日だ。成果がなくても焦らなくていいだろう」
「そこは焦ろうぜ!!」
うわーん! とはやる気持ちのまま、俺は勢いよくベッドにダイブした。うわ、思ったより硬い。
「おい、あまり騒ぐなよ。追い出されたらどうするんだ」
「そんなこと言うならさあ!! はやく世界救ってくれよ!!」
足をバタバタさせると、テオはあからさまに面倒くさそうな顔をした。
「そんなもの、一朝一夕でどうにかなるようなものではないとおまえもわかっているだろう?」
「わかってるけど、悔しいんだよ!!」
俺は声が響かないように枕に顔をうずめると、思いっきり叫んだ。
「レーテの馬っ鹿やろーっっっ!!!!
ラヴィーナの街できっちりレーテと話をして、俺も奴の言い分を認めた。そうして別々の道で世界を救う方法を模索し始めた……のは良かったが、今も全てに納得できたわけじゃないんだ。
やっぱり、あいつだけ勇者としてちやほやされて、かわいいティレーネちゃんといちゃいちゃしながら旅するなんてずるくないか!? 不公平だ!! 断固抗議する!!
……なんて、今更言ってもどうしようもない。だから、俺は一日でも早く世界を救って元の姿に戻りたいんだ!
「テオ! お前も真面目にやれよ!!」
「はいはい、わかったから寝るぞ」
◇◇◇
翌日も、俺たちは情報収集にいそしむことにした。
市場に出てさりげなく店主に最近の様子を聞いてみたが、バルフランカの人たちはいまいち世界の危機を真剣には受け止めていないようだった。
ミルターナではドラゴンが出たんですよ、なんて言ったらおもっきり笑われた。のん気な人たちめ。
「まあ、魔物が出るのはいつもの事だし、そんなん気にしてたらやっていけねえよ!! それより姉ちゃん。どうだ、うちの商品は?」
「えーっとぉ……」
情報が得られないどころか、思いっきり商品を勧められて俺はたじろいだ。
どうしよっかな……と考えていると、すぐ横にいたリルカがじっと一点を見つめているのに気が付いた。
「リルカ?」
リルカの視線を追うと、店に展示されている服に行きついた。
爽やかなリーフグリーンのワンピースで、派手すぎない程度にレースが刺繍されている。
リルカみたいな女の子が着たら、きっとかわいいだろう。
「……気になるのか?」
「そ、そうじゃないよ!」
リルカは焦ったように慌てて否定したが、この反応は当たりだ。俺は思いっきり殴られたような衝撃を受けた。
思えば、リルカを除いた俺たちは男三人。女の子の服装事情など気にせず、とてもじゃないけど服に気を使ってるとは言い難いその辺の安物(しかも男物)をリルカには着せていた。
だが、リルカだって年頃の女の子だ。きっと人並みにおしゃれをしたい、という気持ちはあるんだろう。
それなのに、俺はいままでリルカになんてひどい仕打ちをしていたんだろう。
許してくれ、リルカ!!
「そのワンピースとあっちのシャツ。あそこのケープとブーツと……あとそこのカチューシャください」
「クリスさん!?」
一気にそう注文した俺に、リルカはひどく驚いたような声を上げた。必死に止めようと俺の腕にすがってくる。
「や、やめようよ……また、ヴォルフさんに無駄遣いって怒られちゃうよ……!」
「リルカ……」
なんて健気なんだ。自分の欲しいものより俺の心配をするなんて!
大丈夫、これは決して無駄遣いなんかじゃない!
「ヴォルフなんていつも怒ってるし、好きなだけ怒らせとけばいいんだよ! それに、これは俺からリルカへのプレゼントなんだから受け取り拒否はできないからな!」
「プレゼント……?」
リルカは呆然とそう呟くと、下を向いて服のすそをぎゅっと握りしめた。
「リルカ……プレゼント、もらうの……はじめて」
「そっか、なら俺が第一号だな!」
ぐしゃぐしゃとリルカの頭を撫でると、嬉しそうにはにかんだ顔と目があった。
こんなに喜んでもらえるなら、もっと前からリルカの服にも気を使うべきだったな。これは反省しなければ。
「ならそんなお嬢ちゃんにおっさんからもプレゼントだ! また来てくれよ!」
俺がたくさん買った事が嬉しいのか、店の親父は上機嫌でリルカに小さな袋を押し付けていた。おまけみたいなものだろう。
よかったな、リルカ。あの親父がリルカにプレゼントをあげた第二号だ。
きっと三号も四号も、リルカにプレゼントを贈る人この先たくさん現れるだろう。
なんだか、そんな気がした。
◇◇◇
「だめだめ、まだ入るなよ!」
「いったい何を始めるんだ……?」
リルカの服を買い込んですぐに、俺とリルカは宿屋へと舞い戻った。
恥ずかしがるリルカを何とか説き伏せ、着替えるようにと促したのはついさっきだ。
途中で誰かが部屋に入らないように扉の前で見張っていたのだが、案の定別行動をとっていたテオが帰ってきた。まだリルカは着替えてないのに。
「見てのお楽しみだから! 絶対にのぞくなよ!!」
「ちょっと、なに騒いでるんですか」
ヴォルフも帰ってきた。俺は怪訝な顔をする二人を何とか押しとどめようとした。
「リルカが着替え中だから!」
「まだ夕方じゃないか。漏らしでもしたのか?」
「年頃の女の子になんてこと言うんだよ!!」
勇者テオはデリカシーゼロだった。いくらなんでもその言い方はない!
俺が文句を言ってやろうと口を開きかけた時、背後の扉が遠慮がちに開いた。
「あの……やっぱり、リルカにこういうのは……」
控えめに顔を覗かせたリルカの腕を引っ張って、廊下へと引きずりだした。
俺の見込んだ通り、リーフグリーンのワンピースはリルカによく似合っていた。まるで、リルカのために作られたんじゃないかと思うくらいだ。
ああ、もっとはやく服の事に気づくべきだった!
「ほら、俺が買ったんだ。かわいいだろ?」
自慢気にテオとヴォルフを振り返ると、二人はぽかんと呆気にとられたような顔をしていた。ふふん、さてはリルカの可愛さに圧倒されてるな!
そんな状況でも、先に我に返ったのはヴォルフだった。
「すごいよリルカちゃん。よく似合ってる」
ヴォルフが優しくリルカの頭を撫でると、リルカは恥ずかしそうに笑った。
うん、仲の良い兄妹みたいで微笑ましいな。もう少し二人の年齢が上だったらちょっとアレだった。俺が疎外感を感じてしまう。
「その……なんというか、いいぞ」
テオはしどろもどろになりながらそれだけ言った。なんとも不器用な褒め方だ。
それでも、リルカは嬉しそうだった。
よかった。服の事もそうだけど、俺たちみたいな男3人と一緒にいるとどうも一般の女の子とはかけ離れた生活になってしまうので、リルカにはできるだけ普通の女の子と同じようにしてやりたい。
ヴォルフはともかく、デリカシーゼロな勇者には何も期待できないので、こういった方面は俺がなんとかせねば!
そう決意に燃えていると、ヴォルフがそっと近づいてきた。
「これ全部、クリスさんが買ってあげたんですよね? そのお金はどこから出てきたんですか?」
「あ」
怒られる5秒前である。
◇◇◇
「あー、もう!」
宿屋の風呂からの帰り道、俺はがしがしと髪を拭きつつ悪態をついた。
結局あの後、俺はヴォルフに散々怒られた。夕飯の最中まで怒ってくるとはあいつはいったい何なんだ。
リルカにかわいい服を買ってあげたこと自体は問題ない。むしろ褒められるべき行為だが、その量が多する、というのがヴォルフの主張だ。
確かに俺もちょっと買いすぎたかな……とは思ったが、リルカの笑顔を見たらそんなん吹き飛ぶだろ!
明日の宿代と飯代? そんなのは明日考えればいい!!
「戻ったぞー、ってリルカだけか」
部屋に戻ると、テオもヴォルフもどこかに行っているようで、リルカの姿しかなかった。そのリルカは、ごそごそと荷物の整頓をしているようだ。
先に風呂に入ったリルカの頭上には、真っ赤なリボンがかわいらしいカチューシャがはめられている。俺が今日買ってあげたものだ。
さすがに寝ると時には外すんだろうが、俺が一度つけてあげると、随分と気に入ったようでそれからずっと装着し続けている。
うんうん。どれだけ買いすぎだって言われても、まったく後悔はしないな!
「クリスさん……あの、これ……」
荷物から離れると、リルカはそっと何かを俺に差し出した。
「ん……ブレスレット?」
リルカの手のひらに乗っていたのは、色とりどりの石が紐に通されたブレスレットだった。簡素な造りだが、中々綺麗だ。
「これ……昼間の、お店のおじさんが……」
「ああ、あれか」
そういえばリルカは何か貰っていたな。それがこのブレスレットか。
あのおっさん、中々センスいいじゃないか。
「二つ……入って、いたので……一つは、クリスさんに……」
「いいのか?」
見れば、リルカの手首にもすでに同じものが通されていた。俺も有難くいただくと、手首に巻くようにして紐を結んだ。
リルカに見せるように手首を差し出すと、リルカも同じようにブレスレットのまかれた手首を差し出した。
「おそろいだな!」
「おそろい……」
リルカは嬉しそうにそう呟いた。俺もちょっと恥ずかしいけど嬉しい。
このブレスレットはきっと、俺にとっても、リルカにとっても宝物になるだろう。




