47 満月の夜
「クリスさん、そういえば……レーテって、なに?」
「ぶはっ!」
突然のリルカの発言に、俺は思わず口に入れていたパンを噴き出した。
「うわっ、汚なっ! まったく、何やってるんですか……」
「どうした、くしゃみでも出たのか」
ヴォルフは呆れたように、テオは気遣わしげに俺に声を掛けた。原因となったリルカはおろろしている。俺は咳き込みながらも、大丈夫だと安心させようとリルカに手を振った。
偽勇者――レーテとも別れ、俺たちは出発前に食事でもとろうと宿屋に戻って来ていた。その中でのリルカの発言である。おかしい、俺とレーテが話をしたときはあの部屋には俺たち二人しかいなかったはずだ。なのにどうして、リルカはレーテの名前を知っているんだろう。他人にばらさない、という約束で名前を聞いてしまった以上、この状況はちょっとまずい気がする。
「ごほっ……リルカっ」
「ク、クリスさん……お水、のんで……?」
リルカが必死になって差し出してくれた水を、俺は一気に飲み干した。すっきり、これでもう大丈夫だ。
「いや、大丈夫じゃない!!」
「え、えぇ……?」
「リルカ! その名前はどこで聞いたんだ!?」
がしっ、とリルカの肩を掴んで問い詰めると、リルカは慌てたようにぶんぶんと首を何度も横に振った。
「な、名前……?」
「言ってただろ! レーテって!」
「何言ってるんだクリス。おまえがそう叫んでたじゃないか」
テオはフォークで豚肉を突き刺しながら、事もなさげにそう言った。
「ちょっと待て、それ、いつ!?」
「はあ? もう忘れたんですか。さっき、あなたが勇者クリスと二人で部屋に残っていた時ですよ」
俺とレーテが二人で部屋で話をしていた時……確かに、最後にレーテの名前を呼んで激励を送った覚えはあるけど……、もしかして、俺たちの会話は筒抜けだったのか!?
「他にはなんか聞こえたのか!?」
「あなたが一人でわーわー騒いでるのは聞こえましたけど」
「そんな人を痛い奴みたいに……じゃなくて!!」
「安心しろ。おまえ達の別れ話の肝心な部分はオレ達には聞こえなかったからな。ティレーネなんかは盗み聞きしようとして傍の騎士に止められていたが」
「別れ話じゃねーよっ!! ていうか聞こえてなかったんだ……」
ちょっと安心したぞ。レーテの事はティレーネちゃん達には秘密って約束だし……。
ん? そういえばティレーネちゃん達にはばらさないって言ったけど、別にこいつらになら話してもいいんじゃないか?
「レーテっていうのはあの勇者クリスの本名なんだ!」
「「「へぇー」」」
俺が重大な事実を暴露したと言うのに、三人の反応は悲しいほどに薄かった。もっと興味持てよ。
「何だよ……そのどうでもよさそうな反応は」
「そんなこと言ってもな、オレたちはその勇者クリスの事はよく知らんしな」
「しばらく会う事もなさそうですしね」
「次からは……レーテさん、って呼んだ方が……いいのかな」
「あ、それはやめよう」
即座にばらしたなんて知られたら、また奴に電撃を撃ち込まれそうだ。
◇◇◇
準備を終えて、俺たちはラヴィーナの街を後にした。ラヴィーナの街はミルターナの西端に近い所に位置しているので、数日も歩けばアルエスタに行けるはずだ。
今まで故郷のリグリア村周辺から出たことがなかった俺にとっては、他の国に行くのは初めての経験になる。世界を救うための旅だってわかってはいるけど、やっぱりわくわくする気持ちは抑えられない。
「そういえばクリス」
「んー?」
期待感に足取りも軽く進んでいると、すぐ後ろを歩いていたテオに声を掛けられた。
「おまえは本当に来てよかったのか? おまえの故郷はこの国なんだろう。国内ならともかく、他国に行くとなると簡単には戻れないぞ?」
「なーんだ、そんな事かよ」
今更そんなこと言われても、俺の気持ちはもうとっくに固まっているんだからな!
「どうせこんな姿じゃ家には帰れないし、世界を救って、元の姿を取り戻してから堂々と凱旋してやるんだよ!!」
世界を救ったら二人の入れ替わりを元に戻すとレーテは言った。あいつの口ぶりだと、しつ自身が世界を救うみたいな感じだったけど、どうせ救うならテオが救ってもかまわないだろう。そのついでに、勇者テオの仲間として俺も活躍してやろうって寸法だ。まあ、この脳筋ゴリラ野郎がなんとかなる気がする。
「頼りにしてるぜ、勇者様!」
「ははっ、任せておけ」
◆◆◆
「猊下、ミランダです」
ミランダか部屋の中へ入ると、ジェルミ枢機卿は相変わらず窓から街を眺めていた。
ミランダも隣に立ち窓から下の景色を眺める。ドラゴンは大聖堂を狙って襲撃してきたようで、聖堂周辺はまだ瓦礫が散乱しているが市街地はそうひどい状況にはなっていないようだった。
「首尾はどうだ?」
枢機卿がミランダの方へと向き直って問いかける。
「依然死傷者の正確な数すらも掴めてはおらず……」
「いや、そちらではない。もう一つの方だ」
ミランダは思わず枢機卿を見つめ返した。彼は真剣な顔つきでミランダをじっと見つめている。ミランダはこほん、と咳払いをすると。もう一つの状況についての報告を始めた。
「未だ発見には至っていません。ティレーネも力を発現させるには至らず、聖槍も特定の者に反応したわけではないようです」
「そうか……」
ミランダがそう報告すると、枢機卿は落胆したようにため息をついた。
「二人の勇者をアルエスタ方面とユグランス方面に派遣しております。そちらで発見に至る可能性も考えられますね」
「そうだな。必ずやこの世界に現れているはずなのだ。探索範囲を広げればそこで勇者に引き寄せられる可能性があるか……」
枢機卿が長考に入ったようなのでミランダは人知れずため息をついた。正直まだ彼に報告していない事項もあるにはあったのだが、今はやめておいた方がいいだろう。
ミランダは何も言わず部屋を辞した。
人気のない廊下を歩いていると、前方から不敵な笑みを浮かべた青年がやって来るのが見えた。
「あっ、ミランダさん。お疲れ様です」
「ミトロス、あなたまだいたの」
ミランダが足を止めると、不敵な笑みを浮かべた修道士――ミトロスも彼女の目の前でぴたりと足を止めた。
「相変わらずあのお方の使いっぱしりですか。大変ですね」
「本当よ、あなたに代わってほしいくらいだわ」
ミランダがそう口に出すと、ミトロスはおかしそうにけらけらと笑い出した。
「僕もそう変わりませんよ。ただ……今は面白いものを見つけたので少しだけ気分がいいですね」
「ふぅん……」
それだけ言うと、青年は口元に笑みを浮かべたままミランダの横を通り過ぎて行った。自分の役目を覚えているのかと問いただしたかったが、やめておいた。ミランダもそれなりに疲れていたのだ。
思わずドラゴンの襲撃で割れたままの窓から外をのぞいた。方向が違うからなのか、先ほど枢機卿の隣では見えなかった綺麗な満月がよく見えた。
「面白いもの、ね……」
枢機卿にも先ほどの青年にも伝えなかったが、今回の襲撃でターゲットを見つけたのはミランダも同じなのだ。だがまだ誰にも伝えることはできない。誰にも横取りさせるわけにはいかないのだから。
「ふふ、また会えるのが楽しみだわ……!」
気分を切り替えると、ミランダは月光を背にまた歩き出した。




