44 竜の弱点
なんとか俺たちが聖堂入口へと戻ると、すぐに偽勇者に気づいたティレーネちゃんがこっちへと近づいてきた。
「クリス様! お怪我はありませんか!?」
「大丈夫だよ。ありがと、ティレーネ」
偽勇者がにっこりと微笑むと、ティレーネちゃんは頬を染めてうつむいた。その顔には、隠しきれない幸福感がにじんでいる。うわぁ、甘酸っぱい。
今のやり取りを見ただけで、何となく二人の関係が分かってしまった。
あーあ、本当ならティレーネちゃんと旅に出るのは俺だったはずなのに。いいのか、ティレーネちゃん。その勇者クリスの中身は、平気で人に雷を撃ち込んだりする性悪女だぞ。
そう一人でふてくされていると、やっと気が付いたのかテオも俺たちの方へとやって来た。
「おぉ、おまえ達。無事だったか?」
「別に平気だしっ!」
「おい、何を拗ねているんだ」
ぶくっと頬を膨らませた俺を見て、やってきたテオは少しあきれたような声を出した。別にテオが悪いわけじゃない。でも、偽勇者を出迎えるのはとびっきりの美少女で、俺の方は脳筋ゴリラっていうのはやっぱり不公平だろ!
「その槍が地下聖堂にあった強力な武器なのか?」
テオは俺が壁に立て掛けた槍を手に取って、しげしげと眺めた。
「うん……リルカ達、がんばったんだよ……」
「普通の槍に比べれば大きいですけど、それでドラゴンなんて倒せますかね、テオさん?」
確かに、俺たちがとってきた槍は大きくて見た目も美しい。聖なる力を秘めていると言われれば、はいそうですかと信じてしまいそうなほどには神秘的な槍だ。だが、相手はドラゴンだ。あのサイズの槍でドラゴンに立ち向かなんて、フォーク一本でゴリラに立ち向かうようなもんじゃないか?
そんな俺の心配をよそに、テオは一通り槍をいじくり回した後、すっと腰をかがめて槍を構えた。
「なるほど……これなら一撃で急所を突けば倒せる可能性はあるな」
「急所って?」
そう聞き返すと、テオは天井へと目を向けた。今もぱらぱらと建物の破片らしきものが落ちてきている。ドラゴンは未だに大聖堂への攻撃を緩めてはいないようだ。このままではいずれ聖堂ごと崩壊してしまうだろう。
テオは俺の方へと向き直ると、自分の喉のあたりを指差した。
「喉の下あたりに他と形状の異なる鱗があるはずだ。それがドラゴンの急所だ。そこを突けば死ぬだろう」
テオは大真面目にそう言った。なるほど、確かにフォーク一本でもうまくゴリラの喉をぶっ刺せば仕留められるような気もする。そういうことなんだろうか。でも、それには大きな問題があるじゃないか。
「あのドラゴンは空飛ぶんだぞ? どうやって喉なんて突くんだよ」
「投げつければ地上からでも刺さるだろう」
「あんなにびゅんびゅん飛び回ってんのに!? 無理だろ!!」
そう声を上げると、テオは顎に手を当てて考え込んだ。さすがのテオでも、地上から宙を飛び回る竜に槍を投げつけるのは難しいと考えたようだ。
「地上からの距離は問題ない。ただ、標的が動いていては空振る可能性が高いな。少しの時間でも動きをとめられれば……」
「それならボクにいい考えがあります」
考え込む俺たちに、割って入る声が一つ。さっきまでティレーネちゃんと青春な雰囲気を醸し出していたあの偽勇者だ。
「ドラゴンはブレスを吐く瞬間に、わずかな間だけ動きを止める習性があるようです。ボクが囮になるので、ドラゴンがボクに向かってブレスを吐く瞬間にあなたはその槍でドラゴンを串刺しにしてやってください」
偽勇者はもっともらしい事を提案したが、テオは渋った。
「囮になるといってもな、ドラゴンに見つからずに槍を投げつけるなんてできると思うか?」
「それは問題ありません。まだ西塔は崩れずに残っているはずなので、ボクがそこへ行きドラゴンの注意を地上から逸らします。奴が塔に向かってブレスを吐く時に、あなたが地上から槍を投げればドラゴンを倒せます」
偽勇者は真剣な顔をしている。その気迫に、俺たちは少し気圧された。
こいつはいきなり人を騙して体を乗っ取る様なとんでもない事をしでかす奴だけど、少なくとも今この瞬間に、ドラゴンを倒したいという思いは本当のようだ。自分が進んで囮になると言い出すくらいには。そう思ったら、文句をつけることはできなかった。
「それはいいが……ブレスを吐いた後お前はどうするんだ? 普通に死ぬぞ」
「その心配をするならブレスを吐く前に仕留めてください。まあ……間に合わなかったとしても策はあるので大丈夫ですよ」
偽勇者は自信ありげに、にっこりと笑った。その顔からはとてもドラゴンを恐れているようには思えない。
奴は疑っていないんだ、自分の考えた作戦がうまくいくことを。
「……わかった。オレの力の限り、最善を尽くそう」
テオも偽勇者の作戦に賭けることにしたようだ。槍を掴みなおすと、偽勇者に向かって力強く頷いた。
「よし、じゃあ行こうか」
「……は?」
偽勇者はまたしても俺の腕を掴んだ。そのまま俺が何か言う前にひきずるようにして西塔へつながる通路へと連れ込まれる。偽勇者はそのまま後ろ手にがちゃん、と扉の錠を閉めた。
一拍遅れて、どんどん! と扉を叩く音が響きわたる。
「おい待て、どういうつもりだ! クリスを戻せ!!」
テオの声だ。その声に混じって、何人かの慌てたような声も聞こえる。
「キミとボクの関係について、他者に完全な理解を求めるのは難しい。キミだってそう思うだろ? 特に、こんな時間もない場合には」
偽勇者は扉を叩く音やテオ達の声にはどこ吹く風で、真っ直ぐに俺だけを見つめていた。
「つべこべ言わずに黙って手を貸せ……ってことかよ」
「端的に言えばそうだね。ボクの仲間にも、キミの仲間にも説明している時間はなさそうだから」
どぉん、と遠くでまた何かが崩れ落ちるような音が聞こえた。きっとドラゴンの攻撃を受けてどこかが破壊されたんだろう。きっと、もう残された時間は少ない。
「何で、俺なんだよ……」
「キミが必要だから」
偽勇者は目をそらさずにそう言った。
美しい女性に「あなたが必要なの……」なんて迫られたらやる気満々になるところだが、男――しかも元の自分の顔にそんな事を言われても不気味なだけだ。俺がドン引きしたのに気付いたのか、偽勇者は慌てて顔の前で手を振って訂正した。
「違う違う。正確には、キミの力が必要なんだ。特にキミ自身に興味はないから安心してくれ」
「別に心配してねーよっっ!! じゃなくて! 俺の力って何だよ!」
俺の力が必要、とか言われても、悪いが俺にはまったくそんな心当たりがない。戦闘能力を求めるなら神殿騎士のアルベルトやこいつの仲間のラザラスで間に合うだろうし、神聖魔法だって、ここは聖堂なのだから俺よりももっとすごい聖職者だってたくさんいるだろう。こいつは俺にいったい何を求めているんだ。
「気が付いてないの? ボクの力がキミに移りかかってる」
「お前の、力……?」
「詳しい説明をしてる時間はないんだよ。今はこのままボクと一緒に来てほしい」
偽勇者はそういうと、俺の手を力強く握りしめた。そこで初めて、奴の手が細かく震えているのに気が付いた。
そうか。いくら余裕そうに見えても、こいつだって緊張はするし不安になったりするんだろう。それでも、わざわざ囮を買って出てまでドラゴンを倒そうとしてるんだ。
こいつは本気だ。
「……わかった」
俺は偽勇者に向かって大きく頷くと、扉の向こうのテオ達に向かって声を張り上げた。
「俺は大丈夫だからみんなは予定通りドラゴンを頼む!!」
扉の向こうからは戸惑ったような声が聞こえてきたが、もうそれに応えている時間が惜しい。きっと三人ならわかってくれるだろう。
そう信じて、俺と偽勇者は塔の階段を駆け上った。西塔も基本的な作りは俺たちが必死で駆け下りた東棟と同じだった。
「途中で四方を見渡せる踊り場があるはずだ。そこにドラゴンを引き付ける!」
「わかった!」
階段を上がって上がって上がって……やっとの思いで踊り場にたどり着いた。俺たちがドラゴンと遭遇した東棟と同じように、壁のない踊り場ではあたりの景色が良く見えた。必死で息を整える俺とは対照的に、偽勇者は注意深く辺りを見回している。
「いた! あそこだ!!」
そう叫んだ偽勇者の指差す方向を見ると、確かにそこには聖堂へ攻撃をくわえるドラゴンの姿があった。
ラヴィーナの街の象徴である美しい大聖堂は、今やドラゴンの攻撃によって所々が黒く焦げたり崩れ落ちたりと悲惨な姿になっている。
さらに聖堂へと体当たりを仕掛けるドラゴンは、まだ踊り場の俺たちには気づいていないようだった。
「奴の注意をこっちへ向けないといけないね……!」
「方法は!?」
「なんでもいい。キミは奴に聞こえるように大声を出してくれ」
随分とアバウトな指示だな……なんて思う暇はない。俺は大きく息を吸うと、思いっきりドラゴンに向かって大声を上げた。
「このデカブツ!! ウスノロ!! 鱗野郎!!」
「幼児か……キミは」
偽勇者のあきれた声が聞こえたが、俺は気にせずドラゴンへの罵倒を続けた。そもそもドラゴンが人の言葉を理解するのかどうかは知らないが、聖堂への攻撃を続けていたドラゴンは俺の声が聞こえたのかぐるり、と方向転換してこちらを向いた。
「うわ! 気づいた!!」
「よくやったな、ビアンキ」
偽勇者は頭上へと剣を掲げると、目を閉じて詠唱を始めた。
「疾走する光、天の咆哮、我が敵を焼く閃光よ……」
こいつがこんなに真剣に呪文を唱えるのを聞いたのは初めてだ。
一般的に、黒魔法を使うには正確に呪文を唱える必要があるとされる。強い呪文ほど長い詠唱が必要になってくるらしい。だが黒魔法の熟練者は、元々の呪文をアレンジしてより強力な魔法にしたり、逆に詠唱を省略して威力は落ちるが即座に魔法が使える「短縮詠唱」という技法もあるらしい。俺に電撃を撃ち込んだ時も、地下聖堂で魔物と戦った時もこんなに長々と詠唱はしていなかったので、おそらくその短縮詠唱を使っていたんだろう。
そんな奴が、全力で詠唱しないとかなわないくらいの相手なんだ、あのドラゴンは。
ドラゴンはもう間近に迫っている。それでも偽勇者は詠唱をやめない。魔法が完成しつつあるのか、奴の体からもバチバチと小さな電撃が発生しているような音がした。
「お、おい……」
「……下れ! “大雷轟!!”」
奴が剣を掲げてそう叫んだ途端、剣先から空に向かって一条の電撃がほとばしった。電撃は雲にのまれたが、次の瞬間偽勇者が放った分とは比べ物にならないほどの巨大な雷が、俺たちの目の前まで迫っていたドラゴンの体を撃ちぬいた!
雷が直撃したドラゴンは宙を飛んだまま体勢を崩し、苦しそうに唸り声をあげた。そのまま地面に落ちるかと思いきや、ぐるんと体制を整え、ぎょろり、と鋭い金色の瞳がこちらへ向いた。
「うひぃ!」
「……さすがに倒しきれないか……」
ドラゴンは怒りに燃えているようだった。俺たちの目の前までやって来ると、大きく口を開けた。ブレスを吐く準備だ。
「あ……」
「大丈夫」
崩れそうになる俺の体を、偽勇者が胴体を掴むようにして支えた。
きっと数秒もかからない時間のはずなのに、やけにゆっくりと感じられた。
そして、大きく開いたドラゴンの口の中に炎が見えた瞬間、俺たちの目の前でドラゴンの喉元を大きな槍が貫いた。間違いない、あれは俺たちが地下聖堂から取って来て、テオに渡した槍だ。テオはうまくやってくれたんだ!
槍が刺さった衝撃でドラゴンがのけぞる、槍は喉元に深々と突き刺さっており、もうあのドラゴンの命はすぐに尽きるだろう。
でも、一瞬遅かった。
絶命する直前に、まるで最後のひとあがきとでもいうように、ドラゴンの口から俺たちに向かって炎のブレスが吐かれたのが見えた。
これだけ至近距離にいるんだ、階段に逃げても間に合わないだろう。俺は動くことができなかった。だが、奴は違った。
「くそっ!!」
「え、ええぇ!!?」
偽勇者は俺の胴体を掴んだまま、抱き込むようにして踊り場から宙へと身を躍らせた。
遥か下にラヴィーナの街がよく見える。それだけ塔の踊り場は高い所に位置していた。普通の家の2階や3階なんて高さじゃない。どう考えても落ちたら即死だ!!
「着地しろ!!」
落ちながら、偽勇者がそう叫んだのが聞こえた。
着地だと……? 何を言ってるのかはわからないが、その瞬間視界がゆがんで、ふっと体が軽くなる様な感覚がした。そして……
「わっ!」
どすん! と重い衝撃が俺を襲う。打ち付けた体が痛い。だが、今のは寝ぼけてベッドから落ちた時くらいの痛みだった。ちょっと待て、俺はめちゃくちゃ高い塔から落ちたんだよな……?
おそるおそる目を開けると、目の前に白い石壁が見えた。上を向くと、さっきまで俺たちがいた西塔の踊り場が燃え盛っているのが見えた。
俺が混乱していると、少し離れた所から地響きのような轟音が聞こえた。まるで、何か巨大なものが空中から地上へと落下したような音だ。
「だから言っただろ」
すぐ傍から、聞き覚えのある声が聞こえた。視線を下に向ければ、あの偽勇者が手を額に当てて寝っころがりながら俺を見上げていた。
「キミの力が必要だって」
偽勇者は疲れたように笑った。
奴は生きてる、俺も生きてる。何が起こったのかはわからないが、それだけは確かだった。
「はあぁぁぁぁ……」
大きくため息をつくと、俺はずるずると石壁にもたれかかるように座り込んだ。
遠くから俺たちを呼ぶ声が聞こえてきた。テオ、ヴォルフ、リルカ。それに、ティレーネちゃんや他の人もいるようだ。
残った力を振り絞って、俺は彼らに応えるように大声をあげた。




