42 一時休戦
転がり落ちる勢いで階段を駆け下り、俺たちはなんとか聖堂の入口まで戻ってきた。
「し、死ぬかと思った……」
「生きててよかったな。ボクに感謝しろよ」
床に倒れ込みぜぇぜぇと息を整えていると、偽勇者はにやりと笑ってそんな事を言いやがった。
確かに俺はこいつに命を救われたが、元はと言えばこいつが塔なんかに行くからドラゴンに目をつけられたんだし、もっと言えばそもそもこいつが体の交換なんてしなければ俺がこんな目に遭う事はなかったはずだ! と文句を言ってやろうとした時に、ふと聞きなれない声が俺の耳に入ってきた。
「クリス様!」
え、俺? と思って顔を上げたが、こちらに走ってくるのはまったく知らない男だった。男は俺ではなく、偽勇者の前で立ち止まった。クリス様、というのは俺ではなくあいつを呼んだ声らしい。
「うわ、ラザラス血がすごいよ?」
「これはすべて返り血なので大丈夫ですよ……じゃなくて、どこに行ってたんですか! 今まで!」
偽勇者の言った通り、ラザラスと呼ばれた男の体には足るところに血が付着していた。こいつも騎士なのか、銀色の立派な鎧も血で赤黒く染まってしまっている。
「悪い悪い。それより、状況は?」
「聖堂内に魔物が侵入しようとしています。何とか第一陣は食い止めましたが、外にどのくらい残っているのか……。それと、ティレーネさんの姿が見当たりません」
「ティレーネが!?」
偽勇者は俊敏な動きで立ち上がった。ティレーネ、という名前に、俺も慌てて体を起こそうとした。
ああ、懐かしいティレーネちゃん。テオに俺の偽物と一緒に旅立ったというのは聞いていたけど、こいつらの会話からしてそれは確かな情報だったようだ。ただ、現在の彼女は行方不明。心配だが、それよりも俺は俺の仲間を探さなくては!
何とか壁に手をついて立ち上がった俺の耳に、慣れ親しんだ声が聞こえてきた。
「「クリスさん!!」」
「リルカ、ヴォルフ!!」
声の方向へ視線をやれば、リルカとヴォルフがこっちへと走ってくるのが目に入った。その姿に、自分でも驚くほどに安堵感が込み上げた。ああ、二人とも無事で良かった。
勢いよく抱き着いてきたリルカを、力強く抱き返す。リルカは既にぼろぼろと泣いていた。
「うぅ……クリスさん……。もう……会えない、かと……!」
「ごめん、ごめんな。リルカ」
「まったくですよ! なに勝手にいなくなってんですか、あんたは!!」
「ごめんごめん悪かったよ……」
必死に謝りつつ、俺は二人の状態を確認しようとした。ヴォルフは体中にべっとりと血がついているが、本人曰く魔物の血らしいので問題はないだろう。リルカの方は怪我らしい怪我も見当たらない。このまま泣き止んでくれれば万事OKだ。
「クリスさん、ドラゴンが出たっていうのは……」
「本当だ、俺も見た。ブレスで死にそうになったし。ていうかテオは?」
辺りを見回したが、あの目立つゴリラ男の姿はどこにも見えなかった。あいつに限っては大丈夫だと思うが、この非常時にいったい何をしてやがるんだあいつは!
「テオさんは……まだ……もどって、なくて……」
リルカがしゃくりあげながらそう教えてくれた。まだ戻っていない、ということはテオは未だにこの聖堂の奥へ行ったままなんだろう。嫌な予感がする。
さっきからずっと聖堂全体が不規則に揺れているのも、時折上の方から轟音や悲鳴が聞こえてくるのも、もしかしてさっきの俺たちみたいにドラゴンが攻撃をくわえているからなんじゃないんだろうか……。
「なあ、外に逃げた方がいいんじゃ……」
「無理ですよ。聖堂周辺にはまだ危険な魔物がうじゃうじゃいます」
「えっ!?」
ヴォルフの話では、聖堂周辺にはトカゲのような魔物がひしめいていて、とても外に出られる状況じゃないらしい。聖堂内を見渡せば、ところどころに魔物にやられて怪我をしたと思わしき人たちが倒れているのが見えた。テオがいない今、俺たち三人だけで外に逃げるのは危険そうだ。
「じゃあどうすれば……ん?」
遠くから、どたどたと大勢の足音が聞こえてくる。足音はだんだんとこちらに近づいてくるようで、やがて固唾をのんで見守る俺たちの前で、聖堂の奥へと続く扉が勢いよく開かれた。
そこから大勢の人たちがこちらへなだれ込んでくる。聖職者や騎士が多かったが、その中に見慣れた顔を見つけて俺は思わず声を上げた。
「テオ!?」
「おお、クリス。生きてたか」
テオは汗を拭いながら俺たちの方へとやって来た。傍にヴォルフとリルカがいるのを確認すると、テオは満足気に頷いた。
「ヴォルフもリルカも、無事のようだな。よかったよかった」
「よくねーよっ!! 外にはドラゴンがいるんだぞ!?」
「知っている。今からそいつを倒しに行くんだからな」
「えっ?」
驚く俺をよそに、テオは再び俺たちに背を向けた。そこへ一人の美女が近づいてきた。藤色の髪が特徴的な綺麗な女性だ。
「勇者テオ、わたくしの言った言葉を覚えていますか?」
「ああ、忘れるはずがない。必ずドラゴンを討ち果たして見せよう」
うわぁ! あいつ、美人の前だからって無茶なこと言いやがって。何考えてるんだ。
美女が去ると、俺はテオが何か行動を起こす前に慌てて奴の手を引っ張った。
「おいおい! 何言ってんだよお前! ていうかあの人誰!?」
「彼女はミランダ。素性は知らんが、枢機卿の付き人のようだな。ドラゴンを倒すと約束したので今から行ってくる」
テオはちょっと飲み屋に行ってくる、くらいの軽いノリでそう告げた。
「行ってくる、じゃねーよっ! 絶対無理だって! ドラゴンめっちゃでかいもん! 俺、すごい近くで見たし!!」
俺は必死にテオを止めようとした。いくらテオがゴリラ並みにごつくて強くても、ドラゴンはその比じゃない。どう考えても勝てるわけがない。むざむざ死にに行くようなものだ。それよりも、四人で聖堂を脱出する方がまだ生き残る可能性が高そうだ。
俺が必死にそう説得しても、テオは首を横に振るばかりだった。
「クリス、よく聞け。どれだけ無謀でも、オレは行かねばならん」
「なんで!?」
「オレが勇者だからだ」
テオはまっすぐに俺の目を見て、はっきりとそう言った。
「勇者である以上、救いを求める人々を置いて逃げ出すことなんてできん」
「そんなこと……」
テオは本気だ。本気でドラゴンに挑むつもりなんだ。勇者だから、なんて無茶な理由で。
俺はもう、何も言えなくなってしまった。
「あはは、素晴らしい心がけですね。勇者テオ!」
この場の緊迫した雰囲気にそぐわない、明るい声が聞こえた。顔を見なくてもわかる、これは、元の俺の……あの偽物勇者の声だ。
「……おまえは?」
「初めまして。ボクはクリス。あなたと同じ勇者ですよ」
いつの間にか俺たちの近くへ来ていた偽勇者は、いけしゃあしゃあとそんな事を言った。どこまでもふてぶてしい奴だ。
「クリス……?」
テオはとたんに警戒を強めた。リルカはひゅっと息をのんで、ヴォルフも身を固くしたのが見えた。
三人にはすぐ目の前の奴の正体がわかったようだ。俺が何度も何度も何度もしつこくこの偽物勇者に騙された話をした甲斐があったな!
「やだなあ。そっちのクリスさんが何を言ったか知りませんけど、今はいがみあってる場合じゃないでしょう? 協力してこの場を何とかするべきです」
今更何言ってんだよっ! と怒鳴りたかったけど、ぐっと我慢した。
悔しいけど……奴の言っていることは正論だ。
「……お前には何か策でもあるのかよ」
俺が怒りを抑えてそう問いかけると、奴はにっこりと笑った。
「もちろん! さっきボクの仲間に聞いたんだけど、ここの地下聖堂には勇者アウグストの時代の超強力な武器が眠っているそうなんだ! それを取りに行こうと思って」
「超強力な武器ぃ~?」
なんか怪しい話だが、この非常事態ではそんな事も言ってられない。やれそうなことは何でも試してみるべきだろう。
「早くしないと大聖堂が崩壊するかもしれないからね。急いで取ってこないと」
「……じゃあ俺たちに言わないでさっさと行けよ」
何で奴はそんなことを俺たちに言いに来たんだ。聖堂が崩壊する危険があるなら、俺たちに話してる時間こそもったいなくないか? そう考えた俺の手を、奴はいきなり握りしめてきた。
「ちょっ、なにっ!?」
「キミに一緒に来てほしいんだ。ビアンキ」
「はあ!?」
慌てふためく俺の顔をまっすぐに見つめて、偽物勇者はそう言い放った。どこかから鋭い視線を感じる。見れば、懐かしいティレーネちゃんがこっちを見ていた……というか睨んでいる。何かとてつもない誤解をされているようだ。
「おい、離せって!」
「来てくれるだろ?」
「わかった! 行くから離せっ!」
俺がそう言うと、奴はぱっと俺の手を放した。ちくしょう、はめられた。でも、後悔してももう遅い。
「ありがとう。来てくれて嬉しいよ!」
「この野郎……」
「オレも行く。問題はないな?」
成り行きを見守っていたテオも偽勇者に向かってそう告げる。だが、奴は静かに首を横に振った。
「キミはここに残って、枢機卿たちを守ってほしい。何があるかわからないからね。それに……本当にドラゴンを倒すつもりなら体力は温存しておいた方がいいだろ?」
「だが……」
テオはなおも渋っていたが、奴のいう事ももっともな気がする。俺たちが地下聖堂に行っている間に魔物やドラゴンの襲撃が無いとも限らないからな。
「こいつは気に入らないけど……テオはここに残った方がいいと思う」
「クリス……おまえは大丈夫なのか?」
「うん。こいつには……王都でひどいことされたけど、さっきは命を助けられたし……今はこいつのいう事を信じるしかないだろ?」
そう、勇者になれると希望に満ち溢れていた俺を騙して絶望に叩き落としたのもこいつだが、さっきドラゴンに殺されそうになった俺を助けたのもこいつなんだ。本気でこの場を何とかする為に俺たちに協力を申し出ている……と信じたい。
「僕も行きます」
「リ、リルカもっ!」
ヴォルフとリルカがそう言いだすと、奴は少し迷ったようなそぶりを見せたが。すぐに頷いて見せた。
「いいよ。ビアンキを助けてやってくれ」
だから何でそんな偉そうなんだよ! と言う暇もなく、奴は俺たちについて来るようにと指示するとその場から走り出した。
奴が聖堂の奥へと続く扉へとたどり着くと、すぐ近くにいたティレーネちゃんが声を掛けていた。
「あの、クリス様……」
「ティレーネはここにいてくれ。猊下が心配だろ?」
「はい、申し訳ありません……それで、後ろの方たちは……」
ティレーネちゃんはちらちらと俺とヴォルフとリルカ……というか主に俺を見ている。あまり好意的な視線ではなさそうだ。
「ああ、勇者テオの仲間だよ。なんと! ボクに協力してくれるんだって!」
「そ、そうなんですか……」
ティレーネちゃんは明らかに困惑している。本当に大丈夫なのか、という顔が隠せていない。
まあ、気持ちはわかるよ。自分の信頼する勇者がいきなり知らない女+知らない子供二人を連れて来たら微妙な気分にもなるだろう。
「クリス様、俺もご一緒します」
鎧をべったりと血に染めた騎士が声を掛けてきた。確か、さっき偽勇者と話してた奴だ。おそらく、王都で偽勇者とティレーネちゃんと一緒に旅立った奴なんだろう。爽やかな見た目をしているが、いまいち印象に残らなさそうな男だ。
「うーん、そんなに危険もないと思うんだけど……まあ、いいよ」
「では、参りましょう」
「……っおい! 待て!!」
いよいよ偽勇者が奥へと続く扉へと手を掛けた時、俺たちの背後から慌てたような声が聞こえた。
「貴様らのような部外者には任せておけん! 私も行くぞ!!」
やって来たのは俺たちと一緒に塔から降りてきた神殿騎士、アルベルトだった。
「え、キミはいいよ」
「別に貴様に許可を求めているわけではない! 勇者だか何だか知らんが、ティエラ様の領域内で好き勝手されるのが気に食わんだけだ!!」
アルベルトはそれだけ言うと、俺たちを追い越して聖堂の奥へと走って行った。場所知ってんのかな、と俺が思う間もなく、大声が聞こえた。
「おい、何をやっている! 案内しろ!!」
どうやら、別に場所を知っているわけではなかったようだ。偽勇者はやれやれ、と肩をすくめた。
「まったく、おかしな人だと思わないかい、ビアンキ?」
「お前ほどじゃないけどな……」
俺の言葉を聞いているのかいないのか、偽勇者はアルベルトのいる方へ向かって走り出し、俺たちもそれに続いた。




