41 襲撃―聖堂上部―
さて、これは一体何が始まるのだろうか。自分を案内する聖書者の後ろを歩きながら、テオは内心で頭をひねった。
現在テオが進んでいる聖堂内はやたらと騎士や衛兵の姿が多かった。そのせいか、どうにも空気がピリピリしている気がする。聖堂という場所の静謐さなどはみじんも感じられなかった。
「すみません、先ほどの話ですがっ!」
突如、前方から年若い修道士が走り寄ってきて、テオを案内する聖職者に話しかけた。かなり慌てている様子だ。二人は声を潜めて、テオに聞こえないように何か重要な話をしているようだった。
「申し訳ありません、勇者様。少々こちらでお待ちいただけますでしょうか」
話が終わると、年若い修道士は走って行き、テオを案内していた聖職者は申し訳なさそうにそう言った。何か急な用件でもできたのだろうか。その顔には焦りがにじみ出ていたので、テオは快く了承した。
「ああ、かまわん」
「申し訳ありません、すぐに終わらせますので……」
それだけ言うと、聖職者も慌てた様子で走って行ってしまった。神聖な聖堂内を走るなんて! と怒る者もいるんじゃないかとテオは考えたが、周囲の人たちはドタドタと走る聖職者を気に留める様子もない。よっぽど忙しいのだろうか。
ふと考えが浮かんで、テオは試しに待つように言われた場所から少しだけ歩いてみた。ちらり、とテオに視線を寄越す者はいたが、テオの行為が咎められることはなかった。これはしめた、と、テオは何気ない風を装ってゆっくりとその場から歩き出した。
テオは退屈が嫌いだ。いつ戻って来るかもわからない案内人をその場で待ち続けるなんてつまらない、どうせならこの聖堂内を探検してやろう、とテオは足を進めようとした。ばれたら何て言われるか少しだけ気にかかったが、迷ったとでも言いておけば大丈夫だろうと勝手に決めつけて、テオは人の目を避けながら聖堂のさらに奥へと進んでいった。
◇◇◇
聖堂内は奥に進めば進むほど人の姿を見かけなくなっていった。それを良いことに、テオはどんどん聖堂の奥へと入り込んだ。
いくつかの部屋には、おそらく一般には非公開になっているであろう彫刻や絵画などがあったが、テオの興味を強くひくものは見つけられなかった。
勇者と言っても、テオはそんなに信心深いタイプではない。女神の像や絵を見ても、芸術品として美しいとは思うが、そこまで真剣に崇め、祈りをささげようとする気にはならない。そんな罰当たりな事を考えながら次の扉へと手を掛けようとした時、鋭い声がテオに向かって投げかけられた。
「ここで何をしているのです!?」
振り返ると、修道女のような恰好をした少女が立っていた。明らかに不審者を見つめる目でテオの事を睨み付けている。年はクリスと同じくらいだろうか、体型はクリスやリルカに比べれば多少は女らしい体つきをしていたが、胸は控えめだった。並以下、といったところだろうか。
「ちょっと! 人のこと見てため息なんてつかないでもらえます!?」
「ああ、すまん」
どうやら無意識のうちにため息を吐いていたようで、一気に少女の機嫌は悪くなった。これはまずい、このまま衛兵を呼ばれればいくら勇者とはいえ御咎めはあるだろう。テオはとりあえずこの少女の信頼を得ようとした。
「オレは勇者のテオ。うっかり迷い込んで外に出られなくなったんだ」
「……勇者?」
「ああ、証明書もあるぞ」
勇者証明書を手渡すと、少女はうさんくさそうにそれを手に取った。だが、読み進めるうちに少女の顔色が変わった。どうやらテオの事を本物の勇者だは思っていなかったようだ。
「……失礼いたしました。私が外までご案内させていただきます」
「それはかまわないが、君は?」
証明書をしまいながらテオがそう尋ねると、少女はあからさまにしまった! という顔をした。おそらく自分だけ名乗っていないことに気が付いたのだろう。
「申し遅れました。私はティレーネと言います」
「……ティレーネ?」
どこかで聞いたことのある名前だとテオは頭をひねった。そして、すぐに思い当たった。
ティレーネという名前はクリスから聞いたことがあった。クリスが偽物の勇者に体を乗っ取られた話をするときに、必ずと言っていいほどティレーネの名前が出てきていたのだ。
まあ、内容は「ティレーネという名前のかわいい女の子に出会った」、「でも、その子は偽物の勇者クリスの仲間になってしまった」というたいした情報のないものだったが。
「あの、私が何か……」
「もしかして、君は勇者クリスの仲間か?」
同名の別人かもしれないと考えテオがそう尋ねると、瞬時に少女の表情が変わった。
「クリス様を知っているのですか!? あの人はどこにいるんです!?」
「お、おい! 落ち着け!」
突然豹変したティレーネは、必死な顔でテオに食って掛かってきた。テオが慌てて彼女をなだめようとした時、また新たな第三者の声が割って入ってきた。
「何ですか、騒々しい」
カツ、カツとその場にヒールの音が響く。やって来たのは、まるで貴族の令嬢のような恰好をした女性だった。年は20代半ばぐらいだろうか、眼鏡をかけたきつめの美しい顔立ちに、藤色の髪が後頭部で一つにきつく結いあげられている。だが、何よりもテオの目を引いたのは華奢な体型に似合わない豊満な胸だった。ほとんど露出のないドレスを着ているが、それでも豊かな胸は零れ落ちんばかりに存在を主張している。
「ほぉー……」
「あの、じろじろ見ないでいただけます?」
テオの視線に気が付いたのか、女性は不快そうに顔をしかめた。
「ここをどこだと思っているのですか。おや、あなたは……」
女性の視線がティレーネに向けられる。ティレーネはびくっ、と体をすくませた。
「確かあなたは修道院の……」
「は、はい。ティレーネと申します。ミランダ様」
現れた女性――ミランダはじっと検分するかのようにティレーネを見つめた。ティレーネは居心地悪そうに体をすくめている。
「あなたは勇者と共に旅に出たはずでは?」
「あの……この中で、勇者様を見失ってしまいまして……先ほどから探してはいるのですが……」
何故ティレーネがこんな所にいるのかテオは疑問に思っていたが、どうやら彼女は勇者クリスを探している最中らしい。テオは少し安心した。聖堂の奥深くまで入ってしまった自分を捕まえるために来たのではないとわかったからだ。
「勇者様を見失った? それは本当なのですか?」
「はい……」
「まったく嘆かわしい! あなたは自分の使命を忘れたのですか!? これでは猊下がどう思われるか……」
猊下、という単語が出た途端、ティレーネの顔が泣きそうに歪んだ。
「あ、あのっ、すぐ! すぐに見つけます! クリス様は立派なお方です! 必ずやこの世界を平和に導いてくださいます! だから、猊下にも――」
ティレーネがそうミランダに追いすがった時だった。
どぉん! とまるで何か強大なものがぶつかったかのような振動が建物全体を襲った。
「きゃっ!」
「危ないっ!」
ティレーネはとっさに傍の壁に掴まったが、高いヒールの靴を履いていたミランダはそうはいかなかった。よろけて倒れそうになったミランダの体を、テオはとっさに抱き留めた。
「……え?」
「大丈夫か?」
「……! 離してくださいっ!」
ミランダは自分がテオの腕の中にいることに気が付くと、突き飛ばすようにしてテオから離れた。テオは少しだけがっかりした。有り体に言ってしまえば、このミランダという女性はテオの好みど真ん中だったのである。
一方、なんとか壁に掴まって衝撃に耐えたティレーネは、不安げにきょろきょろとあたりを見回していた。
「地震、でしょうか……」
「わかりませんが、猊下が心配ですね。わたくしはここで失礼させていただきます」
ミランダは素早く乱れた服を整えると、その場を後にしようとした。だが、その言葉を聞いたティレーネは急に慌てだした。
「猊下!? 猊下がこちらにいらしゃっているのですか!?」
「……ええ。階下の神殿騎士を見たでしょう。全てはあの方の極秘の来訪のためでしたが、こんなトラブルが起こるなんて……」
どうやら聖堂内の緊迫した雰囲気は、ティエラ教会の重要人物の来訪によるものだったらしい。そうテオが一人で納得している間にも、女性二人はその人物の事が気にかかるらしく、早足でその場を立ち去ろうとしていた。
「まったく……」
テオも慌てて二人を追いかけた。何が起こっているのかわからない中、お世辞にも強そうには見えない女性二人だけで行動するなど危険だと考えたからだ。
聖堂の入口に残してきた三人の事が気にかかったが、クリスはともかくヴォルフとリルカは年の割には強いししっかりした子だ。きっと大丈夫だ、と自分を納得させて、テオは女性二人について行くことに決めた。
◇◇◇
「猊下!」
「猊下っ、ご無事ですか!?」
混乱する人々の間を縫って揺れる建物内を駆け回り、テオ達は何とかミランダの探し人の所へとたどり着いた。
「……! ミランダか!」
辿り着いた部屋では、聖職者の恰好をした男性が二人、騎士たちに守られるようにして座っていた。
「こいつがお前たちの探していた人物で間違いないな?」
「こ、こいつですって!? 猊下に向かって何て無礼な!! 勇者とはいえ許されませんよ!?」
テオは何の気なしにミランダに向かってそう問いかけた。
単に事実確認をしようと思っただけだったが、テオの言い方が気に障ったのか、それを聞いたティレーネは烈火のごとく怒り出した。
「この御方をどなたと心得るのです!? 偉大なるジェルミ枢機卿にあらせられるのですよ!」
ティレーネは胸を張ってそう言い放った。
枢機卿、といえばティエラ教会の中では聖王に次ぐ地位である。つまり、目の前にいる男はこの国のナンバー2の権力者、といっても過言ではないわけだ。
「そうか。誰であれとにかく早く安全な所へ避難した方がいい」
「ちょっとっ! あなたはもう少し敬意というものを――」
「ティレーネ、後になさい!」
ミランダにぴしゃりとそう言われ、ティレーネははっとしたように口をつぐんだ。
「それよりも、早く猊下を安全な所へ――」
「あ、安全な所などあるものかっ!!」
枢機卿を誘導しようとしたミランダだったが、枢機卿の隣にいた男が急に立ち上がりミランダの言葉を遮った。
「外にはド、ドラゴンがいるんだぞ!? 外に出たところで奴の餌食になるに決まっている!!」
「ドラゴン……そんな、まさか」
「嘘だと思うなら外を見てみろ! ドラゴンが私の聖堂を壊そうとしているんだ!!」
「司教……」
「終わりだ……もう、何もかもが終わりだ……」
司教はそれだけ言うと、再び椅子に腰かけてぶつぶつと何事か唱え始めた。
テオ達三人は慌てて部屋の窓へと近づいた。そこで見えた光景に、彼らは自分の目を疑った。ちょうど、真っ赤なドラゴンが聖堂の東の塔へ炎のブレスを浴びせかけるのが見えたからである。
「そんな……嘘……」
ティレーネは信じられないといった様子で、二、三歩後ろへ後ずさった。ミランダはぎゅっと唇をかんでテオの方へと向き直った。
「……勇者テオ、あなたが真の勇者だと言うのなら、わたくしの願いを聞いていただけますか?」
「……何なりと」
「あなたの力であのドラゴンを討ち果たし、猊下を……我々を、救ってください」
ミランダはまっすぐにテオを見つめていた。
随分と無茶な事を、とテオは呆れた。この非常事態の中、いきなりあんな巨大なドラゴンと戦えなんて、この女はどうかしている!
だが……それでも、今はやるしかない。
テオは大きく息を吸うと、力一杯声を張り上げた。
「死にたくない奴はこの勇者テオついてこい! 俺が必ず守ってやる!」
ミランダは枢機卿と司教にここから移動するようにと促している。司教の方は最初は渋っていたが、枢機卿に諭されしぶしぶといった様子で立ち上がった。
ティレーネも震えながらテオの横へとやってきた。
「ティエラ様……どうか我々をお守りください……」
小さな祈りがテオの耳にも届いた。室内の騎士たちに指示を出しながら、テオは内心で苦笑した。
まったく、さんざんな状況だ。外に出ればドラゴンのブレスの餌食、中にいてもドラゴンの攻撃でいずれ聖堂ごと壊されてしまうだろう。こうなったら、聖堂が壊れる前にあのドラゴンを討つしかない。
テオはちらりと背後のミランダへと視線をやった。彼女は枢機卿に気を配りながら、緊張した面持ちで立っている。
まったく、この状況でドラゴンを倒し、皆を救えなんて狂気の沙汰だ。だが……美人の頼みは断れない。
テオは気持ちを切り替えると、居並ぶ者達に声を掛けた。
「行くぞ、死ぬなよ!」