39 襲撃―東塔―
「おい、待てよっ!」
偽勇者の入り込んだ扉の先は、幅の狭い螺旋階段になっていた。間違いなく俺の声が聞こえているはずなのに、偽勇者に足を止める気配はない。
「このっ、クソ野郎が!」
ひらり、ひらりと俺をからかうように螺旋階段を上って行く偽勇者を、無我夢中で追いかける。途中、踊り場のあたりで背後から何か大声が聞こえたような気もするが、気に留める暇はなかった。
どれだけ上ったんだろうか、息が切れ、もうこれ以上は上れないという段階になってやっと階段が終わり、中央に大きな鐘がつり下げられた部屋にたどり着いた。
その鐘の向こうで、奴は息ひとつ乱さずに、悠然と微笑んでいた。
「やあ、久しぶりだね。クリス・ビアンキ」
奴だ、奴がいる。
辿り着いた塔の上で、俺はきっ、と目の前で笑っている偽物勇者を睨み付けた。
思えば長い道のりだった。目の前の男……いや、女? に体を奪われてから、俺は魔物に追いかけられたり、メイドをやらされたり、リルカと風呂に入ったり、散々な目に……いや、ちょっとはいいこともあったけど! でも、いろいろとひどい目に遭わされたんだ!
それも、今日で終わりのはずだ。終わらせてみせる!
「いろいろ言いたいことはあるけどな……取りあえずは、俺の体を返せ!!」
びしっと指をさしそう言い放つと、目の前の偽物はふん、と馬鹿にするように笑った。
「やだ」
「やだ、じゃねーよっ! 何考えてんだよお前!!」
「じゃあ聞くけどさあ、何でそんなに元の体に戻りたいの?」
「えっ……?」
目の前の偽物は相変わらず笑っている。だが、その目だけは真剣だった。思わず俺も真剣に答えてしまう。
「そりゃあ、慣れた体だし……それに、俺が勇者に選ばれたんだし!」
「へぇ、じゃあ話変わるけど」
いや変えんなよ。と俺が言う間もなく、偽物は笑みを消してこちらに近づいてきた。
「キミは、この世界が平等であるべきだと思う?」
「え……」
「早く答えなよ」
偽物はまた一歩、こちらに近づいてきた。俺は思わず後ずさってしまう。俺が奴を追い詰めるはずだったのに、何故か俺の方が気圧されている。これはまずい、完全に奴のペースに引きずられている。
「そ、そりゃあ……平等な方がいいとは思うけど……」
目をそらしながらそう答えると、奴はまた一歩近づいた。後ずさった俺の背中に、固い感触があたる。いつの間にか壁際まで追い詰められていた。
「そう、それなら……」
横に逃げようかと考えた俺の顔のすぐ隣に、ドンっ! と奴は手をついた。後ろは壁、横には奴の手、目の前には奴の本体。やばい、囲まれた!
「キミの幸福とボクの不幸、それも分け合うべきだと思わないか?」
鼻と鼻がくっつきそうなほどに顔を近づけて、奴は至近距離でそうささやいた。
俺は何も言えなかった。奴が何を言いたいのかもわからないし、なんでこんな近距離で元の自分の顔と見つめあっているのかもわからない。
俺が何も言えずに混乱していると、下の方から足音が聞こえてきた。ほどなくして、息を切らせた青年が駆け上がってきた。装いからして、まだ若いが神殿騎士の一人のようだ。
「まったく、止まれと言ったのが聞こえなかったのか!? 鍵なんてかけて……ん?」
ぜえぜえと息を整えていた青年は顔を上げると、俺と偽物の姿を視界に収めたようだった、その途端、青年の顔が真っ赤に染まった。
「貴様ら、神聖な聖堂で何をやっているっ!? 逢引ならよそでやれっ!!」
「ちっがーうっ!!!」
思わず目の前の偽物の体を思いっきり突き飛ばした。さすがの偽物もよろめいて、その隙に奴の前から逃げ出すことができた。
俺は慌てて顔を赤くしたままの神殿騎士に釈明しようとした。
「逢引じゃないから! 全然違うから!!」
「じゃあ何をやっていたと言うんだっ! まったく塔の警護などつまらん任務かと思えば、このアルベルト様の前でどうどうと不貞行為とは見上げた根性だな!!」
「不貞行為じゃないから! 何もしてないからぁ!!」
俺がそうわめいていると、不意に背後からがしっと肩を掴まれた。
「ひぃっ!?」
「まったく、いいところだったのに」
「何でそんな言い方するんだよお前はぁっ!?」
俺の努力もむなしく、偽物勇者がそんな煽るような事を言ったせいで、目の前の神殿騎士はますます顔を赤くして怒り出した。見た目は騎士というより少年合唱団とかにいそうな金髪の王子様系の美形なのに、性格は随分と短気なようだ。
でもこの誤解はまずい。この偽勇者と聖堂でいちゃついてたと思われるなんて不名誉極まりない!
「わわっ!?」
何とか釈明しようとした時、突如轟音と共に地面が揺れて、俺は思わず傍の壁に掴まった。揺れはすぐに収まったが、随分と下の方から悲鳴が聞こえた。何かあったんだろうか。
「くそっ、何が起こっている!?」
神殿騎士はいらついたように悪態をついた。この人にも何が起こったのかは把握できていないようだ。
「おい、とりあえず下へ行くぞ」
偽物勇者が偉そうにそう言うと、騎士はまた怒り出した。ほんと沸点が低い奴だ。
「なんだと!? 私に指図するな!」
「はあ? ボクは勇者なんだけど」
「ああ!? 私は神殿騎士随一の天才、アルベルト様だぞ!?」
「だから? 神殿騎士って勇者より偉いの? 違うだろ?」
「ちょ、俺の顔で教会にケンカ売るのはやめろよ!!」
怒り狂う騎士アルベルトに対して、偽物勇者はにやにやと笑っている。明らかにアルベルトを煽って遊んでいる顔だ。こいつ本当に性格悪いな!
「とにかく! 下行こう下!!」
俺がそう言って階段に駆けだすと、アルベルトも偽物勇者も後ろからついてきた。俺ははやる気持ちを抑えて、転ばないようにと全神経を使いながら、できる限り急いで階段を駆け下りた。下に残してきたリルカが心配だ。まあ、ヴォルフがついているから大丈夫だとは思うけどやっぱり心配だ。
長い長い階段を駆け下りて、やっと途中の踊り場にたどり着いた。その途端、強い風が吹き付けた
「うわっ!」
踊り場に壁はなく四方が柱と低い手すりだけで構成されており、そのまま高い位置から外がよく見えるようになっていた。反射的に風の吹いてきた方向へ視線をやって、俺は自分の目を疑った。
最初に目に入ったのは特徴的な形の翼だった。次は鱗のびっしりと生えたごつごつとしてそうな肌。長いしっぽに蛇のような鋭い目。
俺の視線の先には、真っ赤な色をした巨大なドラゴンが悠々と飛んでいた。
俺の視線に気が付いたのか、ドラゴンの獰猛な瞳がぎょろりとこちらを向いた。そのまま踊り場のすぐそばまで飛んできて、俺に向かって大きく口を開いた。
そんな段階になっても、体が固まったように動かなかった。
きっと、この瞬間まで、俺は今の世界がどんな状況になっているか、本当の意味では分かっていなかったんだ。
「っの、馬鹿っ!!」
勢いよく腕を引っ張られ、俺の体は浮き上がった。そして次の瞬間、硬いものへ叩きつけられる。痛みと熱気に襲われ、ゆっくりと目を開くと、そこは周りを壁に囲まれた狭い螺旋階段の中だった。俺の腕は傍に倒れていた偽物勇者にがっしりと掴まれている。こいつが俺を引っ張ったみたいだ。
うろうろと視線をさまよわせると、少し上には一瞬前まで立っていた踊り場が見えた。いや、踊り場だったもの……と言った方が正しいかもしれない。踊り場は炎に包まれ、特に数秒前まで俺が立っていた辺りの場所は、もう真っ黒に焼け焦げていた。
「馬鹿が! 何で逃げないんだ!! ドラゴンのブレスなんて浴びたら即死だぞ!?」
起き上がった偽物勇者は俺の肩を掴んで思いっきり揺さぶってきた。俺はされるがままになりながら、目の前の偽物の言った言葉を反芻していた。
「ドラゴン……、ブレス……?」
「ああ、そうだよ!! 今、ドラゴンがキミを殺そうとしたんだよ!! わかるかっ!?」
俺はもう一度踊り場を振り返った。ごうごう燃え盛っており、ここまで熱さが伝わってくる。ドラゴンの炎は石をも燃やしつくす。昔聞いた伝承は本当だったようだ。あのままあそこにいたら、俺はいまごろ炭になっていただろう。
「そんな、うそだ……」
途端に恐怖が襲ってきて、俺の体は小刻みにがたがたと震えだした。それを見て、偽物勇者は大きくため息をついた。
「怖がるのは後だ。今はとにかく下へ降りるぞ!! ほら、キミも!!」
偽物勇者はばんっ、と足元の何かを勢いよく叩いた。叩かれた何かがむくり、と起き上がる。俺たちと一緒にいた神殿騎士のアルベルトだ。彼も無事に生き延びたようだ。
「貴様っ! 私を蹴り飛ばすとはいい度胸だなっ!!」
「あのままあそこにいたらキミだって死んでたんだぞ!? まったく、どいつもこいつも平和ボケしやがって……!」
偽物勇者は俺の腕を引っ張って立ち上がらせた。そのまま、また階段を駆け下りる。俺はなんとかもつれないように足を動かすのに必死だった。さっきの衝撃で体に力が入らない。今だけは、偽物勇者が俺の腕を引っ張ってくれて良かったと思える。そうでなければ、きっと俺はあの階段の途中で座り込んだままだっただろう。
「おい、説明しろ! 何でドラゴンなんて怪物がこの街にいるんだ、あんなの伝説の生き物だろっ!!」
階段を駆け下りながら、アルベルトが困惑したようにそう叫んだ。教会精鋭の神殿騎士であっても、ドラゴンが現れたなんて信じがたいようだ。それは俺も同じだ。勇者アウグストの時代にはドラゴンがこの世界を侵略しようとしていた事もあると聞いたこともあるが、そんなのは半分おとぎ話だと思っていた。ドラゴンなんて伝説の生き物、それが常識だったはずだ。
いくら今の世界が危機的状況に陥っていたとしても、あんな巨大な空を飛ぶ怪物が日常に現れるなんて到底信じられなかった。
「そんなの……ボクだって知るわけないだろっ!!」
俺の腕を掴んだまま、偽物勇者もいら立ちをぶつける様に叫んだ。奴にも今の状況が完全に理解できているわけではないようだ。結局誰にもわからないんだ、何でこんな状況になっているかなんて!
外からはドラゴンの咆哮のようなうなり声と、人々の悲鳴が聞こえる。今どんな状況になっているかなんて、想像もしたくない。
俺たちは三人はそのまま、全速力で階段を駆け下りた。
 




