37 魂の浄化
――ピチャ……、ペチャ……――
「んん……?」
耳慣れない音が聞こえたような気がして、俺は眠りから目を覚ました。
体を起こすと、一緒の部屋に寝ていた三人もすでに目を覚ましているようだった。テオとヴォルフは警戒するように、リルカはどこか不安そうに耳を澄ませている。
「な、何? 何の音……?」
俺が小声でそう問いかけると、テオはゆっくりと首を横に振った。
「わからん。野生動物……ではなさそうだな」
物音は相変わらずピチャピチャと聞こえたままだ。どうやら、ゆっくりと教会の周りを廻っているらしい。
しばらく耳をそばだてていると、物音は思ってもいない行動に出た。
ドン! と大きな音が教会中に響き渡る。
何かが教会の扉に体当たりをしているのだ!
「どどど、どうしよう!!?」
「……行くぞ」
テオはそう言うと、勢いよく部屋を飛び出した。
行くぞと言われても俺は行きたくない、行きたくない、が……テオがいない以上ここに残った方がむしろ危険な気がする。仕方ないので俺は震えながらリルカと手を繋いで、礼拝堂へと向かった。
◇◇◇
俺たちが礼拝堂に入った瞬間にも、ドンっ、ドンっと扉は音を立てていた。何かが扉を破って教会の中に入ってこようとしている、正直めちゃくちゃ怖い。
「おや、起こしてしまいましたかな?」
そんな状況なのに、神父は何事もないような顔をして礼拝堂の中央に佇んでいた。
「何なんですか、あれ!」
「恐れることはありません。おそらく不死者でしょう」
「……は?」
何を言っているんだろう、この人は。
「不死者って……やばいじゃないですか!」
不死者といえば、未練を残したまま、死してなおこの世界に留まる人たちのことだ。今扉の外にいるのは、扉に体当たりしていることからおそらく死体となった生前の体を動かしている者なんだろう。
いくら元は生者と言っても不死者となってしまえば理性を失い無差別に人を襲う怪物に成り果てると言う。どう考えてもこの状況はやばい。
「に、逃げなくていいんですか!?」
「そんなに心配する必要はありませんよ。若き巡礼者達よ、見ていてください」
神父はそう言うと、正面の扉に向かって手をかざした。
「開け!」
神父がそう唱えた途端、教会のドアがバアンっ! と勢いよく開け放たれた。
「ウゥァ…………」
ぴちゃり、ぴちゃりと音を立てて、それは教会の中へと入ってきた。
最初は全身ずぶ濡れの人のように見えた。だが、雷光に照らされたその体は明らかに生きている人のものではなかった。
腕や足はあらぬ方向へと折れ、時折バランスを崩しながらもゆっくりとこちらへと進んでくる。体にはどす黒いオーラを纏い、顔は半分肉が削げ落ち中の骨が見えるほどだった。それなのに、目(が本来ある部分)には怪しげな光がらんらんと輝いていた。
「ひぃぃっ!」
俺は思わず小さく悲鳴を上げてしまった。リルカもぎゅっと俺の手を握ってきた。さすがのリルカもこの状況に恐怖を感じるんだろう。
そんな中で、神父だけが動じていなかった。
彼はゆっくりとこちらへと歩いてくる不死者に向かって、迎え入れるかのように手を広げた。
「よくぞいらっしゃいました。もう、苦しむ必要はないのですよ。レムリス様があなたを導いてくださいます。ゆっくりと、おやすみなさい」
神父はそう不死者に語りかけたが、不死者は唸りながら少しずつ前進してきている。果たして不死者は本当に神父の言葉を理解しているのだろうか。俺にはよくわからない。
だが神父は特に気にした様子もなく、すぐ傍まで迫っていた不死者にむかって大きく片手を振り上げた。
「輪廻の紡ぎ手レムリスよ! 今こそ迷える魂を導き、ひと時の安らぎを与えたまえ! “魂の回帰!”」
神父が高らかにそう唱えると、不死者は今までになく大きなうめき声をあげた。
「ウウアアァァ……!」
だが、不思議とその声は苦しそうには聞こえなかった。むしろ、歓喜の声のようにも聞こえた。
不死者が纏う、どす黒いオーラのような物が少しずつ消えていく。
やがて、不死者は礼を言うかのように神父に向かって頭を垂れると、がくん、と糸が切れたようにその場に崩れ落ち、動かなくなった。
「……安らかに」
神父は最後にそう呟くと、ゆっくりと片手を降ろした。首を伸ばしてそっと覗き見ると、もう不死者の目に光は宿っていなかったが、半分崩れたその顔は、どこか安堵しているようにも見えた。
「……ふう、驚かせてすみませんね」
神父は手で額の汗を拭うと、突っ立っていた俺たちの方へ振り返った。
「この教会は大森林を流れるルガール川に面しておりまして、上流で足を滑らせでもしたのか……時折こうして彷徨える魂が辿り着くことがあるのですよ。そうした魂を浄化し、レムリス様の所へ導くのが我々の役目なのです」
神父は静かに崩れ落ちた死体へと歩み寄った。
「夜が明けたら埋葬をします。あなたがたもお疲れでしょう。どうぞお休みになってください」
「いえ……手伝わせてください」
テオがそう申し出ると、神父は了承してくれた。
いつの間にか雷鳴は止んでいた。外はまだ暗いが、じきに夜明けが来るだろう。俺はベッドに戻る気にもなれず、礼拝堂の一角に座り込んでいた。
「葬送をご覧になるのは初めてでしたかな?」
ぼうっと座り込んだままだった俺に、神父は問いかけてきた。
「……はい」
故郷の村人の葬式に出たことはあるが、その時は普通に遺体を焼いて、聖職者が祈りの言葉を唱えて、みんなで見送って、それで終わりだった。不死者を目にするのも、直接魂が送られる様を見るのも今日が初めてだった。
神聖魔法を使う者として情けないと叱咤されるかと思ったが、顔をあげた俺の目にうつったのは優しげな目をした神父だった。
「今は良い時代になりました。人が不死者になることも滅多になくなりましたからね。レムリス様もお喜びになっている事でしょう。……若き巡礼者よ、恥じることはありません」
神父は俺と目線を合わせるように屈みこみ、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「魂の回帰、必要なのは、慈悲の心。それだけです。若き巡礼者よ、もし、この先あなたが彷徨える魂に出会った時は、どうか彼らを導いて欲しいのです。我らが父、レムリス様の所へ帰りつけるようにと」
神父が教えてくれた呪文を、俺はそっと心の中で繰り返した。できるかどうかはわからない。でも、やらなきゃいけないんだ。
ふと光を感じて顔を上げると、外が明るくなっているのが見えた。いつのまにか雨も止んでいたようだ。
◇◇◇
教会の裏手には墓地があり、俺たちは神父と協力して遺体をそこに埋葬した。そこには、他にも名もなき墓標がいくつもあった。時折不死者が辿り着く、というのは本当なんだろう。
そして、昨夜は気が付かなかったが、俺たちが来たのとは反対方向には確かに幅の広い川が流れていた。
「この川沿いに下って行けば大森林の外の村にたどり着きます。そこへ着けば、もうラヴィーナは目と鼻の先ですよ」
「本当ですか!?」
よかった。多少は時間がかかったが、ちゃんとラヴィーナにたどり着けそうだ。
「ええ。ただ、足を滑らせて川に落ちないように気を付けてくださいね。まあ、不死者になっても私の所へ来ていただければきちんとレムリス様の元へ送って差し上げますよ」
「は、ははは……」
神父はにっこりと笑ってそんな事を言った。冗談なんだろうが、割と本気っぽく聞こえてシャレにならない。やめてくれよ。
神父に見送られながら、俺たちは川沿いに進んでいった。このまま進んでいけばラヴィーナに着くはずだ。待ってろ、偽勇者め。すぐに捕まえて化けの皮をはがしてやるからな!
「そういえばクリス、あそこで呪文は聞いてきたのか?」
気合十分な俺に、テオはふとそう問いかけてきた。
「うん。不死者を神界に送るやつ。……実際に使えるかどうかはわかんないけど……」
「なんだ。それか」
テオは何故かがっかりしたような顔をした。
「なんだよ。何が不満なんだ」
「あの神父が呪文で扉を開いていただろう。あれが使える様になれば便利になりそうだと思ってな」
「うん……? あー!!」
そういえば、あの神父は不死者が入って来た時に、手を使わずに呪文だけで教会の扉を開いていた。どんな扉にも通用するのかはわからないが、あの呪文が使えれば確かに便利そうだ。
……いや、別に悪用するつもりはないけど。
「あの呪文も聞いてくればよかったぁ~」
「今から戻るか」
「やめてくださいよ! みっともない……」
ヴォルフは呆れたようにため息をついた。融通の利かない奴だ。
「でもさあ、あっ!」
――どっぼーんっ!!
ヴォルフに反論しようとした俺は、うっかり足を滑らせて、大きな水音を立てて川に落ちてしまった。神父に注意されたばかりだと言うのに何てことだろう。
「うわあっ、ごぼぼぼ……」
「ク、クリスさぁーん!」
幸い、すぐにリルカに救助されて不死者化はまぬがれた。年下の女の子に助けられるとは我ながら情けない。
やれやれ、昨日今日と嫌な事づくしだ。これも全部、あの偽勇者のせいに違いない!!




