36 四女神の伝承
《ミルターナ聖王国西部・ルガール大森林》
「それで、次はどっちに行くんだ?」
「えっとぉ……」
俺は焦ってきょろきょろとあたりを見回した。
見渡す限りの木、木、木! どっちに行ったらいいのかはおろか、自分がどこから来たのかすらも、もうわからなかった。
もう降参だ。俺は正直に打ち明けることにした。
「すみません、迷いました!」
「はあ?」
「それは……困った、ね……」
年下二人(特にヴォルフ)の視線が痛い。ここまで先導してきたのが俺なだけに、批判は甘んじて受けよう。でも、できるだけ優しく言ってくれると嬉しい。
「はぁ、だから言ったじゃないか。森を突っ切るなんて無謀なことをせずにちゃんと街道を通った方がいいと」
テオが呆れたようにため息をついた。何か反論したかったが、今回の事については完全に俺が悪いので、何も言えなかった。
時刻は夕暮れ、木々が覆い茂る森の中では余計に薄暗く感じる。
「今夜は野宿か……」
テオの言う通り、暗い中を無理して夜通し歩くのは危険だ。どこかで夜を明かした方がいいだろう。テオとヴォルフはまあいい。俺も野宿は嫌だけどこうなったら仕方がない。でも、女の子なリルカにはちょっと申し訳ない。
できればこんな暗い森の中じゃなくて、ちゃんとしたベッドで寝られるようにしてあげたい。
「もうちょっと……もうちょっとだけ、もうちょっとだけ探してみようよ……」
「もう少しだけな。あまり暗くなると動きづらくなるからな」
お許しが出たので、俺は森の出口と思われる方へまた歩き出した。方向は完全に勘だ。
三人のそっちで大丈夫なのかという視線が重い。俺は気にしていない振りをして足元の草を踏みしめ、歩みを進めた。
◇◇◇
そもそも何故こんな事態に陥ってしまったのかというと、話は数日前にさかのぼる。
フォルミオーネの街を発ってからの俺たちは、相変わらずだらだらと旅を続けていた。その間に何か進展があったことと言えば、リルカの黒魔術がどんどん進歩しているという事くらいだ。
リルカも最近は出会ったころ比べ、少し感情豊かになってきたように感じる。いい傾向だ。
そんな旅の途中で、俺の所になんとあの偽物の勇者クリスの情報が舞い込んできたのだ!
つい先日勇者クリスに実際にあったという人が、奴がこれからラヴィーナという街へ向かうと話していたと教えてくれた。
ラヴィーナはミルターナ聖王国の西部にある街で、この国でも有数の大きな都市だ。しかも、俺たちがその時に滞在していた町からそんなに離れていない。
これはチャンスだ。急げばラヴィーナで奴を捕まえられるんじゃないか? と考えた俺は、即座にラヴィーナへと向かう事にした。
ラヴィーナは都市なので、街道を進んでいけば安全にたどり着ける。だが、俺は焦っていた。いままでもこうして勇者クリスの情報を手に入れても、その場所へ向かってみればもう奴はいなかった、という事が何度か会った。今回ももたもたしていたら奴に逃げられてしまうかもしれない。
ラヴィーナへと続く街道は、その手前に広がる大森林を大きく迂回するように敷かれている。そのまま街道を進んでいけば、安全にたどり着けるが時間がかかってしまう。大森林をうまく抜けることができれば、大幅に時間を短縮できるはずだ。愚かにもそう考えた俺は、周りが止めるのも聞かずに大森林へと突っ込んだ。
一応森の中にも道はあった。最初の方は迷わず進めていたのだが、いつの間にか道を見失い、元に戻ろうと先に進むうちに、どんどん深みにはまって行ってしまった。
その結果がこのザマである。
◇◇◇
「クリス、あきらめろ。今日は野宿するぞ」
「でもぉ……」
「これ以上動くのは危険だ。安心しろ、何か来たらオレがぶっとばしてやる」
テオに力強くそう言われても、俺の心は晴れなかった。木々がうっそうと覆い茂る森は、暗くて寒々しい。何か変なモノでも潜んでいそうだ。
俺のせいでこんな所でリルカに野宿をさせてしまうなんて、リルカに申し訳ない。それに、俺もこんな不気味な場所で寝るなんてできれば遠慮したい。でも、もうタイムオーバーだ。
「あの……あそこ……なにか、あります」
「ん?」
俺がため息をついた時、リルカが何かに気づいたようだった。言われた場所を見れば、木々の向こうにかすかに明かりのような光が揺らめいているのが見えた。
「もしかして、誰かの家とか!!」
「そうだといいですね。泊めてもらえるかはわかりませんが、少しでも明るい場所にいた方がいいでしょう」
そんなに遠くなさそうだし、満場一致でその場所へ向かう事になった。
「よーし、照らせ、“小さな光!”」
魔法で小さな光の球も出して、準備万端だ。
俺は意気揚々と光が見えた場所へと向かった。
◇◇◇
「うわ……なんだこれ……」
辿りついた場所には、確かに建物があった。
見た目は石造りの古い教会のようだが、周囲には草が覆い茂っている。痛んだ外壁には植物のつたのようなものが這っており、その外観からはとても使われているようには見えなかった。
それなのに、窓からはちらちらと燭台の明かりが漏れているのが見えていた。不気味すぎる。
「よし、入るか」
「えっ、入んの!?」
明らかに怪しい場所だが、テオは全く気にしていないようだ。ちょっと待てよ、怖いだろ!
「やめた方がいいって! 何か出そうじゃん!」
「それがどうした?」
「こわっ……じゃなくて、危険だろ!」
「言っただろう? 何か来たらオレがぶっとばしてやるって」
「そういう物理的な問題じゃなくて!!」
なおも言い募ろうとした俺の腕に、ぽつん、と小さな雫が落ちてきた。
「これは……」
「雨、だね……」
ヴォルフとリルカがそう言った瞬間、ざああ、と一気に雨の勢いが強くなった。
「もたもたしてる時間はない、入るぞ!」
「うー……」
それでも俺は入りたくはなかったが、三人はもう教会の扉へと手をかけていた。鍵はかかっていなかったようで、ぎいぃ、と軋んだ音を上げて、扉は開いた。
「クリスさん……行かないの……?」
「行く……行くよぉ……」
リルカにもそう促され、俺は渋々と足を進めた。
◇◇◇
教会の中は不気味なほど何の音もしなかった。人の気配はない。じゃあ何で燭台に明かりが灯っているんだ、というのは考えないことにした。
見たところ、思ったよりは荒れていないようだ。薄暗くてよくわからないが、奥の方には神像や壁画も見える。薄明かりに照らされたそれらは、神々しさよりも得体のしれない恐怖を感じさせた。
「リルカ……大丈夫かぁ……?」
「大丈夫……だよ?」
俺がそう聞くと、リルカは不思議そうな顔をした。必死に恐怖を我慢している……ようには見えない。まったく平気そうだ。リルカが怖がっていたら、俺も手をつないだりしてちょっとは恐怖を紛らわすことができたのに、これでは俺から手を繋ごうとか言いだし辛いじゃないか。
「あれ、クリスさんもしかして怖いんですか?」
ヴォルフがにやにやと笑いながら近づいてきた。完全に俺を馬鹿にした顔をしている。
「べ、別に怖くねーし!」
「へぇ…………あっ、あそこに人影が!」
「わぎゃああぁぁぁっ!?」
俺は思わず近くにいたリルカにしがみついた。それを見たヴォルフは大声で笑いだした。
「あはは、やっぱり怖いんじゃないですか! そんなに意地を張らな――」
「こんな夜更けに、何用ですかな……」
その時、ヴォルフの背後の暗闇からぬっと大きな黒い人影が現れ、ヴォルフの肩に手を置いた。
「うぎゃあっ!!」
ヴォルフは悲鳴を上げて飛び上がると、転がるようにして俺とリルカの所までやって来た。
俺は恐怖で声も出ない。リルカだけが、じっとその人影を見つめていた。
「すみません、雨宿りのつもりでつい……」
どこにいたのか、テオも俺たちの方へ歩いてきた。それに合わせて、黒い人影も前へと進み出る。そこで初めてその人影の姿が薄明かりにぼんやりと照らし出された。
真っ黒なローブを纏った、壮年の大柄な男性だ。
形や色は多少違うが、ティエラ教会でも似たようなローブを身にまとった人たちは見たことがある。それと同じく、この人もおそらく聖職者なんだろう。
「こら、お前たちは騒ぎ過ぎだぞ!」
テオが俺たちに向かってそう言うと、聖職者はおかしそうに笑った。
「なに、子供は元気なのが一番です。こんなさびれた場所で良ければいくらでも使ってくだされ」
さりげなく俺まで子ども扱いをした聖職者は、燭台の方へ歩いて行き、消えていたろうそくを灯しはじめた。少しずつ教会の中が明るくなっていく。
明るい場所で見ると、中はいたって普通の教会だった。何をそんなに怖がっていたのかわからないくらいだ。そう思うと、少し元気が出てきた。
「うぎゃあ! だって。ぷぷ、怖がってんのは自分の方じゃん」
未だに固まったままだったヴォルフをそうからかうと、ヴォルフは恥ずかしそうにこちらを睨みつけてきた。ちょっと涙目になっている。やっぱり怖かったんじゃないか。
「うるさい! クリスさんだって怖がってたくせに!!」
「静かにしろと言っただろ!」
ごん! と鈍い音がして俺とヴォルフの頭にテオの拳が落とされた。
「いったぁ~」
もちろん手加減はしただろうが、それでもかなり痛い。俺も涙目になりつつ頭をさすっていると、さっきまで傍にいたリルカがいないことに気が付いた。
「リルカ……?」
辺りを見回すと、奥の神像の前にリルカは佇んでいた。
「どうかしたのか?」
「これ……女神様じゃ、ないんですね……」
リルカが見ていた神像は、華やかな女神ではなく、ローブを纏った髭の長い老人の姿をしていた。今まで気づかなかったが、ここはティエラ様の教会ではないようだ。
「生と死、輪廻を司る神……レムリス様の御姿です」
いつのまにか、黒ローブの神父が俺たちのすぐ後ろにいた。
「神様、なんですか……?」
「ええ。あなたはアトラの大地を守護する四女神のことはご存知ですかな?」
神父は優しげに微笑みながら、リルカにそう問いかけた。
「ティエラ様……の、こと、ですか……?」
リルカが自信なさげにそう呟いた。
リルカにはほとんど過去の記憶がない。もちろんこの世界を守る神様のことだって何も覚えていなかった。それでも日常生活にはほとんど支障はないが、アトラ四女神といえばこの大陸、特にここミルターナ聖王国では常識中の常識だ。知らないと言えば確実に奇異の目で見られることになる。
テオがティエラ教会に選ばれた勇者であり、俺も神聖魔法を志す者の一人であるので、俺たちは教会に立ち寄ることも多い。それで最近はティエラ様のことは覚えてくれたようだが、まだリルカは他の神様の事についてはさっぱりなようだった。
神父に怪しまれないかと俺ははらはらしたが、神父はにこにこと笑みを絶やさず、リルカに向かって丁寧に説明してくれた。
「その通りです……。
――豊穣の女神ティエラ、
――戦いの女神エルダ、
――知識の女神イシュカ、
――音楽の女神アリア、
以上四柱の女神が、アトラ大陸を守護する四女神と言われています」
昔、教会学校で何度も聞いた話だ。
ここミルターナでは主にティエラ様が信仰されているが、北のユグランスでは戦いの女神、エルダ様を信仰している人が多いと聞いたことがある。国や場所によって結構ばらつきがあるようだ。
「ここアトラ大陸では四女神の信仰が特に強いですが、他にも神様はたくさんおられるのですよ。鍛冶の神、美の神、商売の神、狩猟の神……などですね。我々がお仕えする、レムリス様もそのなかの一柱なのです」
リルカは感心したように頷いている。俺なんかは小さいころ初めてその話を聞いた時にはよく理解できなかったが、リルカはしっかりと呑み込めているようだ。すごいぞ、リルカ。
「あの……リルカは、ここでお祈りしても……いいのでしょうか……」
神様関係の事を何も覚えていないリルカにまず俺たちが教えたのは、教会とかに行ったら、怪しまれないようにとりあえずお祈りしとけ! という身もふたもないことだった。
リルカはそれを覚えてくれたようだ。えらいぞ、リルカ!
「もちろんです。レムリス様もティエラ様も同じ天導派の神々なのですから。何の問題もありませんよ」
「天導派……?」
「そうですね、神様の派閥……のようなものでしょうか。ティエラ様とレムリス様は神徳こそ違えど、同じ世界を守護する神なのです。あなたがここでお祈りしていただければ、ティエラ様もお喜びになるでしょう」
神父はにっこりと頷いた。彼の言う通り、このアトラ大陸では同じ天導派の神々に限っては割と信仰がゆるいのだ。まわりがティエラ教徒ばかりの中でエルダ様を信仰していても特に迫害を受けるようなこともないし、ティエラ教徒の俺がアリア様に祈りをささげても問題ないし、そもそも特定の神様を信仰せずに、祈る機会があれば祈っとくか、みたいな感覚の人も存在しないわけではない。
ただ、それはあくまで天導派の中だけの話であって、邪神と呼ばれる神々を信仰する人はそうはいかない。教会によるきつーいお仕置きが待っているのだ。
でも、これはリルカには言わないでおこう。リルカは少し前までその邪教徒に利用されていたんだ。本人はたぶんよくわかっていなかったと思うので、わざわざ蒸し返すこともないだろう。
そのリルカは、今はレムリス様の像の前で祈りをささげている。
俺も行こうかと足を踏み出そうとした時、ふと神父に声を掛けられた。
「もしや、あなたは神聖魔法を志しておられるのですかな?」
「あれ、わかっちゃいます?」
なんでわかったんだろう。無意識のうちに俺から聖なるオーラみたいなのでも出ていたんだろうか。
「その背中に見える牧杖は、神々に仕える者の証でしょう」
なるほど、そんな見分け方があったのか。適当にその辺の枝を拾っただけかと思っていたが、トゥーリアさんが売ってくれたのはちゃんとした杖だったらしい。
「ここで、なにか魔法って教えてもらえます? レムリス様の神聖魔法はまだ一つも覚えてないんです」
「ふむ……」
神父は考え込んだが、すぐに答えてくれた。
「よろしいでしょう。ですが、もう夜も遅い。先にお休みなられた方がよろしいのでは?」
いつのまにか、外では雷鳴がとどろくほどの悪天候になっていた。確かに、新しい魔法を覚えるという雰囲気ではない。明日にした方がいいだろう。
俺が了承すると、神父は教会の奥へと案内してくれ、すぐに俺たちは客間に通された。意外と綺麗な部屋だ。ベッドも整えてある。今晩はここを自由に使っていいと言われたので、俺たちは遠慮なくその言葉に甘えることにした。




