35 リルカと精霊
水の馬は悠々と俺たちの前を歩いている。その足取りに迷いはない。
そのすぐ後ろをリルカ、リルカの後ろに俺とテオとヴォルフ、俺たちの後ろにアニエスと彼女の仲間の冒険者たち、という形で進んでいる。
そのまましばらく山道を進むと、沢に行き当たった。岩の間を縫うようにして水が流れている。水の馬はその中でもひときわ大きな岩の上に飛び乗ると、前足で前方を指し示した。その先には小さな岩が密集しているのが見えた。
「あそこに、何かあるのか……?」
冒険者たちはまだ警戒しているようで動こうとはしない。俺たちは何があるのか確認しようとその場所へ近づいた。
「どれどれ……えぇっ!?」
岩場には似合わない肌色が見えた、と思ったら人の手だった。岩の間から人の手が生えていたのだ。
「え、何これぇ!?」
パニックになる俺をよそに、テオはどんどんその手に近づいていった。しげしげとその手を眺めると、その手を掴んで思いっきり引っ張り上げた。
すると、ずるりと黒い塊が姿を現した。
「うぎゃああぁぁぁ!!!」
絶叫した俺に、テオは呆れたようにため息をついた。
「落ち着け、ただの人間だ」
「えっ?」
テオにそう言われて、黒い塊を凝視した。なるほど、確かによく見ると黒い服を着た人間の男のようだ。
「……生きてる?」
「ああ、まだ息はある。だが急いだ方がいいだろうな」
テオがその男を担ぎ上げようとすると、アニエスの仲間の冒険者たちが手伝ってくれた。できるだけ急いだ方がいいと彼らにもわかったのだろう。
「……この人のこと……教えて、くれたんですね……」
リルカがぽつりとそう呟いた。その目は、岩の上に佇む水の馬を見つめていた。
そう、こいつが俺たちをここに連れて来た。きっとここに人がいることを誰かに知らせたくて、わざわざ街の近くにまで姿を見せていたんだろう。どうやら本物の精霊だったみたいだ。
魔物と間違えて退治されなくてほんとによかったな。
「あの……ありがとう、ございました……」
リルカがそう礼を言うと、水の馬もリルカに向かってまるでお辞儀でもするかのように頭を垂れた。そして、優雅に沢の中へと飛び込んでいった。
ぱしゃん、と大きな水音が響いて、水の馬は完全に沢を流れる水と同化したようだ。沢をのぞいても、もうその姿を確認することはできなかった。
「いっちゃいました……」
「きっと、安心して家に帰ったんだよ」
「リルカちゃんのおかげで、あの人を見つけることができたんです。あの精霊も喜んでますよ」
俺とヴォルフがそう言って励ますと。リルカも納得したように頷いた。
「おい、のん気に遊んでる暇はないぞ。早くこの人を街に連れてかねばならん」
テオにそう急かされて、俺たちは急いでフォルミオーネの街に引き返した。
◇◇◇
帰る途中に倒れていた男に何回か回復魔法をかけてみたが、効果は見られなかった。回復魔法は簡単な傷には有効だが、衰弱しきっている人にはまずは栄養のある食事を取らせないと生命力が回復しないし、どこかの骨が折れていたりしたら俺にはお手上げだ。医者に任せるしかない。
街に戻ってすぐに、テオ達は男を診療所の医者の所へ連れて行った。
気になったので俺も診療所について行こうとしたのだが、いまだに全身びしょ濡れだったので先に着替えてこいとテオとアニエスに宿屋に追い払われてしまった。もちろん同じような状態だったヴォルフも一緒だ。
◇◇◇
「……ふぅ」
全身の水滴をふき取って服を着替えると、だいぶさっぱりした気分になった。これが夏場で良かった。もし冬だったら風邪をひくどころじゃなかっただろう。
「ヴォルフ、終わったぞー」
部屋の扉を開けると、ヴォルフはすぐ外で待っていた。
リルカの手本となるように女らしくしろと言われて以来、俺はテオとヴォルフの前で着替えるのを避けていた。俺としては一緒に着替えたとしても特に問題はないのだが、うっかり忘れて二人の前で着替えたりするとヴォルフに烈火のごとく怒られるので、今は細心の注意を払っている。
今日なんかはリルカもテオについて行ったので別にいいかと思っていたが、宿に着くなり先に着替えろとヴォルフに部屋に押し込まれてしまった。
普段から徹底しないとリルカの前でぼろが出ると思っているんだろうか。
「次はお前が着替えろよ」
「……言われなくてもわかってます」
ヴォルフはうっとしそうに濡れた髪を掻き揚げながら部屋へ入ってきた。念のため廊下を確認したが、思ったより水滴は落ちていなかった。それでも後で掃除はしておいた方がいいかもしれない。宿屋の人に怒られて追い出されでもしたら大変だ。
俺がそんな算段を立てながら部屋へ入ると、ヴォルフが怪訝な目を向けてきた。
「……クリスさんは外へ出ないんですか」
「え、別にいいじゃん、男同士なんだし。別にお前の裸に興味ないから安心しろよ」
「……そういえばそうでしたね」
ヴォルフは納得したのかそのまま着替えだした。当たり前だろう、俺は女の体になったからと言って男の体に大興奮するかと言われればまったくそんな事はない。テオの全裸を見てもゴリラっぽいという感想しか出てこないのだ。
「……そういえば、よくわかったな。あれが精霊だって」
ふと思いついてそう話しかけると、ヴォルフは着替える手を止めないままに返事を返してきた。
「普通にわかりますよ。逆にあなたやアニエスさんたちが気が付かないのがどうかと思いますけど」
「だって精霊なんて見たことないし。存在すらよく知らなかったし」
「まあ、ミルターナはユグランスに比べて精霊信仰が薄い土地柄ですからね。仕方がない面もあるとは思いますけど」
「……ユグランス?」
ユグランスはミルターナの北方に位置する大国だ。何を隠そう俺の故郷のリグリア村も北の山脈を越えるともうユグランスの領域に入ってしまう。まあ、その山脈を越えるのも命懸けらしいので行った事はないんだけど。
とにかく、急にユグランスの話が出てきたので俺は驚いた。精霊信仰がどうとか知ったような話をしていたけど、ヴォルフはユグランスに行った事があるんだろうか。
「お前、ユグランスに行った事あんの?」
俺が思ったままそう口にすると、ヴォルフはすぐさまこちらを振り返った。
明らかにしまった、とでも言いたそうな顔をしている。
「…………忘れてください」
「え、何で? 教えてくれてもいいじゃん」
「……話したくないんです」
「嫌な思い出でもあるのか?」
「あの国は……あまり好きじゃないんです……」
ヴォルフはそれだけ言うと黙り込んでしまった。その場を沈黙が支配する。どうやら俺はこいつの地雷を踏んでしまったようだった。
「……そっか、わかったよ」
俺はそこで追求するのをやめた。誰にでも触れられたくない話の一つや二つはあるものだ。今の様子からして、ヴォルフにとってユグランスの話はよっぽど触れられたくないようだ。そういうのを無理やり聞き出そうとするのはやっぱり駄目だろう。うん、よくない!
「ほら、着替えたなら早く診療所に行こうぜ」
「あ、はい……」
◇◇◇
倒れていた男性は、どうやら命に別状はないらしい。足の骨が折れていたので、どこかで足を滑らせて転倒したのだろうというのが診療に応じてくれた医者の見解だった。
俺たちが診療所に到着した時には、医者はにこにこと笑いながらテオに礼を言っていた。
「あと一日でも遅れていたら危なかったよ。勇者様、よくぞ見つけてくださいました」
「いえ、すべてはこの子のおかげです。なあ、リルカ?」
テオと医者に褒められて、リルカは照れたのか頬を染めてうつむいていた。やってきた俺の姿を見つけると、ぱたぱたと走ってきてそのまま俺の背中に隠れてしまった。
「なーに照れてるんだ? 全部リルカのおかげなんだぞ!」
「リルカ……なにも、してない……です……」
「そんなことはないさ」
ギルドへの報告が終わったのか、アニエスとその仲間たちがやって来た。彼らの顔には、いつぞやの敵意は見えない。皆晴れやかな笑みを浮かべていた。
「またお前たちに助けられてしまったな。礼を言うよ」
「気にすることはない。これも勇者の務めだからな」
テオが胸を張ってそう言うと、アニエスは嬉しそうに頷いた。
彼女の中ですっかり勇者への不信感はなくなったようだ。もしかしたら、テオ限定かもしれないけど。それでもいい傾向だ。
「それにしてもリルカちゃん、いつの間にあの精霊と契約なんてしたの?」
テオと冒険者たちが談笑を交わす傍らで、ヴォルフがそっとリルカに問いかけた。
「けい、やく……?」
「……って何なんだよ」
「精霊というのは水や風などの元素に宿るものだってことは知ってますよね? 元々が自然なので通常は精霊をコントロールすることなんてできないんですけど、契約を交わすことで精霊を飼い馴らす……っていうのは言葉が悪いんですが、ある程度契約者に協力させることができるんです。また契約した精霊に限っては意思疎通も可能になるんです」
「へぇー」
全然知らなかった、意外と精霊って奥が深いようだ。
そう言う事なら精霊が協力してくれたらいろいろ便利そうだ。さっきの水の馬なんかに馬車をひかせたら面白いかもしれない。濡れたところがすぐ腐りそうな気もするが。
「リルカちゃんはあの精霊と話をしてたじゃないですか、だから、いつの間に契約をしたのかと思って」
「そっか、契約者だからあの馬と話せたのか。すごいな、リルカ!」
「あ、あの……」
リルカはおずおずと首を横に振った。その瞳には困惑が見え隠れしている。
「リルカ……わかり、ません……」
「わからない?」
「けい、やく……してないと、思い……ます」
「そんな……まさか……」
ヴォルフは信じられないといった顔をしている。俺には精霊の事はよくわからないが、何か特殊な事態でも起こっているんだろうか。
「あの精霊の気配を感じることは?」
「森の、中では……いまは、ない……です」
リルカがそう答えると、ヴォルフは怪訝そうな顔をした。何か思案しているようだ。
「どうかしたのか?」
俺たちの間の雰囲気がおかしい事に気が付いたのか、テオが声を掛けてきた。
俺がかいつまんで事情を説明すると、テオは特に考えもせずにあっけらかんと言い放った。
「まあ、そんな事もあるんじゃないか」
ああ、この脳筋ゴリラに精霊がどうとかいう話は難しすぎたようだ。
「テオさん、そんな事じゃ済みませんよ。世の中の精霊使いがどれだけ契約に苦労していると思ってるんですか。契約もなしに精霊と意思疎通を図るなんて考えられません」
「それだけリルカが天才なんだろう。良かったじゃないか」
テオは豪快な笑い声をあげると、リルカをひょい、と持ち上げた。そして、驚いて固まるリルカに告げた。
「自信を持て、リルカ。自分で限界を作り出すなんてつまらないことはしなくていいんだ。おまえにとって可能な事なら、それは真実なんだからな」
「……はい。リルカ、がんばります!!」
リルカは元気になったようだ。それを見たアニエスが皆で食事に行こうと言い出し、彼女の仲間もテオもそれに賛成した。
みんながぞろぞろと診療所を出ていく中、俺は一人残っていたヴォルフに声を掛けた。
「ヴォルフ、行くぞー。……ヴォルフ?」
声が聞こえているのかいないのか、ヴォルフは俯いてその場に立ち尽くしたままだ。その手は固く握りしめられている。
「ヴォルフ、どうしたんだよ!?」
慌てて肩をゆすると、ヴォルフははっとしたように顔をあげた。
「クリスさん……?」
「何ぼーっとしてるんだよ。もうみんな行っちゃったぞ?」
「え? ああ、はい……」
ヴォルフは思い出したかのように早足で部屋の扉へと向かった。……が、そこでぴたりと足を止めた。
「クリスさん……。クリスさんは、テオさんを羨ましいと思った事はありますか?」
「え?」
思いがけない質問に、俺も足を止めた。ヴォルフは真剣な表情でじっとこちらを見つめている。
「まあ……ないことはない、かな」
魔物を葬る強さとか、たくましい筋肉とか(あそこまでムキムキじゃなくてもいいけど)、何事も笑い飛ばせる豪胆さとか。
俺がテオを羨む要素はいくつもある。でも、あいつはあいつ、俺は俺だ。男の体ならともかく、勇者の資格もない女の体では張り合う気もなくなる、というのが正直なところだ。
「そうですか……」
俺の答えを聞くと、ヴォルフは納得したのかしていないのかわからないが、そのまま部屋を出て行った。一体なんだったんだよ。
◇◇◇
翌日、俺たちは再びフォルミオーネの街を発つことにした。リルカにぴったりの戦闘スタイルも見つかったし、あとは練習あるのみだ。
ギルドの冒険者たちが見送りに来てくれたが、何故かそこにはアニエスの姿はなかった。よっぽど忙しいんだろうか。
「アニエス、来ないのかな……」
「ちょっと、さみしい……ですね……」
「アニエスにもアニエスの都合があるんだろう。あいつも今はギルドのエースらしいからな。討伐依頼やら情報収集やらいろいろあるんだろう」
「情報収集か……」
情報収集と言えば、昨日単独行動をしていたテオも、情報収集に行くと言っていたのを思い出した。てっきりまた変な店で遊んでいるのかと思いきや、アニエスたちと一緒に水の馬を追っていた所から見ると、ちゃんと情収集をしていたんだろう。
そんな事を考えていると、遠くから二人の少女が走ってくるのが見えた。一人はアニエスだ。そしてもう一人は……誰だ?
アニエスともう一人の少女は、俺たちの所までやって来るとぜいぜいと苦しそうに息を吐いた。結構な距離を走って来たんだろう。
「はぁ……よかった、間に合ったか……!」
「テオくーん、忘れものだよ~?」
もう一人の少女は、どうやらテオの知り合いらしかった。彼女は持ってきた鞄をごそごそと漁っている。
だが、問題なのはその少女の格好だ。彼女が身に着けているのは、防御力があるのかないのかよくわからない鎧――いわゆるビキニアーマーだった。
胸や肩などはがっちりと金属製の鎧で覆っているが、へそや二の腕や太ももなどは丸出しだ。とても実用的だとは思えない。
通行人も度肝を抜かれたような顔で彼女を凝視している。いくら冒険者の街とはいえこんな恰好をしている人は中々いないようだ。
「……誰?」
「私の友人だ。普段は冒険者カフェで働いている」
「……冒険者カフェ?」
アニエスの口からよくわからない単語が飛び出してきた。なんだ冒険者カフェって。冒険者が集まるあの酒場とは違うのか。
「ああ、冒険者カフェっていうのは冒険者の気分を味わえるカフェなんだ。あの子は女戦士役の店員なんだ」
「女戦士役……?」
「他にも女魔道士や女シーフや女狩人とかがいるな」
「女の子ばっかりなんだ……」
「それは客のほとんどが男だから仕方ないんだ。テオも昨日来ていたぞ? そこで私と会ってな、あの精霊を追うのに協力してもらったんだ。もっと猛獣使い役の子と遊びたいと言うのを説得するのが大変だったんだぞ!」
「へぇー……」
ヴォルフもリルカもちょっと冷めた目でテオを見ている。へぇ、俺たちが真面目に魔術の修行をしている間に、あいつは冒険者カフェなんていう所で女の子と遊んでいたのか。
「い、いや違うぞ!? これも立派な情報収集であって……」
「ほら、テオくんの大事な勇者証明書だよ! 勇者ごっこ楽しかったよね! 絶対また来てよ!!」
ビキニアーマーを来た女戦士役の子は、はい! と満面の笑みで勇者証明書を差し出した。
あんな大事なものをあいつは勇者ごっこに使った上に店に忘れて行ったようだ。
俺は勇者になりたくてもなれないのに、あいつは本物の勇者の癖に勇者ごっこなんて楽しんでいたんだ。
そこまで考えて、俺の中で何かがぶち切れた音が聞こえた。




