俺が男爵令嬢で、あの子は悪役令嬢で!?【中】
最初に俺を見張ることになったのは、バートラムと名乗ったチャラチャラした雰囲気の茶髪のイケメンだ。
どうせなら女の子がよかったんだけどな……。
「よしジュリア、俺が全部受け止めてやる! 俺の胸に飛び込んで来い!」
「だからジュリアじゃないって……」
さあ!と両手を広げたバートラムは、まったく今の状況を理解していないようだ。
彼らの友人のジュリアが、ちょっとおかしくなった程度にしか考えてないんだろう。
ため息をつきつつ、簡単に事情を説明すると、バートラムはきょとんと眼を丸くしていた。
「つまり今のお前は、うっかりジュリアの体に入り込んだ別人だと」
「まぁ、そういうこと」
「どうすれば元に戻るんだ?」
「うーん……」
そんなの俺が知りたいよ。
そもそもなんで俺はこんな目に遭ったんだろう。
寝て起きたら別人になってるとか、正直意味が分からない。
でも案外、もう一回寝て起きたら元に戻ってるんじゃ……。
「寝て起きたら戻るかも」
「そうか、寝ろ」
バートラムの答えは単純だった。
そして現在。
俺はソファに横になった状態で、イケメンに膝枕をされている。
……なんの罰ゲームだよこれ。
どうやらバートラムなりに俺を寝かせようと頑張った結果、こうなったようだ。
「あのさぁ、さっき起きたばっかりだから寝れないんだけど」
「大丈夫、お前なら寝れる」
「寝れないって」
「なんなら子守歌も歌ってやるぞ」
「別にいい」
「俺様の美声に酔いな」
「聞けよ!」
結局断ったが聞き入れられず、俺は1時間にわたるイケメン膝枕(子守歌付き)という悪夢を味わうことになったのである。
途中で殴り飛ばして逃げようとかとも思ったが、なんか思ったよりも必死なバートラムを見ていると、なんとなく忍びなくなって結局一時間付き合ってしまった。
もちろん、寝られるわけがなかった。
1時間付き合う俺も俺だが、その間子守唄を歌い続けたこいつも、中々にイカレてる……もとい、面倒見のいい奴だ。
チャラい外見に似合わず、オカン気質なのかもしれない。
……それだけ、ジュリアって子のことが心配なのかな。
◇◇◇
地獄のリサイタルを終えた俺の元に、救いの女神はやって来た。
次に俺を見張る番の、リネットという茶髪の美少女だ。
「まぁ、それは大変でしたね」
「ほんとだよ、しばらくは耳に残りそう……」
項垂れる俺の様子に、リネットがくすくすと笑う。
かと思うと、何かを思いついたように立ち上がった。
「そうだ。私、お茶とお菓子を用意しますね!」
にっこりと笑ってそう告げたリネットは、ぱたぱたと続きの部屋へと消えていく。
……不用心だなー。
俺は反射的に、部屋の入り口の扉の方に目をやってしまった。
今なら、余裕で逃げられる。逃げられるけど……。
俺が逃げたら、リネットがあの喧しい残りの三人に糾弾されてしまうかもしれない。
それは駄目だ。可哀そうだ。
それに、おそらくここは俺の全然知らない場所なのだ。この部屋から逃げたところで、行く場所はない。当てもなく彷徨っても、事態が好転する保証もない。
「……やめよ」
仕方なく、浮かせかけた腰を再び下ろす。
リネットはお茶とお菓子を用意してくれるって言ってたし、今はその言葉に甘えるとしよう。
「お待たせいたしました」
やがて、続きの部屋からリネットが戻ってきた。
その手に持つトレイに乗せられているのは、美味しそうなお菓子と淹れ立てほやほやの紅茶だ。
「わぁ、おいしそう……!」
「ふふ、クリスさんもお疲れでしょう。ティータイムにいたしませんか?」
「うん!」
我ながら単純だとは思うけど、美少女に労わられて、イケメンリサイタルですり減った精神力が回復していくのを感じる。
リネットは穏やかで、ふんわりとした雰囲気の女の子だ。
彼女を見ていると、リルカやリネアを思い出す。
二人とも、元気かな……。
なんとなくしんみりしてしまったので、そんな気分を振り払うためにもリネットの用意してくれたお菓子に手を伸ばす。
「ん……うまっ! すっごい美味しい!!」
「よかった……。それ、私が作ったものなんです」
「リネットが!?」
なんてことだ。女の子の手作り菓子ならもうちょっと味わって食べればよかった。
とりあえずお礼と美味しかったという感想を伝えると、リネットは嬉しそうに笑う。
「ありがとうございます。お口に合ったようで安心しました」
「リネットはすごいな。いいお嫁さんになれるよ」
そう口にすると、リネットは顔を赤らめて俯いてしまった。
あれ、もしかしてこれって……フラグが立ち始めてる!?
なんて思った瞬間、トントン、と軽く部屋の扉がノックされた。
残念、楽しい時間はすぐに終わってしまう。
どうやら交代の時間がやって来たようだ。
リネットが応対し、やって来たのは……
「うわっ」
やたらと俺に冷たかった、金髪の男がそこにはいた。
◇◇◇
「名前は?」
「クリス。クリス・ビアンキ」
「出身地は」
「……ミルターナ聖王国のリグリア村」
引継ぎを済ませたリネットが部屋を出て行ってすぐに、ウィレムと名乗った金髪の男による、俺への尋問が始まった。
あぁ、リネットとの穏やかなティータイムが懐かしい……。
何が悲しくて、男と顔を突き合わせて尋問を受けなければならないのだ。
「ミルターナ、リグリア村……やはり聞いたことがないな」
ぺらぺらと地図帳をめくっていたウィレムが、眉を寄せてため息をついた。
まったく、ため息をつきたいのはこっちだよ。
「俺だって、クロディール王国なんて聞いたことない」
「となると、かなり離れた場所からやって来たのか……。まぁいい、質問を続ける」
「はぁ……」
俺の元居た場所と、ここはかなり離れた場所のようだ。
すぐに帰るのは難しいかもしれない。
再び羊皮紙にペンを走らせるウィレムを見ながら、俺は大きくため息をついた。
「年齢は?」
「今年で20歳」
「20!?」
年齢を答えた途端、何故かウィレムは驚いたように顔を上げた。
「なに? なんかおかしかった?」
「いや……ジュリアは16歳だから、てっきり同じくらいだと……」
聞けば、この体のジュリアって子も、ウィレム達も皆、16~17歳くらいの学生さんだそうだ。
「へぇ、そうだったんだ」
その割には皆しっかりしてるな……と、俺は感心した。
俺が16歳の時なんて、もっと気楽に生きてた気がする。
ウィレムは一度ペンを置くと、小さく息を吐いた。
「……年長者とは思わず、失礼いたしました」
「えっ、別にいいよ」
急に謝られて俺の方が焦ってしまった。
なんだ、こいつけっこう殊勝なところあるんだな。
「それで……クリスさん」
「なに?」
「元の状態に戻れる見込みは?」
「……とりあえず、一日待ってみる。寝て起きたら元に戻ってるかもしれないし」
今はそう願うしかない。他によさそうな解決方法も思いつかないし。
「こちらとしても、早く元に戻ってもらわないと困ります。メリアローズさんなんて、今ですら授業が手に着かない状態だし」
メリアローズ……は、あの最初に俺に声を掛けた紅い髪の子か。
どうやら彼女は、俺……というかジュリアのことをかなり心配しているようだ。
ウィレムはくどくどと、みんな……特にメリアローズが心配するから、早く元に戻れと圧力をかけてきた。
そんなこと言われても、俺だって戻れるものならさっさと戻ってるよ。
ていうか……
「ウィレムってさ、メリアローズのこと好きなの?」
気がついたらそう口にしていた。
朝、メリアローズと俺が騒いでたところに真っ先にやって来たし、今もよく聞けばメリアローズに関しての話が多い。
だから、もしかしたらそうなのかなー、という、軽い気持ちで聞いてしまった。
だが、俺の軽さとは裏腹に、彼の反応は顕著だった。
「なっ!!?」
ウィレムがあからさまに狼狽していた。どうやらビンゴだったようだ。
「なるほどー、そういうことかー!」
「ちょっと、何ニヤニヤしてるんですか……!」
「あの子美人だもんなー、おっぱい大きかったし」
「あ゛?」
褒めたつもりだったが、何故かウィレムはすごい目つきで俺の方を睨みつけてきた。
思わずビビって逃走を図ろうとすると、あっという制圧されてしまう。
うつぶせに倒れたところを、膝で背中を圧迫され、ひゅっと息が詰まった。
……おい、一応この体はお前の友達のジュリアのものなのに、扱いひどすぎるだろ!!
なんでそこまで怒ってるんだよ!!
「やらしい目でメリアローズさんを見るな」
「ひぃっ! すみません!!」
どうやら俺が、メリアローズのバストサイズに言及したことがお気に召さなかったらしい。
心狭すぎだろ、こいつ。
「クリス、か……。まさかあんた……男か?」
確信をついた質問に、俺は息が止まりそうになってしまった。
こいつ、勘良すぎだろ……!
確かに、「クリス」という名前は男女どちらでも通用する。俺は一度も、自分の性別をウィレムに話していない。
しかしここで正直に、「元は男です!」と話せばどうなるか。
間違いなく「大好きなメリアローズをエロい目で見た罪」で、処刑確定だ。
それはまずい……!
俺は全力で保身に走ることにした。
「違う、女! 花も恥じらう乙女だからぁ!!」
「本当か……?」
「本当だって! 彼氏もいるし!!」
そう告げた途端、背中を圧迫する力が若干緩んだ。
……まぁ、全部が全部嘘なわけじゃない。今は一応女だし、彼氏っぽいのもいるし……。
すーはーと呼吸を整えていると、俺の背中から退いたウィレムがそっと助け起こしてくれた。
「……取り乱して失礼しました」
あのさぁ、とりあえず敬語で謝っとけば、何もかもが丸く収まるってわけじゃないんだぞ!……と説教しようかと思ったけど、やめておいた。
最近の若者はキレやすい。君子危うきに近寄らず、だ。
「はぁ……。まったく、もう少しお姉さんを労われよ」
「すみません。ジュリアは丈夫なので、このくらいは平気かと」
「どんな奴なんだよ、ジュリアって……」
ここって貴族のお坊ちゃまお嬢様が通う学園じゃなかったっけ。
そこに通ってるってことは、ジュリアもお嬢様のはずなんだけど……まぁいいや。それは置いていこう。
「それで……メリアローズのどこが好きなの?」
「はぁ?」
「いいじゃん、教えてくれたって。お姉さんがアドバイスしてやるぞ」
好奇心全開で、俺はそう聞いてみた。なんかやられっぱなしは悔しいからな。
すると、てっきり怒り出すかと思ったウィレムは、どこか照れたようにぽつぽつと話し始めたのだ。
「あの人は、いつも自分より他人のことを考えていて……なんていうか、放っておけないというか……」
「ふむふむ」
いいねぇ、青春だねぇ。
青少年の赤裸々な告白に、つい口元がにやけてしまう。
「気がついたらいつも彼女のことを見ていて。自分でもどうかと思うんですけど……」
「いいじゃん、別に。もっとガンガン行けよ」
「……彼女と俺じゃあ、釣り合う訳がない」
「なんで? 同じ貴族なんだろ?」
そう尋ねると、ウィレムは教えてくれた。
どうやらメリアローズは、この国の貴族の中でもトップクラスの家柄のやんごとなきお嬢様で、それこそお姫様のような存在らしい。
へぇ、前途多難だな。
「ふぅん……。色々難しいんだな」
「でも……諦めらめられないんです。どうしても」
どうやらウィレムはメリアローズとの身分差を気にして、中々強気に出られないようだ。
まぁ、その気持ちは……俺にもわからないでもない。
「でも……好きなんだろ。だったら、諦めない方がいい」
俺だって、諦めたくなんてないんだ。
「周りがどう思うかより、本人たちの気持ちの方が大事だろ」
それはウィレムに言ったのか、それとも自分自身に言い聞かせた言葉だったのかもしれない。
だが、そう口にすると、ウィレムは曖昧な表情で笑った。
「……それもそうですね。ありがとうございます、参考になりました」
参考になったのか。お世辞かもしれないけど、本心ならいいな、と思ってしまった。
ウィレムはどこか優しい目で、窓の外へ視線をやった。
きっと、メリアローズのことを考えているんだろう。
その表情を見ていると、何故だか胸がざわめいた。
「クリスさん」
『クリスさん』
ウィレムの声に、よく知る声が重なった気がした。
あぁ、そうか……。
「なんでだろうな……」
「何がですか?」
不思議そうにこちらを振り返るウィレムに、俺は黙って首を横に振った。
何でウィレムの恋愛事情がそんなに気になったのか、今、分かった気がした。
「……お前ってさ、俺の知ってる奴にちょっと似てる」
「は?」
どこかどうとかは、うまく言えないけれど……ウィレムは、少しヴォルフに似てる。
そんな風に、思ってしまったんだ。
その途端、急に寂しさが押し寄せてくる。
「クリスさん……?」
ウィレムが気遣わしげに声を掛けてくる。
あ、やばい。なんか泣きそうになってしまった。
何とか空気を変えようと口を開きかけた瞬間――
「お待たせ! やっと私の番が来たわ!!」
勢いよく部屋の扉が開いたかと思うと、威勢よくメリアローズが飛び込んできたのだ。




