ミルターナ小紀行(5)
そのあとやってきたアニエスも交えて、とりあえず場所を変えることにした。
俺たちがとった部屋に入り扉を閉めるなり、ダリオは勢いよくヴォルフの肩を掴んだ。
「お前っ、生きてたんなら連絡くらいしろよぉ!!」
「おい、ソースが付く。とりあえず手と顔を拭け」
しかしあっさり振り払われたダリオは、ヴォルフに渡されたタオルでごしごしと顔を拭いている。
その光景を見て、俺もアニエスも苦笑いを浮かべるしかなかった。
「まったく……まぁ、私は心配してなかったぞ。お前たちならしぶとく生き延びると思っていたからな」
そう自信満々に胸を張ったアニエスを見て、胸がじんわりと温かくなった。
「その……いろいろとごめん」
「気にするな。事情が事情なんだ」
そう言って、アニエスはちらりとヴォルフに視線をやる。
ヴォルフのその視線に気づいたのか、気まずそうに目を伏せている。
「あ、あのっ……そのことなんだけど……」
ヴォルフは、吸血鬼だと疑われ殺されそうになった。
その前にさっさと解放軍を逃げ出したけど、いったい俺たちの扱いはどうなっているんだろう。
……二人は、どう思っているんだろう。
「その……」
「……いいんです、クリスさん。ここは僕自身に説明させてください」
ヴォルフはそっと俺の肩に手を置くと、一歩前に進み出た。
アニエスはすっと目を細め、ダリオはぽかんと口を開けている。
「疑われていた通り……僕は、吸血鬼です。吸血鬼の血を引いています」
まっすぐに二人を見据えて、ヴォルフははっきりとそう告げた。
「え……?」
驚いたように目を丸くしたダリオの横で、アニエスは冷たい目をヴォルフに向けている。
「……お前は、人を襲うのか」
「ち、違うよアニエス! ヴォルフは俺の血しか吸わない!!」
確かにヴォルフは吸血鬼で、俺の血を吸うけど……それは合意の上だ。
無差別に他人を襲ったり、傷つけたりするようなことはない。
なんとかそう説明したけど、アニエスは険しい目を緩めなかった。
「……クリス。お前はそれでいいのか」
「え……」
唐突にそう問いかけられ、思わず言葉に詰まってしまう。
「脅されてるんじゃないだろうな。吸血鬼に血を捧げるなんて正気の沙汰だとは思えない」
「お、おい……」
ダリオが慌てたようにアニエスへ声をかけたが、アニエスはじっと俺の方を見据えたままだった。
……確かに、吸血鬼に血を提供するなんて、普通に考えたら信じられないだろう。
血を吸われれば痛いし、最初は本当に嫌だった。
でも…………
「アニエス。これは俺の意思だよ」
はっきりと、そう告げる。
「俺は好きでヴォルフに血を飲ませてるんだ。だから何の問題もない」
アニエスはじっと俺を見つめた後……小さく息を吐いた。
「……そうか。それなら別にいい」
アニエスは優しく笑って、小さな声でそう口にした。
……きっと、彼女には最初から分かっていたのだろう。
その言葉に、俺もダリオもほっと息をついた。
思ったよりも緊張していたみたいだ。
その後、俺たちは解放軍を出てからのことをぽつぽつと二人に話した。
……といっても言えないことの方が多かったくらいなので、あまり正直なことを話した言えないのかもしれない。
とりあえず解放軍を出て、なんとか教団からも逃げ延びて、今はユグランスで暮らしているということくらいか、ちゃんと話せたのは。
「まあ、俺たちもあの後色々あってさ。スパイがいたりやばい戦いがあったり王都に乗り込んだり……。正直、色々ありすぎてあれからそんなにお前らのこと気にするような奴もいなかったんだよな。教団が瓦解したら自然と解放軍も解散になったし、もうお前もそんなに気にしなくていいんじゃね?」
ダリオは軽い調子でそう口にした。
その言葉に、俺はほっと一息つく。
よかった……。ひょっとしたらヴォルフが吸血鬼だと疑って殺そうとするやつがユグランスまで来るんじゃないかと怯えていたが、そこはそんなに心配しなくてもいいのかもしれない。
「だが、この街にいる奴らは別だ。ここには元解放軍の奴らも多い。さすがに堂々と出歩いたら無事では済まないぞ」
アニエスの忠告に、ヴォルフは心得たように頷く。
とりあえず軽く事情を説明すると、アニエスは呆れたようにため息をついた。
「……なるほど。それでお前が調査か」
「そうそう! ヴォルフが外出れないからさ、俺が代わりに行くの」
「……お前一人だと危なっかしい。私も一緒に行ってやる」
「え、いいの!?」
思ってもなかった申し出に、俺は嬉しくなった。
ほんの少しは不安もあったし、アニエスが一緒にいてくれるならこれほど心強いことはない。
「じゃあヴォルフには俺がついててやるよ!」
「……別にいい」
「そんなこと言うなって!!」
満面の笑みでダリオはそう告げた。
対するヴォルフは面倒くさそうな顔をしていたが、やっぱりこっちもダリオがついててくれるなら心強い。
「ダリオ、よろしくな!」
「ああ、任せてくれよクリスちゃん!」
そう言って俺に親指を立てて見せたダリオは、調子に乗るなとヴォルフに小突かれていた。
◇◇◇
二人で歩きながら、アニエスは近況を話してくれた。
ルディスがいなくなり、解放軍は解散した。解放軍に所属していた者の中にはそのまま冒険者になるものも多数おり、ダリオもその一人のようだ。
一時は人手不足が危ぶまれたこの街の冒険者も、かなり増えてきているらしい。
「活気が出るのはいいことだが、ライバルが増えると考えると複雑だな」
「ははっ、でもアニエスなら大丈夫だろ?」
今のアニエスは歴戦の戦士といってもいい、立派な冒険者だ。
初めて会った時の、何もかも信じられないといった表情を思い出す。
……本当に、アニエスが立ち直ってくれてよかった。
様々な店が並ぶ通りを抜け、人があふれる冒険者の酒場を遠めに覗き、街の様子を目に焼き付ける。
「そうだ。どうせなら教会にも行ってみるか?」
「そっか。この街にも教会があったんだ」
前に訪れた時は教会に行く余裕はなかった。
教会も多くの人が集まる場所だ。見ておくに越したことはないだろう。
「うん、行く」
大きく頷くと、アニエスは優しく笑った。
フォルミオーネの街の教会は、ラヴィーナの大聖堂のような規模はないが中々の大きさだった。
少なくとも、マグノリア先生の教会よりはよほど大きいだろう。
「冒険者は信心がないってよく神父が嘆いてるんだ。私はできるだけ大きな仕事に出る前にはできるだけ祈りを欠かさないようにしている」
「……うん。たぶんちゃんと届いてるよ」
重い扉を開け、教会の中へと足を踏み入れる。
中には思ったよりも大勢の人がいた。冒険者の街にも、信心深い人はちゃんといるようだ。
とりあえず見回ってみようと歩きだした時だった。
「……クリスさん?」
突如、聞きなれない声が聞こえた。
思わず声の方向へと振り返る。
そこには、修道士の格好をした男が目を見開いて俺の方を見ていたのだ。
……俺は、その姿に見覚えがあった。
この人は、解放軍で俺と同じ救護班に所属してた人だ……!
やばい、なんて言おう……と焦る間にも、その人はどんどん俺の方へと近づいてきた。
そして、目の前までやってきたかと思うと力強く肩を掴まれる。
「やはりあなたは……! 無事だったのですね!!」
「え、あの……」
「あぁ、あなたがあの汚らわしい吸血鬼に連れ去られていったいどうなったかと──」
「おい、どうした!」
騒ぎに気が付いたのかアニエスが慌てたように近づいてくる。
「吸血鬼」という言葉が聞こえたのか、教会にいた人たちがちらちらとこちらを見ているのもわかった。
……これはまずい。
「……エヴァルド、大声を出すな」
「アニエスさん、しかし……」
「場所を変えよう。クリスのためだ」
アニエスの言葉を聞いて、俺もやっと思い出した。
彼はエヴァルド。義憤から解放軍に参加した若き修道士の一人で、中々の神聖魔法の使い手だったはずだ。
「……わかりました。こちらへどうぞ」
エヴァルドもこれ以上騒ぐのは得策でないと思ったのだろう。
何でもないような態度で、俺たちを奥の部屋へと案内した。
「……私も誤魔化すから、お前も話を合わせろよ」
「…………うん」
さっきの言い方からして、エヴァルドはヴォルフを……吸血鬼のことをよくは思っていないようだ。
俺とヴォルフが一緒にいると知られれば、ヴォルフに何か危害を加えようとするかもしれない。
なんとか誤魔化さないと……と、俺はぎゅっと拳を握り彼の後に続いた。
トラブルの予感です……!




