星を探して(3)
解放軍は徐々に力をつけ、教団に虐げられる人々を救っている。
だが、依然としてクリスを見つけることはできなかった。
「…………はぁ」
今日は珍しく出撃のない日だ。解放軍の砦の裏庭で、ヴォルフは日ごろの疲れを癒すようにゆっくりと空を眺めた。
ヴォルフの心とは裏腹に、空は憎らしいほどに晴れ渡っていた。
この空の下に、果たして本当にクリスはいるのだろうか。
それとも、もう……
浮かんできた思考を振り払う。そんな弱気になってどうする。ここで諦めたら、きっと何もかもが水の泡だ。
「ヴォルフ、どうしたの?」
その時背後から声を掛けられ、ヴォルフはゆっくりと振り返った。
そこには、ヴォルフと同じくらいの年頃の金髪の少女が立っていた。
「……カリナ」
彼女はヴォルフと同じくこの解放軍に所属する戦士の一人だ。
戦士と言っても、そのたおやかな見た目からは想像もつかないだろう。普通の少女と何ら変わりがないのだ。
金の髪が肩の少し上で揺れ、澄んだ湖のように碧がかった蒼い瞳が不思議そうにヴォルフを見つめている。
「別に、何でもない。ただ少し疲れたと思って」
「最近は出撃が続いてたもんね。休める日はゆっくり休んだ方がいいよ?」
そう言って、カリナは優しく微笑んだ。
押し付けがましくない程度に世話を焼く。カリナはそういった塩梅が非常に上手かった。
きゃあきゃあやかましい村娘たちには辟易していたヴォルフも、彼女と話す時は落ち着いていられる。
それは彼女の纏う雰囲気がなせる技なのか、それとも……
ちらりとカリナの姿を眺め、ヴォルフはばれないように内心でため息をついた。
……本当はわかっている。
彼女と話す時に落ち着くのは、彼女の中にクリスの面影を見ているからだ。
ヴォルフの主観では、カリナはクリスによく似ていた。
クリスよりも落ち着きがありしっかりしているが、そのどこか親しみやすい雰囲気はクリスと同じなのだ。
だから、別人だとわかっていてもどうしても彼女の姿が視界に入るとつい目で追ってしまう。
ダリオにはその行動をからかわれたこともあったが、どうしても反射的に視線が吸い寄せられるのだ。
──クリスと、似た色に、姿に。
「私も今日は休みなんだ。たまにはゆっくり武器の手入れでもしようかな」
「それがいい。いざという時になまくらだと困る」
そう言うと、カリナはくすくすと笑った。
そのまま自室に戻っていくカリナの背を見ながら、ヴォルフは少しだけ心が軽くなったのを感じた。
「へぇ、君ってああいうのがタイプなんだ」
だが次に聞こえてきた声に思わず舌打ちしてしまった。
声の方へ振り返ると、思った通り一人の少年ががにやついた笑みを浮かべてこちらへ歩いてくるところだったのだ。
「……レーテさん」
「『クリス』って呼べって、何回も言ってるだろ」
ヴォルフと同じく解放軍に身を寄せる勇者クリス──の名を騙ったレーテが、少し苛立ったようにヴォルフを見つめていた。
「……そんな風に、偽物になりきるのは楽しいですか」
「楽しい楽しくないの問題じゃない。生きるための知恵だよ。……生き延びるために、必要な事だ」
安い挑発にもレーテは動じなかった。
ヴォルフは内心舌打ちをする。……レーテは苦手だ。元々、初めて会った時からあまり仲良くできる相手だとは思っていなかった。
レーテはクリスを傷つけた。その事実だけで、ヴォルフのレーテに対する好感度はほぼ最低だと言ってもよかったのだ。
「……まぁさっきのは冗談だけどさ、冗談抜きでカリナはいい奴だと思うよ」
「……何が言いたいんですか」
「代わりにしちゃえばいい。あの子、ビアンキに似てるだろ」
その言葉を聞いた途端、瞬時に全身の血が沸騰すしたような気がした。
湧き上がる怒りのままレーテに殴り掛かったが、その行動を予測していたかのようにひらりとかわされてしまう。
「おっと危ない」
「……失せろ、殺すぞ」
「君がそうやって怒るのは、ボクの言った事が図星だからだよ。そうは思わないか?」
違う、そんなはずはない。レーテは適当な事を言ってヴォルフを惑わそうとしているだけだ。
……これは、一度痛い目を見させる必要があるのかもしれない。
ヴォルフがぐっと拳を握りしめた、次の瞬間だった。
「クリス様、いらっしゃいますか?」
裏庭に落ち着いた声が響く。ヴォルフとレーテがそちらに視線をやると、一人の男が建物の陰から姿を現した。
「ラザラス、どうしたんだ?」
「ティレーネさんが探してましたよ。何か用があるとか」
「わかった、今行く」
レーテはそう返事すると、まるで馬鹿にするように軽くヴォルフに手を振って、迎えに来た騎士と共に姿を消した。
「…………はぁ」
そっと拳から力を抜く。
……駄目だ。レーテの挑発に乗るべきではない。
ヴォルフからすれば気に入らない相手だが、レーテの体は元々クリスの物だった。
不用意に傷つけるべきではないだろう。
ずるずると木陰に座り込む。
まったく、たまの休日だというのに中々ゆっくりできないものだ。
……いや、ゆっくりしている時間などない。今すぐにでも、クリスを探しに出掛けるべきだ。
そう思って再び立ち上がった瞬間、またしても裏庭にやってくる人物がいた。
「よぉヴォルフ……って怖っ!!」
鼻歌を歌いながらやってきたのはダリオだった。
彼は悪くないが、なんとなくイラッと来て思わず睨み付けてしまう。
「……何の用だ」
「つっめた! 俺たちダチだろ!!」
ダリオは心外だとでも言いたげにわぁわぁと騒いでいる。
まったく、次から次へとやかましい……!
「っと、お前に連絡な。前から話してたモンテラの町の解放作戦、明日決行だってよ」
モンテラの町は、少し前に哀れにもルディス教団に占拠されてしまった町だ。
中で行われているであろう残虐非道な行為の話は、ヴォルフも聞いたことがある。
教団の兵士たちはモンテラの町を拠点に周辺の村々を支配下に置こうとしているが、解放軍だって負けてはいない。教団の襲撃を防ぎ、少しずつ戦力を削いでいる。先日の襲撃でも教団兵の数はかなり少なかった。
おそらく、モンテラの町に駐留する教団兵は疲労している。今がチャンスだという事なのだろう。
「僕も行くのか」
「あったりまえだろ! みんなお前のこと頼りにしてるんだからな!!」
ダリオは嬉しそうにそう言ったが、ヴォルフの心は晴れなかった。
まだテオと一緒に旅していた頃、クリスやリルカに頼られるとどこか誇らしく感じた。だが、今はまるで心が凍りついてしまったように何も感じない。
教団に虐げられる人々は可哀想だと思う。だが、それよりも自分にとって大事なのはクリスの存在だ。
クリスを探すためには、解放軍の人手と情報は有難い。
ヴォルフがこうやって教団との戦いに赴くのも、解放軍の仲間たちのように義憤からではなく、ただの義務のような物だった。
だが、その義務は果たさなければならない。
「……わかった」
「なんか疲れてんな。大丈夫か?」
心配そうな顔をしたダリオに、そっと頷いて見せる。
すると、ダリオは何かを思い出したようにぽん、と手を叩いて見せた。
「そうだ。さっき来てた行商人にちょっとおもしろいこと聞いてな」
「面白いこと?」
「そうそう。ミルターナのずっと南に小さい島がいくつかあるだろ? その中にグラーノ島って所があってな。その商人はたまにその島にも行くらしいんだけど、ちょっと前にそこで『人魚姫』の話を聞いたんだってよ」
「……人魚姫?」
ダリオはおとぎ話でもするつもりなのだろうか。だったら時間の無駄だ。
ヴォルフがあからさまにつまらなそうな顔をしたのに気がついたのか、ダリオは慌てたように口を開いた。
「それでな、重要なのはこっから! 人魚姫って言っても普通の人間の子らしいんだよ。なんでも口がきけないんだとか」
「……へぇ」
「その商人は『人魚姫』を直接見たわけじゃないんだけど、島の漁師が教えてくれたんだってさ。その人魚姫は一年くらい前に島の海岸に流れ着いて、その時から口がきけなくて、過去の記憶もないらしい」
一年くらい前、という言葉に知らずに心がざわめく。
そうだ、丁度一年ほど前だった。
……クリスと、テオに最後に会ったのは。
「……で、その『人魚姫』なんだけど」
ダリオがちらりとヴォルフの方をうかがう。視線だけで先を促すと、ダリオは珍しく気遣わしげな表情を浮かべて口を開いた。
「……金髪で、蒼い目をしてるらしい。年もまだ若いってさ」
思わず目を見開くと、ダリオは苦笑した。
「……ごめん、それ以上のことはその商人も知らないらしくてさ。そいつも直接見たわけじゃないから眉唾物の話ではあるんだが。まぁ、一応お前の耳には入れとこうと思って」
──金髪で蒼い目の若い女
今まで何度もその情報を聞くたびに確かめに行き、そして失意を味わってきた。
辺境の島へ行くとなるとかなり時間がかかるだろう。無駄足になれば、ますますクリスから遠ざかっていくかもしれない。
……だが、その『人魚姫』とやらがクリスだとしたら?
一年ほど前に現れた、口のきけない記憶喪失の娘。
テオが死ぬ前後に何かがあって、記憶を失ったクリスがその島に流れ着いたのだとしたら……
「っておーい、大丈夫か?」
顔を上げると、目の前でダリオが手を振っていた。
「まぁ、正直信憑性は低いと思うぜ」
ダリオはまだ何か言っていたが、もうヴォルフの耳には入らなかった。
その時点で、もう心は決まっていた。
南の孤島に現れた人魚姫。
……どうしても、確かめたい。
そして翌日の夜明け前、誰にも見つからないように闇にまぎれ、ヴォルフは解放軍の砦を後にした。
次はヴォルフから見た再会パートになります!




