31 女の子にたいせつなこと
「おい、オレの下着を知らないか?」
「はあ? 知らねーよそんなもん」
フォルミオーネの街へ向かっている俺たちは、現在は街道沿いの宿屋に宿泊中だ。
リルカが仲間に加わってからは、俺たちは極力リルカが疲れないように進むペースを落としていた。今日も夕方になる前に手ごろな宿を発見したので、進むのをやめてそこに泊まることにしたのだ。リルカに野宿はさせたくないからな。
真っ先に風呂に入ってくると言ったテオはどうやらパンツを持っていくのを忘れた事を、風呂に入った後に気づいたらしく自分の荷物をごそごそと漁っている。ズボンははいているので、あの下はノーパンなんだろう。うわっ、想像したくない。
「あったあった」
「もー、汚いもの見せんなよ」
「……テオさん、ちょっと待ってもらえますか」
そのままズボンを脱いでパンツを履こうとしたテオを、ヴォルフが制止した。
テオがズボン反脱ぎのまま振り返る。ヴォルフはそのままリルカにも声を掛けた。
「リルカちゃん、これを宿屋の人に渡してもらえるかな」
ヴォルフは何やら紙に書きつけると、いくらかの硬貨と共にリルカに手渡した。おつかいでも頼んだんだろうか。
「わかり、ました……!」
リルカは強く頷くと、嬉しそうに部屋を出て行った。あの子は人の役に立つのを喜ぶ子だ。何て健気なんだ、感涙を禁じ得ない。
「テオさん、早く履いてください。それから話があります」
「お、おう……」
テオは何かを察したのか、手早くパンツを履くとヴォルフの前へとやって来た。ヴォルフの口調からは静かな怒りを感じる。
あーあ、あれは説教の始まりだな。いい気味だ。
「そこに座ってください、クリスさんも」
「えっ、俺は何もしてない」
「いいから座れ」
「……はい」
俺とテオは並んで床に座り込んだ。ベッドに座る事すら許してもらえない、これはヴォルフがかなり怒っている証拠だ。
ヴォルフ腰に手を当てて仁王立ちしている。床に座らせたのは少しでも自分の身長を高く見せようとする苦肉の策なんだろう。そこを指摘するともっと怒りそうなので言わないけど。
「……二人とも、リルカちゃんは女の子です」
「まあ、男には見えないよな」
「そうか? 体の凹凸だけ見ればそんなに変わらな」
「テオさん、黙ってください。そしてあなたはもうちょっと体型以外にも目を向けてください」
どうもテオは男と女を、体についてる肉と脂肪の量|(主に胸)で判断している節がある。こいつに言わせると、胸がほとんどない俺とリルカは男とそう変わらないそうだ。逆に、すごく太ってぶよぶよの男を見たら、いい体をしているとか言いそうで怖い。おまえのその歪んだ価値観はどこから生まれたんだよ。
「誰が何と言おうと、リルカちゃんは女の子です。そして、僕たち……まあ精神的にはクリスさんも含めて僕たちは男です」
「だから何なんだよ」
「もうちょっと振る舞いに気を付けてくださいってことですよ!」
「えぇー?」
何を言うのかと思えばそんな事か。正直拍子ぬけだ。
「別にそんなに気にしなくてもいいだろ?」
「よくないですよ! リルカちゃんがちょっと……普通の子とは違うのはわかりますよね」
「うん……」
「確かにそうだな」
それはわかる。自分の過去を覚えていないこともあるが、他にもリルカはどうも一般に常識だとされていることを、知らないという事がよくあった。基本的な読み書きは大丈夫だが、国や街の名前、神様の名前や祈りの仕方など普通に暮らしてればわかるようなことを、リルカは知らないのだ。一時的に忘れているだけなのか、もしくはそんな事は教わらないような特殊な環境で育ったのか……。
「なので、リルカちゃんは僕たちの行動を普通だと思ってしまうんですよ! いずれ真似するようになります。それがいつか彼女の家族が見つかって家に戻ったらどうなります!?」
「どうって……」
「やっと取り戻した大事な娘が平気で男の前で着替えたり、裸のまま歩き回るような事になったら家族はどう思いますか? 僕たちはリルカちゃんの家族にどう思われますか!?」
「うっ……」
男の前で平気で着替えるという点については、俺も耳が痛い。まあ、テオとヴォルフは俺を女として見てないし、特に気にしなくてもいいかな、とか思ってたが、リルカが真似するようになったら……困る。
ちなみに、裸で歩き回るというのはテオしかやっていないので俺に非はない。これこそリルカが真似するようになったら大変だ。テオにはもっと反省してほしい。
「僕たちも普通の生活を送っているわけではないので、ある程度は仕方がないと思います。でも! 最低限は気を付けましょうよ。わかりましたか、テオさん!?」
「わ、わかった……」
さすがの脳筋ゴリラも今の事態のヤバさには気づいたらしい。焦ったように何度も頷いている。
「クリスさんは、リルカちゃんの前だけでいいので女性らしくしてください。リルカちゃんが女性としてお手本にするのはあなたでしょうから、きちんと行儀作法を教えてあげてください」
「え!? 女性としての作法とか俺もわかんないんだけど!?」
「覚えてください!!」
「無茶いうなよ!」
そこまで言ったところで、とんとん、と小さなノックの音が聞こえた。
「リルカ……戻りました!」
入って来たのはリルカだった。手にいくつかの品を抱え、誇らしそうな顔をしている。
「ヴォルフさんに言われた物、買って……きたよ。それと、今……お風呂が、空いているって……」
「ありがとうリルカちゃん。ちょうどいいからクリスさんとお風呂入って来てくれるかな」
「えっ」
思わず声をあげてしまった俺を、ヴォルフは視線だけで威圧した。わかってるよな? とでも言いたげだ。残念ながら俺に拒否権はなかった。
◇◇◇
「かゆいところは?」
「ないですー」
無心に、無心に……そう自分に言い聞かせながら俺はリルカの体を洗った。リルカが幼児体型で良かった。もう少し育ってたらヴォルフに何て言われようとも俺は風呂場から逃亡していただろう。まあ、慣れればなんとかなるし、女の体になったからなのか思ったよりは平気だった。
「つぎは……リルカが、お背中流すね」
「ありがと、リルカ」
リルカは小さな手で俺の体を洗ってくれた。妹がいたらこんな感じなんだろうか。ちょっと微笑ましい感じだ。
だが、もしテオに同じことをしたらと思うととても微笑ましいとは思えない、少なくとも俺には。ヴォルフが言ってた女性としてどう振る舞うかを教えるというのも、確かに大切なことかもしれない。
二人で湯につかりながら、俺は落ちそうになっていた髪の毛を縛りなおした。長髪というのはこういう時に中々面倒なのだ。
リルカはその様子をじっと見つめている。
「クリスさんの、髪の毛……きれいだね」
「そうか? リルカの方が綺麗だと思うけど、色とか」
「そ、そんなことないです!……髪の毛、だけじゃなくて……クリスさんは、強いし、かわいいし……リルカ、大きくなったら……クリスさんみたいに、なりたいです……」
おおぅっ!!なんかすごい褒められてる。
だがな、リルカ。おまえが褒めているそいつは全然強くないし中身は男なんだ。
やっぱり、説明しておくべきだろう。憧れていた女性が実は男性だったなんて、いつか俺が元の体に戻った時にリルカが心に大きな傷を負いかねない。
「あのな、リルカ。俺、ほんとは男なんだ。いや……今の体は女なんだけど……」
「えっ……?」
俺はリルカに今までの経緯を簡単に説明した。リルカは神妙に聞いていたが、話し終わっても不思議そうな顔をしていた。
「クリスさんは、男の人で……でも女の人で……。うーん」
すごい勢いで拒否られるというパターンも予測していたが、そうはならなかったようだ。それはよかったが、リルカにはちょっと難しい話だったかもしれない。
「あの……クリスさんは……クリスさん、だよね?」
「……そうだな、俺は俺!」
「なら……大丈夫……」
リルカは嬉しそうに、ぴとりと体を寄せてきた。うーん、かわいい!
こんなにかわいいリルカの為にも、この体でいる間だけはリルカの手本となれるように女らしくしよう。俺はそっとそう心に誓った。