ガラスの花(4)
重々しい空気の中、どことも知れぬ空間を進む。
幸運な事に、先ほどのツタのような化け物が襲い掛かってくることはなかった。
そして、しばらく進み会話も少なくなった頃、ふと先頭のテオが足を止めた。
「あれは……城か?」
レーテもじっと目を凝らす。
薄暗くてわかりにくいが、たしかに前方に見える大きな影は自然にできた岩ではなく、人の手で作られた建物のように見えた。
「あれが建物って事は、あそこに帰還用の装置があるかもしれませんね!」
「ほ、本当か!?」
明るくそう言ったヴォルフに、メーラが安心したように大きく息を吐いた。
「まだわからない。とにかく油断はするなよ。あそこになにがあるかわからないんだからな」
「はいはーい!」
口では調子のいい返事をしつつ、シーリンの瞳はまたしても楽しげにきらめいていた。
……彼女の動向には特に目を配っておくべきだろう。レーテは固くそう心に刻んだ。
今まで以上に警戒しつつ、一行はゆっくりと歩みを進めた。
近づけば近づくほど、建物の輪郭が露わになっていく。
その姿は、確かに小さな城のように見える。
「魔導帝国の遺産か。こんな時でなかったらゆっくり探索したいものだが」
テオが感慨深げに呟く。一応レーテは釘を刺しておくことにした。
「とにかく元の場所に戻ることが第一。それ以外は切り捨てなよ」
「わかってるさ」
テオが名残惜しそうに頭を振る。
レーテとて古代帝国の遺構に心惹かれないわけではないが、今はそんなことをしている場合じゃない。
なんとしてでも、ティレーネとイリスの待つあの場所へ帰らなければならないのだから。
「はぁ、ちょっとした採掘のつもりがとんでもないことになりましたね」
「そもそもちょっとした採掘っていうのがおかしいんじゃないかな」
思えばヴォルフがやってきた時から嫌な予感はしていた。
まったく、どいつもこいつもトラブルばかりを引き起こす天才だ!
◇◇◇
朽ちかけた門の前に立つ。
この空間では風雨にさらされないためか、城はところどころぼろぼろになっているが、意外にもしっかりとその形を残していた。
フリジアやユグランスで見る城と形は似ているが、ところどころに見慣れない装飾が目立っている。
門の向こうには庭園のような場所が広がり、その向こうに重圧な扉がどっしりと構えていた。
おそるおそる、庭園の中へと足を踏み入れる。
「……人の気配も、それ以外の気配もなさそうですね」
「ただ、あちこちに普通じゃない魔力が漂ってる。油断はするなよ」
最初に見た花畑のように、庭園には淡く光る不思議な花が所狭しと咲き誇っていた。
周囲にはまるで宝石でできた花のような、不思議な植物までも目にすることができた。
本当にこんな時でなかったら、見惚れてしまうほど見事な光景だ。
ヴォルフの言う通り生き物の気配はない。だが、普段感じる物とは性質の違う、不自然な魔力が空間中に漂っているようだった。きっとこの庭園も花も城も、魔導帝国の叡智によって築かれた物なのだろう。
シーリンが作動させてしまった台座のように、いつなにが起こってもおかしくはないのだ。
「メーラは俺の後ろを離れるな。シーリンはうかつに変な物に触るんじゃないぞ」
「変なモノって……こういうのは?」
その時聞こえた気の抜けたような声に、レーテは弾かれたようにシーリンの方を振り返る。
いけない。城の様子を探るのに気を取られ、うっかりシーリンから目を離してしまっていた!
「見てみて! すっごく綺麗だよ!!」
シーリンは嬉しそうに握りしめた物をレーテ達の方へと差し出した。
妖しく赤色にきらめく、拳大の水晶を。
「馬鹿っ! 捨てろ!!」
「えっ!?」
慌てて呼びかけたが、少し遅かった。
庭園中から、大量の金属のこすれるような聞きなれない不快な音が響き渡る。
「えっ、なになに!?」
「ちぃ……!」
慌てて剣を構える。
そして、レーテの目の前であまたの花が咲き誇る花壇が盛り上がった。
「っ……!」
土の下から現れたのは、まるで人を模したような形をした、金属でできた傀儡だったのだ。
「魔傀儡かっ!!」
レーテはその存在を知っていた。
失われてしまった魔導帝国の叡智の中でも、数少ない今に伝えられている情報の一つ、それが「魔傀儡」だった。
魔導の力によって動く、人を遥かにしのぐ力を持つ自律人形。古代帝国の繁栄の要に、この魔傀儡の存在があると推察されている。
だが、高性能な魔傀儡を使役すれば簡単に多くの人を殺めることも可能となる。
それゆえ魔傀儡に関する研究は、ほとんど異端視されているのが現状だ。
錬金術師ルカがつくりあげたホムンクルスも、魔導帝国の魔傀儡の資料に基づいていたはずだ。それゆえにホムンクルスは悪用され、彼は大学を追われた。
「……これはまずいな」
テオが重々しく呟く。
レーテとて、まさか未だ現役で稼働する魔傀儡が存在するとは思ってもみなかった。
その威力は未知数だが、少なくとも戦闘能力だけで言えばルカの作り上げたホムンクルスを上回るのは確実だろう。
目の前の魔傀儡は、きっとリルカよりも強くて厄介だ。
「……これは絶望的な状況かもしれませんね」
「でも、ここで死ぬつもりなんてないんだろ」
「当たり前です。今度クリスさんと花見に行く約束してるんですから」
ヴォルフの纏う空気が変わる。
レーテも剣を構え目の前の魔傀儡を睨み付ける。
魔傀儡の弱点……駄目だ。以前目を通した資料にはそこまで記されてはいなかった。
そもそも魔傀儡との戦闘など誰も想定はしていないだろう。目の前の相手は、まったく未知の存在なのだ……!
緊迫した空気の中で、唐突にじゃり、と地面を踏みしめる音が響いた。
「シーリン……?」
何故かシーリンが、一歩一歩魔傀儡の方へと近づいて行く。
そのあまりの無謀さに、レーテは一瞬彼女を制止するのも忘れて息を飲んだ。
「ばかっ! てめぇなにやってんだよ!!」
涙声でメーラが叫ぶ。その声も意に介しないように、シーリンは魔傀儡の目の前まで進み出た。
そして次の瞬間、彼女はその場で手をついて謝罪を始めたのだ。
「ご、ごめんなさいごめんなさい! この宝石は返します!! シーリン達は別に泥棒とかじゃないんです! ただここに迷い込んだだけなんですぅぅ!!」
真っ黒なネコミミをぴくぴく揺らして、シーリンは必死に魔傀儡に謝罪を繰り返していた。
そのあまりにアホすぎる光景に、レーテは不覚にもその場から動くことができなかった。
「……言葉、通じないと思うぞ」
テオが呆れたようにそう口にしたが、シーリンは命を持たない魔傀儡に向かって必死にぺこぺこと頭を下げ続けている。
「あなたたちのお城に侵入とかしようとしたんじゃなくって、ただただ綺麗な宝石を掘り出そうとして気づいたらこうなってたんです! 聖恋祭のお返しにテオにゃんたちが恋人に渡すんですぅ!!」
「……なんか恥ずかしくなってきたからやめてください」
いたたまれない様子でヴォルフがそう呟く。
……一応羞恥心とかあったんだ。わけのわからない状況に飛びそうになる頭の中で、レーテはぼんやりとそんな事を思った。
というか、そんなことを魔傀儡に言ってもどうにかなるわけがない!
さっと思考を切り替え、レーテは剣を構えなおす。
その間にもシーリンは「ミラージュさんはすっごく巨乳で」とか「くーちゃんは畑を耕すのが上手くて」だとか果てしなくどうでもいい説明を魔傀儡に繰り返している。
いつ魔傀儡が襲い掛かってきてもおかしくはない。
一瞬たりとも目を離さないようにしていたレーテは、とある変化に気が付いた。
魔傀儡の顔のあたりには一つ目のように大きな宝石が埋め込まれている。まるで敵意を示すかのように赤色にきらめいていたその石が、だんだんと色を変えているのだ。
数秒もしないうちに、宝石は豊かな自然を思わせる緑色へと変わった。
「うぅ……だから、シーリン達を許して…………あれ?」
半泣きで謝罪を繰り返していたシーリンも魔傀儡の変化に気が付いたのだろう。
何が起こったのかわからない、といった表情で魔傀儡を凝視している。
魔傀儡がゆっくりと立ち上がる。レーテは思わず身構えたが、何故か魔傀儡はレーテ達に背を向け、庭園の隅へと歩き出した。
「……助かったんでしょうか」
「やった! 私の説得が効いたのかも!!」
「いや、たぶんそれは関係ないぞ……」
少なくとも、魔傀儡の方には今すぐレーテ達を害するつもりはなさそうだ。
ここは今のうちに逃げ出すべきだろうか。だが、この城の中に帰還用の台座がある可能性を考えると、できれば城の中を調べたいところだ。
「どうしようか……」
そう思案した時、ぷちぷちという聞きなれない音が聞こえた。
どうやらその音は魔傀儡の方から聞こえてくるようだ。見れば、魔傀儡は先ほど目にした宝石の花が生えている辺りで何かをしているようだった。
「あれって……庭園の整備用だったりするんですかね」
「…………さあね」
魔傀儡の動きは、確かに庭師のように見えない事も無い。
じっとその動きを追っていると、魔傀儡が立ち上がりレーテ達の方を振り返った。
一瞬ひやっとしたが、魔傀儡の一つ目は今も優しい緑色を湛えている。
やがて、魔傀儡は一歩ずつレーテ達の方へと歩いてきた。
そして、魔傀儡はシーリンの前にその大きな作り物の手を差し出した。
「これって……花?」
魔傀儡の大き目なスコップほどある掌の上に、宝石でできた花がいくつか乗っていた。
1、2、3……5本の花が、きらきらと様々な色にきらめいている。
「オレたちの人数と同じだな」
「もしかして、くれるの……?」
シーリンがそっと問いかけると、魔傀儡の目が何度か点滅を繰り返した。
まるで、シーリンの言葉を肯定するように。
シーリンがそっと宝石の花を手に取る。
彼女の手に渡った途端、花が色を変えた。魔傀儡が今度はレーテの方に手を差し出してきたので、レーテもおそるおそるその花を一輪手に取った。
レーテが掴むと、淡い紫に光っていた花は、透き通るような透明へと色を変えたのだ。
まるで、ガラスでできた花のようだった。
「もしかして、私たちが宝石を探してるって言ったから……?」
シーリンの問いかけに、魔傀儡の一つ目が再び点滅した。
「これは驚いたな……」
魔傀儡が人の言葉を解し、その願いを叶えるなどとは聞いたことが無い。
下手すれば今までの通説がまるごとひっくり返りそうだ。
皆が宝石の花を受け取ったのを見たのか、魔傀儡の目が再び点滅する。
その様子は、どこか満足そうに見えた。
「済まない、ついでに一つ頼みたいことがある」
今度はテオがそう語りかけた。
魔傀儡は動きを止め、テオの言葉の続きを待っているようだった。
「先ほどシーリンが話した通り、オレ達は偶然この空間に迷い込み、元の場所へと戻ろうとしている所だ。もし出口を知っているのなら教えてくれないか?」
テオの言葉を受けて、魔傀儡の目が再び点滅する。
次の瞬間、庭園中の花という花が強く光を放ち始めた。
「なっ……!」
まぶしさに思わず目を瞑ると、ふと浮遊感を覚える。
そうだ。この感覚には覚えがある……!
溢れる光の中必死に目を開くと、優しく点滅を繰り返す緑色の光がうっすらと見えた気がした。




