欲望渦巻く聖恋祭!(当日・クリス編)
「へぇ、それは大変でしたね……」
「まったく、首が折れるかと思ったよ」
――聖恋祭当日
用がある、と話すと、ヴォルフはほいほい簡単に俺の家までやって来た。
……俺が、惚れ薬入りのチョコを用意してるなんて知らずに。
ミラージュに惚れ薬を混ぜたと告げられてから、散々悩んで、迷った。
そして……そのままチョコを渡すことにしたのだ!
ヴォルフは俺の事を好きだって言ってくれる。それを信じていないわけじゃない。
でも……どうしても消えない不安がつきまとった。
俺の知らない所で、俺よりも魅力的な人に出会ったら……明日にでもあいつが心変わりするんじゃないかと、心のどこかで怯えていた。
ミラージュのように抜群の美貌を誇る人。
リルカのように優しい心で場を和ませてくれる人。
イリスのように元気に振る舞い、常に周囲を明るくしてくれる人。
ティレーネちゃんのように綺麗な心を持ち、凛とした強い意志で突き進む人。
俺よりも魅力的な人なんてたくさんいるのだから。あいつが俺よりもそういった人を好きになる可能性だって、十分すぎるほどあるんだ。
だから……たとえ数日だけでも、確かな愛が欲しかった。
笑いたければ笑えばいい。俺は悪魔の誘惑にあっさりと負けたんだ!
小さなソファに二人で腰掛けながら、ずっとちくちくとした罪悪感に襲われていた。でも後悔はしない!
まぁたった数日だし、たぶんそんなにひどいことにはならないだろうし……と心の中で言い訳しつつ、そっと用意していたチョコを取り出す。
「あの、そんなに上手にできたわけじゃないんだけど、食べられないことはないと思うから……」
「……まさか、あなたからチョコをもらえるなんて思ってませんでした」
ヴォルフはどこか嬉しそうに見える。
……よかった。俺一人だったら聖恋祭なんて余裕でスルーするところだった。
これだけはミラージュに感謝だな。
ここは俺の部屋。当然ヴォルフと二人っきりだ。
父さんと母さんに聖恋祭の事を話したら、年甲斐もなくはしゃいでデートに出かけて行った。
……これで、邪魔が入る心配もない。
惚れ薬が効いたら、確実にヴォルフは俺を好きになる……!
なんかうまくいきすぎて怖いくらいだけど、きっとこれも愛の女神のご加護と言う奴なんだろう。
大丈夫、風は俺に吹いている!
「……これは?」
「スコルと、ハティだけど……」
ヴォルフはチョコを取り出して、みんなに散々馬鹿にされた俺のイラストをしげしげと眺めている。
「なんていうか……独創的な絵柄ですね」
「……下手なら下手って言ってもいいんだぞ」
ちょっといじけると、ヴォルフが小さく笑ったのが分かった。
「……あなたらしくて、かわいいですよ」
……それはつまり、下手だってことなんだろうか。
なんて普段の俺だったらむくれただろうけど、何か今は空気、というか雰囲気にのまれて、柄にもなく体温が上がるのが分かった。
「かっ、かわいくはないだろ……!」
「そうやって否定するところが可愛い」
「うぅぅ…………!」
くそっ! 年下の癖に余裕ぶりやがって!!
恥ずかしくて下を向くと、優しく囁きかけられる。
「今ここで食べてもいいですか?」
「……うん」
食べてもいいって言うか、むしろ持ち帰られたりしたら大惨事だ。
惚れ薬の効果で好きになるのは、俺でなければいけないんだから。
ヴォルフがチョコを口にする。
俺は、高鳴る鼓動を感じながらじっとその様子に見入っていた。
そして、一口。
ヴォルフは、惚れ薬入りのチョコを確かに口にした。
「……甘いですね。まあチョコだから当たり前なんですけど」
「…………」
「中には何か入れたんですか」
「……はえ!?」
いきなり核心に迫る質問をされて、びくり体が跳ねた。
「なっ、何かって何を……」
「え? そんなに驚く事でしたか? こういう手作りのチョコは何を入れるのか気になって」
「あ、あぁ……」
まさか「惚れ薬を仕込みました」なんて言えずに、あたりさわりのない範囲でチョコに混ぜたものを述べていく。
ヴォルフは納得したようにもくもくとチョコを食べている。
ほどなく、俺の作ったチョコはすべてヴォルフの胃の中に納まったようだ。
「…………どう?」
「美味しかったですよ。ごちそうさま」
「…………」
「もしかして……クリスさんも食べたかったんですか?」
「……えっ!?」
「すみません、最初に分けるべきでしたね……」
あれ、効果出てない……?とじっとヴォルフを観察していると、何を勘違いしたのかがチョコを欲しがっていると思い込まれてしまったようだ。
「あなたは甘い物好きですからね。いくら頂いた物とはいえ配慮するべきでした」
「べ、別にそういうことじゃ……」
慌てて否定したが、逆にそれが強がりだと思われてしまったようだ。
うぅ、恥ずかしい……。俺はそんなにがめつい奴だと思われてるのかな……。
「もう食べてしまった物は元に戻せませんけど……」
そっと肩を抱き寄せられる。
緊張しつつ顔を上げると、思ったよりも至近距離で目があったので驚いた。
そのまま、ゆっくりとヴォルフの顔が近づいてくる。
意図を察して、そっと目を閉じた。
「…………甘い」
「まぁ、チョコですから」
甘味の残滓が舌に広がる。
……よく考えたらこれってまずくないか?
惚れ薬の成分を、俺も口にしちゃったって事じゃ……。
内心焦る俺に気づいていないのか、ヴォルフはそっと手を重ねてくる。
薬のせいか、体温がいつもより熱く感じられた。
……結局これは、惚れ薬の効果があったと思ってもいいのだろうか。でも、いつもと変わらないような気もする。
やっぱり、惚れ薬なんて効果なかったのかもな。
たぶんミラージュが俺達をからかおうと嘘をついたんだろう。
まぁ……喜んでもらえたみたいだしいっか!
「聖恋祭って結構いいもんだな。今まで知らなくて損した気分だよ」
「へぇ、そんな聖恋祭を楽しむような相手がいたんですか」
「うっ、いないけどぉ……」
やっぱり知らなくてよかったのかもしれない。今までの俺だったら、たぶんチョコなんてもらえなくて悔しい思いをしただけだっただろうな……。
「お前は散々モテモテだったんだろうな!」
「…………」
「否定してよぉ!」
くそっ! この金持ちイケメンめ!!
心の奥底から嫉妬心が溢れてくる。
嫉妬してるのはヴォルフにか今までヴォルフにチョコを渡したであろう女の子に対してか……どっちでもいいけどとにかくむかつく!!
「別に、社交辞令ですよそんなの」
「もてる男の戯言なんて聞きたくない!」
ふいっと顔を逸らすと、強い力で顎を掴まれて無理やり振り向かされる。
「……クリスさん」
「なっ、なに……」
至近距離で見つめられて、かっと顔が熱くなる。
「僕がチョコをもらってこんなに嬉しく思ったのは初めてです」
「うん……」
あぁ、その目に見つめられると途端に思考がとろけてしまう。
怒りも嫉妬心も、全て甘い恍惚へと変わっていくようだった。
「チョコ、食べてくれてありがとう。安心した」
「美味しかったですよ。でも……もう一つわがまま言っていいですか」
「うん……」
とろけた思考のまま頷くと、強く抱き寄せられた。
そして、耳元で囁かれる。
「……チョコの次は、あなたが食べたい」
「っ……!」
その意味が分からないほど鈍感じゃない。
固まった体を解きほぐすかのように、耳に舌が這わされた。
「ねぇ、クリス……」
「ふ、ぁっ……!」
濡れた感触とぴちゃりと響く水音に、ますます思考が溶かされていく。
どこからか漂ってくる甘い匂いが、判断力を低下させていくようだった。
ふわふわとした頭で、なんとか言葉を絞り出す。
「チ、チョコより美味しくないと思うけどっ……!」
……何言ってんだ。しっかりしろ!
だがヴォルフはそれを了承と受け取ったようだ。膝裏と背中に腕を回すようにして、そっと力の抜けた体を抱き上げられた。
優しくベッドに降ろされ、すぐさま深く口付けられる。
再び、甘味が口いっぱいに広がっていく。
平静を取り戻しかけていた思考が、またどろどろに溶かされていく。
「んっ…………カーテン、しめて……」
……まぁ、いいか。
聖恋祭は愛の女神を称える祭りだとか何とか言ってたし、愛の女神なんてどうせスケベな神様に決まってる。
きっと、こういう展開をお望みなんだろう。
ふわふわした頭でそんな事を考えながら、優しく、時に荒々しく翻弄する手に……そっと身を任せた。
◇◇◇
――聖恋祭翌日
「…………はぁ」
一人ベッドでごろごろしながら、俺は昨日のあれこれを思い出して悶えていた。
冷静に考えると恥ずかしいなんてもんじゃない。
その場の雰囲気に流された……なんて言い訳もできない。もともとチョコを作ったのは俺だし、あまつさえ惚れ薬なんて使おうとしてたんだし……。
惚れ薬は効果がなかったようだが、なんかいろいろとんでもない事を口走っちゃった気がするし、昨日の醜態を思い出すだけで体が熱くなる。
なんか変な気分になりかけて勢いをつけて起き上がった直後だった。
玄関の扉が、こんこんと叩かれる音がした。
「……なんだ?」
父さんと母さんは仕事中。今この家には無職の俺しかいない。
変な勧誘とかだったらやだな、と思いつつ玄関へ向かう。
丁度玄関に辿り着いた時、外から声が聞こえた。
「クリス、いないのか?」
誰であろう、テオの声だった。
「なんだ、お前かよ」
がちゃりと扉を開けると、どこか困ったような顔をしたテオが立っていた。
何の用なんだろう。腹が減ったから食事を出せとか言うんだろうか。
「……おまえ一人か?」
「そうだけど」
「ヴォルフはいないのか?」
テオは訝しげに俺を見ている。
一体なんだっていうんだよ。
「あいつなら屋敷だろ」
「昨日、チョコを渡さなかったのか?」
「……? 普通に渡したけど、ヴォルフならそのあと帰ったぞ」
なんやかんやでいろいろ済んだ後、ヴォルフは戻ってきた俺の両親と一緒に食事をして帰って行った。
別に、何もおかしくはないはずだ。
「……一応確認するが、ヴォルフはお前の作ったチョコを食べたんだよな?」
「だったらなんだって言うんだよ」
「お前……惚れ薬入りのチョコを食わせたのか」
呆れたようにそう口にしたテオに、思わず体が跳ねる。
その反応で、テオには俺があえて惚れ薬入りのチョコを渡したのがばれたようだ。
「……はぁ、なんでお前はそう短慮なんだ」
「ほ、惚れ薬ってミラージュの嘘だろ!? だってあいつ、いつも通りだったし……」
そう言い訳すると、テオはずい、と背後を指差した。
おそるおそるテオの巨体の後ろを覗き込む。
そこには……
「あぁん! もう二度と離さないわ子猫ちゅわーん!!」
「フシャー!!」
何故かすごい勢いで地面をローリングしながら猫を抱きしめるミラージュと、必死にミラージュの腕の中から逃れようと爪を立てる哀れな猫の姿があった。
なんていうか、なんだこれ…………。
「なんだよこの地獄絵図は」
何事かと顔を覗かせた近隣の人たちも、まるで見てはいけないものを見てしまったかのようにそそくさと引っ込んでいく。
おい、人んちの前で奇行を繰り返すのはやめてくれ。変な噂が立つだろ!
「昨日、ミラージュがオレに目を逸らしたくなるようなチョコを渡してきた」
「うん……」
「変な薬を仕込んでいるのは想像に難くない。取りあえず毒見として本人に食べさせ、空いてる部屋に放り込んだ。どうやらその部屋に野良猫が棲みついていたようでな……」
テオは憐れむような目線をミラージュに抱きしめられた猫に向けている。
……ということは
「まさか、惚れ薬の効果で……」
「ミラージュはあの猫に惚れてしまったようだな」
「うわぁ……」
人間……というか人型以外も対象になるのか。しかもかなり強力そうだ。
ていうか、あの薬本物だったのかよ!!
「ここに来る前にティレーネの所にも寄ったんだがな、ティレーネはどうにか渡すのを踏みとどまったようだぞ。……おまえとは大違いだな」
「うぅ……」
テオの言葉にははっきりと呆れが滲んでいた。
でもそれも当然だ。俺はミラージュの甘言に乗せられて、無理やり人の心を奪うような薬を使ったのだから。
「反省してます……」
「まずはヴォルフに謝れよ。……本当に食べたんだよな? あいつは平気だったのか?」
「うん。普段と変わらないように見えたけど……」
テオは腕を組んで何事か思案している。
そして、何か思いついたようにぽん、と手を叩いた。
「……なるほど、そういうことか」
「ど、どういうこと!?」
どうしよう、思ったより大変な事をしてしまったんじゃ……と心配になりかけていた俺は、必死にテオに縋りついた。
「惚れ薬とは、相手を好きになる薬だ。つまり、元から相手のことが好きであれば効果を実感できないのではないか?」
「…………は?」
テオは大真面目に、そんな事を言いだした。
「わかるかクリス。ヴォルフはお前のことが好――」
「わあぁぁ!! もういい、わかったから! 恥ずかしいからそういうこと言うなよ!!」
あらためてそんな考察をされると非常に恥ずかしい!
思わず手で顔を覆ってその場にしゃがみこんだ。
「よかったじゃないか。これからは得体の知れない薬なんか使うんじゃないぞ」
「うぅ……」
にやにや笑いながらテオは俺を見下ろしている。
「どんな薬でも、真実の愛にはかなわないという事だな!」
まったく似合わないくさすぎる台詞を吐きながら、テオは笑って去って行った。
後に残されたのは、全身真っ赤になった俺と……相変わらず奇行を繰り返すミラージュと哀れな猫だけだ。
「…………ってちょっとまてよ! ミラージュ回収してけ!!」
体よく押し付けられたと気づいた時には、後の祭りだった。(聖恋祭の翌日だけに……とか言いたいわけじゃない!)
こうしてある意味自業自得な俺の受難は、もう少し続いたのだった……。
これにて「欲望渦巻く聖恋祭!」終了です! 酷いバレンタイン話でした!
最初は1話くらいでさらっとまとめるつもりだったのですが、気がついたら思ったよりもかなり長くなってしまいました……。
しかし季節行事ネタは楽しいのでまたやりたいですね!!




