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ヤンデレ吸血鬼に愛されて夜しか眠れないっ!

時系列は本編5章、解放軍から逃げ出したすぐ後の一夜の話になります。

「だからっ、一緒にいてよぉ……!」


 泣きながらそう告げられたその瞬間、心は決まった。

 もう二度と、この人から離れないと。



 ◇◇◇



 夜明けにはまだ時間がある。


 目の前ではクリスが眠っている。

 ルディス教団から、解放軍から逃げ続け……心身ともに疲れ果てているのだろう。

 深い眠りについているのか起きる気配はない。

 ヴォルフは、そんなクリスをじっと見つめていた。


 寝ていないわけじゃない。ただ、頻繁に目が覚めるだけだ。

 不思議と睡眠不足になることはなかった。それよりも大事なことがあるからか、それとも……自分はもう、化け物になってしまったからなのかもしれない。


 眠りについてクリスの姿が見えなくなるたび、言いようのない不安に襲われる。

 自分の見ていない隙に何者かにクリスを奪われるのでは、そんな思いが眠るたびにヴォルフに襲い掛かって来た。


 今でも思い出すと肝が冷える。

 あの日――クリスとティレーネが姿を消したあの日、もう少しヴォルフが到着するのが遅ければ、クリスはあの枢機卿に奪い去られていたのだから。


 ヴォルフが異変に気付いたのは、姿を消したティレーネを探すレーテと偶然会ったからだ。

 ティレーネと親しいクリスならば彼女の居場所を知っているのではないか、そう思って部屋を訪ねたが、そこにクリスの姿はなかった。

 あの空の部屋を見た時のぞくりとした感覚は今でも鮮明に思い出せる。


 解放軍に入ってから、クリスは安定していた。自分がいなくても、クリスの傍にはアニエスやティレーネ……常に誰かがいた。

 だから、ヴォルフも気を抜いている部分があったのは確かだ。

 自分が傍にいなくても、大丈夫だと思い始めていた。


 ……それが、大きな間違いだった。


 あと少しでクリスはあの枢機卿に奪われ、二度と手の届かない場所へと行ってしまう所だった。

 だから、もう二度とクリスから目を離すことなんてできない。

 できるはずがなかった。


 目の前のクリスは、すやすやと穏やかな寝息を立てている。

 その顔を見ていると、愛しさが込み上げてくる。


 ――守りたい

 ――慈しみたい

 ――愛したい

 ――愛されたい


 忌まわしい化け物となった自分を受け入れてくれた、優しい人。

 今のヴォルフにとってはクリスの存在が全てだ。

 何があっても守らなければならない、大事な人。


「ん……」


 ふと、クリスが小さく身じろいだ。

 そのまま起きることはなかったが、少し体勢が変わってしまう。


 そして、その拍子に隠れていた無防備な首筋がさらけ出されてしまった。


 そこに現れた赤い噛み痕と牙の痕を見つけて、ヴォルフの心臓がどくりと大きく音を立てる。


「……はっ…………!」


 駄目だ、落ち着け……


 必死に自分に言い聞かせたが、視線は縫いとめられたようにクリスの首筋から離れることはなかった。

 クリスを守りたい、大事にしたいと思っているのは本当だ。

 だが、ふとした拍子にこうしてその奥にある獣の本能が頭を覗かせる。


 ――愛したい


 ――愛されたい



 ――噛みつきたい啜りたい貪りたい堕としたいねじ伏せたい征服したい支配したい暴きたい犯したい穢したい壊したい――



「やめろ……」


 必死に自らの腕に爪を立て行動を律する。

 そうしないと、抑えられないような気がした。

 日に日に、自分の意志とは無関係に凶悪な衝動が増していく。


 ……以前は、こうではなかったのに。


 初めて会った時から綺麗な人だと思っていた。

 日の光を浴びて輝く金の髪に、蒼穹のような澄んだ瞳。

 天使のようだと思っていた。いや……今でも思っている。


 それでも、そんな淡い想いを伝えるつもりはなかった。

 クリスの隣には、いつもテオがいたのだから。


 お似合いの、結ばれる運命にある二人だと思っていた。

 クリスを誰かに取られるのは嫌だったが、その相手がテオならば納得できた。

 彼ならば必ずクリスを守り抜き、幸せにしてくれるだろう。

 二人が結ばれた暁には、切ない思いを感じつつも祝福できるはずだ。そう思っていた。


 だが、テオは死んでしまった。

 クリス一人を置き去りにして。


『…………あなただけでも、生きていてくれて良かった』


 その言葉に嘘偽りはない。

 この一年、クリスに再び会う事だけを考えていた。

 奇跡でもなんでもいい。もう一度会えた、それだけでよかった。


 ……だが、いつのまにかそれでは満足できなくなってしまった。

 以前はテオがいた。二人の間に自分が入り込む隙などなかった。

 でも、今は違う。


 テオを失って、クリスは一年経った今でも酷く落ち込んでいる。

 その心の隙に付け込んでしまえと、ヴォルフの内側に潜む獣が囁いているのだ。


 ――テオがいなくなった今ならば、クリスは振り向いてくれるかもしれない。


 自分がそんな浅ましい期待をしていることに気が付いて、ヴォルフは愕然とした。

 テオが嫌いなわけじゃない。憧れていた。尊敬していた。

 勇者なんて馬鹿馬鹿しいと思っていたけれど、彼だけは違うと、そう信じていた。


 それなのに、『テオがいなくなった隙に付け込んでクリスをモノにする』などという、最低な思考が振り払えないでいる。


 解放軍にいた時はよかった。まわりに大勢人がいて、まだ冷静に自分の行動を考えることができていたのだから。

 だが今ここにいるのはヴォルフとクリスの二人だけだ。

 ヴォルフが凶行に及んだとしても、それを止める者は誰もいない。


 吸血鬼として覚醒した日から、日ごとに凶暴な衝動が強くなっていく。

 クリスの無防備な姿を目にするたびに、襲い掛かりたい衝動に駆られる。


 そしてここには、優しいテオも聡明なリルカもいない。

 ヴォルフを止める者は、誰もいないのだ。


 ――きっとクリスは許してくれる。優しい人だから。


 内側で何かが囁く。


 ――誰かに取られる前に強引に奪ってしまえ。


 駄目だ、そんな事は許されない。

 必死に溢れだそうとする衝動を抑えつける。


 今ここで凶行に及べばクリスを傷つけるだけだ。

 クリスの「体」は手に入るかもしれない。だが、きっとヴォルフはクリスの「心」を永遠に失ってしまう。

 そんなのは、嫌だった。


「……っく」


 腕に爪を立て、何とか理性で本能を押しとどめる。

 昼間はまだいい。人の目があるし、ヴォルフも平常心を保っていられる。だが、夜が来るたびに内に潜む化け物が目を覚ます。


 目の前ではクリスが穏やかに眠っている。

 清らかで優しい、穢れを知らない天使。



 ――その身に纏う衣を剥ぎ取り、柔肌を暴き思うがまま牙を突き立てたい。


 ――細くたよりない足を割り開いて、奥の奥までヴォルフという存在を刻み付けたい。



 ――体を魂を侵しつくして、生まれ変わっても消えない痕を刻んでやりたい……!



 今手を伸ばせば、簡単にクリスは手に入る。

 嫌がって泣くかもしれない、抵抗もするだろう。だが、せいぜい震えながら力の入らない手でヴォルフを押し返そうとし、かぼそい涙声で拒絶の言葉を吐くのが精一杯だろう。

 そんなものは簡単にねじ伏せてしまえる。


 ヴォルフの抱えるこの欲望を知ったとき、クリスはどんな表情を浮かべるのだろう。

 怯えるのか、嫌悪感を露わにするのか、それとも状況が理解できずに泣きじゃくるのか。

 以前はクリスの泣き顔を想像するだけで胸が痛んだが、今は心の奥底から仄暗い興奮と嗜虐心が湧き上がってくる。


 クリスの笑顔が好きだ。だがそれと同じくらい、泣き顔にも惹かれる。

 クリスが誰かに泣かされたと考えるとその相手を切り刻みたくなるが、クリスの心を動かしているのが自分なら話は別だ。


 信じていた相手に裏切られて、絶望に揺れる瞳から零れる涙を味わいたい。

 今のクリスは「雌」であるのだとその躯にたっぶりと教え込み、悲鳴が嬌声に変わる瞬間を堪能したい。

 少し手を伸ばすだけで、ヴォルフの欲望は遂げられてしまう距離にある。


 邪魔する者は、誰もいない。


 欲しい。


 欲しい。


 たまらなく、クリスの全てが欲しい……



 今だ今しかない早く手を伸ばせ奪い尽くせその証を刻んで隷属させ――



「ん……」


 その時、クリスが小さく声を発した。

 ヴォルフははっと我に返り、伸ばしかけた手を止めた。

 おそるおそる確認すると、クリスはどこか苦しげに眉をひそめている。


「ふっ……ぁ……やだ…………」


 クリスは拒絶の言葉を吐きながら身をよじっている。

 だが、その目は閉じられたままだ。

 悪い夢にうなされているのだろうか……。


 自分以外の「何か」がクリスを苦しめている。その事実に怒りが湧いた。

 苦しみも悲しみも絶望も快楽も、全てこの手で与えたいのに。


「……クリスさん」


 そっとその肩に手を置き、呼びかけながら優しく揺さぶる。

 すぐに、クリスは目を開いた。


「…………ヴォルフ?」


 焦点の合わない瞳がヴォルフを捕えると、泣きそうに歪んだ。


「随分とうなされてましたけど」

「ごめん、起こした……?」

「……大丈夫です。僕も、ちょうど目が覚めたところだったので」


 見え透いた嘘だったが、まだ覚醒しきっていないクリスは疑問にも思わなかったようだ。


「嫌な夢でも、見たんですか」

「うん……なんか、黒くて怖いのに追いかけられて、捕まりそうになって……」


 クリスの目じりには涙が光っていた。

 夢とはいえ、よほど怖い思いをしたのだろう。

 そんなクリスを哀れに思うのと同時に、またヴォルフの奥深くから獣の本能が顔を覗かせる。


 その雫を舐め取り、白い頬に舌を這わせたい。

 小さな唇にむしゃぶりつき、奥に隠れた柔らかな舌を――


 そこまで考えたところでごくりと唾を飲みこんで、飛びかけていた思考を引き戻す。

 …………今は、その時じゃない。


「……大丈夫、ただの夢ですよ」


 そう言い聞かせると、クリスの表情が少しだけ和らいだ。


「僕がついてます。だから、安心して眠ってください」

「…………うん」


 クリスは小さく頷くと、再び目を閉じた。

 すぐに、小さな寝息が聞こえ始める。

 まどろみの間の一瞬のやり取り。次の朝起きたら、クリスが覚えているのかどうかもわからない。


 きっとクリスの見た悪夢は、クリスの怯えの表れだ。

 クリスが恐れているのは、解放軍に見つかる事か、あの枢機卿が追いかけてくることか、それとも……


 ――ヴォルフの存在に、だろうか


 クリスは無意識のうちに感じ取ってるのかもしれない。



 傍らの少年が優しい守護者などではなく……自身を狙い続ける、獰猛な捕食者であることに。



「……ふっ……あはは……」


 思わず乾いた笑いが漏れてしまった。


 しょせん本質は同じなのだろう。


 ヴォルフも、あのクリスを狙う枢機卿も


 クリス(アンジェリカ)に病的な執着を抱いており、彼女を奪おうとしているという点ではなんら変わりがないのだから。


 クリスは相変わらず眠りについている。


 可哀想なクリス。

 例えヴォルフの抱く醜い欲望に気が付いたとしても、クリスに他に選択肢はない。

 もうクリスが頼ることができるのは、ヴォルフ一人だけなのだから。

 自らを狙う捕食者の影におびえながら、必死に気づかない振りを続けるしかないのだろう。



 空が白んできた。

 じきに朝がやって来る。


 ……今夜もまた、内に眠る獣を抑えることができた。

 ほっと息を吐いて、眠り続けるクリスを見つめる。

 シーツに散らばる金の髪が、昇りはじめた日の光を反射してキラキラと輝いていた。


 起こさないようにその髪を一房手に取り、そっと口づける。


 日が昇っている間は、クリスを守る守護者でいられる。

 だが、ヴォルフの理性もいつまでもつかはわからない。

 日に日に、ヴォルフの中に眠る獰猛な本能が覚醒を始めているのがはっきりとわかった。


 クリスが目覚めたら、また逃走の旅路を続けなければならない。

 クリスは逃げ切れるのだろうか。解放軍から、枢機卿から、そして……ヴォルフ自身から。


 他人事のようにそう考えながら、ヴォルフはずっとクリスを見つめ続けていた。


 朝になれば、ヴォルフの中の獣は眠りにつく。

 ヴォルフはクリスの守護者となり、あらゆる危険からクリスを守り抜かねばならない。


 そして、また――



 夜が、やって来る。


数えたらこの話だけで69回も「クリス」という単語が出てきてました。ちょっと怖いですね!

本編ではこのあと吸血鬼夫妻に出会っていい方向に進みますが、もし少しでも歯車がずれていたら……と考えるとちょっとどきどきします。

そして次回はリルカがメインの話になる予定です!

できるだけ爽やかな話にしたいです!!

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